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第三話

剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ34

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 南郷はドアを閉めて、狭い室内でアズハと対峙した。

 カラオケの個室は完全防音でなくとも密室だ。監視カメラはついていても音声までは拾っていない。少なくとも会話が外に漏れることはないだろう。

「ま、座ってくださいよ」

 マイクで越しのアズハの声が響いた。

 歌唱放棄されたJPOPの曲が鳴り続けている。鬱陶しい。

 アズハの武器が入っている竹刀ケースは、二人分のバッグと共に部屋の隅に置かれている。

 武器を持っているとしても、制服の内側に仕込んである程度と読める。

 南郷の方も、武器はナイフのみ。条件は互角と見て良い。

 尤も、こんな所でやり合う気はアズハにもないようだった。

 各個室には防犯用に監視カメラが設置してある。

 カメラ越しの店員に不審に思われないように、南郷はソファに座った。

 すかさず、アズハが横から注文用のタブレット端末を差し出してきた。

「何か頼みます?」

「長居する気はない」

「じゃあ、ウチが飲みますから、代わりにお酒頼んでくれます? 学生二人だと流石にNGみたいやったんで~」

 客が中学生と高校生の二人なら、店側もアルコールは出せない。当たり前だ。

「未成年の飲酒に加担する気はない」

「つれへんな~? 今さら常識言われましても説得力ないですよ~?」

「酒なんて……美味いとは思えないがね」

 いい大人の自分が言うのも何だが、正直ソフトドリンクの方が好みだった。

 空理恵のようにアズハにも笑われかねないと思いきや、反応は少し違っていた。

「フフフ……正直、ウチもお酒の美味しさって分からんのです。飲むのは頭がボーーっとしてイヤなこと忘れられるからです。それとぉ――」

 南郷のすぐ隣で、アズハが口角を僅かに上げて笑った。

 ミラーボールの光を反射して、カラーコンタクトの瞳が妖しく光る。

「――ウチは悪いことがだぁい好き……だからです♪」

 並の男ならば魅了されてしまうだろう、年不相応な危うい妖艶さ。

 手を出せば火傷をする、あるいは毒の海に溺れると理性で分かっていても、狂わされてしまう魅力が――香る。

 これもまた忍術の内なのだろう。

 だが、南郷は冷ややかな目で見返すだけだった。

「空理恵に……何かしたのか」

 南郷の声の裏には殺気あり。

 アズハは南郷に術が通じないと悟ると、軽く笑ってソファに背中を預けた。

「フッ……疲れてたみたいやし、ちぃっと眠ってもろただけです。今の今まで、ずーーーっとウチと遊んでましたからね」

 言うと、アズハはテーブルの一角に目配せした。

 そこには、何かの薬の入っていた空の袋が置かれていた。

「ただの即効性の睡眠薬ですよ。眠ってた方が空理恵ちゃんとしても――ね?」

 アズハの言葉の裏に、気遣いを感じた。

 踏み込んできた南郷とアズハとの会話に巻き込んで、余計な混乱をさせたくないのだろう。

 空理恵は憎い宮元家の血を引く娘であると同時に、アズハと同じく代用品として生まれた、同じ境遇の仲だ。アズハとて思う所があるのかも知れない。

「きみが……空理恵を攫ったのか?」

 南郷は訊ねてみるが、実のところ強引な手段を用いたとは思えなかった。

 アズハはわざとらしく視線を逸らして、次の曲選択まで待機中のモニタを見やった。

「人聞きが悪いですねぇ……ウチは空理恵ちゃんから相談受けたから、連れ出してあげただけです。『ここじゃないどこかに行きたい』……ってね」

「だが俺達を撹乱するのが目的だろう?」

