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第三話

剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ41

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 珍しく、南郷は悪夢を見なかった。
 死にかける度に見せられる、見たくもない過去の再現。愛した魔女が死の底へと誘い、愛した少女が死よりも辛い生へと南郷を追い返す――いつもの悪夢。
 それを見なかった理由は、単純だ。
 原因である魔女の呪布を付けていない。アレは空理恵が持っていってしまった。
 ただ、それだけの話だ。
「なんだ……まだ、生きてやがる……」
 目を覚まして、最初に口から出た言葉がそれだった。
「せっかく看病してやったのに、それはなかろう?」
 頭の上から、園衛の声がした。呆れたような顔をして、枕元から南郷を見下ろしていた。
 質の良い畳の香りと、温かい布団の感触が自分を包んでいるのに気付いて、南郷はここが屋敷の母屋だと悟った。
 そこで漸く、体の所々に湿布が貼られていることにも気づいた。
「……手間をかけましたね」
「傷自体は軽い打撲だ。気絶は一時的な酸欠が原因だと……あのロボット君が言っていた」
 いつかのように、〈タケハヤ〉がレスキュー活動の補助をしたのだろう。
 エイリアスビートルの自爆により、爆心地に一時的な真空状態が発生したのが気絶の原因なら、後遺症はないと見て良い。
 湿布の下にも痛みはなく、打撲も大したことはない。
 南郷は、冷静に自分の身体状態を確認していた。無論、戦うために。
「俺は……どれくらい寝てましたか」
 ゆっくりと、体を起こして周囲を確認した。
 障子から日の光が挿している。昼間になっているのは分かるが、具体的な時間経過は不明だ。
「あのなあ……南郷くん」
 訊ねるや、園衛が溜息混じりに肩を落とした。
「どうして、そう! キミは戦うことばかり考えているのか!」
 南郷の考えは読まれていた。
 相手はなまじの女ではないのだ。南郷と同等の戦闘経験があるからか、腹の底まで理解されてしまう。
「休む時くらい何も考えずに休みたまえ! そもそも……」
 園衛が言いよどんで、俯いた。
「キミは……もう戦うべき人ではないのだ」
「保安要員として……俺を雇うつもりだったのに?」
「ここまで命を削る必要はないと言っている! キミはもう、十分すぎるほど……戦ってきたじゃないか……っ」
 すぐ隣で項垂れる女の顔を見て、南郷は寒気がした。
 この人は……どうして、こんなに悲しそうな顔をするのか。赤の他人のために、泣きそうな顔をするのか。
 口だけでなく、本当に自分を理解して、痛みを分かち合おうとしている。
 人間性を対価として削り取って戦った果ての残骸に、寄り添ってくれる人――こんな女性は、世界で一人だけだと思う。
 その温かさに反発するように、南郷の心が冷えていた。
 園衛と自分は、磁石のようなものだ。
 時には真逆の双極として惹かれ合い、時には近づきすぎて反発してしまう。
 今は、園衛の優しさを受け入れる時ではない。
「あの右大ってオッサンは俺を許さないし、俺も許してもらう気はない。話し合いで感情が解決するなら、とっくの昔に……世の中から戦争なんてなくなってる。だから――俺とあいつで、とことん殺り合うしかない」
「そう……だな」
 園衛は、南郷の言葉を否定できなかった。
 戦いを、憎悪に起因する復讐を理解しているが故、刃を交える以外に解決法がないと分かり切っていた。
 人であることを捨ててまで復讐に臨んだ右大高次に、対話という選択肢はない。
 互いに妥協点を見つけるだの、そんな生温い領域はとっくに通り過ぎている。誤解があろうが無かろうが、もう関係ない。止まれはしない。ブレーキは、とうに壊れている。
 もはや人ではないのだから、後は奈落に墜ちるだけだ。
 園衛は諦めたような顔をした。
 少し、顔色が悪いように見えた。
「園衛さん」
「ン……なにかね」
「寝てませんね?」
 図星だった。
 園衛は昨夜から、一睡もしていない。
「まあ、な。キミの看病もあったし……」
「空理恵は……どうしました」
 屋敷の中に空理恵の気配はない。
 かといって、問題なく避難させたという雰囲気ではない。
 園衛が南郷の心を読むように、南郷もまた園衛の不穏な雰囲気を読み取っていた。
