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第三話

剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ47

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 竹芝から芝浦ふ頭までは、直線距離にして1km程度だ。
 徒歩で行くのも大して苦ではない。
「ま、ちょっとした夜の散歩やな」
 空理恵を先導しながら、アズハが軽い調子で言った。
 散歩という割には、行き先は物騒だ。さっきから断続的に発砲音と爆発音が響いている。
 途中の橋は少人数の警官とパトカーで塞がれていたが、彼らは想定外の事態と通信障害で完全にパニックに陥っており、容易にすり抜けることが出来た。
 何も難しいことではなかった。
 応答のない無線機に齧りつく警官を死角、四車線の広い橋の隅っこを、闇に紛れて速足で抜いただけのことだ。
「あは~っ……悪いコトってゾクゾクするなぁ~?」
 アズハは肩をすくめて、露悪的に笑ってみせた。
 当然ながら、空理恵は困惑している。
「お巡りさんたちスルーしちゃったけど……?」
「ええねん、ええねん。バレなきゃ問題ないんよ」
 この程度のことに躊躇があるようでは、やはり空理恵は自分と同じにはなれない……とアズハは改めて思った。育ちが良すぎるのだろう。
 そういう良い子を、わざわざ悪に染め上げるほどアズハは悪趣味ではない。
 橋を渡った先、芝浦の埋め立て地はゴーストタウンと化していた。
 情報操作で避難勧告が出され、ビルに明かりはなく、辛うじて街灯が生きているだけだ。
 アズハは無人の街を歩く。歩道から車道の真ん中に乗り出して。
 少し速度を上げて、空理恵から少しだけ距離を置いて。
「ハハッ……空理恵ちゃあん? ウチのこと『本当はええ人』なーんて思ってません?」
「……違うの?」
 空理恵から見れば、アズハは親身になって相談に乗ってくれた、少し年上の友人だ。
 ただ利用するだけなら、ここまで世話を焼くわけがない。
 そんな親愛の情が、こそばゆくて――アズハは鼻で笑った。
「フッ……ちぃっとした気紛れの優しさ……。たとえば泥棒が一回なんかの善行をやったとしても、泥棒は泥棒やねん」
「でも、誰だって悪いことくらい……」
「物には限度があんねん。ウチはな、世間で言う悪いことは大体やってきた。どうしようもない極悪人やで? 万引きとか信号無視とか……そういうのとはワケがちゃうんや。だから――ウチのことなんて、とっとと忘れてまえ」
 軽く自嘲気味に、アズハは優しく言い聞かせた。
 狼と子犬は、同じ道は歩めない。
 だから距離を置いて、言って聞かせたのだが――
「アズハさんって……アニキに似てるね」
 ぽつり、と空理恵が妙なことを口走った。
「なっ……なんやて……?」
 思わず足を止めて、振り返った。
「アニキて……南郷さんのことかいな」
 南郷十字という青年に対して、アズハは憧れや親近感を抱いてはいるが、似ている……というのは思ったこともない。
 彼とは生い立ちも年齢も性別も違うというのに。
 空理恵は道路の真ん中で、不安げな上目遣いでアズハを見上げていた。
「あっ……変な意味じゃないよ? アニキもさ、人を遠ざけようとする時に変に悪ぶる感じがするっていうか……。さっきのアズハさんみたいなこと言いそうだなって……思ったの。アタシはアニキのそういうの聞いたことないけど、なんか姉上には言ってそうで……」
 自信なさげな口振りだが……やはり宮元園衛の妹だけのことはある。
 完全に的を射た発言だった。物事の本質、人の言葉の皮一枚向こうを、勘で言い当てている。
 事実、アズハは悪ぶって空理恵を遠ざけようとしていた。
 そして南郷もきっと――同じような振る舞いをして、ここに来たのだと思う。
「フッ……敵わんなあ……こういうのには……」
 小声で軽く笑って、アズハは空理恵に背を向けた。
 これ以上、子供のペースに乗せられたくない。人間としての色々な感情がまとわりついて、戦意が萎える。
 目線の先、国道に重なる首都高速の高架上から、何かが飛び降りたのが見えた。それは着地の寸前に青白いブラスト光を放ち、制動をかけた。
 距離にして約400メートル先のその物体を、アズハの忍者的視力が正確に捉えた。
「ン……来たみたいやな」
「えっ、何が?」
「南郷さんや。ちぃっと急ぐで、空理恵ちゃん」
 アズハは空理恵の手を引いて、そのまま体を抱き上げた。
 超人的というほど過度ではないが、アズハの鍛えられた筋力は少女一人を抱いたまま疾走する程度、さほど苦ではなかった。
「えっ、ちょっと!」
 戸惑う空理恵に構わず、跳ぶように走る。
 途中、道路上に配置された改造人間と何度か擦れ違った。
 奇妙な状態だった。
 連中は元からゾンビ同然ではあったが、その体はブロックノイズが混ざったように揺らぎながら、微動だにせず停止していた。
(なんやコレ……?)
