ヒト・カタ・ヒト・ヒラ

さんかいきょー

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第三話

剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ37

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 月明かりが差し込む、夜の庭園。
 園衛は普段通りのスーツ姿で、静寂の中にいた。
 薄目のまま、腕を組んで、直立不動の姿勢だった。
 月下にて、長身、長髪の黒髪の女性が凛と立つのは絵になる情景であるが、感嘆する人間は今はいない。屋敷はとうに無人であった。
 服にしても、これから行うのは剣道の試合ではないのだ。わざわざゴワゴワとした道着に着替える必要はない。
 元より、防御にさして意味はない。
 相沢によると、アズハの忍者刀はメタマテリアル製だという。緑色のメタマテリアルは切れ味こそMMEの赤色マテリアルに劣るが、なまじの防具など難なく切り裂く。
 故に、防御よりも速度を取る。
 万一の時に備えて、このスーツは動き易いように仕立ててある。
 スカートのスリットはボタンで調整できる作りなので、今はスリットを深い位置に合わせていた。
 庭にいるのは、周囲の気配を敏感に察知するためだ。
 家にあるアナクロな警報装置では、現代忍者に通用しない。
 園衛の研ぎ澄まされた達人の感覚が、何よりも鋭敏なセンサーだった。
 聞こえるのは風の音。香るのは冬に向かう秋の森。見えるのは青い闇。
 人の気配はどこにもない。
 だというのに
「来た、か……」
 ほんの僅かな空気の流れを感じ取り、園衛は動いた。
 園衛は玄関に移動して、来客を出迎えた。
 客は家にとっては招かれざる客だが、園衛にとっては出迎えなればならない客である。
 言い換えれば外敵なわけだが、あろうことかその外敵は堂々と、真正面から門をくぐって、玄関までやって来た。
「こんばんは~、宮・元・さん♪」
 脳天気に戸を潜ってきたのは、アズハなる少女。
 背中に空理恵を背負っていた。
「どういうつもりだ?」
 状況が良く分からない。
 園衛は間合いを測りつつ、探りを入れた。
 アズハとしても園衛の警戒を気取りつつも、存外に素直に答えた。
「どうも何も……見ての通り、空理恵ちゃんを家まで送り届けただけですわ」
「そうか……」
「そうか、て……。それ以上は聞かんのです?」
「こうして、お前が堂々と我が家の敷居を踏んでいる。それで十分だ」
 要は、アズハは空理恵を連れているから南郷も手を出せなかった。
 何の妨害も障害もなく、園衛の前までやってこれた。
 そして南郷と園衛とを完全に分断させることにも成功した。
 アズハの作戦は十分に成功した――と園衛は判断していた。
 対するアズハは、空理恵を靴脱ぎ場の床に寝かせながら、横目で園衛を睨んだ。
「さっきから家の上から見下ろしてくれて……ッ。ほんっま腹立つなあ~、アンタ……!」
 それは生の感情だった。偽りのない真実の憎悪だった。
 園衛の表情が僅かに揺らいだ。
 確かに客に対しては礼を欠く立ち位置だ。だが相手は敵である。靴脱ぎ場から一定の距離を置いたまま、動かない。
「私が憎いか」
「フ……知れたことを。それとも何ですか? 自分の判断はキッカケに過ぎないから私は悪くない。ウチがこうなったのは土師部とウチ自身のせいとかァ……政治屋のセンセみたいな言い訳でもしはりますか? アンタへの感情は逆恨みで! 外道に堕ちたんもウチの自己責任やと!」
 アズハの血を吐くような叫び。そして、バン! と床を殴りつける音が響いた。
 園衛は恨み言を正面から受け止めた。
 決断者の責任逃れなど、恥ずべき行いだ。そんな大人にはなるまいと思いながら、今日まで生きてきた。
「お前の事情は――忍の者から詳細を聞いた」
