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第三話
剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ23
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地震騒動から1時間が経過した。
ショッピングモールの周囲は相変わらず人だかりが出来ている。
発砲音や爆発音らしき音も聞こえて一時は騒然となったが、警察の応援も到着して事態は急速に収拾しつつあった。
電話やインターネット回線も復旧し、群衆は情報を個別収拾できるようになった。
「さっきのドカーンって音なに?」
「工事現場でクレーンが倒れたんだってさあ~」
いつの間にか、それらしい情報がSNS上に流されていた。
スマホから得られる辻褄の合う現実的な説明に納得して、事件に疑問を抱く人間はほとんどいなかった。
発砲音は近くのタワーマンションでパーティーを開いていた大学生グループがふざけてクラッカーを鳴らしたことの聞き間違いで、地震は計測機器の誤作動による誤報だという。
後者に関しては気象庁からの公式声明という、出所のハッキリした情報だった。
「なにそれ……そんなワケないじゃん!」
空理恵はただ一人、歪められた真実に声を上げた。
一瞬、何事かと幾人かが振り返ったが、人々はすぐに関心を失って私事に戻った。
空理恵はスマホを覗いて、街路樹に寄りかかった。
周りの人間は全員騙されている。仮に空理恵の見た出来事を発表したところで、妄想だと笑い者にされるだけだろう。
そう思うと、常日頃から陰謀論を叫んでは頭の可哀想な人扱いをされてきた学校の先輩、クローリクへの見方が大分変わってくる。
二重の意味で、厭な気分だった。
銃声と爆音はサザンクロスと改造人間との戦いの証だ。
それが消えたということは、戦いの終結を意味している。
どちらかが死に絶えた――ということだ。
不安になって、スマホで姉に何度も電話をかけてみるが、応答がない。
『おかけになった電話は、電源が入っていないか、電波の届かない所に――』
そんな自動音声のアナウンスは聞き飽きた。途中で切る。
「どうしちゃったんだよ、姉上まで……」
不安が膨らんでいく。厭な想像ばかり浮かんでくる。
そして無力感。自分が何も出来ない、ただの子供だという現実を突きつけられる。
劣等感。心身ともに強く頼もしい姉に比べて、どうして自分はこんなにも弱いのか。
なまじ事件の真相を知っているから、余計に周囲から孤立しているような気持ちになる。
何も知らないままなら、周りの一般人と同じでいられたのに……。
「どうしよう……」
心細い。
南郷や園衛を探しに行こうにもアテがない。下手に動いたら逆に二人が空理恵のことを見失って、余計に迷惑をかけるような気がする。
あと何時間、一人でいれば良いのだろう。
ずっと昔に味わった、迷子のような――
「あれ……?」
違和感が、ある。
昔? それはいつのことだ?
ずっと小さな頃、家族でお花見に出かけて山の公園で空理恵は迷子になったことがあると――姉の園衛が言っていた。
なんてことはない昔話。
でも、当の空理恵にはそんな記憶がないのだ。
姉の話を、いつの間にか自分の経験した出来事として錯覚している。そんな気がした。
そもそも、家族で出かける?
父と母は、まるで腫れ物のように自分を扱う。表面上は優しいのだが、どこか余所余所しいのだ。
運動会の競争で一位になった時も口では誉めてくれたが、まるで他人を見るような目だったのを憶えている。
風邪で寝込んだ時も、使用人に世話を申し付けるだけだった。直に額に手を触れてくれたのは姉だけだった。
そんな具合だから、家族そろって外出した記憶は一度もない。
それは単に自分が不出来な妹だから、期待されていない証拠だと思っていた。全ての才能が姉に劣る妹だから、どうでも良いと見放されているだけだと。
いつも姉や、その友人たちだけが、空理恵を外の世界に連れ出してくれた。
なのに、家族でお花見――?
