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第四話

ヒト・カタ・ヒト・ヒラのこと9

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 例の黒塗りの公文書を見せられた翌日、南郷は軽トラックを運転していた。
 助手席には鏡花が乗っているのだが、その表情は晴れない。
「あの、南郷さん……軽トラなんですか……?」
「見りゃ分かるだろ、軽トラだよ」
「免許は……」
「とっくに再取得したよ。免許センターで試験受けて即日発行」
 南郷は、鏡花の言動に妙な意図を感じた。
「行き先、そんな遠くないですよね? 群馬県ですよね?」
 現在、軽トラは北関東を横断する高速道路を走行中だ。平日の昼間なので高速料金に割引はないが、料金を払うのは雇い主の園衛なので遠慮なく乗り降りできる。
 だというのに鏡花は
「別に軽トラじゃなくて……良いじゃないですか」
 未練たらしく、軽トラから降ろそうとしている。別の移動手段で行こうとしている。
 軽トラの荷台には、ブルーシートがかけられていた。荷物はバイク形態の〈タケハヤ〉である。
 万一の備えとして持ってきた機体を、鏡花はさっきからチラチラと座席背後の小窓から覗いていた。
「軽トラ以外に……何で行くんだよ」
 聞かなくても大体の察しはつくが、呆れがちに南郷は問うた。
 非常時の対応策として〈タケハヤ〉を持って群馬県まで行く、軽トラ以外の移動手段というと――
「私、南郷さんとバイク二人乗り……したいです!」
 ――まあ、そうなるな。
 南郷は巨大なる溜息で喉を鳴らした。
「ああああああ……チッ。二人乗りとか……冗談やめてくれよ……」
「えっ……そんなにイヤなんですか? 私を乗せるの……」
「そうじゃなくね……」
 南郷は説明する気も失せた。
 長距離移動時のストレス、〈タケハヤ〉の隠蔽、襲撃された場合の対応猶予など、トランスポーターを利用するのは当然のことだろう。直接走行など冗談ではない。
 こいつ、もしかしてピクニック気分で来ているのかと暗澹たる気持ちになった矢先、南郷は鏡花の足元にバッグとは別の荷物を見つけた。
 風呂敷に包まれた四角状の……ちょうど、重箱が入っていそうな形状の荷物がある。
「まさかとは思うが……お前、また弁当とか……」
「はい! 作ってきました!」
 ぞいっ、と乙女チックなガッツポーズを決める鏡花。
 南郷は閉口した。
 緊張感がない。だが戦場を知らない普通の女の子は、これで良いのかも知れない。
 鏡花が浮かれているのも、暗い青春を送ってきた反動なのかも知れない。ちょっと遅れて青春したって、良いのかも知れない。
 鏡花のために、憧れの先輩だかお兄さんの代わりを演じてやっても良いのかも――
 いや良くない。
 良いわけないだろう。今は仕事してるんだから。遊びでやってるんじゃないんだよ。
 説教する気も起こらない。
 もう良い。
 話題を変える。
「群馬県の……誰に会いに行くんだっけ?」
「あっ……はい。宗家の評議員をされていた、北明彦という方です」
 仕事の話を振った途端、鏡花の態度が切り替わった。
 鏡花はバッグからタブレット端末を取り出し、スリープモードから復帰させた。
「かつての対妖魔組織は、七宗家から選出された評議員が最終意思決定権を持っていました。評議会の評決には、トップである宮元家も従わねばなりません」
「で、その北さんは何をやったんだ?」
「10年前に、組織の解体と軍縮の……音頭を取った方ですね」
 鏡花はタブレットを操作し、当時の議事録を電子化したファイルを開いた。
「当時、七宗家は著しく疲弊していました。政府の援助があったとはいえ、何百体もの戦闘機械傀儡を運用して、補助スタッフも含めれば数万人もの人員を雇用した総力戦を20年も続けていたのです。禍津神との戦いが終わったとなれば、巨大な戦闘組織はもはや重荷でしかありません。だから解体して、浮いた予算で関係者の補償、再就職といったアフターケアをすべきだ……と提唱したのが北明彦さんです」
