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第四話

ヒト・カタ・ヒト・ヒラのこと14

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 神道には、遷御という祭事がある。
 この祭事にて、祀られる神体は古い神宮から新たな神宮に移される。
 神の住まいも、御神体そのものも、時の流れには逆らえない。
 劣化し、蝕まれ、やがては朽ちて、土に還る。
 現世の姿形は神ですら永遠ではない。
 これは高温多湿かつ酸性土壌の日本の風土が物体の、特に木造建築の保存を阻むが故に、培われた概念であろう。
 悲しむ必要はない。
 悔やむ必要もない。
 神と尊ばれる概念は、新たな器に継承され、その役目を連綿と未来に紡いでいくのだから。
 物質的な連続性の断絶、すなわち死とは――天然自然の循環なり。
 今世にて、東瀬織と名付けられた神樹の成れ果てにも、正しき運命が巡ってきた。
 ただ、それだけのこと。
 しかれども、今世にて、彼の神樹を祀る者はなし。
 つまり――自分を彼岸に送る祭を行う者が誰もいないわけで、東瀬織が得も知れぬ寂しさと、僅かな苛立ちを感じてしまうのは、曲がりなりにも扶桑の地に根付いた神としての性なのだろう。
「ふん……この体――」
 自室にて一人、瀬織は姿見に裸体を晒した。
 その身は、人の理想と憧れを体現した永遠の少女。枯れることない青春の花、無窮の美しさの結晶。
 しかし、今や両手はヒビ割れを隠す包帯に覆われ、破損は腹部にも生じていた。
 柔らかな丸みを帯びた、引き締まった腹の、へその辺りに斜めの亀裂があった。
「――せめて、あと三月くらいは……保ってくれませんかねえ……」
 諦めがちに、呟いた。
 自分の体のことは、自分が一番良く分かっていた。
 我が身の穢れが祓われることは、元の神樹に還るということ。純粋に、ささやかなる人の願いに応えていた頃に、自然の循環に還るということ。
 時の止まった呪いのヒトカタに、2000年分の時間が押し寄せるのだ。
 瀬織の身が朽ち果てるのは、避けようのない現実だった。
 それ自体には、何の悔いもない。
 だが、胸の奥が熱を持って――じわりと疼く。
「せめて春まで保ってくれれば、景くんに適当な言い訳も……立つのですがねえ……」
 ただ一人、自分を愛してくれる少年と別れることだけが、恐ろしかった。
 嘘を吐かねばならないのが、辛かった。
 自分という存在の終焉を、きっと景は受け入れてくれないだろうから、瀬織は園衛に相談した。
 些か失礼に思ったが、園衛は身近な人との別れに馴れている。
 精神的にも、事務的な経験面でも、園衛は相談するには最適な人物だった。
 そして、共犯になってもらう話がついた。
 景とは優しい嘘でお別れをして、いつか彼が大人になった時に、やんわりと現実を受け入れてくれると期待するのが、最良と判断した。
「わたくしは事情があって、飛騨の山奥の社に還ります。景くんが大人になったら、また会いに来てくださいね――そんな嘘のお別れをしなきゃならないなんて……」
 はあ、と微熱の吐息がこぼれた。
 指先で、我が身の胸をなぞる。
 豊穣の乳房の奥に、作りモノにはない体温を感じた。
「こんな思いをするのなら、心なんて……」
 いらなかった――と、言の葉は喉の奥で詰まったまま、出てこなかった。
 その日も、瀬織は平然を装って景に朝の挨拶をして、食事を作り、一緒に登校した。
 無為に時を過ごすだけでは、何千年、何万年経とうと人の精神は成長しない。
 故に人に接し、人を学び、人として成長せよと園衛に言われて、普通の少女のように学校に通い続けた、三か月間。
 人の縁の奇々怪々は、良く分かった。
「知っているか! ニンジャは実在するッ!」
 またしても、同級生のクローリク・タジマがわけの分からないことを言っている。
 しかも、廊下で。
 放課後、瀬織と景が下校しようとしていると、運悪く捕まってしまった。
「知りませんわよ……。さ、帰りましょ景くん」