「フフ……宮元さんの配下の元ニンジャさんですか? その人らは今、どういう仕事してます? アトラク系ですか? 日の当たる仕事できて羨ましいなあ~? でも、ウチら孫請けひ孫請けのニンジャは再就職の話なんてなーーんもありませんでしたよ? それに……器用に生きられる奴ばかりやないんですわ」
 また、恨みの棘が園衛に刺さった。
 10年前、宮元家が戦後に再就職を斡旋したのは直属の忍軍だけだった。アズハ達のような下請けの詳細など誰も把握していなかったし、気にも留めていなかった。
 仮に再就職の面倒を看ても、そう易々と忍としての技術も矜持も捨てられるだろうか。
 世間に馴染めず、苦しむ者もいるだろう。
 小豆畑の忍たちが離散の後、どういった運命を辿ったかは――アズハ一人を見れば想像がつく。
「小豆畑家の離散の遠因が私にあることも認めよう。食っていけない商売だからと、お前の母が解散を選んだというのも、元を辿れば私の無責任にある。お前が辛酸を舐めてきたことは――」
「アンタに何が分かるんですか」
 言葉が、切断された。
「知ったようなことをつらつらと……! 生まれた時から食うに困らず! 寝る場所に困らず! 家族に囲まれてデカい屋敷に住んでるアンタに、ウチの何が分かるっちゅうんや! 上から目線も大概にせえやッッ! 家も金も無くして、アパート追い出されたウチがどんな暮らししてきたと思う? 一人ぼっちで廃屋で寝て、コンビニの廃棄弁当、スーパーの残飯かっぱらって食って、そんな中で仕事道具を揃えて、クソみたいな仕事してきたんや! 仕事のために寝たくもない男と寝て、やりたくもない殺しをして、時には殺されかけて……っ」
「私の至らなかった点については……謝罪する。お前さえ良ければ、もっとマシな、新しい仕事を――」
「人をコ・ケ・に・す・ん・の・も……ッ! いぃぃい加減にしろババァッッッ!」
 アズハの顔が憎悪に歪んだ。絶対的な価値観の格差、理解の断絶があった。怒りを噛み潰しながら、足元にあった散策用のサンダルを園衛に投げた。
 顔面に向かってくる硬い木製のサンダルは素早かったが、弾道は直情的で、避けるのは容易かった。
 サンダルが廊下の壁に跳ね返って、激突音が空しく響いた。
 アズハの届かぬ憎悪は、悲しみは、悲鳴のように屋敷に響いた。
 それは人生を破壊され、未来を閉ざされ、可能性を奪われた、一人の少女の慟哭だった。
「に……憎い憎いクソッタレに仕事を恵んでもらうやと……? どこまでウチを嘗め腐っとるんや……ッッ! ほんまに悪いと思っとるんなら、今この場で首かっ切って死ねやァ!」
「それは――出来ん相談だな」
「ほれ見ぃ! やっぱりアンタは本気で謝る気なんてないんや!」
 それは違う。
 謝罪の気持ちに偽りはない。アズハの痛みも全てではないが、いくらかは理解できる。
 傲慢かも知れない。これすらも、アズハが憎悪してやまぬ自覚なき悪意、あるいは無理解かも知れない。
 しかし、この思いが届かぬのなら――やむを得ない。
 被害者は加害者に何を要求しても良い、というわけではない。物事には限度がある。
 感情と現実に折り合いをつけるために人は話し合う。
 それが叶わぬのなら、解決の手段は二つしかない。
 一つ、お互いに二度と会わない。個々の生活に戻って、憎しみを忘れる。
 二つ、お互いに気が済むまで殺し合う。その果てに、どちらかが無念の内に果てようとも致し方なし。
 園衛とて、徒手空拳の身の上ではない。
 守るべき人々の人生を、あまりにも多く背負っている。
 ここで死ぬわけにはいかない。
「元より――お前は私と死合うために、ここに来たのだろう」
 園衛の声色が、冷気の刃となってアズハに切り返した。
 殺気――それを感じて、アズハが音もなく立ち上がった。
 体が、戦の形を取る。
「フ……ウチもお喋りが過ぎましたねェ、宮元さん」
 感情を不敵な笑みの仮面で隠し、学生服の女ニンジャは竹刀ケースに手をやった。
 対する園衛は素手のまま、奥の廊下に合図を送った。
「もはや是非もなし」
「やりますかァ? ここでェ……?」
「いざ――」