「そういう仕込みをしてたのは否定しませんよ。本当なら、もうちぃーーっと時間をかけて型を崩してく予定でした。その方が――あのオバハンを苦しめられますからねェ……」

 アズハの口元が歪んだ笑いを浮かべたのが見えた。

 園衛に対する憎悪が漏れ出ている。

「じゃあ……今のコレは想定外ってことか」

「時計の針が進んだのは――多分、空理恵ちゃんの持っとるソレが……悪さしたんと違いますか?」

 それ、とアズハが空理恵のバッグを指差した。

 チャックの隙間から、赤い布が顔を出していた。見覚えのある、目が腐るほどに見慣れた、魔女の呪布だ。南郷の気配を察知したのか、ゆらゆらと蠢いている。

 弱っているとはいえ、元は強力な魔女の思念が込められた道具だ。健常者ならともかく、精神的に弱った人間なら影響を受ける可能性もある。

 呪布は空理恵の疑念に干渉して、それを増幅したのかも知れない。

「きみは……それが何か分かるのか」

「ウチは一応リアル系のニンジャでして。そういう幻術とか呪術は知識として持っとるだけです。ま、その布っきれがマトモやないことは分かりますけどォ……」

 自分の持ち物が間接的に空理恵を傷つけてしまった――南郷は責任を感じざるを得ない。

 南郷の微妙な変化を気取ったのか、アズハがくるりと体の向きを変えた。

 短いスカートで見せつけるように足を組んだ。妖しいミラーボールの輝きが、日焼けたした肌を黒光りさせていた。

「お兄さぁん……折角やし、ウチの身の上話、聞いてくれません?」

「時間稼ぎのつもりか」

「じゃ、ウチをブッ飛ばして空理恵ちゃん連れて帰ります?」

 アズハ、余裕の笑み。

 南郷がそれを出来ないと分かった上で、挑発していた。

 監視カメラの下で女の子を殴り飛ばせば、店員に即通報される。騒ぎになって、空理恵を更に面倒に巻き込む。アズハほどの忍ならば、その隙をついて空理恵もろとも逃走することも容易いだろう。

 南郷は観念して、腕を組んで鼻を鳴らした。

「フン……俺の敵はきみじゃないよ」

「それは重畳。ウチもお兄さんとケンカする気はないんです。ウチの仕事は、あくまでカブトムシのオッチャンのサポですから」

「園衛さんを殺るのは仕事の内か」

「それは――ついで、ですわ。仕事の間に殺れなかったら、それでシマイです。あのオバハンとは二度と会う気はないですよ……」

 園衛に関してのみ、アズハ吐き捨てるように言った。

 一瞬だけ、飄々とした仮面の裏のアズハの地金が見えた。園衛に対する個人的憎悪と、仕事に対するドライな姿勢だけは真実なのだろう。

 アズハはすぐにまた、笑顔の仮面を被り直した。

「ウチの生まれは――もう知ってます?」

「園衛さんから……聞いた」

「なら話が早い。ウチらが廃棄されることになった理由……ぶっちゃけ影武者とか予備パーツのために、人間丸ごと一人育てて用意するってのは商売として時代遅れだったんですね。平和な時代に影武者なんぞいらんし、体の部品は技術の発展でパーツごとに培養したり、細胞除去で拒絶反応をなくしたり……ま、そんな具合で土師部はウチらを食わせる理由はなくなったんですわ」

 自分の辛い身の上だというのに、アズハは他人事のように話していた。

「当時、工房には10人くらいの子供と、替え腹用の母親役が5人くらいいましたね。ある日の夜、いつも通りに食事が出されたんですけど、それに毒が入ってると分かったのはウチだけでした。ウチは上忍の家の影武者として育てられてましたから。でも、分かった所で何も出来ない。食事中も監視されてましたからね。だからウチは一人だけ、食べたフリをした」

 当時の食事を再現するように、アズハはテーブルの上の唐揚げをつまんで、口に運んで、咀嚼した。

「フ……で、一晩明けたらみんな死んでました。ウチだけは死んだフリ。そのまま裏の山まで運ばれて、大きな穴に埋められました。昔から失敗作は、火葬する金も暇も惜しいから、穴掘って埋められるんです。でもウチは、そういう状況でも助かる術を知っていた。だから――生き残ってもうた」

