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第三話

剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ43

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 11月の夕暮れは早い。

 園衛が束の間のうたたねから目を覚ました時には、障子越しの光は淡いオレンジ色を帯びていた。

 休めと言われて、畳の上で少し寝転がっていたら、そのまま眠ってしまったようだ。

「くっ……何時間……」

 寝ぼけ半分で、スマホを探した。

 南郷の寝ていた布団の上に置いたままのスマホを取り上げて、時計を確認。

 午後四時半を回っていた。

 ほんの二時間と少しの睡眠。それが致命的なタイムロスのような不安があった。

 跳び起きて、襖を開けた。

「南郷くん!」

 静かな屋敷には良く響く声だった。

 応答はない。

 南郷は、大声で返事をするような人間ではない。かといって無視を決め込むほど冷たい人間でもない。

 のろのろと、面倒臭そうに廊下の奥から出てくるはずだ。

 だが、そんな気配は微塵もなかった。

 縁側に放置していたはずの装甲服とキャリーケースが、無くなっていた。

「南郷くん!」

 非合理な叫びだと――自分でも思う。

 もう彼はここにいないと頭で分かっているのに、彼の名を呼んでしまう。愚かで感情的な生娘のように。

 園衛は靴を履いて、屋敷の門まで走った。

 崩落した玄関に、鏡花がいた。

 箒を手に、瓦礫の後始末をしていた。

「あっ……園衛様……」

 鏡花は園衛に気付くと、どこか申し訳なさそうに目を逸らした。

 その仕草で、園衛は全てを理解した。

「南郷くんを……行かせたのか」

 責めるわけではない。

 ただ、園衛は悲しげな表情をしていた。

 南郷がどんな思いで一人立ち去ったのか。どんな思いで鏡花が南郷を送り出したのか。それを思い、複雑な感情が入り混じっていた。

 俯いて、鏡花が口を開いた。

「はい……。園衛様にお伝えすれば、あの人を止めると思いました。だから……報告はしませんでした」

「理由……それだけではあるまい」

 責めるわけではない。

 理由は、聞かなくても分かっている。だが、園衛は敢えて聞く。

 少し間を置いて、鏡花は苦しげに声を搾り出した。

「あの人と兄が相打ちになれば……厄介者が同時に消えます。仮にあの人が兄を仕留め損なっても、兄も無傷では済まない。なら、そこを狙えば――」

「鏡花……。人を道具として使い潰す……。そんなやり方、私と南郷くんを消そうとしている連中と変わらない」

「ですが……!」

 鏡花は反論しようとしている。

 その考えも分かる。合理的に園衛の利を考えた結果なのだろう。兄という過去を、南郷という因縁を清算してしまいたい……そんな鏡花の個人的な感情も分かる。

 故に、園衛は鏡花を責めない。

 討論するつもりもない。

 ただ、一つだけ伝えるべきことがあった。

「鏡花よ。南郷くんは、どうしてお前に憎まれるような言い方をしたか……分かるか」

「分かりたくもないです……」

「彼を理解しろとは言わん。だが、お前は南郷くんを憎んで……気が紛れたんじゃあないか?」

 園衛の言葉に、鏡花はきょとん……と目を丸くした。

 意味を理解するのに、少し時間がかかるのだろう。鏡花は愚かでも無神経でもない。すぐに南郷の真意に気付いてくれる。

 園衛は、既に敷地の外に歩き出していた。

 スマホの電話帳を開き、ある番号にコールした。

 相手は、すぐに電話に出てくれた。

『あ、もしもし? 園衛様ですかあ?』

 西本庄篝の、リラックスしきった声が聞こえてきた。

 現在、篝は町内の自宅で待機しているはずだ。

 電話の背後で妙な音楽が鳴っている。男の声も聞こえる。

『フッ……俺様にちょっかいかけようってのか。おもしれー女……!』

 芝居がかったアニメ声だった。つまり声優の演技である。

 ピッ、という電子音も聞こえた。ゲームのカーソルを合わせてボタンを押したような音……つまり、篝は何かのゲームをプレイしながら電話に出ている。

 電話をかけながらプレイできるゲームジャンルはアクションの類ではない。

 なら、どんなゲームなのかというのは……詮索する意味も暇もない。

 敢えて、考えないことにする。

「篝、取り込み中に悪いのだが、アレを使う。用意してくれ」

『えっ、アレって? アレですかあ?』

 驚いて、篝は素っ頓狂な声を出した。

 またゲームの選択音が聞こえた。

『あっ! まちがッ……』

 篝の声に続いて、また男性声優の演技が『ケッ! お嬢様がこんな所に来るんじゃあねえよ!』と拒絶の意思表示。何かのステータスが低下した的なSEが響いた。

 要は何かの選択肢を誤って、相手の好感度が下がったというワケだ。

 ゲームに関して突っ込むのは野暮なので、園衛は気付かないフリをした。

「そうだ。すぐに使う」

『す、すぐって……。調整はともかく、エネルギーチャージ終わってませんよぉ? 充電にはあと二日は……』

「それはこっちで何とかする。今からお前の家まで取りに行く。頼むぞ」

『何とかって……うええ?』

 奇声を発する篝を無視して、園衛は一方的に電話を切った。

 篝の狼狽えも分かる。

 相当な無理しなければならない。

 昔のような、無茶と無理で押し通るのだ。

「フフ……」

 自嘲する。

 園衛は、家の存続のために人間を消費するのを良しとしなかった。