なにか、おかしい。
「えっ……なに、これ……意味わかんな――」
記憶の堤にヒビが入る。
自分を作り上げている土台が壊れていくようで、本能で首筋が震えた。歯がガチガチと音を立てている。
錯乱状態の空理恵を、寸でのところで留める声がした。
「あらぁ? クリエちゃんやないの。どないしたん?」
聞き覚えのある関西弁の少女の声に顔を上げた。
先ほどボウリング場で会った、アズハと名乗る女子高生がいた。空理恵を心配そうに見下ろしている。
なぜかアズハの頬には、絆創膏が貼られていた。
「あれ……アズハさん……ほっぺ、どしたの……」
「ウチのことなんてどうでもええ! 具合悪いんか? どっかで落ち着こか?」
アズハは身を屈めて、空理恵の背中を優しく擦った。
自分より少し年上の少女に、姉と同じ思いやりを感じた。
「あっ……だいじょぶ……です」
「無理したらアカンで? てぇか、あのお兄さんはどこ行ってもうたんや? ったく、大人のくせに無責任やなあ~?」
「アニキは……大事な用事があったから……」
事情を知らないアズハに南郷を批難されたくない。
改造人間と戦うなんて、あの人にしか出来ないことだ。投げ出せない理由があるのだと、それくらいは空理恵にも分かる。
南郷を庇う空理恵の気持ちを察したのか、アズハは軽く肩をすくめた。
「クリエちゃんは、お兄さんのこと大好きなんやねぇ」
「好き……なのかなあ?」
初めて会った日に助けてもらってから空理恵はなんとなく南郷に懐いているが、どういう感情なのか特に考えたことはない。
手が届きそうで届かない微妙な距離感だとは思う。
無職で他人の家の世話になっている情けない大人であり、都市伝説の怪人の正体でもあり、絵空事の中のヒーローのようでもある。
「クリエちゃんにとって、お兄さんはどういう人なんやろうねえ?」
「うぅーン……」
「憧れの人なん?」
「うぅ~~ん……?」
アズハの問いに心を掻き乱されて、だんだんと変な気持ちになってくる。
「アタシが憧れてるのは姉上くらいだし……姉上に比べたら、アニキってお金もないし、スマホも持ってないし……」
「お姉さんのことは好きなん?」
「うん……」
「じゃあ、そのお姉さんは……お兄さんとはどういう関係なん?」
悪戯っぽくアズハが笑った。
まるで友人同士で恋の話をしているようなノリだ。
言われてみれば、園衛は南郷に妙に親密に接している。
『彼が欲しい』とは言っていたが、いやまさか、そんな関係になる要因はどこにも……。
空理恵はワケが分からなくなって、側頭部を抑えた。
「あーっ! もう、なにぃ!」
「あらら、ゴメンゴメン! クリエちゃん具合悪いのに、ちぃっと調子に乗ってもうたわ」
アズハは悪びれて何度も頭を下げてみせた。
空理恵も少し混乱しただけで、アズハに悪気がないのは分かる。
「いいよ、いいよ。確かにアタシ、アニキとは変な関係かもねっ」
「お兄さんもお姉さんも、尊敬できる大人なんやろねぇ。きっと嘘とか吐かへん、誠実な人やと思うわ~」
「そりゃ嘘とかは……」
言葉が詰まる。
南郷は兎も角、園衛の対しては疑念が生じていた。
園衛だけではない。宮元の家と自分との関係に違和感がある。
僅かな記憶の綻び、矛盾点は確実に空理恵に影を落としていた。
そんな些細な空理恵の変化を、アズハは一瞬で見抜いた。
「クリエちゃん、折角やし……SNSのID交換とかせぇへん?」
「ほぇ? SNSって……」
「ほら、シュリンクス。UKAちゃんの提携アプリや。もちろん入っとるやろ?」
シュリンクスというのは、世界的に尤も普及したSNSアプリのことだ。一般人も芸能人も政治家も企業もごく普通に使っている。
UKAとも公式に連携しており、空理恵もクラスメートたちもスマホにインストールしてある。
園衛は口酸っぱく信用できないから使うなと言っているが、そんなものは知ったことではない。
「はい! 別にだいじょぶですよ!」
「おおきに~♪」
空理恵とアズハがスマホでUKAアプリを開くと、画面内でアプリの名を冠する、巫女姿の美少女イメージキャラクターが音声ガイダンスを始めた。
『近くに UKAを使ってくれている 他のユーザーが いますね! お友達になりますか?』
画面上に〈はい〉〈いいえ〉の選択肢が表示された。