 氷結の殺気を放つ園衛に、もはや甘さも情けもなかった。
 アズハは足元に寝る空理恵を障害物に出来ると思っているようだが、もはや園衛は戦いの異物など眼中になかった。
 廊下の奥から、電光がアズハめがけて突進した。
 玄関の天井を踏み抜いて、突風がアズハに向かって落ちてきた。
 破砕音、騒大に爆ぜる。
 人間を上回る質量の、二体同時攻撃をアズハが避けられたのは、極限まで鍛え抜かれた反射神経と、17歳という肉体的絶頂期が。この一戦という人生の刹那に備わった幸運ゆえ。
 砕け散る無数の木片、瓦とガラスの断片に紛れながら、アズハは屋外に跳んでいた。
「ハハッ! 初手から殺る気ィ! 上等ォ!」
 戦意に満ちた凶暴な笑み、浮かび上がる。
 アズハに攻撃を仕掛けたのは、二体の傀儡――すなわち空繰と呼ばれる戦闘人形。
 狛犬型の〈雷王牙〉と、鴉天狗型の〈綾鞍馬〉だった。
 二体ともに、園衛のための刀剣十本を携えている。
「デカブツ相手も想定内……っ!」
 アズハは身を翻し、二体の空繰を敷地の外の林に誘った。
 屋敷の中は園衛のテリトリーだ。園衛に地の利があり、罠が仕掛けられているリスクもある。
 また空繰は巨体ゆえに、林中では動きが鈍ると踏んだのだ。
 そして誘われるままに、〈雷王牙〉と園衛が林に入った。〈綾鞍馬〉は羽ばたいて上空に飛んだ。
 一見、園衛は軽率な行動を取ったようであるが、違う。
 全て承知の上で、林に踏み入ったのだ。
「放てッ! 千成(せんなり)・四方八方刀ッ!」
 園衛の命令を受けて、〈雷王牙〉と〈綾鞍馬〉が吼えた。
 十武剣――若き日の園衛が振るった大小様々の十本刀。
 二体の空繰は、それらを林中に一斉射出した
 翡翠色に光る十の刀身が、縦横無尽に闇を切り裂いた。
「な・にッ!」
 アズハは迫りくる刀身に驚きつつも、木を駆け上がり、枝を伝って飛び回り、確実に回避していった。
 こんなものは牽制にしかならない。アズハに当たるわけもない。
 園衛の真の狙いに、アズハはすぐに感づいた。
「ま・さ・か――」
 自分を囲むように、地面と木々に十本の刀剣が突き刺さっていた。
 これら剣の内側が、園衛とアズハのバトルフィールドであった。刀剣の表面は、アズハの忍者刀と同じ翡翠色だ。
 アズハが術中にハメられたと悟った瞬間、死角から殺意の風が押し寄せた。
 園衛が低い姿勢で背後から素早く接近し、木に刺さった太刀を抜いて、切りかかった。
 一の太刀、武丸(たけるまる)。複数の合金を重ねて作られた、厚広の太刀である。
 新にメタマテリアルコーティングされた刀身が袈裟懸けに振り下ろされて、翡翠色の火花を散らして逸らされた。
 寸でのところでアズハが忍者刀を抜刀。逆手持ちの防御で辛うじて初撃を弾いたのだった。
 だが、体制が悪い。
 園衛の刀勢は強く、受け流し切れずアズハよろめく。
 そこを狙い、園衛は返す刀で逆袈裟に切り上げた。
 討魔刀法の一つ、疾風である。
 音速を超えた金属的な空烈音がシュンと鳴り、アズハの制服のブラウスを斜に切り裂いた。
 紙一重の回避。だが、避けきれなかった。
 不可視の真空波、カマイタチがブラウスだけでなく下に着た防御用インナーにまで達していた。
 パチリ……とインナーの表面に火花が走った。メタマテリアルによる防御反応。だが、その電磁反応防御は不発だった。
 園衛の剣戟は、電磁反応装甲と相性が悪かった。一瞬の点の着弾ではなく、線で装甲を切り裂くことで、機能不全を発生させる。
 つまり――防御不能である。
「チ……半端ないわ……」
 アズハの顔から、余裕の笑みが消えた。
 もはや、互いに死力を尽くした正面勝負あるのみ。
 園衛の呼吸音が、風のように木々の葉を揺らした。
「フゥ――」
 語る言葉は既になく、舌よりも剣と剣こそオオ饒舌に、生と死を鎬削って語り尽くして、共に黄泉路を駆け下りる、剣の舞が始まった。
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