「ああ……空理恵は、な――」
 観念して昨夜のことを語り始めた園衛の声には、心労が滲み出ていた。
 空理恵が自分の出生の秘密を知ったこと、アズハと共に失踪したことを聞かされた南郷だが、驚いた様子はなかった。
 ただ、少し申し訳なさそうに目を伏せた。
「まんまと策にはまった……俺の落ち度です」
「それは……仕方のないことだ。遅かれ早かれ、こうなることは避けられなかった……」
 ただ、タイミングが悪かったというだけだ。
 アズハの情報戦術にはまってしまったのも、元を正せば園衛の秘密主義にある。
「あの子に真実を伝えるのを先延ばしにしていたのは……私の臆病さなのかも知れん……」
 園衛は、憔悴していた。
 体力面では一晩の徹夜など問題ではなかろう。肉体より、精神面で疲弊している。
 不意に、南郷が肩を震わせた。
 くつくつと、笑っている。
「くくくく……思い詰めすぎですよ」
「笑いごとではない……!」
「園衛さん、思春期の女の子って、こんなもんですよ。自分が中学生だった頃って、憶えてませんか?」
「うん……?」
 園衛は少し考えた素振りをすると、唸りながら頭を抱えた。
「わ、私の中学時代……毎週バケモノと戦ってばかりで……悩んだり青春してる余裕とか……なかったぁ……っ!」
「じゃあ、仕方ないか。家族とケンカして、ちょっと家出することくらい……普通の女の子にはありますよ」
「知ったような口を利くんだな……」
「妹が……いましたから」
 南郷は、少し寂しげな声だった。
 改造人間に殺された家族の記憶を掘り返した、南郷の思いを園衛は察した。
「家出……そういうものだろうか」
「園衛さんと空理恵は、家族でしょう? 俺から見ても、ちゃんとした姉妹だった。あなたは、捨てられた犬猫拾って悦に入るような偽善者じゃない。偽物の家族なんかじゃない。だから、ちゃんと話し合えば良い」
「だが……帰ってきてくれるのか?」
「俺が連れ戻すから……大丈夫ですよ」
 ふと、南郷は自分がおかしなことを言っていることに気付いて、苦笑した。
 改造人間との殺し合い、知り過ぎた自分達を消そうとしている中央省庁だか政治家の某だのと、血腥い世界観が一転してファミリードラマになっている。
 そんなスケールの小さい揉め事に自分から関わっていくなんて、てんでおかしな話だ。
 だが、悪い気分ではない。
 身近な少女と、親身になってくれた女性との、姉妹の間を取り成すのも、悪い仕事ではない。
「園衛さんは……なんていうか、正論が過ぎるんですよ。世の中、あなたみたいに強い人間ばかりじゃない。弱い人間に正論をぶつけても、相手は反発するだけだ」
「ろ、ロジハラ……というやつか」
「そうですね。だから、空理恵とも、あのアズハって子とも……俺が話をつけてくる」
「ム……あの娘とも、か……」
 園衛から見れば、アズハは最も対話が成立しない相手だ。
 難色、疑念、不安、それらが表情に浮かぶ。
「交渉……できるのか?」
「できないっていうのは、一方的なモノの見方です。そりゃ園衛さんじゃ無理ですよ。でも俺が話した感じじゃ……そんなに悪い子とは思えない」
「キミ……色目を使われたんじゃなかろうな……?」
 園衛が妙な目つきで南郷を睨んだ。
 いやらしいモノを見るような目だった。
「くっ……クノイチは色仕掛けもすると聞くぞ! もしや、あの娘に何かされたのか、南郷くん!」
「何もされてませんよ」
「やっ……やはり若い女の方が良いのか! それとも制服が良いのか? せっ、制服なら私も持ってるぞ! 中学のは流石に無理だが、高校のならギリギリ着れた! イケる! 私とて、まだまだイケる! きききっ……キミが望むなら! きっ、着るのも吝かではぁ――」
 しどろもどろに、わけの分からないことを口走る園衛。会話にならない。
 南郷は溜息を吐いた。
「園衛さん、あなたは疲れてるんだ」
「つっ……疲れてなど……」
「少し……休んでください。俺はもう大丈夫だから」
 南郷は園衛の肩に手を置いた。
 瞬間、園衛の混乱した頭が、別の感情に塗りつぶされた。
 異性に触れられるのは何年ぶりだろうか。立場上、気安く触れる男などいなかった。過去に剣術の指導で、師や兄弟子に手元を触れられた程度しか記憶にない。
 気恥ずかしさのような、照れ臭さのような、言葉にし難い酩酊感が園衛の思考を酔わせて、一人の女に変えていった。
「う……うん。分かった。私も……休む」
「じゃ、おやすみなさい」
