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第三話
剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ3
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「サザンクロス――という都市伝説を知っているか」
また、クローリク・タジマが急に意味の分からないことを言い出した。
ある日の放課後、空理恵と同級生のソーカル・ザラトイは運悪く、高等部のクローリクに廊下で捕まってしまった。
クローリクは高等部一年生。ロシア系のクォーターで、銀髪の長身美少女である。
捕まったのが男子生徒なら感激の渦中に陥るだろうが、空理恵たちは正反対の辟易であった。
ソーカルは、すかさずスマホで〈サザンクロス 都市伝説〉で検索。大手検索エンジンは一瞬でその正体を明らかにした。
「サザンクロス……黒服の怪人が人気のない廃墟で怪物と戦っている都市伝説。怪人は怪物と人間の内臓を奪い合っている……だってさ」
「内臓ぉ? もつ鍋とか好きなの?」
空理恵はソーカルのスマホを覗きこむ。
そこには、誰が描いたものなのか、グロテスクな怪人と怪物が死体の臓物を奪い合い、食らいつくイラストが掲載されていた。
サザンクロスなる怪人の首には、赤いマフラーが巻かれている。
「なにコレ? マフラーなんて付けてるけど」
「人間の生皮で作ったマフラーだって」
「うげぇ~……」
悪趣味な設定に、空理恵は舌を出して嫌悪感を示した。こういう直接的に視覚にくるホラーはあまり好きではなかった。
「コラッ! お前ら、そんなホイホイとスマホに頼るなッ! もう少し自分の頭で考えんとなあ……」
クローリクは自分が解説するつもりだったらしい。出鼻を挫かれて情報化社会に八つ当たりしている。
プンプンと説教を垂れる煩い先輩は放置して、空裏恵はソーカルと一緒に都市伝説のサイトを覗いた。
「サザンクロスって、なんでサザンクロス?」
「怪人の目は闇夜で赤い十文字に光るんだって。でも、片目を無くしてるから十文字は欠けて見えるんだってさ」
「それじゃ十字星じゃなくてT字星じゃね? もしくはト星」
「さあ? そういうツッコミはこの設定考えた奴に言いなよ」
突き放すように言って、ソーカルはスマホのブラウザを閉じた。興味など最初から無いようだった。
一方、クローリクは目を輝かせていた。
「都市伝説の裏には事実が隠されている! 私が考えるに、このサザンクロスというのは自衛隊の作ったサイボーグ兵器! 恐らく陸自で使っているパワードスーツ、11式倍力作業服のプロトタイプで――」
陰謀論の彼方に飛躍するクローリクを余所に、空理恵はソーカルに耳打ちした。
「パイセンはああ言ってるけど……」
「元ネタは昔からある怪談の類。それに軍オタやホラーオタクが好き勝手に設定追加して、クローリクみたいな陰謀論者がどんどん話のスケールを勝手に大きくしてく。良くあるパターンよ。検索すれば、どっかの掲示板で書かれたラノベみたいなサザンクロスの小話でも出てくるんじゃない?」
と、ソーカルは極めて冷徹に夢を切り捨てた。
こういう冷たい分析をダイレクトに言うとクローリクを落胆させるか激怒させるだろうから、彼女に聞こえない程度の小声で。
未だに夢に酔うクローリクは講釈を終えると、ずいっと空理恵たちに接近してきた。
「今度の休み、このサザンクロスの調査に行こう!」
「えぇ~~……」
空理恵はドン引きの悲鳴を上げた。
あまりにも身勝手な陰謀の沼への誘いである。
クローリクは悪い人ではないのだが、時々こんな具合に無限大の夢に向かって暴走を始める。
「またぁ? この前は恐竜の調査とかで海まで行って、立ち入り禁止の場所まで入って……」
「警察に捕まってたわよね。あんた」
ソーカルが事実を突き詰めると、クローリクは悔しげに喉を鳴らした。
先日に起きた重要港湾での重機暴走事故。クローリクはネットの噂から、真実は怪獣の上陸によるものと判断して閉鎖された港湾区画に侵入。挙句に警察のお世話になったのだ。