「そりゃ真っ当な考えだな」
 戦後処理としては当たり前の行動だ。
 目的を達成しても現実はハッピーエンド、大団円というわけにはいかない。エンドロールの後も、現実の人間は生きていかねばならないのだから。
「それで軍縮したから、園衛さん今になって戦力に困っていると……」
「当時は評議会で反対する人はいませんでした。正論でしたし、何より全員が疲弊していた。議論する気力すら無かったんです。ですから、満場一致で議決されました」
 宮元家に限っても、当時は家庭内の混乱があった。
 資金、人員、時間、精神、体力の全てを燃やし尽くした戦いの後で、身内同士で言い争う気力は誰にもなかったのだろう。
 何もかもやり切ったのだ。疲れ切っていたのだ。
「もういいだろう」「どうでもいい」……そんな諦めに似た感情に支配された評議会は、甘く優しい提案をそのまま受け入れてしまった――という解釈もできる。
「つまり……その北って人の提案は純粋な善意ではなく、組織を弱体化させるのが本当の目的だった……?」
 太平の世で、刀狩りや反抗勢力の骨抜きは為政者の常套手段である。
 宮元家が守るのは国家国民国土であって、時の政府ではない。
 自衛隊に匹敵するような過剰戦力を有した私兵集団は、政府にとっては不穏分子に他ならない。いつ自分達に牙を向くか分からない勢力を、政府が放置するわけがない
 かといって表だって摘発するのも政治的に難しいので、内通者を使って穏便に、自ら戦力を放棄するように仕向ける――考えられる話だ。
 南郷の推測に、鏡花は頷いた。
「そういう解釈も可能ですね。評議会の解散後、北家の経営する建設会社が政府と複数の大口契約を結んでいますが、関連性は不明です」
「ふうん……」
 談合があったかどうかは、あくまでグレーというわけだ。
 その辺りを含めて直にヒアリングもとい尋問しに行く、と南郷は今回の仕事を解釈していた。
 目的地に着いたのは、それから2時間後の昼過ぎだった。
 カーナビの案内に従って高速道路を降り、狭苦しい県道を山に向かって走って辿りついたのは、
 みすぼらしい市営住宅だった。
「こりゃまた随分と……」
 やや離れた空き地に駐車した軽トラの窓から、南郷は市営住宅を見渡した。
 築40年は経っていそうな前時代的な平屋が4棟、ひび割れたブロック塀の向こうに立ち並んでいた。
 内3棟は空き家だった。雨戸が閉められ、周囲には雑草が生い茂っている。
 政府と関係が深い宗家の人間の終の住処にしては、あまりにも意外で、あまりにも寂しい。
「こんな所に……住んでるって?」
「会社の経営を巡って御子息と対立して、単独で事業を起こしたのですが、どれも失敗。御子息の世話になりたくないと、今では一人でお住まいのようです」
「その人、結構な歳なんじゃ?」
「今年で81歳ですね」
 敷地内には、軽自動車が駐車されていた。ボディの所々に衝突跡がある。
 こんな田舎では車がないと生活できないのは理解できるが、色々とお察しであった。
「話せる状態なのか?」
「暫く連絡が取れていませんし、なんとも……」
 典型的な独居老人である。
 同情はするが、だからといって黙って帰る選択肢はない。
 そうしている内に、家の引き戸が開いた。
 のろのろとした動きで、老人が現れた。
「あの人が?」
「あ、はい。北明彦さん……ですね」
 鏡花はタブレット内の写真と老人とを見比べた。老け込んではいるが、顔の輪郭は変わっていない。
「じゃあ、行くか……」
 南郷が軽トラのドアを開くのと、北明彦が車に乗り込んだのは、ほぼ同時だった。
 今なら呼び止められると思いきや、北明彦の車は猛烈な勢いでバックを始めた。
 ギュイン! エンジンが唸りを上げて駆動。アクセルをべったりと踏み込んでいる証拠だ。