別に断る必要はない。友人や知人なら気軽にID交換するのは、今どき普通のことだ。
「はい、っと」
「は~い、ポチっとな♪」
スマホをタップすると、互いのUKAが同時に笛の音を鳴らした。マスコットキャラクターのUKAが楽しげに笛を吹いている。
『ID交換 完了しました! 今後は 無料通話や お友達だけのお喋りサービスを受けられます! 詳しくは このわたし UKAに聞いてくださいね! 全ての人に等しく とこしえの幸福を――』
口上が長いので、二人とも途中でスキップした。
「便利だけど、いちいちうるさいんだよなコレ~」
「ま、タダで使えるんやから広告みたいなモンやろ~」
アズハはフレンドリーに笑った。邪な意思などどこにも感じられない。
友達がまた一人増えたと、空理恵は疑わなかった。
「アタシ、もう大丈夫ですよ。アズハさんだって色々と用事あるだろうし……」
「ええ子やね~、クリエちゃんは~~っ! 若いのにこない気ぃ使えるなんて、ええお嫁さんになるで~~っ!」
「え~~っ! 結婚なんて全ッ然! 想像できないし~!」
「アハハハハ! ほな、なんかあったら、いつでも連絡くれてええで~。お姉さんが、な~~んでも相談に乗ったげるからな~♪」
アズハは手を振って、人ごみの中に消えていった。
空理恵から十分に離れた後、アズハはスマホの画面を消して、小さく呟いた。
「嘘は言っとらんで……クリエちゃんがええ子っちゅうのはな……」
柄にもなく言い訳がましい自分が厭になって、アズハは無意識に頬の絆創膏を指でなぞった。
忍として鍛えられた聴覚は、無数の人の声の中から情報を選んで聞き取ることが出来る。
もう見えないほどに離れた街路樹の下から、声が聞こえた。
「あっ! 姉上ぇ! やっと来た……って、なにそのカッコ!」
「まあ……色々あったのだ」
予想通り、空理恵は姉と合流できたようだ。
絆創膏の下の、空理恵の姉に切られた傷が、熱を持って――じわりと疼いた。
次の仕事の仕込みが終わっても、アズハは多忙だった。
雇い主に経過報告をして、スマホの追跡アプリを辿って日が暮れるまで歩くハメになった。
防毒マスクをつけ、マグライトを片手にアズハが踏み込んだのは、つくし市の地下にある大型共同溝だった。
下水道も兼ねたその一角に、大きな物体が引っかかっていた。
エイリアスビートルが半身を下水に浸けて、破損した肉体を再生させていた。
「カブトムシのオッチャン……生きてます?」
「なんとか……な」
倒れたままま、エイリアスビートルが答えた。
喉の部分はまだ再生しきっておらず、声もか細い。
なんとも頼りない。今にも息絶えそうに見えた。
「改造人間っちゅう割には、かなりしんどい感じに見えますけどォ……」
「南郷の使っていた銃の弾……あれのダメージは……なぜか治りが遅い……」
「で、治るんです?」
銃弾云々は問題ではない。要はエイリアスビートルはまだ戦えるかどうか、というのが重要なのだ。
駄目ならば、アズハの仕事もここまで。宮元園衛には個人的な恨みがあるが、所詮は仕事のついでだ。そこは区別して、割り切るのがプロだ。
カブトムシの怪人は、依然立ち上がる様子はない。
「傷は……治る」
「治るとしても、同じことの繰り返しじゃ結果は変わらんと思いますが?」
「同じ方法で別の結果を……求めるのは狂気……だな。俺は狂ってはいるが……ボケてはいないさ……」
ゆっくりと、関節を軋ませてエイリアスビートルは身を起こした。
水中に尻を付いて、マスクから蒸気を噴出した。
「アァァァ……俺は最強のAクラス改造人間……! その真髄をォ……見せて……やる」
エイリアスビートルの両肩の生体装甲が展開し、細いコード状の触手が構内の電気ケーブルに突き刺さった。
パチリと闇に火花が飛び、触手が脈動を始めた。
見れば、大体のことは察しがつく。電力をエネルギーとして吸収しているのだ。
「これで……パワーアップでもするんです?」
「奴の戦い方は覚えた……次は確実に殺せるように……この身を新たに錬成する……!」
エイリアスビートルの体表が音を立てて変質してく。色が茶褐色に代わり、全体が一体型に硬化している。さながら、カブトムシの蛹のようだった。
「まあ、それはええんですが……よりによってココでやるんですか? 様子見にくるウチとしても、ここは臭くって……」