 また、少しだけ声に地金が浮かんだ。

 仲間が毒殺されると分かっていながら、何も出来なかった、何もしなかった。その空しさと後悔が、アズハの言霊を氷のように冷やしていた。

「でも、7歳のガキが一人でどうやって生きていきます? 警察に駆け込んで騒ぎになったら、土師部に知られて連れ戻されて、今度こそオシマイ。だからウチは……自分の本物がいる家に行ってみたんです。柳生忍術を受け継ぐ上忍の家――小豆畑家に」

 アズハが軽く笑いを零した。

 自嘲するような、懐かしい思い出に浸るような、だが悲しげな笑みだった。

「ウチは運が良かった。丁度、小豆畑は家庭内の不和で離婚してましてね。跡継ぎになるずだった本物ちゃんは、母親と一緒に出ていってもうた。そこにフラ――……とウチがやって来たから……おとんは……あの人は、大喜びでウチを娘として迎え入れてくれました」

「家族として……か」

「そう……ですね。それから5年くらいは幸せでした。ウチはおとんに忍術を仕込まれて、いずれは頭領となるべく育てられた。学校にも普通に行ってたし、下忍の仲間たちもぎょうさんおりました。当時のウチは、悪を倒す正義のニンジャになるんや。清い心に刃を乗せる、真の忍になるんや――って、バカみたいなこと……マジで思ってました」

 ハッとして、アズハは誤魔化すようにジュースを呷った。

 つい、いらぬ心情まで語ってしまった――という感じだった。

「フッ……でも人生なんて、壊れるのは一瞬ですわ。ある日、離婚した母親とウチの本物ちゃんが帰ってきたんです。あの人らは何て言ったと思います? 『そんな偽物に小豆畑の継承権はない』『財産も家もお前にはやらない』って。要はクソみたいな利権欲しさに今さら帰ってきて、ウチを追い出そうとしたんですよ」

「それで……どうしたんだ」

「古い家ほど実績より血統を重んじるものです。実際、ウチは戸籍もなぁんもない。法的にも相続権なんてありませんわ。昨日まで仲間だった下忍のみんなは、ウチが偽物だと知った途端に掌返して追い出しにかかりましてね。他の中忍、上忍からもおとんは吊し上げられて、ウチは追い出されました。それから先は厄介払い。親戚のボロアパートに押し付けられて、中学からは寂しい一人暮らしですわ……」

 アズハは顔を掌で覆うようにして、深く項垂れた。

 自分の表情を、中身を、南郷に見られまいとしていた。

「でもね、真っ当な人間らしい暮らしは出来た。それで十分でした。ウチはいつか正義のニンジャになって、一人立ちして、育ててくれたおとんに恩返しをするつもりでした……。でも、それも出来なくなった」

「なぜ?」

「一つは時代の流れ。ウチら忍は所詮は下請けです。平和になれば仕事もなくなります。だから……ウチの本物ちゃんと母親は、忍軍を解散させたんです。それを知ったのは、中学二年の時。慌てて実家に戻ってみたら――跡形もなくなってましたわ」

 アズハの声が震えていた。

 笑っているのか、泣いているのか、表情は見えなかった。

「実家の土地は売られて、道路工事が始まってました。下忍や中忍の家も根こそぎです。やっと知った顔を見つけて事情を聞いたら、母親の仕業やと。実権のないおとんは全部の尻拭いを押し付けられて、半年前に過労でおっ死んでました。ウチは母親の住んでる大阪のマンションを突きとめて怒鳴り込んで――どうなったと思います?」

 拗れた果てに千切れとんだ家庭の顛末など、想像もつかない。

 南郷は押し黙って、アズハの話の続きを待った。

「くくっ……マンションからウチの本物ちゃんが出てきよって、うっすい札束を投げつけてきたんですよ。『コレをあげるから、後はあんたでなんとかしな』って……。知ってますか? 100万円って意外と薄いんですよ……? そんな、100万ぼっちを手切れ金で……おとんとウチの人生の価値が100万ぽっちだと……っ。 あ……あいつは……ウチの顔すら見ようともしなかった……っっっっ!」