「む……」
 南郷、足を止め身構える。
 厭な予感がした。
 高速バックの軽自動車はブロック塀に車体後部を盛大に擦りつけ、ゴリゴリと削りながら強引に道路に出た。
 バックのまま勢い余って電柱に激突。音を立ててFRPの外装が凹む。
 老人の運転する軽自動車は停車したと思いきや、方向調整の前進とバックを何度も繰り返す。
「あー……何やってんだよ、おい……」
 呆れる南郷の目の前で、高齢化社会の厭な現実は更に進行していく。
 ようやく方向調整を終えた車は、左右確認もウインカー点灯もなしに急発進。
 道路を走ってきた別の軽自動車に――衝突した。
「あっ……」
「あ……」
 口を揃えて呆気に取られる南郷と鏡花。
 バァン! と田舎の空に響く破砕音。塀に突っ込む老人の軽自動車。ぶつけられた軽自動車はヘッドライトが吹き飛び、盛大にスピンして停車。
 事故である。
 想定外の交通事故である。
 事故発生から10秒後、被害車両のドアが開いた。
 エアバッグを展開させた火薬の臭いと共に、車内から現れたのは――大男だった。
「おぃぃぃ……ジジイィィィ……なぁにしてくれんだよ……」
 軽自動車に似つかわしくない、ガラの悪い男だった。
 巨大な男だった。筋肉の塊のような男だった。鬼の形相で老人の車に迫っている。
 なんとも不穏な雰囲気で、南郷は止めるべきか、関わるべきでないかと、思案していた。
「どうするかねえ……」
 事故の目撃者として警察に聴取されるのは面倒だ。
 いっそ逃げてしまおうかと思っていると、鏡花の異変に気付いた。
「うそ……なんで、あの人が……」
 青ざめた表情で、大男を見ている。
「なに、知り合い?」
「知り合いというか……関わりたくない人というか……」
 鏡花が言葉を濁す。厭な思い出があるらしい。
 が、偶然の事故に知人が都合良く巻き込まれるものだろうか? 話が出来過ぎている。
 事故現場にて、大男が事故車の運転席のドアに手を掛けた。
「おぉい! 出てこいやジジイ!」
 鍵はかかっていなかったようで、ドアが開いて運転席の北明彦が露わになった。
 北明彦もまた、怒りの形相だった。
「なんだよぉ! 当ててきてぇ!」
 北明彦は、自分を被害者だと思い込んでいた。老人の交通事故では良くあるパターンだ。
 大男の眉間に、怒りの皺が寄るのが見えた。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ? 加害者が被害者面してんじゃねぇよオイ―――――!」
 大男が北明彦に掴みかかった。
 シートベルトに手をかけ、ベルト基部をもぎ取って破壊。小さな老人の体を掴みあげた。
「おい、ジジイ~~! 俺の顔忘れちまったかぁ~~~? えーーーーーっ!」
「顔ぉォ? 顔ぉ……? あっ、あっ……あーーーーーっ!」
 大男の顔を見て、北明彦の表情が一変した。
 恐怖している。
 現状にではなく、過去の記憶に恐怖している。
「おまっ……お前、キチ〇イ! 恐竜キチ〇イ!」
「人をお前ェ、キチ〇イとか。こっ……名前で呼べや!」
「しゃだゃい! 左大っ……億三郎ォ!」
 北明彦が呂律の回らない舌で、大男の名を読んだ。
 その直後、北明彦の首が仰け反った。
「はぅっ」
 小さな悲鳴の後、左明彦は動かなくなった。
 死んでいた。即死だった。
 死因は左大とは無関係だ。殴ってもいないし、都合良く心臓麻痺が起きるわけもない。
 これは毒殺だと――南郷と左大は同時に看破した。
「いる! 暗殺だ!」
 南郷は叫ぶと同時に、鏡花を掴んで引き倒した。
「えっ?」
 呆然と仰向けに倒れる鏡花。つい半秒前まで鏡花の存在した空間を、小さな空裂音が貫いていた。
 何処から飛来した羽根つきの吹き矢が、軽トラの車体に突き刺さった。
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