「スマン……面倒をかける……」
「まあ、仕事なんでええですけど……。他に必要なモノとかあります?」
「口に入る太さの鉄の棒を……5、6本……」
妙な注文だ。鉄を食べるのだろうか。こればかりは、流石に何に使うかは想像できなかった。
「で、確実に南郷さんを殺れる、と」
「人間の覚悟は確率を凌駕する……。既に人間でない俺が勝つ道理は……。いや、それでも無理で道理を捻じ伏せるのだ……! 俺はそのために……」
もはや譫言めいた改造人間の声は、そこで途切れた。
肉体が完全に蛹と化して休眠状態に入ったようだった。
エイリアスビートルの安否を確認して、話も済ませた。アズハの今日の仕事はこれで終わりだ。
蛹を置いて立ち去ろうとすると、小さな声が聞こえた。
「一花……ああ……すまない……すまない……」
いちか、というのは誰のことだろうか。そこまではアズハも事情は知らない。
蛹の声は謝罪のようにも、嘆きのようにも聞こえた。
きっと、あの改造人間は悪夢を見ているのだろう。
起きていようが、眠りの中だろうが、同じ悪夢に捉われた怨霊のようなモノなのだろう。
「人間辞めても……難儀なモンやな。まるで呪いや」
そんな面倒臭いことを考えたら、自分まで面倒な事を思い出してしまいそうで、アズハは奥歯を噛んだ。
「あのババァ……次は殺す……。絶対に殺したるわ……」
頬の絆創膏を指で押し込む。
怨嗟の痛苦から解き放たれるには、怨嗟の源を絶たねばならない。
快楽の麻酔は所詮は一時の誤魔化し。心に根深き病巣は決して消えない。
闇の中の自分は、きっと蛹の中の男と同じ顔をしている。
過去の呪いに捉われているのは、アズハも同じだった。
ショッピングモールの周囲は相変わらず人だかりが出来ている。
発砲音や爆発音らしき音も聞こえて一時は騒然となったが、警察の応援も到着して事態は急速に収拾しつつあった。
電話やインターネット回線も復旧し、群衆は情報を個別収拾できるようになった。
「さっきのドカーンって音なに?」
「工事現場でクレーンが倒れたんだってさあ~」
いつの間にか、それらしい情報がSNS上に流されていた。
スマホから得られる辻褄の合う現実的な説明に納得して、事件に疑問を抱く人間はほとんどいなかった。
発砲音は近くのタワーマンションでパーティーを開いていた大学生グループがふざけてクラッカーを鳴らしたことの聞き間違いで、地震は計測機器の誤作動による誤報だという。
後者に関しては気象庁からの公式声明という、出所のハッキリした情報だった。
「なにそれ……そんなワケないじゃん!」
空理恵はただ一人、歪められた真実に声を上げた。
一瞬、何事かと幾人かが振り返ったが、人々はすぐに関心を失って私事に戻った。
空理恵はスマホを覗いて、街路樹に寄りかかった。
周りの人間は全員騙されている。仮に空理恵の見た出来事を発表したところで、妄想だと笑い者にされるだけだろう。
そう思うと、常日頃から陰謀論を叫んでは頭の可哀想な人扱いをされてきた学校の先輩、クローリクへの見方が大分変わってくる。
二重の意味で、厭な気分だった。
銃声と爆音はサザンクロスと改造人間との戦いの証だ。
それが消えたということは、戦いの終結を意味している。
どちらかが死に絶えた――ということだ。
不安になって、スマホで姉に何度も電話をかけてみるが、応答がない。
『おかけになった電話は、電源が入っていないか、電波の届かない所に――』
そんな自動音声のアナウンスは聞き飽きた。途中で切る。
「どうしちゃったんだよ、姉上まで……」
不安が膨らんでいく。厭な想像ばかり浮かんでくる。
そして無力感。自分が何も出来ない、ただの子供だという現実を突きつけられる。
劣等感。心身ともに強く頼もしい姉に比べて、どうして自分はこんなにも弱いのか。
なまじ事件の真相を知っているから、余計に周囲から孤立しているような気持ちになる。
何も知らないままなら、周りの一般人と同じでいられたのに……。
「どうしよう……」
心細い。
南郷や園衛を探しに行こうにもアテがない。下手に動いたら逆に二人が空理恵のことを見失って、余計に迷惑をかけるような気がする。
あと何時間、一人でいれば良いのだろう。
ずっと昔に味わった、迷子のような――
「あれ……?」
違和感が、ある。
昔? それはいつのことだ?