「くッ……その通りだ。だが、ああも厳重な警備体制が敷かれているのは何故だ? ただの重機の暴走であんな警備が必要だろうか? やはり真実は隠蔽されているんだよッ!」
クローリク、聞く耳持たず。
ちなみに、事件当時に空理恵とソーカルも同行させられていたが、「いくぞお前達ッ!」と先頭を切って港湾に侵入したクローリクを放置して逃走したので難を逃れている。
空理恵はソーカルに耳打ちした。
「パイセン、頭いいはずなのにどぉーしてこうなっちゃうのかなあ……」
「知能と判断力はイコールじゃない。頭良くても拗らせちゃう人はいるのよ」
成績でも容姿でも高等部一年でトップクラスなクローリクの、唯一残念なところであった。
とはいえ、無碍するのも可哀想なので、空理恵とソーカルはやんわりと断ることにした。
「ごめんパイセン! 今度の休みは出かける予定が入っててさ」
「あたしもパス。また今度、暇な時に付き合ってあげる」
嘘は言っていない。実際、空理恵は次の日曜に遠くまで出かけると前から決めてあるのだ。
クローリクは基本的には善人だ。気分を害するほどしつこく勧誘することはせず
「ふむ、そうか。じゃあ仕方ないな」
とアッサリ引き下がった。
と思いきや、新たに不穏な動きを始めた。
スマホを取り出し、どこかに電話をかけている。誰に。
「もしもし、私だ。ちょっと良いかな、東少年。実は頼みたいことがあるんだ。実は今度の日曜――」
いや、誰に電話をかけていても知ったことではない。
これは逃げるチャンスだと、空理恵はソーカルとアイコンタクトを交わした。
音を立てずにゆっくりと距離を取る二人の後で、クローリクの電話は妙な方向に脱線しつつあった。
「えッ? 電話が誰に代わるって? おい、ちょッ……なんで貴様が電話に出てくるんだ! 青少年をたぶらかしてるのは貴様の方だろこの淫魔め! 私は東くんと話をして――ッて、切るなーーーッ!」
冷静に見てみると、小さな板切れに向かって会話するというのは妙な光景だなと思いながら、空理恵は階段を降りた。
クローリクがその後どうなったかは、気にしないことにした。
数日後の日曜日、まだ太陽が空の天辺まで上がり切らない朝。
空理恵は電車に揺られていた。対面座席のローカル線である。向かいの席では、ソーカルが外の風景を眺めていた。
外は赤と黄色に染まった山々と谷川。
今朝は早起きして、群馬県まで電車を乗り継いで、この渓谷路線に乗ったのだった。
ソーカルの荷物はバッグ一つだが、空理恵は大きなリュックを足元に置いていた。他の乗客には同様に大荷物のハイカーの姿もあるが、空理恵の目的は登山ではない。
空理恵はスマホで〈廃墟 群馬県〉で検索。すると、スマホにプリセットインストールされていた支援AIアプリがGPSと連動して最適な画像と地図を表示してきれた。
『足尾本山保養センター。医薬庁の保養施設として運営されていましたが、医薬庁の廃止、再編に伴い7年前に閉鎖されています』
アプリが透き通るような少女の声でテキストを読み上げた。いかにも国立の保養所らしい面白みのない四角いホテルが件の保養センターだ。アングルや撮影年代も異なる複数の画像も表示される。
『近年は廃墟マニア探索対象として取り上げられていますが、危険な薬品が不法投棄されている可能性もあり、安易な訪問は――』
「分かった分かった。気をつけますよっと」
AIの余計なお節介を途中で切って、空理恵はアプリを閉じた。
このアプリは完全に閉じるまでに妙な間がある。いつも名残惜しそうにアプリのタイトルを表示して、テキストで〈UKAはいつもあなたの暮らしをサポートします〉と宣言するのだ。
便利だが、ちょっと鬱陶しい気もした。
「楽しい? 廃墟探索って」
ソーカルが風景を見ながら聞いてきた。
「楽しいっちゃ楽しいよ」
「どの辺が?」
「普通じゃ行けない所、ここではないどこか。そういう場所に行くって、なんかワクワクしない?」
「要は自分探しの一環ってワケね」
