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第三話

剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ17

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 ショッピングモールの周囲は、避難した客で溢れかえっていた。
 誰かと連絡を取ろうにも、頼りのスマホやタブレットの類は全てオフライン状態で通信不能だった。
「なんで繋がんないんだよコレェ!」
「何やってんだよ消防はさあ!」
「ていうか、地震なんて全然起きてねーじゃんかよ! どーなってんだよ!」
 先程までの揺れが嘘のように平然とした屋外とのギャップ、何の情報も得られない焦燥と苛立ちが数千人の間に蓄積していく。
 放っておけばパニックになりかねない状況だが、園衛一人ではどうにも出来ない。人だかりを横目に、軽トラックで通り過ぎる。
 駅前の交番から来た二人の警官が、車道にまで溢れ出しそうな民衆を必死に抑え込んでいる。
「道路にはみ出さないでくださーーーい!」
「建物に近づかないで―――!」
 声を張り上げ、ホイッスルを鳴らして群衆を制止するのに手一杯だ。
 そのため駐車場への侵入経路は手薄で、園衛は隙をついて立体駐車場に潜り込んだ。悪いとは思うが緊急事態なので仕方がない。
 一階部分の片隅に軽トラを停め、荷台に〈タケハヤ〉を固定するロープを取り外した。
「私は命令できんらしいが……ロボットくん、一人で行けるか?」
 園衛が呼びかけると、〈タケハヤ〉は荷台の上でロボット形態へと滑らかに変型した。
 センサーユニットに光点が走査し、何かを探索しているような素振りを見せたかと思えば、無言で荷台から降りた。
 そして、立体駐車場の外に飛び出すと、両肩からワイヤーアンカーを射出。モールの壁面に打ち込むや、股間部のスラスターを吹かして上層階へと跳躍していった。
 一連の動きは滑らかで、整備が万全であることを証明していた。
 やはり、わざわざ小美玉分舎まで取りに行ったのは正解だった。
 園衛も、〈タケハヤ〉の後を追わねばならない。
「南郷くん……空理恵は大丈夫か……」
 口に出してみるが、南郷のことだから空理恵はとっくに避難させているだろう。
 彼は無関係な人間を私闘に巻き込んだりはしない。か弱い少女を傷つけるようなことも、絶対にしないと、園衛は信用していた。
 平面駐車場内に立てられた立体駐車場は、二階部分からショッピングモールまで露天式の連絡通路が伸びている。
 園衛は人目を避けて、そこから内部へ侵入することにした。
 厭な予感が、いや確信がある。
 南郷は何か、とてつもない厄介事の渦中にいる。姿を消した右大高次も、それに関わっている。
 だから、どうしたというのか。
 その程度は覚悟の上で、園衛は南郷を迎え入れた。
 巨大な運命に押し潰され、人生を破壊された彼を救いたい。彼にもう一度、人間らしい生活を取り戻してほしい。
 10年前、一つでも選択を誤っていれば、自分も彼のようになっていたと思う。全てを失っていたと思う。
 南郷十字は、宮元園衛の合わせ鏡のような存在――だからこそ、胸が焼け焦げるほどの共感を覚える。
「今さら、一人で何もかも背負い込むなど……許さないぞ、南郷くん」
 放ってなど、おけなかった。
 園衛は動きにくいタイトスカートの裾を破った。
 連絡通路まで、立体駐車場を駆け抜ける。
 通路に繋がる自動ドアは電源が落ちているが、開放されたままだった。つまり、誰かが先に手動でこじ開けたということだ。
 その当事者が、すぐに視界に入った。
 一般人の男性が三人、連絡通路に倒れていた。三人とも髪を茶髪や金色に染めて、腕にタトゥーを入れた、いかにも軽薄そうな見た目だった。
 園衛は足を止め、両手を下げて、構えなき構えを取った。
 いかなる状況にも対応できる無形の構えであった。
 通路の上には、切断された手摺や、砕かれたタイルが散乱していた。
 そして、異形の怪人が二体。
 エビに似た外観の怪物が、猫背の姿勢で、床のタイルをしきりに小突いている。
「ノック……ノック……ノック……ノックゥゥゥゥゥ……」
 うわ言のように呟きながら、エビ怪人は口から紫色の泡を吹いていた。
