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第三話

剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ7

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 山中の廃墟での出来事から二日後の火曜日。

 夕刻、宮元園衛は病院の診察室にいた。

 ここ、北島つくし病院は宮元家の関係者が経営している。妖魔と戦っていた10年前までは戦闘での負傷者を優先的に受け入れていたこともあり、ワケありの患者の扱いには馴れていた。

 園衛は今、そのワケありの入院者について担当医から説明を受けている。

「園衛様、一昨日お預かりした彼のことなんですが……」

「何か気になることでも?」

「ええ、まあ……」

 中年の担当医は、やや困惑した様子でレントゲン写真を提示した。

「彼の右腕、注射針が刺さらないんですよ。それでどういうことかと撮影してみたんですが……」

「うん……?」

 園衛がレントゲン写真を凝視する。

 X線で透過撮影された右腕の内部には、人体とは異なる金属フレームの骨格構造があった。

「彼の右腕、精巧な義手ですよ。チタンフレームに人工筋肉と人工神経を使ったタイプで……」

「それは、珍しいので?」

「技術自体は左程目新しいものではありません。先進医療ではこのタイプの義肢は普及しつつあります。あと、彼は右目も義眼のようです。義体の性能自体は、バランスを考慮して生身と同程度に調整されています」

「ふむ……」

 思った以上に複雑な事情のある人物のようだ。

 さりとて、ここで彼の素性について議論を交わしても意味がない。

「彼の容態は?」

「全身に軽度の打撲。それと極度の疲労と免疫能力の低下が見られます。特に肝機能がかなり衰えています。恐らく、義体への拒絶反応のせいですね。本来、服用すべき薬をかなり長期間飲んでいないようです」

「生命に危険は?」

「とりあえず、薬は処方しておきましたので安定はしています。ですが、本格的な治療はサイバネティクス医療の専門家にお任せしないと……ダメですね。ウチには担当医がいませんので……」

 一通りの説明を受けて、園衛は入院病棟に向かった。

 件の患者は、個室病棟のある三階に入院している。

 廊下を端まで進んだ行き止まり、非常階段に近い個室の前で、園衛の足が止まった。

 部屋番号は321。患者の名前をかける欄は空欄となっている。

 ドアにノックをすると、中から返事があった。

「はぁい」

 聞き慣れた妹の声だった。



 男は、暗闇の中にいた。

 目を開けているのか、閉じているのか分からない。

 恐らく自分はもう死んでいる。

 全身は鉛のように重く、生温い倦怠の泥沼へと沈んでいく。

 頭の後で、声がする。

 〈死ねば……楽になると思ったあ?〉

 嘲笑う女の声。

 もう二度と聞きたくない女の声。いつまでも忘れられない女の声。

「さあ……どうだろうな」

 返事をすると、闇の中で女が首を肩に乗せたのが分かった。

(死んだら……また私に会えるとか思ってた? ねえ、思ってた? バカじゃないのアンタ! キャハハハハ!)

 嘲笑う女の、懐かしい声。

 ぬたり、と肩から生温い血が滴る。女の長い髪が体にまとわりつく。

「実際、会えたじゃないか……。まあ、どうでも良いがね……」

 役目は終えた、復讐は終えた。だから、もう生に未練はない。

 このまま一緒に奈落に落ちていくのも別に構わない。

 希望なぞとうの昔に消え失せている。地獄は飽きるほど見てきた。死の先に更なる苦しみが待っているとしても、生きていた頃よりはマシだろう。

 そうして、男は考えるのを止めた。

 頭のすぐ近くで、声がする。

(ね、そろそろ起きなよぉ)

 甘く、くすぐったい、懐かしい少女の声。

 もう二度と聞きたくない少女の声。いつまでも忘れられない少女の声。

 男は、少女を取り戻すために人生を投げ捨てた。

 それでも結局、取り戻せなかった。

「勘弁してくれよ……」

 憔悴しきっていた。疲弊しきっていた。

 よりによって、彼女の声で起こすのは止めてくれ。耳を閉じたいが、腕が動かない。

 冷たい女の声と、温かい少女の声が、同時に囁く。

(まだ、ダメ♪)