ずっと小さな頃、家族でお花見に出かけて山の公園で空理恵は迷子になったことがあると――姉の園衛が言っていた。
なんてことはない昔話。
でも、当の空理恵にはそんな記憶がないのだ。
姉の話を、いつの間にか自分の経験した出来事として錯覚している。そんな気がした。
そもそも、家族で出かける?
父と母は、まるで腫れ物のように自分を扱う。表面上は優しいのだが、どこか余所余所しいのだ。
運動会の競争で一位になった時も口では誉めてくれたが、まるで他人を見るような目だったのを憶えている。
風邪で寝込んだ時も、使用人に世話を申し付けるだけだった。直に額に手を触れてくれたのは姉だけだった。
そんな具合だから、家族そろって外出した記憶は一度もない。
それは単に自分が不出来な妹だから、期待されていない証拠だと思っていた。全ての才能が姉に劣る妹だから、どうでも良いと見放されているだけだと。
いつも姉や、その友人たちだけが、空理恵を外の世界に連れ出してくれた。
なのに、家族でお花見――?
なにか、おかしい。
「えっ……なに、これ……意味わかんな――」
記憶の堤にヒビが入る。
自分を作り上げている土台が壊れていくようで、本能で首筋が震えた。歯がガチガチと音を立てている。
錯乱状態の空理恵を、寸でのところで留める声がした。
「あらぁ? クリエちゃんやないの。どないしたん?」
聞き覚えのある関西弁の少女の声に顔を上げた。
先ほどボウリング場で会った、アズハと名乗る女子高生がいた。空理恵を心配そうに見下ろしている。
なぜかアズハの頬には、絆創膏が貼られていた。
「あれ……アズハさん……ほっぺ、どしたの……」
「ウチのことなんてどうでもええ! 具合悪いんか? どっかで落ち着こか?」
アズハは身を屈めて、空理恵の背中を優しく擦った。
自分より少し年上の少女に、姉と同じ思いやりを感じた。
「あっ……だいじょぶ……です」
「無理したらアカンで? てぇか、あのお兄さんはどこ行ってもうたんや? ったく、大人のくせに無責任やなあ~?」
「アニキは……大事な用事があったから……」
事情を知らないアズハに南郷を批難されたくない。
改造人間と戦うなんて、あの人にしか出来ないことだ。投げ出せない理由があるのだと、それくらいは空理恵にも分かる。
南郷を庇う空理恵の気持ちを察したのか、アズハは軽く肩をすくめた。
「クリエちゃんは、お兄さんのこと大好きなんやねぇ」
「好き……なのかなあ?」
初めて会った日に助けてもらってから空理恵はなんとなく南郷に懐いているが、どういう感情なのか特に考えたことはない。
手が届きそうで届かない微妙な距離感だとは思う。
無職で他人の家の世話になっている情けない大人であり、都市伝説の怪人の正体でもあり、絵空事の中のヒーローのようでもある。
「クリエちゃんにとって、お兄さんはどういう人なんやろうねえ?」
「うぅーン……」
「憧れの人なん?」
「うぅ~~ん……?」
アズハの問いに心を掻き乱されて、だんだんと変な気持ちになってくる。
「アタシが憧れてるのは姉上くらいだし……姉上に比べたら、アニキってお金もないし、スマホも持ってないし……」
「お姉さんのことは好きなん?」
「うん……」
「じゃあ、そのお姉さんは……お兄さんとはどういう関係なん?」
悪戯っぽくアズハが笑った。
まるで友人同士で恋の話をしているようなノリだ。
言われてみれば、園衛は南郷に妙に親密に接している。
『彼が欲しい』とは言っていたが、いやまさか、そんな関係になる要因はどこにも……。
空理恵はワケが分からなくなって、側頭部を抑えた。
「あーっ! もう、なにぃ!」
「あらら、ゴメンゴメン! クリエちゃん具合悪いのに、ちぃっと調子に乗ってもうたわ」
アズハは悪びれて何度も頭を下げてみせた。
空理恵も少し混乱しただけで、アズハに悪気がないのは分かる。
「いいよ、いいよ。確かにアタシ、アニキとは変な関係かもねっ」
