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第三話

剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ45

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 その日の東京は、頭上に月を仰ぐことが出来た。

 いつもは排気ガスを大量に吐き出す車の群れは下界に押し込められて、ガスもまた下で滞留している。

 首都高速より上の世界は、浄化されたというワケではないが、それでも昨日よりは清浄だった。

 瀬織が首を上げて、直上の月を見上げた。

 1000年前に比べて汚れた大気に、ぼんやりと浮かぶ灰色の輪郭に……昔話を思い出した。

「今宵は月が綺麗ですね……というのは『今夜お前らみんな一人残らず族滅してやる』の隠語でしたわねえ、確か。アレはぁ……誰が言ってたんでしたかねえ~?」

 独り言を呟きながら、瀬織は首都高速の中央分離帯を歩いていた。

 日の出方面に向かう高速道は片側二車線の四車線となったが、それでも両側をビルに挟まれて酷く窮屈に見える。

 実際、瀬織の立つ中央分離帯も幅20cmもない貧相なガードレールでしかなく、さしずめ綱渡りのように、遊び半分で瀬織は歩いていた。

 左右の道路には、無数の改造人間たちが蠢いていた。

 一歩踏み外せば、道路上の歩く死者たちに襲われるような状況――だというのに、瀬織は全く気に留めていなかった。

「ああ、思い出しましたわ。北門の鬼姫とかいう、野蛮人のお姫様でしたわねえ~。あの方、棍棒かついで源の某様の鬼退治にも付いていこうとしたら、凄い厭な顔されてお断りされてましたわねえ~? ほほほほほ……」