 それを最後に、男は苦界に引き戻された。

 目を開けると、薬臭い部屋。男はベッドに寝かされている。

 傍らに、知らない少女が座っていた。どこかの学生服を着ているが、それも初めて見る。

「あっ……起きた。お兄さん起きたぁ!」

 いや、この少女は知っている。名前はなんといったろうか。

 寝起きで混濁する意識の中、最初に出た言葉は

「なんで生きてんだ……俺」

 驚きとも失望ともつかない、力なき呟きだった。



 宮元空理恵は思わず歓声を上げてしまった。

「よかったあ! もうホント、どうなるかと思ったんだからあ!」

 空理恵は椅子から飛び上がって。無邪気に跳ね回った。

 病室で大声を出して騒ぐという慎みのない行動に、園衛が咳払いをした。

「……空理恵」

「あっ……そうだ。ここ病院……ごめん」

 空理恵は照れ隠しに頭を掻きながら着席した。

 ベッドの上で目を覚ました南郷は、苦しげに上体を起こした。

「あなたは……? それに、ここはどこだ」

 かなり警戒されている。

 彼はそういう身の上なのだな、と園衛は察した。

「私は宮元園衛。空理恵の姉です。ここは私の知人が経営している病院です」

「フン……生憎と入院費は出せませんぜ」

「それはご心配なく。妹を危うい所で助けて頂いたのです。この部屋も、治療費も、そのお礼と思ってください」

 掛け値なしに感謝を述べたわけだが、依然として南郷は警戒を解かない。

 周囲をさりげなく観察しつつ、いつでもベッドから起き上がれるように姿勢を整えているのが分かった。

「それは、わざわざどーも……」

 南郷はベッドに手をついて、園衛との間合いを計っている。その動きで園衛は分かった。

 いざとなれば、彼は空理恵を人質にしてでもここから逃げ出す気なのだと。

 そこまで疑われているのは些かショックではあるが、それ以上に南郷への同情の方が強い。

 南郷は、ここまで追い込まれるような人生を送ってきたのだ。

 園衛には、彼の姿は傷だらけの狼のように映った。

 ふと、南郷の右目が閉じかけいるのに気付いた。目を細めてピントを合わせようとしているのか。

「あれ、お兄さん、その目どしたの?」

 空理恵もそれに気づいたようだ。

「ああ……少し目が……疲れてるみたいだ」

 南郷は上手く誤魔化してみせた。

 恐らく、義眼の機能が限界にきているのだろう。

 彼には治療が、そして休養が必要なのだ。彼は疲れ果てている。これ以上、戦わせてはいけない。

 園衛は膝の上で手を握った。口には出さずとも、強く決心した。

「南郷さん」

 彼の名を呼ぶ。そして立ち上がり、園衛は深々と頭を垂れた。

「此度は不肖の妹が、大変なご迷惑をおかけしました。謝罪と共に改めて、お礼を申し上げます」

「ン……ああ」

 園衛が自ら頭を下げたことが意外だったのか、南郷は言葉を濁した。

 姉に釣られるように、傍らの空理恵もパッと頭を下げた。

「ホントもう……色々とゴメンでした、お兄さん! アタシもめっちゃ反省してる……」

「だから……俺がこうなったのはキミのせいじゃ……」

「『キミ』じゃなくって、アタシのことは空理恵でいいよ!」

 反省云々と言った傍から、空理恵は馴れ馴れしくグイグイと南郷の心と体に距離を詰めていった。

 表裏のない年下の少女を無碍に出来ず、南郷は戸惑っていた。

「ああ……その、なんだ……空理恵ちゃん」

「ク・リ・エ! 呼び捨てでいーのっ!」

 間近に迫った空理恵の純粋な視線から、南郷は気恥ずかしそうに目を逸らした。

 彼は根本的に善人なのだと。園衛は確信していた。

「空理恵、彼はケガ人だぞ」

「あっ……そうだね。ゴメン……」

「私は彼と少し話をしたい。お前は先に車に行ってなさい」

 やんわりと人払いをしたわけだが、空理恵は額面通りに受け取ったようで、椅子から飛び上がると

「じゃーね、お兄さん! アタシ、学校終わったら毎日くるから!」

 一方的に病院見舞い通いの宣言をして、病室から出ていった。

 今や、部屋には二人きり。

 南郷と園衛との間に、緊張した空気が充満した。

「さて、南郷さん。あなたのことを少し聞きたい」

「尋問でもする気かい?」

「妹の恩人に礼を欠くような真似はしないよ」

 それは園衛の本心であるが、南郷は疑っていた。

 不信感を露わに、病室を睨むように見渡した。

「監視カメラはないようだが……」

「どうして、そこまで疑り深い?」

「俺は金持ちだの権力者だのは反吐が出るくらい嫌いでね」

 園衛も空理恵も家のことは一言も口にしていないはずだが、南郷は言い当ててみせた。

 この設備の整った小奇麗な個室は一日の使用料だけで1万円を超す。南郷の特殊な体に対する医療費を含めれば相当な額になるだろう。それを、妹の恩人というだけで素性の知れない男に謝礼として容易く提供するのだ。