「お兄さんもお姉さんも、尊敬できる大人なんやろねぇ。きっと嘘とか吐かへん、誠実な人やと思うわ~」
「そりゃ嘘とかは……」
言葉が詰まる。
南郷は兎も角、園衛の対しては疑念が生じていた。
園衛だけではない。宮元の家と自分との関係に違和感がある。
僅かな記憶の綻び、矛盾点は確実に空理恵に影を落としていた。
そんな些細な空理恵の変化を、アズハは一瞬で見抜いた。
「クリエちゃん、折角やし……SNSのID交換とかせぇへん?」
「ほぇ? SNSって……」
「ほら、シュリンクス。UKAちゃんの提携アプリや。もちろん入っとるやろ?」
シュリンクスというのは、世界的に尤も普及したSNSアプリのことだ。一般人も芸能人も政治家も企業もごく普通に使っている。
UKAとも公式に連携しており、空理恵もクラスメートたちもスマホにインストールしてある。
園衛は口酸っぱく信用できないから使うなと言っているが、そんなものは知ったことではない。
「はい! 別にだいじょぶですよ!」
「おおきに~♪」
空理恵とアズハがスマホでUKAアプリを開くと、画面内でアプリの名を冠する、巫女姿の美少女イメージキャラクターが音声ガイダンスを始めた。
『近くに UKAを使ってくれている 他のユーザーが いますね! お友達になりますか?』
画面上に〈はい〉〈いいえ〉の選択肢が表示された。
別に断る必要はない。友人や知人なら気軽にID交換するのは、今どき普通のことだ。
「はい、っと」
「は~い、ポチっとな♪」
スマホをタップすると、互いのUKAが同時に笛の音を鳴らした。マスコットキャラクターのUKAが楽しげに笛を吹いている。
『ID交換 完了しました! 今後は 無料通話や お友達だけのお喋りサービスを受けられます! 詳しくは このわたし UKAに聞いてくださいね! 全ての人に等しく とこしえの幸福を――』
口上が長いので、二人とも途中でスキップした。
「便利だけど、いちいちうるさいんだよなコレ~」
「ま、タダで使えるんやから広告みたいなモンやろ~」
アズハはフレンドリーに笑った。邪な意思などどこにも感じられない。
友達がまた一人増えたと、空理恵は疑わなかった。
「アタシ、もう大丈夫ですよ。アズハさんだって色々と用事あるだろうし……」
「ええ子やね~、クリエちゃんは~~っ! 若いのにこない気ぃ使えるなんて、ええお嫁さんになるで~~っ!」
「え~~っ! 結婚なんて全ッ然! 想像できないし~!」
「アハハハハ! ほな、なんかあったら、いつでも連絡くれてええで~。お姉さんが、な~~んでも相談に乗ったげるからな~♪」
アズハは手を振って、人ごみの中に消えていった。
空理恵から十分に離れた後、アズハはスマホの画面を消して、小さく呟いた。
「嘘は言っとらんで……クリエちゃんがええ子っちゅうのはな……」
柄にもなく言い訳がましい自分が厭になって、アズハは無意識に頬の絆創膏を指でなぞった。
忍として鍛えられた聴覚は、無数の人の声の中から情報を選んで聞き取ることが出来る。
もう見えないほどに離れた街路樹の下から、声が聞こえた。
「あっ! 姉上ぇ! やっと来た……って、なにそのカッコ!」
「まあ……色々あったのだ」
予想通り、空理恵は姉と合流できたようだ。
絆創膏の下の、空理恵の姉に切られた傷が、熱を持って――じわりと疼いた。
次の仕事の仕込みが終わっても、アズハは多忙だった。
雇い主に経過報告をして、スマホの追跡アプリを辿って日が暮れるまで歩くハメになった。
防毒マスクをつけ、マグライトを片手にアズハが踏み込んだのは、つくし市の地下にある大型共同溝だった。
下水道も兼ねたその一角に、大きな物体が引っかかっていた。
エイリアスビートルが半身を下水に浸けて、破損した肉体を再生させていた。
「カブトムシのオッチャン……生きてます?」
「なんとか……な」
倒れたままま、エイリアスビートルが答えた。