 アズハは顔を覆う手を握り込んだ。

 憎悪の対象と瓜二つの自分の顔を握り潰すように。

「その場で殺してやりたかった……。でも、ウチは堪えました。感情ではなく、打算で動くのが忍だと……おとんに教わりましたから。だから100万受け取って、真っ先に美容院に行きました。あいつと同じ格好なんてイヤでしたし、もっと仕事し易い見た目になりたくて……髪を染めて、肌を焼いて、今みたいになったんですよ。あいつの代用品なんかじゃない。ウチだけの小豆畑霧香になると……決めたんです」

「それで……本物はどうしたんだ」

「今はウチが本物の小豆畑霧香……いえ、アズハなんですよ」

 それ以上は語る必要はなし。察してくれ――ということだ。

 南郷も問い詰める気はなかった。アズハの心情は良く理解できる。坊主ではあるまいし、綺麗事を説教する権利もない。

 アズハは顔を上げた。

 いつも通りの、不敵な表情に戻っていた。

「なーんて、ウチの悲しき過去……どうでしたかあ? 作り話でも、結構な精神攻撃になると違いますぅ?」

 今の今まで迫真の演技で南郷を欺いていた、と言わんばかりの転身であった。

 だが、南郷は動じずにアズハを横目で見た。

「やっぱり……きみは疲れていると思う」

「へ……?」

「こういう仕事を……いつまで続ける気なんだ」

 冷静に対応されたのが意外だったのか、ペースを狂わされたアズハは頭を抱えた。

「なっ……なんですか、お兄さん……急にお説教ですかあ? ベッドの上でいきなり説教始める客のオッサンみたいで……き、キモいんですけど……」

「俺も疲れていたから……分かるんだ。いつか俺みたいに……きみも擦り切れてしまう」

「お……お兄さんに、ウチの何が分かるんですか……」

「分かってほしいから、いらないことまで話したんじゃないのか」

 暫し――30秒かそこら、アズハは固まって、視線を泳がせて、やがて大きな溜息を吐いた。

「ああぁ……なんていうか……迂闊でしたわ自分。知らん内に、お兄さんに人生相談ふっかけてたみたいですね……」

 ここでヒステリックに騒がず、自己分析してみせるのは、アズハがさしもの忍であるからだろう。

 南郷もまた、自分に不釣り合いな話し方をしていると自覚して、気恥ずかしそうに鼻をかいた。

「変な言い方をしてすまない……。気になったから、なんとなく……」

「いえ、気にせんといてください。やっぱり優しいですよ、お兄さんて……。空理恵ちゃんが羨ましいですわ」

 なまじの男相手では決して得られない共感に、アズハがどんな感情を抱いたのか。

 少なくとも、今見せている柔らかい表情に嘘があるとは思えなかった。

 出来ることなら、アズハにこんな仕事を続けてほしくない。園衛とも戦ってほしくない――というのが、南郷の本音だった。

 同時に、アズハの憎悪の根源も理解してしまった。

 故に、止めることはできないと思い知ってしまった。

 事を済ませるべく、南郷はソファから腰を上げた。

「空理恵は――返してもらう」

「ええ、かまいませんよ。時計の針は進み切って、もう十分みたいですしね」

 アズハは存外に容易く了承をした。

 時間を十分に稼いだと南郷に白状するのは、相応の理由がある。

 個室のドアが開いて、もう一つの想定外が現れた。

「そう……待ち切れんのだよ。俺は……」

 地の底から響くような男の声だった。マグマのような熱を持った男の声だった。

 殺気を感じて南郷が振り向いた先には、右大高次が立っていた。

 その幽鬼のような姿は更に異様だった。

 鉄の棒を持っている。

 鉄の棒を齧っている。

 チョコレートバーでも齧るように、ねっとりと粘性のある金属棒を噛み切り、食っていた。

「さあ、祭を開くぞ南郷……。待ちきれないから……俺の方から来てやった……!」

 真っ赤に充血した目をして、右大は鉄の棒に齧りついた。
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