 もう一体は、カマキリに似た怪人だった。
 曲刀に似た武器を弄びながら、花壇に座っている。
「あら……またお客さん……かしら~?」
 女言葉だが、声色は男――有り体に言えば、オカマ口調だった。
 こちらの怪人は比較的理性があるようで、振る舞いにも知性が感じられた。
「お姉さ~ん、悪いコト言わないから、帰った方がいいわよん? 今、ここは立ち入り禁止なの。ホラーでバイオレンスなきぐるみショーの最中だ・か・ラ♪」
 お優しいことに、わざわざ警告してくれた。
 通路に転がっている三人は、その警告を無視した結果ということなのだろう。
 園衛は怪人との間合いを計りつつ、倒れている一人の様子を伺った。
 呼吸は……している。
「この人達に……何をした」
 この状況に動じず、質問を投げてきた園衛に、カマキリは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに平静さを取り戻した。
「ん~、そのボウヤたち、ドサマギでコソ泥するつもりだったんじゃない? すっごくイキり散らしてて元気良かったわよ~~? で、そこの彼がちょっと撫でてあげたのヨ」
 カマキリは首を上げて、彼――つまりエビ型怪人を指した。
「彼はシュリンプノッカーっていうんだけど、元はボクサーだったのヨ。結構いい線いってたんだけど、殴られ過ぎてパンチなドランカーで引退しちゃってね。だから、改造人間になった時は大喜びしてたみたいよ? 脳ミソも治って、またボクシングができるーって。でも、そんな夢もサザンクロスって奴に殺されて、ご・破・算♪」
「殺された……という割には元気そうだが?」
「体は元気よ? でもまあ、オツムがちょっとね……。人間相手には手加減しろって言ってあるんだけど、どこまで分かってくれてるんだか」
 カマキリが呆れたように肩をすくめた。
 シュリンプノッカーは、首を上下に振りながら、尚もぶつぶつと「ノック……ノック……」と呟いていた。
 園衛が察するに、この怪人は……いや、改造人間は以前に南郷が倒した個体なのだ。
 それが、なんらかの理由で復活した。
 だが、復活には代償があるらしい。シュリンプノッカーの知性の欠けた有様が、それを証明している。
 カマキリは、はっとして口のあたりを抑えた。
「おっと、イケナイイケナイ。関係者以外に話すぎちゃったワ。相方がこんなんだから、ちょーーっと寂しくってねん♪」
「説明ご苦労。だいたい分かった」
 園衛はゆっくりと、前に足を運んだ。隙のない、摺り足のような動きだった。
「あら……お姉さん、話聞いてなかった? それ以上くると……ケガするわよん?」
 カマキリの再度の忠告。
 それに対して、園衛は切り裂くような眼光を以て返した。
「私は気が立っている。折角の休日を台無しにされたのだからな……」
 一般人を巻き込んだ改造人間どもに怒っている。
 そして、南郷とのデートを台無しにしてくれた改造人間どもに憤っている。
 煮えたぎるマグマのごとき激情を冷たい殺意に隠し持って、園衛は通路の真ん中を堂々と進んでいった。
 接近に気付いたシュリンプノッカーが構えを取った。
 ボクシングのファイティングポーズだった。ボクサーらしく、頭が萎えても体が覚えているのだろう。
「素手でそいつとやり合う気? 女のヒスで突っかかると、マジで死んじゃうわよ?」
 カマキリの再三の忠告。
 それを無視して、園衛は流れるような動作で、切断された手摺を拾った。
「痴れ者に――刀はいらぬ」
 歩みを止めず、むしろ加速をかけて、園衛はシュリンプノッカーの間合いに入っていった。
 シュリンプノッカーがハサミの拳を振り上げて迎撃体制を取る。
「ノックゥ!」
 ヒュンッという空裂音と共に、カミソリのごとき右フックが撃ち出された。
 直撃すれば人間など吹き飛ぶ打撃だった。一撃で骨は砕け、内臓が潰れ、園衛の体は壁に叩きつけられて、力なく横たわる――
 そんな未来は、訪れなかった。
 園衛はフックの真下を掻い潜り、シュリンプノッカーの腹に銅抜きを決めていた。
 摺り足からの加速に変化をつけて間合いを撹乱し、紙一重でフックを回避。同時に敵の懐に潜り込んでのカウンター。
 だが、女の細腕ではパワーが足りない。そして得物は中空の手摺。切れ味などあるわけがない。