 都の月夜にただ一人、1000年前を思い出し笑うは人外の制服少女。

 死霊の群れの中心を掻き分けるようにして、カツンとローファーを鳴らして歩いて往く。

 まともな人間が見れば己の目と正気を疑うような、あまりにも現実離れした光景だった。

 気の触れたような振る舞いの少女だからといって、妨害用に配置された改造人間たちが見逃すわけがない。

「アア……」

 顔面の崩れたトカゲ型改造人間が、瀬織の足を掴もうとして

 その腕を切断された。

 瀬織の足元に控える〈マガツチ改〉がハサミ型マニピュレーターを振るったのだった。

『不敬 也』

 〈マガツチ改〉は、汚らしい下等存在が主人に触れるのを許さなかった。

 事実、瀬織と改造人間たちとは存在の次元が違う。

 魔法のようなテクノロジーで黄泉返った死者たちは、畏敬あるいは憧憬に似た眼差しで、瀬織を見上げていた。

 怨念と穢れを人の形に塗り固めた邪悪の根源たる少女は、死者たちには闇色の宝石に見えた。

 醜く劣った生き返り損ないの自分たちに比べて、あまりにも艶やかで、美しい――完璧な存在だと、本能で感じ取っていた。

 死者たちは光に誘われる虫のごとく瀬織の足元に群がっては、強過ぎる力に跳ね飛ばされる。

 路上にはいつくばる死者の群れを見下ろして、瀬織は笑った。

 嘲りの笑みだった。

「惨めですわねえ~……哀れ、ですわねえ~?」

 上位存在に視線を向けられ、声をかけられて、改造人間たちがたじろいだ。

 低下しきった知能では意味は理解できなくとも、目に見えないプレッシャーが死者の霊体に圧をかけていた。

「反魂の外法を今世の技術で再現する……発想は悪くありませんが、程度が低いんですよねえ? ま、こういう死霊の類は――わたくしにとっては容易き相手」

 瀬織は鼻で笑って、高速道を一瞥した。

 神としての知覚が不可視の電子的な力場を、流れとして認識した。ゆるやかな、川の流れである。

 首都の中を走る高速道路は、澱んだ電子の流れる結界と化している。

 この改造人間たちは生と死の狭間にある、中途半端な存在だ。存在が量子的に捻じれている。

 そんな曖昧な状態ゆえに、結界上でしか存在できないのだと――瀬織は瞬時に理解した。

「ふん……大体わかりましたわ」

 納得したような微笑を浮かべて、瀬織は中央分離帯上で足を止めた。

 そして、腕一振り。

 静寂の中、しゅっ……と夜風を切る音が響いた。

「いざ、マガツチ」

『上意 拝命』

 主の命を受け、〈マガツチ改〉がその身を分解した。

 舞いあがったパーツは甲冑と化し、人工筋肉を瀬織の肢体に絡ませて接合していく。

 夜を総べる暗黒の主が、従僕たる戦闘機械傀儡と重なり、連なり、合一する体。

 黒き装甲の戦闘形態へと変わった瀬織が、背中の〈天鬼輪〉を展開した。

「ヒヒッ……もう現世で苦しむ必要はありませんわあ」

 ふわりと瀬織が大気操作で宙に浮かび、〈天鬼輪〉に超光速の粒子が一閃、回転加速の光輪を描いた。

 瞬間、高速道路の外縁に沿って光が走った。

 瀬織の術式は、それだけで完了していた。

「重連合体方陣……龍驤」

 光はぐるりと首都高速全体に伸び、方術力場を形作る陣形を描く。

 遥か上空から見下ろせば、高速道路に沿って龍がとぐろを巻いているように見えるだろう。

 これは強制的に疑似龍脈を作り出し、大地の風水概念を塗り替える邪法でもあった。

 人間のキャパシティを遥かに越えた方術。だが神である瀬織には児戯に等しい。

 現世に死者たちを留める量子ねじれの結界場は根幹からシステムを乗っ取られ、改造人間たちの体表にノイズが走った。

「アァァァァァァァ……」

「シィィィィィィヌゥゥゥゥゥゥゥ……」

「キィィィィええええルゥゥゥゥゥゥゥ……」

 存在を強制的に掻き消される改造人間たちの嘆きと苦悶の悲鳴が、首都の夜空に響き渡った。

 百鬼夜行が崩れゆく、地獄絵図の中心で、瀬織は強さの愉悦に酔い痴れて、愛しく狂おしく高らかに笑った。

「ハハハハハハハは! 悪者イジメって楽しいですわねえ~? みなさん弱いですわねえ、儚いですわねえ? さあ、死体の皆々様。苦界から解き放たれて無に還る時がきましたわよォ?」

 瀬織が右手で天を指差すと、〈天鬼輪〉に光の残像が円を描いて、黄金の種を作り出した。

 それは、瀬織が神としていつか得る力の結晶。望むままの形に自由自在に変化する。

 輪廻を現す後生車が輪転し、神の力の可能性が時の彼方より顕現する。

「きたれ、重連方術弩――信濃」

 虚空にて、黄金の種子が発芽した。

 猛烈な勢いで増殖、成長した黄金の扶桑樹が枝葉を伸ばし、花をつけ、実を成し、樹木全体が我が身を削って、巨大な弩弓へと変化した。

 地に落ちた黄金の果実は腐り、土に変わって、種が芽を出し、二本の矢へと変わった。

 巨大な弩であった。巨大な矢であった。

「一の矢、大和にて天を貫き。二の矢、武蔵にて地を穿つ」

 瀬織は矢を取り、二本ともに弩へとつがえた。

 狙うは――遥か天上の月。

「いま放つ! 連弩! 破魔・天誅殺!」

 巨大な弩弓とて瀬織にとっては分身も同然。軽々と持ち上げて、天に向かって二矢を放った。

 矢は粒子に還元され、質量を持たないニュートリノと化して地上に降り注いだ。

 全てを透過するニュートリノは、物質に対して影響する力を持たない。だが極小の素粒子世界においては、微細な振動によって影響を及ぼす。

 ニュートリノ振動による存在確率の改変は、生と死が曖昧な存在――アンデッドあるいは亡者の類には致命的な毒となる。

 強制的な霊的分解、力づくの散華を押し付けられて、改造人間たちは一斉に消滅した。

 まるで映画の編集作業のように、次のコマに移った瞬間に、百鬼夜行は存在を綺麗さっぱり抹消されていた。

「ああ、今宵は月が綺麗ですわねえ……?」

 瀬織は薄く笑って、1000年前のどこかの誰かの隠語を口にした。

 その頭上を黒い影が跳び越えていった。

 園衛を背中に乗せた〈雷王牙〉だった。

「ご苦労! お前はもう帰って良いッ!」

 園衛の労いの言葉を残して、盾の獅子が高速道路を跳ぶように走っていった。

「武運長久――お祈りしますわ、園衛様♪」

 瀬織は軽く手を振り、もう見えなくなった園衛の背中を見送った。

 神である自分が一体何に祈るかは自分でも良く分からないが、とりあえず賽銭分の仕事は終わった。

 これから先は、瀬織の関知するところではない。

「さっ、帰りますかね~~って、電車は出てるんですかねえ~~? 何時に帰れますかしらあ……?」

 瀬織の頭の中には、帰宅への所要時間への心配しかなかった。

 園衛に関しては、大丈夫だと思った。

(あの殿方……南郷さんがいれば……ね)

 瀬織は神の目にて、血塗られた運命線のその先を見据えていた。
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