 加えて、園衛の身なりと丁寧な物腰。

 南郷は状況を鑑みて、園衛がどんな相手かを分析したというわけだ。

 大した洞察力だと、園衛は表情には出さないものの、正直感心していた。

「どうして、そこまで毛嫌いする? 理由があるのか?」

「人の身の上なんてペチャクチャ喋るもんじゃないだろ。俺の人生は売りモノじゃない」

 予想以上に、南郷の壁は分厚い鉄で出来ているようだ。

 園衛は鼻で軽い溜息を吐くと、先程まで空理恵の使っていた椅子に座った。

「では、身の上の交換といかないか?」

「はあ?」

「私も自分の人生を話す。だから、キミも教えてほしい」

 赤心を推して人の腹中に置く、という言葉がある。

 嘘偽りない己の真心を晒せば、相手も心を開いて信頼を築けると園衛は信じている。

 だが、南郷は顔を背けて鼻で笑った。

「釣り合わない一方的な契約だな? アンタの人生なんかにゃ興味ないよ。それに、口ではなんとでも言える。その手にゃ乗らないよ」

「やれやれ、捻くれているなキミは」

「俺はそういう人間だよ。アンタは他に適当なカモでも見つけて話相手にすれば良い」

「私が、キミを懐柔する気だと?」

「他に、俺みたいなフーテンに親しげに話しかける理由があるか? アンタみたいなお高いお嬢様がよ」

 完全に取りつく島もなかった。

 南郷が園衛に向ける視線は、敵意と不信に満ちていた。ともすれば、憎悪すら感じる。光のない、昏く澱んだ瞳だった。

 自嘲するように、南郷は薄く笑った。

「心配しなくても、俺はすぐに出ていくよ」

「心配だと……。私は――」

「こんな小汚い野良犬を妹が拾ってきて、迷惑だろう? しかも飼い慣らすのも無理ときた。こんなのが恩着せがましくタカってきたら洒落にならないよな」

「違う! キミは誤解している!」

「俺を助けるなんて……余計なお世話だった」

 最後の言葉が、園衛の胸を抉った。

 感極まって、園衛は無意識に南郷の手を握っていた。

「妹は……余計なことをしたのか?」

「ちょっと、アンタ……」

 唐突に園衛に触れられて取り乱す南郷。

 園衛は哀しげに南郷の目を見つめていた。

「人を救うことは、間違ったことなのか? 妹には、そんなことを言わないでくれ……」

「あの子を……傷つけるようなことはしない。だがな、園衛さん。世の中には、生きるのがイヤになっちまった人間もいるんだ。これ以上生きてても意味ないって……自分で思ってる。そういう奴も……」

「死が、救いだとでも?」

「俺に……救いなんてあるもんか」

 南郷は園衛の手を振り払い、窓の外に顔を背けた。

「くだらねぇよ、本当……。俺は終わった人間なんだ。関わっても、厭な思いになるだけ」

「妹は、そうは思っていない」

「どうせ、すぐにサヨナラ。俺のことなんて、思い出になってすぐに忘れる……」

「私も、そんな風には思っていないよ」

「ああ、そうかい」

 歩み寄ろうとする園衛を突き放して、南郷は布団を被って寝転がった。顔は園衛を見ようともしない。

 もう会話ができる空気ではなかった。

 一見、南郷の態度は不貞腐れているように見えるが、彼の絶望はより深いのだと園衛は予感していた。南郷の過去を知るまで、結論は出すべきではない。

 園衛は身を引いて、椅子から立ち上がった。

「また来るよ、妹も一緒に」

「ああ、そう」

 ここで彼を見放すわけにはいかない。

 自分が見放してしまったら、誰も彼を救えない。こんなことを口に出したら、それこそ南郷に傲慢だ思い上がりだと怒られるだろうから、決して口には出さない。

 決意を抱え込んだまま、園衛は病室を出た。

 そして、駐車場まで無言で歩いた。

 車の助手席には、空理恵が先に乗っていた。

 運転席に乗り込むや、空理恵がズイっと身を寄せて、無邪気に話しかけてきた。

「ね、姉上! お兄さんとなに話してたの?」

「ン……」

 正直に答えたら、妹の期待を裏切ることになる。きっと落胆して、思い悩むだろう。

 だから、園衛はキッパリと、ここまで腹に押し込んでいた己の本心を吐き出した。

「私は……彼が欲しい」

「えぇっ?」

「彼を、南郷を苦しみから救い出す。私は……そう決めたぞ」

 額面通りに解釈すれば、かなり難解で誤解される物言いであったが、妹である空理恵はポンと手を叩いてアッサリと得心した。

「つまり、ウチで面倒看たいと」

「ま、まあ……そういうことだな」

 分かり易く感情を通訳されて、園衛は照れ隠しに鼻を掻いた。
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