「でも、無視したら可哀想だよ……」
「あのですね、景くん。街頭演説、怪しい署名や募金活動、都会の駅前でちり紙を配ると見せかけて絵を売りつける女ども、そういった輩にいちいち構っていてはキリがないのです。こういう手合いは、こちらの同情、優しさにつけ込んでくるのですから~」
 と、厄介扱いをされたクローリクが目を吊り上げて迫ってきた。
「いいから話を聞けッ! ほらッ!」
 クローリクは一方的にスマホの画面を見せつけてきた。
 動画サイトの生配信のタイムシフトが映っている。
 こちらの時間は限られているというのに、こんなものを見せられるのは極めて迷惑なのだが、瀬織は別の不快感に眉をひそめた。
 動画の主役は、アニメチックなCGモデルの美少女キャラだった。
『バーチャル配信! ウカのウカウカしてらンないッ! 第100回記念スペシャル~~! 今日のゲストはなんとぉ……ニンジャ! ニンジャなんですよ~っ!』
 このキャラクターの見た目、声、どれも覚えがある。
 そして嫌悪感がある。
 理由の分からぬ苛立ちを覚える、このキャラクターは〈ウカ〉と名乗った。
「ン……この動画ぁ……」
「ウカちゃんのウカウカしてらンないッ! だぞ? 知らんのか?」
「興味ありませんわねぇ……」
 ウカ……あのUKAとかいう胡散臭いアプリのイメージキャラクターだ。
 バーチャルアイドルとしても世界的に知名度が高く、海外でライブをやったり、各企業と積極的にコラボしている、というのは知識として知っている。
 だがそれ以上は知らない。知りたくもない。
 嫌いなものには、関わらないのが一番賢い選択だろう。
 動画の中では、CGのウカが実在する三次元の少女をゲストに迎えていた。
『今日のゲストの、川路翔子ちゃんで~~す!』
『こんばんは~! 呼隠流忍術正統! 川路翔子ですっ!』
『こここ……こがくし? なんですか、それは?』
『私の家に代々伝わる正義の忍術流派ですっ!』
 コロコロと、わざとらしく表情を変えながらウカは怪しげなニンジャ談義の深みに入っていった。
『翔子ちゃんのおうちは、一体いつからニンジャしてるんですか~?』
『はい! 我が家の起源は、遠く飛鳥時代にまで遡ります!』
『へっ? いつのことですか? 西暦何年ですか?』
『聖徳太子の時代ですね! ニンジャの起源は聖徳太子の作った志能便という諜報組織で、遣隋使を通してニンジャは世界中に伝播していったんですよ!』
『えっ? セカイ? ニンジャ?』
 トンチキなニンジャ的世界観に、SEの笑いがドッと湧いた。
 突っ込み所の多過ぎる設定である。
 景は信じられないようだった。
「なにこの遣隋使って……ギャグ?」
「いやあ……この川路って方の言ってること、大体合ってますわねえ」
「えっ?」
 景が驚くのも無理はない。
 だが実際に飛鳥時代当時に稼働していた瀬織は、怪しげなニンジャ史観についても知っていた。
「厩戸豊聡耳皇子命(うまやとのとよとみみのみこのみこ)という方が独自の諜報機関を設置したのも事実ですし、その組織出身の方が遣隋使に同行してましたわねえ」
「ウマヤ? トヨトヨノミミミ?」
「皇子様とはお会いしたことはありませんが、晩年は巨大なハニワ作りに没頭してたとか……」
「ハニャ?」
 舌を噛みそうな古代人の名前と、突飛な名詞に景は混乱していた。
 動画の中では川路翔子なる少女が引き続き世界中のニンジャを動画つきで紹介している。象に乗るアフリカン・ニンジャだの、トウガラシエキス入りソンブレロ手裏剣を使う残虐ファイトを得意とするメキシカン・ニンジャだのと目も眩むようなニンジャ・ワールドが展開されているが、どうでも良いので瀬織はスルーした。
「で? このトチ狂った忍者さんがどうしたんですの?」
「ニンジャが実在するんだからUFOもムー大陸もチュパカブラもいたって不思議じゃないだろう!」
 クローリク、熱弁。
 なんでそうなるのか。
 ニンジャとUFOは全く別の話だろうに。というかニンジャはオカルトとか未確認生命体の同類なのか。
 呆れつつも、瀬織はしみじみと笑みを浮かべた。