 これでは完全なカカシだ。妨害にすらならない。
(オッチャンが無理しすぎたせいか? それとも……?)
 別の何者かの介入による機能障害か。
 情報では、宮元家はかつて対妖魔電子戦用の戦闘機械傀儡を多数保有していたという。
 それらは妖魔の不安定な電子構造に介入し、それを妨害、あるいは破壊して実体化を阻む能力があったそうだが……。
 宮元園衛が電子戦用の傀儡、あるはそれに類する兵器を南郷の支援のために投入したと考えるべきだろう。
 つまり――
(あのババァも来る……すぐに……!)
 怨敵との激突を確信して、アズハの表情が鋭く尖った。
 目的地に近づくにつれ、南郷の戦闘が良く見えるようになった。
 南郷はロボット形態の〈タケハヤ〉の背にまたがり、路上のカカシ達を蹴散らしていた。
「タケハヤ、グレランに持ち替えろ!」
『イエッサー』
 命令を受けた〈タケハヤ〉が肩の機関砲をパージした。弾切れなのだろう。
 代わりに背面の兵装コンテナから、リボルバー式のグレネードランチャーが射出された。
 空中に武装を投射して、それをキャッチする――というのは一見すると危険な行為に見えるが、それは素人考えである。
 たとえば足元に置いた2リットルのペットボトルを、軽く真上の空中に投げるとする。
 頂点に達したペットボトルの重力加速度が0になり、滞空する約1秒の時間はキャッチするのには十分だろう。
 要するに、馴れれば戦闘機動中だろうが武装の空中キャッチは難しくないのだ。
 それをプログラムとして入力されたAIロボットなら尚のことだ。
 風速や足場の不安定さも計算して、〈タケハヤ〉はグレネードランチャーを受け取った。
 武装名称ダネルMGL。
 南アフリカ製の有名な火器だ。
 これまで自衛隊には無縁の武器だったが、今年度から対装甲ドロイドを想定した火器として調達が開始された。
 人間なら両手で構えるダネルMGLを、〈タケハヤ〉は片手で軽々と扱い
『ファイア』
 頭部センサーユニットでロックオン、即発射。
 カチン、と地味な機械音が鳴った。グレネードの発射は完了した。漫画的な爆音など存在しない。
 直後、路上の改造人間が火だるまと化して倒れた。ソフトスキンに分類される軽量級改造人間には、対人榴弾で十分だった。
 そのまま同様に、進路上の改造人間を葬りながら南郷を乗せた〈タケハヤ〉が進行する。
 南郷は、火器の出し惜しみをしていない。
 アズハはそこに、不穏なものを感じた。
(お兄さん……ホンマにそれでええんか……?)
 余計な心配が頭に浮かんだ。すぐに振り払う。
 南郷はアズハにとっては直接の敵ではないが、味方でもない。
 個人としては友人かも知れないが、仕事上では敵に類する。
 爆発音を背中に受けて、倉庫のフェンスを飛び越えて、強引にショートカットする。
 倉庫の敷地を駆け抜けて、海岸沿いの目的地に――着いてしまった。
「ここが……ウチの終点や」
 制動をかけたローファーの靴底が、アスファルトを擦った。
 目の前には、焼け焦げた廃墟がある。
 旧医薬庁薬事監査委員会庁舎跡。
 アズハにとっては今回の仕事の始まりであり、南郷にとっては終わりの場所だ。
 いや――アズハにとっても、終わりの場所になる。
 空理恵を地面に降ろすのと、ほぼ同時に南郷も到着した。
 アズハ達を確認したようで、〈タケハヤ〉が停車。
 装甲服の南郷が降りてきた。
「アズハちゃん……か」
「はぁい、アズハです♪」
 アズハは両手を挙げて、敵意がないことを表した。
 南郷も最初からアズハのことを敵とは思っていないようで、素手のまま近づいてきた。
「空理恵は……」
「心の整理がついたから、帰りたいんですって。だから、お返ししますわ」
 今回ばかりは何の裏もない。アズハとしても真心からの行動だった。
(ま……こんなん忍者としては失格やけどな……)
 それでも最期くらいは、忍である前に人間として動いても罰は当たらないと思いたかった。
 自分はとっくに心を無くした、ただの刃と思っていたのだが……。
 一方、空理恵は動こうとしなかった。
 決心がついたようでも、いざ本番となる尻込みしてしまう気持ちは分かる。
 南郷は空理恵の目線に合わせるように、片膝をついた。
「迎えにきたぞ」