 その決断の結果が今の有様だ。

 妹には家出され、男は死地に先走り、自分はみっともなく後追いする。

 ともすれば、自分も死んで、お家は断絶。何もかも失う。

 宗家の長として、宮元家の跡取りとして、なんたる愚かしさ。

 だが、選択に後悔はない。

 10年前の決意、つい先日の南郷との約束、どれも揺らぐことはない。

「たとえ偽善と笑われようが……私は死ぬまで善を貫く!」

 門を潜ると、二体の空繰が園衛を待っていた。

 夕日に焼かれる巨体、〈雷王牙〉と〈綾鞍馬〉――青き戦いの日々を共に駆け抜けた二体が、一吼え。

 それは、戦場に帰参せし主への歓迎にして、鬨の声であった。

 園衛は、久方に感じる戦いの香りを吸いこんだ。

「今宵は私も……一人の戦士に戻るとしようか!」

 守るべき家、守るべき責任、それら一切を捨てて、愚かしく戦う孤軍の高揚に

 宮元園衛は狂笑いを浮かべた。



 午後8時――

 首都高速全域、及び都内東側の高速道路のシステム異常は未だ解決の目処が立たず、全面通行止めが継続していた。

 首都圏の高速道路に先行して設置されていた、自動運転補助システムが災いした。

 これは高速道路上に等間隔に設置された標識を目印に、自動車に搭載されたセンサーとAIが適切な速度で運転を代行してくれるという仕組みだった。

 近年に販売された車両にはこのシステムの搭載が義務づけられており、政府は半ば強引に自動運転の普及を進めていた。

 お役所がこうまで必死になるのは、政治家の利権絡みとか、遠いどこかの国の上流階級の都合による国際規格のゴリ押しだとか、一般市民の財布やインフラ整備といった現実を無視した殿上人のクソのような都合のせいであって、それが首都のセキュリティホールと化しているなどとは政治家と官僚は夢にも思わなかったろう。

 もちろん役人の中には気付いている者もいただろうが、口に出しても「空気の読めない奴」としてハブられて、最悪左遷させられるので、誰もが見て見ぬフリをした。

 万全にして人畜無害と思い込んでいたシステムの障害により、首都の半身に走る血流が止まっていた。

 事故……というより厳密には事故が起きた場合の責任追及を恐れた行政により、首都高速上の車は全て手動操作で下に退出させられた。

 現在の首都高速、および湾岸線は正しく無人の野であった。

 巨大な駐車場と揶揄されていた血栓だらけの血管が、すぅーーっと綺麗さっぱり血抜きされているのは壮観だった。

 無論、引き換えに下の一般道は渋滞でごった返しているのだが。

 その無人の湾岸線に――南郷十字がいた。

 装甲服は応急処置の補修を終え、フル武装の〈タケハヤ〉に跨り、停車していた。

 中型トラックで市川パーキングエリアの下まで移動し、そこから〈タケハヤ〉で高速道路上に侵入したのだ。

 バイザーの表面に、高速道路の先にある目的地、首都の灯りが反射する。

 都内の電波障害と、高速道路のシステム障害の範囲から、エイリアスビートルの隠れ場所は察しがついていた。

 いや、むしろエイリアスビートルの方から南郷を誘っている。

 湾岸線の千葉側が、まるで回廊のように空いているのだ。

 その先にあるのは、かつての決戦の地――芝浦ふ頭、医薬庁庁舎跡。

 ここまであからさまだと罠だと警戒するのが普通だが、奴に関してはそれはないと確信していた。

 エイリアスビートルは、自分の手で南郷を殺すのが本懐である。

 それに、小細工など無意味だと奴自身が良く分かっている。

 進路上に何かを配置していても、それは座興のようなもの。

「タケハヤ、前方ズーム」

『イエッサー』

 南郷がボイスコマンドでタケハヤに命じると、ヘルメット内にデータリンクで望遠映像が投映された。

 1km先の道路上に、改造人間の群れがいる。

 再生も不完全な状態で、10体以上が幽鬼のごとくウロついていた。

 目的もなく同じ場所を右往左往しており、それが道路脇の自動運転用標識に誘導されていると気づいた。

「あのオッサンのコピーしたハッキング能力の応用か……」

 エレクトジェリーからコピーした電子戦能力だろうが、その効果範囲は劣化どころか強化されている。

 次に会うエイリアスビートルがどこまで強力になっているかなど……南郷にも分からない。

「ま、どうでも良いがね……」

 どうなろうとも、やることは変わらないのだ。

「突破するぞ、タケハヤ」

『イエッサー』

 ハンドルを握り、呼吸を整える。

 緊張の中で、精神と肉体を精錬する。

 〈タケハヤ〉は、ハードポイントにありったけの火器を装備していた。

 右肩部にデルタムーバー用35mm機関砲、左肩部に高機動誘導弾ポッド、タイヤ基部には有線式キネティック・デバイス、シート後部のカーゴスペースには南郷も使用可能なグレネードランチャーとアサルトライフル、兵装コンテナ二基。

 前回の装備が防御に全振りしたのとは対照的に、攻撃に全てを傾けた仕様だった。

 守りを捨て、自らを弾丸として打ち出す――南郷の覚悟そのものだった。

「ゴー……!」

 突撃を指示するボイスコマンドと共に、〈タケハヤ〉が発進。

 急加速する。

 Gに引き摺られて、南郷の人間性が引き剥がされて落下していった。

 これより開始されるのは、片道切符の特攻である。

 相打ち上等の歓喜の中で、南郷は死地へと突っ込んでいく。

 七年間、ずっと待ち望んでいた死へと向かう、仮面の奥の男の顔は――狂笑っていた。
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