「はぁ~……ま、クローリクさんのおバカな話を聞くのも、まあまあ楽しい思い出になりましたわ」
「なんだ、その言い方?」
「鮮やかな青春の日の思い出でございますわ」
 クローリクは首を傾げた。瀬織の気など知る由もない。
「まあ、前置きはこの辺にしてだな」
「えっ……まだ続きあるんですの」
「良い思い出と思うのなら、もう少し話に付き合えッ」
 瀬織は辟易しつつも、これも人生の糧と思ってクローリクの話を聞くことにした。
「なら、続けてくださいな」
「ウム! 本題はな、このウカちゃんのことだッ」
「ウカァ……」
 瀬織は本能的にスマホから目を背けた。
 どういうわけか、このイメージキャラクターを見ると頭の奥が苛々と疼くのだ。
「ウカは知っての通り、アプリのイメージキャラクターだが、この配信で話してるのは声優やタレントではなく、高性能AIなんだそうだ」
「はあ……そういう設定なんでしょう?」
 今までバーチャルアイドルと呼ばれるキャラクターは数多存在したが、人間と高度なコミュニケーションの取れる自律型AIなどSFの中だけの存在だ。
 巷に溢れるバーチャル配信者にしても、CGの外見と設定の皮を被って、キャラクターを演じているだけだ。
 しかし、クローリクは真顔で手を横に振った。ノーである、と。
「一般的には、中の人がいる……と思われている。だが一部では、こういう噂もあるんだ。SNSを始めとした各種アプリから何億人ものビッグデータを集めて、学習型AIがクラウド上に疑似人格を形成したのがウカなのではないか……とな」
「はあ……仮にそうだとしてぇ、誰が何のためにそんなことするんです? 誰が得するんですの?」
 クローリクお得意の陰謀論に、瀬織がツッコミを入れた。
 そんな大がかりな計画には、莫大な資金が必要だろうし、関わる企業や人員も膨大だ。
 事実を隠し通すことなど不可能だろうし、そもそも投資に見合ったリターンがなければ計画を実施する意味がない。
「具体的な現世利益がないのなら、そんな陰謀は成立しませんわ」
「UKAのアプリは今じゃ利用者個人の趣味傾向をピタリと当てて、必要な情報や道具を事前に用意してくれる。人間は頭を使う必要がなくなって、UKAに依存する。こうなると……UKAは神様と同じだ」
「うん……?」
 相変わらずの陰謀論だが、瀬織は引っかかりを感じた。
 人の願い、求めに応じて知識や道具を与えてくれるというのは……瀬織のような土着の神々に等しい。
 クローリクの話は続く。
「今では会社の人事、株取引、簡易裁判所の判決までAIが代行している時代だ。冷静に考えたら、経済や司法を機械任せにするというのはおかしくないか? 人間の生殺与奪を機械に委ねてるんだぞ?」
「機械なんて……電源ひっこ抜けば良くないですか? それに、わたくしの知るところでは人工知能というのは与えられた機能しか果たせないと聞きます。絵空事のような進化だの人類への反乱だの……考えすぎでしょう」
「私はSFめいたシンギュラリティの話をしてるんじゃない。AIはただ、人間に与えられた仕事をするだけだ。人の生活を管理し、人を正しく裁き、人を正しく導くという使命を……」
「んー……」
 瀬織は唇に指を当てて、鼻を鳴らした。
 クローリクの言わんとすることは理解できた。感心さえしていた。
 バカげた陰謀論に傾倒しているようで、基本的には利発な少女なのだと。
 一方、景は話についてこれない様子だった。
「えっと……それって、AIに支配されてるだけじゃないの?」
「支配……とは、ちょっと違いますわねえ。人は……自分で作り出した神様に統治して貰うだけですので」
「ええ?」
「決して老いず、腐敗せず、間違いを起こさない、完璧な為政者。彼女は人の願いに応じるのが存在意義。人はあらゆる責任、煩わしさから解放されて、永遠の繁栄を謳歌できる。これは真の神権政治と言って良いでしょうね~?」
 少し難しい話だ。景が理解するには、まだ教養が足りない。
 高校に進学すれば、公民や政経の授業で色々と習うだろうが。
 瀬織は得心の微笑みで、クローリクに会釈をした。