「姉上に……頼まれたの?」
「俺が自分で決めて来た。空理恵を……園衛さんの所に返すと約束したんだ」
 仮面の奥から聞こえるのは、優しい声だった。
 南郷のこんな声は空理恵も初めて聞く。装甲の戦鬼サザンクロスではなく、南郷十字という一人の人間の声だった。
 だが、空理恵はまだ踏み出せずにいた。
「アタシ……姉上の本当の妹じゃないんでしょ」
「だから?」
「だからっ……て」
「園衛さんは言ってたぞ。『お前は紛れもなくもう一人の妹だ』ってな。誰かの代用品なんかじゃない。空理恵を空理恵として見ている。あの人がこれまで、お前に冷たくしたことはあったか?」
 言われて、空理恵は少し考えて
「……ない」
 ぽつりと言った。
 南郷のバイザーの奥の目が、ほのかに丸まったように見えた。
「人の本心っていうのは行動に出る。俺は言葉より行動を信じる。お前の見てきた園衛さんに嘘はないって」
「でもアタシ……姉上になんて言えば……」
 ぽん……と、南郷のグローブ越しの手が空理恵の肩を叩いた。
「いつも通りのお前らしくで話せば良いさ」
「そんな簡単に言って……」
「姉妹がちょっと仲違いして、誤解があって、顔を合わせにくいけど……話せば大体分かる。家族なんて、そんなもんさ。難しい話じゃない」
 南郷は、優しく言い聞かせた。かつて彼にも家族がいたから、分かる話なのだろう。
 空理恵は俯き加減で少し考えてから
「うん……!」
 微笑んで。軽く頷いた。
 南郷はバイザーの奥で目を細めた。
 それは、どこか寂しげに、笑っているように見えた。
「タケハヤ、セカンダリユーザーとして、この子を登録」
『イエッサー』
「後は俺の指示通りに……やれ」
『イエッサー ご武運を』
 何かの短いやり取りを済ませるや、〈タケハヤ〉はバイク形態に変型。シート後部の兵装コンテナをパージした。これで外付けの兵装は全て失った。外見は、少しデザインの凝った市販のオートバイに見える。
 南郷は空理恵を抱き上げると、〈タケハヤ〉のシートに乗せた。
 そして半開きの兵装コンテナから市販のヘルメットを取り出して、空理恵に被せた。
「ハンドルを握っているだけで良い。そいつが家まで送ってくれる」
「えっ? アニキ、アタシ――」
 空理恵はショルダーバッグから何かを出そうとしたが、南郷は待たなかった。
「行け」
 南郷の命令で、〈タケハヤ〉は転回、発進。
 緩やかな加速だったが、もう空理恵が降りる術はなかった。
「あっ、アニキ! 帰ってくるよねーーー! ねぇーーーーーっ!」
 遠ざかる少女の声に、南郷は応えなかった。
 仮面の奥の目に、既に人の心の光はなかった。
 アズハは、不安混じりの溜息を吐いた。
「お兄さん……あのロボットなしで、一人でやる気ですか」
「やるさ」
 無感情の冷たい返答。殺意と決意が充満している。
 アズハは確信した。
 南郷は――相打ちを狙っているのだと。
「カブトムシのオッチャン……かなりヤバめですよ? めっちゃパワーアップしとるようですが」
「関係ない」
「……死ぬ気ですね」
「奴も一緒にな」
 南郷は兵装コンテナを開けた。
 中から取り出したのは、一発のロケットランチャーだった。
 84㎜無反動砲。陸自が調達している装備品の同型だ。
 物騒な兵器だが、こんなもので進化したエイリアスビートルに勝てるとは……アズハは思えなかった。
 だが、南郷を止める気はない。
 戦士としての決死の覚悟を、誰が阻めるというのか。
 止められるわけがない。
「南郷さん……また、会えるとええですね」
「そうだな」
「フフッ……今度会えたら、デートしましょうねえデート♪」
「考えておくよ」
 軽口に背中越しに応えて、南郷十字は廃墟の中に姿を消した。
「勝負とは時の運……。オッチャンも言っとりましたねえ。『人間の覚悟は確率を覆す』て……。さて、ウチの勝負はどうやろなァ……?」
 アズハの表情が覚悟に引き締まる。
 ブレザーのポケットから、防刃グローブを出して両手を通した。
 これは手裏剣等を扱う都合、人差し指だけは剥き出しになっているが、他は高分子強化繊維の布で防御されている。
 真剣を用いた剣戟において、小手は死に繋がる一撃となる。
 剣道試合では地味な印象のある手元への攻撃だが、実戦では小指の一本を失っただけで武器の保持は困難となり、敗北に繋がる。