喉の部分はまだ再生しきっておらず、声もか細い。
なんとも頼りない。今にも息絶えそうに見えた。
「改造人間っちゅう割には、かなりしんどい感じに見えますけどォ……」
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「で、治るんです?」
銃弾云々は問題ではない。要はエイリアスビートルはまだ戦えるかどうか、というのが重要なのだ。
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カブトムシの怪人は、依然立ち上がる様子はない。
「傷は……治る」
「治るとしても、同じことの繰り返しじゃ結果は変わらんと思いますが?」
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ゆっくりと、関節を軋ませてエイリアスビートルは身を起こした。
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「アァァァ……俺は最強のAクラス改造人間……! その真髄をォ……見せて……やる」
エイリアスビートルの両肩の生体装甲が展開し、細いコード状の触手が構内の電気ケーブルに突き刺さった。
パチリと闇に火花が飛び、触手が脈動を始めた。
見れば、大体のことは察しがつく。電力をエネルギーとして吸収しているのだ。
「これで……パワーアップでもするんです?」
「奴の戦い方は覚えた……次は確実に殺せるように……この身を新たに錬成する……!」
エイリアスビートルの体表が音を立てて変質してく。色が茶褐色に代わり、全体が一体型に硬化している。さながら、カブトムシの蛹のようだった。
「まあ、それはええんですが……よりによってココでやるんですか? 様子見にくるウチとしても、ここは臭くって……」
「スマン……面倒をかける……」
「まあ、仕事なんでええですけど……。他に必要なモノとかあります?」
「口に入る太さの鉄の棒を……5、6本……」
妙な注文だ。鉄を食べるのだろうか。こればかりは、流石に何に使うかは想像できなかった。
「で、確実に南郷さんを殺れる、と」
「人間の覚悟は確率を凌駕する……。既に人間でない俺が勝つ道理は……。いや、それでも無理で道理を捻じ伏せるのだ……! 俺はそのために……」
もはや譫言めいた改造人間の声は、そこで途切れた。
肉体が完全に蛹と化して休眠状態に入ったようだった。
エイリアスビートルの安否を確認して、話も済ませた。アズハの今日の仕事はこれで終わりだ。
蛹を置いて立ち去ろうとすると、小さな声が聞こえた。
「一花……ああ……すまない……すまない……」
いちか、というのは誰のことだろうか。そこまではアズハも事情は知らない。
蛹の声は謝罪のようにも、嘆きのようにも聞こえた。
きっと、あの改造人間は悪夢を見ているのだろう。
起きていようが、眠りの中だろうが、同じ悪夢に捉われた怨霊のようなモノなのだろう。
「人間辞めても……難儀なモンやな。まるで呪いや」
そんな面倒臭いことを考えたら、自分まで面倒な事を思い出してしまいそうで、アズハは奥歯を噛んだ。
「あのババァ……次は殺す……。絶対に殺したるわ……」
頬の絆創膏を指で押し込む。
怨嗟の痛苦から解き放たれるには、怨嗟の源を絶たねばならない。
快楽の麻酔は所詮は一時の誤魔化し。心に根深き病巣は決して消えない。
闇の中の自分は、きっと蛹の中の男と同じ顔をしている。
過去の呪いに捉われているのは、アズハも同じだった。
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キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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