「中々、面白いお話でしたわ。出来れば、いつもこういう有意義な話をしたかったものですわね」
「なんだと? 私はいつも世界の真実を話してたじゃないかッ!」
「ほほほほ……これからも、景くんと仲良くしてくださいね」
 クローリクの反論を軽く受け流して、瀬織は柔和に別れを告げた。
 自分がいなくなった後の代わりを、景の孤独を癒す役目をクローリクに担ってほしいという願いを込めた……別れの言葉だった。
 神帰月の夕暮れ時、瀬織は景と共に帰路についた。
 慣れ親しんだ田舎の県道を通り、田んぼに挟まれた農道に入る、いつもの道。
 あと何回、この道を往けるだろうか。
 終わりの日が来るまでに、少しずつ、別れを匂わせていかねばならない。離別の恐怖に、自己を慣らしていかねばならない。
 覚悟と勇気を欲するなど、瀬織の柄ではないというのに。
 瀬織は包帯越しに手を握りしめた。
「景くん……もしも、ですよ? わたくしが景くんと長いお別れをすることになったら……どう思われますか?」
 幼子をあやすように、可能な限り優しく問いかけた。
 突然の質問に景は困惑した。考えていた。
 歩きながら暫くして、景は口を開いた。
「また一人になるのは……イヤだよ」
「園衛様や、クローリクさんがいますでしょう?」
「瀬織の代わりなんて……誰にも出来ないよ。家族を無くすとか、もう、そういうのは……」
「でもいつか、景くんは一人立ちしなければなりませんわ。大人になるというのは――」
「いつかって……いつさ?」
 答えにくい返しをされた。
 大人になる、というのは単純な時間経過でもないし、劇的な一瞬の経験で変わるわけでもない。
 当然ながら、瀬織が景の前から消えるから「大人になれ」と強制できるはずもない。
 精神的な成長や、準備もなく家族を喪失すれば、それこそ消えない傷を一生抱えることになる。
 どう答えれば……どうすれば……いいのだろうか。
「いつか……ですか」
 瀬織は擦り切れるような声で呟いて、足を止めた。
 人間のように煩悶していた。人間のように迷っていた。
 唇が震える。なんたる無様。こんな姿を晒すなど、瀬織の気位が許さない。
 まるで未熟な小娘のように思い悩む、堕ちたる女神の真後ろから
「そのいつか……決める勇気がないのなら。私が決めてあげましょうか?」
 聞き覚えのある、少女の声がした。
 本能を逆なでするような声だった。
 とっさに振り向けば夕焼けの中に、見覚えのあるシルエットが立っていた。
「……冗談でしょう?」
 瀬織は目を疑った。だが、即座に現実と認識した。
 そこに立っていたのは、動画やアプリに映るイメージキャラクター、ウカに瓜二つの容姿の少女だった。
 それがコスプレの類でないことは、瀬織の神としての直感が察知していた。
 人間の気配ではない。
 かといって魔の気配でもない。
 背筋を羽毛でなぞられるような、ぞわぞわとした感覚。嫌悪感。忌避感。
 自分と同じ、だが自分とは正反対の清浄な神の気配を感じていた。
「あなた、いったい……」
「私は若木ウカ。きっと、あなたの考えている通りのモノですよ」
 ウカと名乗った少女は、笑顔のまま右手をスッ……と瀬織に向けた。
 その動作の意味を理解して、瀬織は鞄を地面に投棄した。
「景くん……一人で帰ってくださいまし」
「えっ? なに? なんなの、あの子?」
「あの小娘ェ……わたくしに用事があるみたいですわ……!」
「ウッ……!」
 ウカと正反対の殺意に満ちた瀬織を見て、景は危険を察した。
 そして、ウカの影に伏せっていた、大柄な人型の機体が立ち上がった。
 身長は約2メートル。マントのように黒いシートを被ったそれは、僅かにモーターの駆動音を発していた。
「神霊遷御の時が――きたのですよ」
 女神のように笑うウカの背後で、マントの機体がサーボモーターの駆動音と共に全身を伸縮させた。
 暮れゆく世界の逢魔が時にて、マントの下の赤い単眼が明滅した。
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