 南郷は布団から立ち上がって、軽くふらつきながら退室した。
 部屋には園衛が一人、ぺたんと畳に座り込んでいた。

 南郷十字は、ぬるま湯の空気から解き放たれた。
 あの空気が嫌いなのではない。園衛を嫌いなわけがない。
 ただ、今の自分にはもう必要ないだけだ。
 平和、優しさ、愛情――そういう空気は、研ぎ澄まされた感覚を容易に鈍らせる。
 殺戮機械としての切断力を、低下させる。
 南郷の装備は、キャリーケースと共に無造作に縁側に置かれていた。整理する暇もないほど、園衛は慌てていたのだろう。それを回収して、ケースに詰め込んだ。
 〈タケハヤ〉は、庭園の中にロボット形態で駐機していた。
「タケハヤ、機体コンディション。及び使用可能な武装を報告しろ」
 南郷の命令を受けて、〈タケハヤ〉のセンサーユニットに光点が走査した。
『機体コンディション オールグリーン 防盾システム は ロストしました コンテナ内装備 機関砲 グレネードランチャー MAT キネティック・デバイス 全て 使用可能 です』
「了解した。装備の換装をやる。ついてこい」
 南郷は、頭の中で戦術を組み始めていた。
 防盾システムは昨夜の戦闘で喪失した。つまり、もうエイリアスビートルの粒子砲は防げない。
 どうやって戦うか……。
 屋敷の外に出ると、運悪く知った顔と出くわした。
 右大鏡花……あまり会いたくない相手だった。
 かといって、無言で通り過ぎるのも悪い気がする。
「……迷惑かけたな」
 一言の謝罪が、精一杯だった。
 もう余計な人間関係を作る気はない。
 鏡花も大嫌いな南郷のことなど無視して、自分の仕事に戻るだろうと思っていたのだが
「どこに……行く気ですか」
 意外にも、呼び止められた。
 もう会話する気はない。
 無視して歩く速度を上げると、背後からカツカツと石畳を踏む足音。何のつもりか、鏡花がついてきた。
「勝手にやって来て、勝手にこの家を掻きまわして、勝手に私の人生を踏み荒らして……っ」
「俺のせいかよ?」
「あなたが来なければ……っ」
「自分の兄貴がバケモノになってることなんて、知らずに済んだ……か?」
 現実を叩きつけると、鏡花の足が止まった。
「……っ!」
「兄貴のことも、俺のことも、もう忘れろ。何もかも厭な思い出だ。ムカつく男の顔なんて、酒飲んで風呂入って忘れちまいな」
「あなたの行く先に……義兄さんがいるんですか」
 追跡は止めたものの、鏡花は未だ食い下がる。
 南郷は舌打ちした。
「チッ……うざいなあ、アンタ」
「これは……仕事として聞いているんです。今の義兄さんは……もう敵です。だから、居場所を知る必要があります……」
 予想外の答が返ってきて、南郷は逃げ足を止めた。
 小娘の泣き言なら相手にする気は無かったが、私情を越えて職務を全うする責任感があるというのなら……。
 それに、南郷が失敗した場合は誰かに後を任せる必要がある。
「今の奴は……強力な電磁波だの電波だのを出してる。それこそ電子機器や通信に障害を引き起こすくらいに垂れ流しだ。その足取りを追えば、大体の予測はつく」
「大体……ですか」
「そこから奴が隠れるのに最適な場所を特定する。奴は肉体を修復、再調整するために落ち着ける場所が必要なんだ。丸一日か二日、誰にも見つからず、エネルギー……たぶん電力を気兼ねなく使えるような……」
 それ以上は、南郷にもまだ分からない。
 話すことは全て話した。
 鏡花を置いて、再び歩き出す。
「ドンパチやり始めたら、厭でも場所は分かる。後はアンタの仕事だ。俺の知ったことじゃない」
「あなたは……」
「空理恵をここに帰す。それで……俺の役目は全部終わりさ。園衛さんには『世話になった。ありがとう』と……伝えておいてくれ」
 素っ気ない別れの言葉を鏡花に預けて、南郷は敷地の外に出た。
 ほんの一時、人間らしさを思い出させてくれた優しい場所には……もう振り返らなかった。
 昨夜使った中型トラックが路上に駐車されていた。まだ排気ガスの臭いが残っている。今しがた鏡花が乗って、ここに戻したのだろう。
 南郷は荷台のコンテナを開けた。
 冷たい鉄の臭いが、戦の臭いが鼻をつく。
 コンテナの中には、坐光寺から支給された各種重火器が大量に残っていた。
 南郷は戦いの火の中で、燃え尽きる気でいた。
 サザンクロスという殺戮機械の終焉が――近づいていた。
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