 無論、真剣を受ければ防刃グローブで切断は免れても骨折は避けられないだろうが、不可逆の切断よりは遥かにマシである。
 宮元園衛とは、そこまでの警戒が必要な相手だ。一切の油断は許されない。
 神経が針のように先鋭化する。
 鍛え抜かれた五感が、遠くの空裂音を聞いた。
「ン……?」
 何かが四発、空中から地上に撃ち込まれた。銃弾ではない。空気圧で射出された、長い針状の物体が地上のどこかに刺さったと感じた。
 直後、隣接する倉庫の屋上から、獅子が舞い降りた。
 200キログラムを超える狛犬型傀儡が、アスファルト上に着地した。
 〈雷王牙〉だった。
 その背中から、来るべき脅威が地に降り立った。
「またお前か」
 冷たい殺気に満ちた声――宮元園衛。
 その手には、赤い布が、南郷のマフラーが握られていた。
「フン……なんですか、その布っキレ」
「さっき、擦れ違いざまに空理恵に渡された。南郷くんに返してほしい、とな」
 運よく、姉妹は路上で行き違いになったというワケか。
 奇縁と偶然が絡み合うのは、ここがそういう運命の場所だから……と思うのはロマンチックが過ぎている。
 アズハは鼻で笑って、竹刀ケースに手を伸ばした。
「フッ……じゃ、やりますか」
「今回は……本気でいく」
「今まで手加減してたとでも?」
「私自身に手加減はない。あったのは――装備の不足のみ」
 園衛がポケットから、何かを取り出した。
 武器ではなかった。それは指と指の間に収まる程度の、小さな赤い勾玉に見えた。
 空繰の中枢回路として使われる勾玉に似ている。
 アズハがその正体を推測するより早く、アズハの想像以上の事態が発生した。
 頭上で、四条の電光が走った。
「な・に?」
 上空からの電撃攻撃? だとしたら、視認した時点でアズハは稲妻に撃ち抜かれている。
 ――違う。
 上空で電光を集めた空繰が、飛行タイプの〈綾鞍馬〉が矢となって地上に落ちてきた。
 落ちる先は、〈雷王牙〉だった。
 〈雷王牙〉は胴体を変型させ、〈綾鞍馬〉の受け皿となっていた。
 二体の空繰が激突し、噛み合い、一つとなる。
 合体し、翼の生えた鵺と化した〈雷王牙〉と〈綾鞍馬〉が、吼えた。
 稲妻のように神が鳴る。
 機体に組み込まれていた五つの勾玉が弾け飛んで、周囲一帯の電灯がダウンした。
 サージ電流の奔流が円環を描き、その中心に立つ宮元園衛が、赤き勾玉に雷を集約した。
「いざや舞う! 鬼神の神楽! 羽那暦よッ!」
 園衛の一声が、神鳴りより高らかに夜に響いた。
 その瞬間、世界が軋んだ。
 もはや、アズハの知覚外の事象だった。
 赤き勾玉は、人の願いを叶える事象変換装置の欠片であり、この世ならざる大きな力を引き出す鍵でもある。
 〈綾鞍馬〉が芝浦周辺の大電力設備に撃ち込んだ針から、雷の呪術を以てして招雷。その身に蓄えた電力を〈雷王牙〉と合体することで直結し、電子加速、増幅して勾玉を起動させる種火とした。
 いま、零次元に格納されていた、神器が現世に呼び出される。
 春夏秋冬を司る鬼神の衣は反物へと分解されて、零次元の虚空を乱舞。互いに重なり、複雑に編まれて、五色に煌めく戦装束へと結実した。
 園衛は、これを10年ぶりにまとう。
 成長し切った女の肉体に、別位相の戦装束が花弁と共に装着されていった。
 園衛の肉体もまた、人間以上の存在に変換される。
 長い黒髪は透き通る水色に、瞳は金色に、神すら屠る鬼人のそれに転生する。
 光り輝く四季の花が夜空に舞って、宮元園衛の究極戦斗形態が、現界した。
 現世においては瞬きほどの間に、全てが完了していた。
 宙に投げ放たれた十本の刀剣が、続々と地上に突き刺さる。
 アズハと園衛を囲むような――剣の結界が張られていた。
「な!」
 狼狽えるアズハの眼前で、園衛が地面から剣を抜いた。
「もはや――生きて帰れると思うな」
 剣もまた、園衛と同様に強化形態となっていた。
「フ……まるでラスボスかよ、ババァ……ッ!」
 アズハの口元に、引きつった笑いが浮かぶ。
 若き女忍者の前に、想像を絶する最後の敵が立ち塞がった。
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