そんな分析をされても、空理恵には実感がない。
廃墟探検はゲームみたいなものだ。モンスターも出ないし宝箱もないダンジョンRPGだと思っている。当然、不法侵入なので悪いことだ。姉にバレたら絶対に怒られる。
いや、もしかしたら最初からバレているのかも知れない。
今日も出かける間際に
(危険なことはするなよ)
と言われた。
黙認された上で、節度を守れと釘を刺されているのかも知れない。
これはタブーを犯して、落ちる一線の手前でウロウロする火遊びだと思うと、背筋がゾクリと快感に震えた。
こんなスリルの果てに何かを見つけられると思っているから、廃墟探索をするのかも知れない。
「ソーカルこそ、こんな田舎ウロウロして楽しいの?」
今度は空理恵の方から問う。
ソーカルは休日になると、たまにフラッと遠出をする。その道行きが今日のように被ることもある。
見た目的には、ソーカルはこんな田舎の渓谷線には似つかわしくない。金髪の美少女外国人は、かなり浮世離れしている。
「ウロつくのは別に楽しくないわ」
「じゃあ、なんで?」
「私は自由が好きなだけ」
そう言うと、ソーカルはスマホの電源を切った。
「機械に束縛されるのもイヤ。だから今日は夕方まで電話もメールもSNSもスルー」
「なにそれ。ストレス発散の日ってこと?」
「出来るなら、毎日こうしていたいわ」
「でも、それって不便じゃない?」
空理衛の問いに、ソーカルは空虚に微笑んだ。
「たかがプラスチックとシリコンの板切れに生活を支配されるって、バカバカしくない? なんで人間が板っきれに指図されてるのよ」
「うん……?」
「くだらないのよ、そういうの」
分かるような、分からないような難しい話だ。空理恵は返答に詰まる。
ソーカルとは割と気が合うのだが、こういう利発さには舌を巻く。ちょっとついていけない。
空理恵の顔色を見て、ソーカルは気まずそうに鼻を掻いた。
「要は……私は誰にも束縛されたくないの。高校に上がったらバイクでも買うつもり」
「それで、今日は温泉に入りに来たんだ。なーんか年寄り臭いな~」
「余計なお世話よ」
ソーカルがそっけなく答えた。別に空理恵を突き放すわけではない。こういうドライな性格というだけだ。それを分かった上で、空理恵は友人として付き合っている。
暫くして、次の停車駅でソーカルは降りた。駅に併設してある日帰り温泉で時間を潰して、後は日が暮れるまでその辺りを散策するのだという。
空理恵は終点まで乗って降りた。
ここから更に1kmほど徒歩で道路を北上して、幅の狭い峠道に入る。
そこから先は道路が閉鎖されていて、道程は大手地図サイトにも載っていない。
頼りになるのはAIアプリのナビなのだが
『電波が届かないエリアです。オフラインは私のサポート範囲外となります。申し訳ありません』
と、丁寧に謝られてしまった。
スマホの画面上部に表示される電波状態のインジケーターは圏外を示していた。
「あちゃー……やっぱ無理かあ」
仕方なく、事前にスマホにダウンロードしておいた地図を見て目的地である廃墟を目指す。
体力に自信はあるので、登山に苦労はない。
ただ、どんどん道が心細くなる。舗装は次第に荒れ始めて、整備も放棄されて久しいのが分かる。
耳を澄ませても車の通る気配はなく、どんどん人里から離れていく。
とても心細い。世界との繋がりが絶たれて、人外魔境に一人取り残される孤独の恐怖に、空理恵はブルっと震えた。
ここで熊にでも襲われたら完全におしまいだ。
「何が自由だよ……むちゃくちゃ怖いっての……」
と、毒づきながらも空理恵はスリルに高揚していた。引きつった顔で、笑っていた。
これこそ望んでいた通りの、見た事のない世界だ。
この荒れ果てた道の先に、自分ではない自分がいるような気がする。
そんな考え、バカバカしい――と思いながらも、歩みは止めなかった。
もう道は落ち葉と土に覆われて、半ば獣道と化していた。
ふと、道の傍らに異物を見つけた。
「えっ……?」
バイクが一台、停めてある。
自然に還りつつある道路の端に、まるで似つかわしくない文明の利器が出現した。