 常識的に考えれば、園衛に改造人間を倒す術はない。
 だというのに、バシン! という異様な破裂音がシュリンプノッカーの体内から響いた。高電圧の電流に生物が触れたかのような衝撃音だった。
「エ……オォ……」
 シュリンプノッカーは短い呻き声を上げて、崩れ落ちた。
 体表がひび割れ、瞬く間に石灰化していく。
 園衛は何事もなかったように、手摺を下段に構えて前進した。
「えっ、まっ……マジで……? どっ……どうなってんのよ! なにしたのヨ、アンタ!」
 カマキリが狼狽えて姿勢を崩した。
 驚くのも無理はない。ただの人間が、ただの手摺の一振りで改造人間を倒したのだ。非常識すぎる。非常識な改造人間がそう思うほどに、宮元園衛は常識外れだった。
 本来なら答える義理はないのだが、カマキリが色々と喋ってくれたことのお返しもこめて、園衛は口を開いた。
「お前らは腹の中に電磁波をくらうと死ぬと聞いた。若いころにお前らと似たようなバケモノと戦ってた経験があるのでな。それと同じことを試した」
 奇しくも、電磁波攻撃は妖魔に対しても有効な攻撃手段だった。
 その電磁波と近似した波長を浸透させるのも、同様の効果を発揮する。
 園衛が行ったのは、気功による生体波動の浸透攻撃だった。園衛ほどの熟練者ならば、素手だけでなく武器を通しての波動浸透も容易い。
 かなり省略した説明だったが、カマキリは納得したように笑った。
「ホホホ……なるほど。その口振り、その太刀筋……アナタが宮元園衛ってワケ」
 先程までのふざけた口調が、いくらか緊張を帯びていた。
 カマキリは花壇から降りて、曲刀を握った。
「ワタシはシミターマンティス。これでも、人間だった頃は剣術をたしなんでてネ……」
 シミタ-マンティスが諸手で曲刀を握り、体の正面中央、正中線に重ねるようにして構えた。
「人殺しの剣術なんて、今の時代には不要でしょ? だから、色々と悶々としてたのヨ。自分の生き甲斐が誰にも評価されないって、辛いもの。でも改造人間になって、サザンクロスみたいなのと命をかけて戦えて……それなりに楽しかったワ」
「お前の自分語りなど聞いていない」
 冷たく突き放しつつも、園衛は蜻蛉に構えて剣に応えた。
「そうネ……。剣者ならば、剣と剣で語り合いましょ……」
 シミタ-マンティスが、じり……と地を擦って僅かに前進した。
 園衛の足が止まる。迂闊に間合いを詰めれば、逆に斬られる。そういう使い手だと悟って、打ち込む隙を伺い始めた。
 数十秒間、女と異形が静止していた。
 1分にも満たない時間が無限にも感じられる殺界に、綻びを作るのは天然自然の風の一吹き。
 ビルの隙間に冷たい風が吹き下ろしたのを合図に、園衛とシミタ-マンティスは同時に打ち込んだ。
 互いの正中線を狙った一閃は、身体能力に勝るシミタ-マンティスが僅かに早かった。強化された生物としての基本性能は。園衛の極限の集中すら上回っていた。
 たとえ僅かな差であっても、真剣勝負においては生死を分ける決定的な差となる。
 シミタ-マンティスの曲刀は、あっさりと手摺を切断し、その向こうの園衛の肉体を両断していた。
 正確には――園衛の肉体の残像を、斬っていた。
「な――」
 驚愕するシミタ-マンティスが二の太刀を繰り出す間は無かった。
 園衛は肉薄の間合いに入った瞬間、手摺を手放し、円運動でシミタ-マンティスの背後へと回り込んでいた。
 そして、両手の掌底を背中へと叩き込んでいた。
「無刀討魔術……鍾馗(しょうき)!」
 技の名前を告げるのは、死にゆく剣者へのせめてもの手向け。
 生体波動がメガスの腕輪のチップを破壊し、勝敗は決した。
 シミタ-マンティスは曲刀を通路に突き刺すような形で、崩れ落ちていく。
「お見事……。二度死ぬのも……ワタシはとっても満足ヨ……」
 剣者としての生き甲斐を燃やし尽くして、改造人間は灰となった。
 残されたのは、一本の曲刀のみ。
 人としての名も知らぬ異形だったが、手合せした園衛はその剣境の深さを良く理解できた。剣と剣の語らいは一瞬あれば十分が過ぎる。
 出会いも別れも、もう済ませた。
 骸に一瞥もくれず、園衛は先を急ごうとした。
 その時、頭上から拍手が聞こえた。
「ハッハハハ……中々ええ見せ物でしたわぁ~♪」
 関西訛りの少女の声。
 見上げれば、5メートルはある日除けのテントの上に学生服姿の派手な少女が座っていた。
 日焼け肌に金髪、ピアスやカラーコンタクトで飾り立てた、見るからに遊び人然とした少女だったが、只者ではないと園衛は感じた。
 現に今の今まで、全く気配を感じなかったのだ。
「何者だ……」
 言葉で斬りつけるかのように、園衛が問うた。
 少女は腰を上げて、テントから飛び降りた。そして衝撃を感じさせぬ、猫のようにしなやかな着地。ごく細いワイヤーを伝っているのが見えた。
 使う道具も、身のこなしも、明らかに素人ではない。
「忍びの者か」
 園衛の指摘に、少女はパチリと指を鳴らした。
「ご明察。ウチは、この業界ではアズハっちゅう名前で通っとります」
「誰に頼まれた」
「ハ、そんなん言うと思います?」
 状況を鑑みれば、アズハが騒動に絡んでいるのは明白だった。当然、雇われの忍者が敵である園衛に白状するわけがない。
 飄々とした態度のアズハだったが、その笑いは次第に熱を帯びていた。
 道化の仮面の下から滲み出る別の感情が、顔を覗かせ始めていた。
「く……くくくくく……いや、なんつうか宮元さん……アンタの顔見てるとマジでハラワタ煮えくりかえってきますわあ……」
「何のことだ」
「そういうスッとぼけた顔されると、余計に腹立つんですよねェ……。自覚のない加害者って……分かります?」
 アズハは園衛を睨みながら、ツーサイドアップの髪を弄った。苛立ちを少しでも発散させる代償行為のように、金髪を指に絡めて。
「ウチなあ……生まれは土師部の工房なんや」
 急速に凍結したような声色で、アズハが言った。
 土師部――その名前が、園衛の脳の奥に響いた。厭な音を立てて響いた。10年前の傷痕をこじ開ける、10年ぶりに聞いた名前に、視界がぐらりと揺れた。
「な……に……」
 園衛は、敵の前で見せてはならぬ隙を作ってしまった。
 ほぼ同時に、アズハが左手から何かを投げた。細い棒型の手裏剣だった。
 園衛は辛うじて回避したが、服の腕の部分が切り裂かれた。
「ハハッ! 精神攻撃は基本やでぇ、オバハン!」
 動揺した園衛へと、アズハが手裏剣を連射する。一定の間合いを取ったまま、腕を左右に、縦に、十字に振っての手裏剣の連続投射。尋常の技量ではない。
「くっ!」
 園衛は低い姿勢で通路を転がるように回避しながら、得物を探した。素手で切り抜けるのは不可能な相手だった。
 目についたのは、シミタ-マンティスの使っていた曲刀。依然として通路に突き刺さっている。
 武器は改造人間の一部ではないのか、あるいは剣術者としての想念が現世に留まっているのか、今はどうでも良い。使える武器と判断して、園衛は曲刀を引き抜いた。
「お前の剣、しばし借りるぞ!」
 今は亡き持ち主に断りを入れ、園衛は曲刀を構えて打って出る。
 正中線に刀身を沿えた防御体制で、アズハへと突進。手裏剣の連射は刀身の反りで弾く。
 アズハが後退するよりも、園衛の接近する速度の方が速い。
 園衛は刀の間合いにアズハを捉えるや、最短の打ち込みを一閃した。威力はないが、スピードのある斬撃で動きを止めるつもりだった。
 迸るは、翡翠色の火花。
 カシン! という、やけに軽い衝突音の中で、園衛は己の打ち込みが押し止められた瞬間を見た。
「なにいっ!」
 アズハが竹刀ケースから逆手に引き抜いた、異様な刀が剣戟を弾いた。
 透き通る翡翠色の刀身をした、やや小振りの刀。形状は日本刀に近いが、それが尋常の刀剣でないことは明らかであった。
「変幻忍者刀、次蕾夜(じらいや)……! 時代遅れのナマクラとはちゃうでぇ!」
 アズハの切り返しが、園衛の刀を上方向に弾き飛ばした。
 手に伝わる衝撃、金属の削れる感触。
 見なくとも、園衛には分かった。曲刀の刀身が零れている。強度で負けている。
 いや、負けているのは武器の性能だけではない。
 アズハが二撃目を繰り出すのに、園衛の体が追いつかない。目では追えても、体の反応が間に合わない。捌き切れない。
(私も……耄碌(もうろく)したかッ!)
 悔しいが認めざるを得ない現実だった。いかに優れた達人といえども、肉体の衰えには抗えない。反射神経の鋭さは、技量では埋められない。
 翡翠色の横一閃が、園衛の腹部を切り裂いた。
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