空理恵はバイクのことは良く分からないが、その車両は到底ツーリング向きのデザインには見えなかった。モーターショーで展示してあるような未来的なデザインだった。
分かり易く言えば、SFメカのようだった。
しかし、その黒い外装は土で薄汚れていて、かなり使い込まれているのが分かる。
周囲の土にはタイヤ痕もあるので、放置車両でないのも瞭然だった。
「こんな所に何しに来たんだろ……って、アタシが言えたことじゃないし……」
このバイクの持ち主はソーカルのような物好きか、あるいは空理恵と目的が同じなのかも知れない。
だが、当の持ち主はどこにも見当たらない。この辺りは山林の中を一本道が通っているだけで、バイクを降りる理由はないはずだ。
「変なの……」
少し不審に思いつつも、空理恵は先を急ぐことにした。
それに妙な話だが、なんだかバイクに見られているような気がする。バイクに目などあるわけがないのに。
どうせなら、廃墟には一番乗りをしたい。見知らぬ誰かと廃墟で鉢合わせなんて、あまり良い気分ではない。さっと探検して日が落ちるまでに帰ろう。
そう思って速足で道を登ること50メートル。
がさり、と脇の草むらが揺れて、背の低い動物が顔を出した。
田舎住まいの空理恵には馴染み深く、出来るだけ遭遇したくない動物が、道路の真ん中まで歩み出てきた。
イノシシである。
「うげっ……」
空理恵はあとずさった。
これはまずい、と本能と知識の両方で分かる。
ほぼ豚の見た目に反して、イノシシは凶暴かつ強力な野生動物だ。地元でも山から降りてきたイノシシに襲われて負傷者が出るというニュースが度々ある。
あの牙で突進されたら柔な肌など一瞬で切り裂かれるし、まともに体当たりをくらったら吹き飛ばされて骨折は確実だろう。
そんな危険生物と、真正面から対峙してしまった。
空理恵は後歩きでジリジリと間合いを離そうとするが、イノシシは徒歩で距離を詰めてくる。
しかも、鼻息が荒い。獣臭さが臭ってくるほどに。かなり興奮している。
「やばっ……!」
危険を感じた空理恵が踵を返したのと同時に、イノシシが突進してきた。
猛烈なダッシュだ。人間と違って動作のタメが全くない、爆発的な加速。空理恵にどれだけ体力の自信があろうと生物としての基本性能が違い過ぎる。
瞬く間に追いつかれて、リュックを背負った背中に突撃が突き刺さろうとした、そのとき
ヒュンッと空を切る音がした。
直後、イノシシの側頭部に一本のナイフが突き刺さっていた。
ナイフの柄からは、一本のコードが伸びている。
「――インパクト」
どこかで男の声。
同時に、パンッという破裂音がして、イノシシは派手に転倒した。
倒れたイノシシは激しく痙攣した後、完全に動きを止めた。
「っと、とととと……ぇ、え?」
空理恵は急ブレーキをかけて、背後に振り返った。
イノシシは完全に昏倒している。死んでいるのだろうか。
助かった? いや、助けられた? 誰に? あのナイフを投げたのは――
と順番に思考と視界を動かして、ナイフに繋がったコードを辿っていくと、イノシシの出てきた草むらから、一人の男性が現れた。
若い青年だった。擦り切れた黒いジャンバーを着ている。
青年は空理恵に気付くと、厄介そうな顔をして近づいてきた。
「子供がどうして……こんな所にいる」
咎めるような声色だった。
確かに、叱られても仕方ない。本来なら立ち入り禁止の場所に、何の備えもなく踏み入った挙句、野生動物に襲われてしまったのだから。
しかし、見ず知らずの青年に謝る道理はない。
「あの……あ、ありがとうございます」
逆に感謝しなければならない。危険を救ってもらったのだから、当たり前だ。
ぺこりと頭を下げる空理恵を見て怒る気も失せたのか、青年は溜息を吐いた。
「危険だから、もう帰りなさい」
「えぇ……でも、それはちょっとぉ……」
空理恵が反論しようとすると、青年はムッとした様子で目を細め、その場に屈んだ。
青年はイノシシの頭からナイフを引き抜き、一振りして血を払った。
良く見れば、ナイフのコードは青年の右腕の裾に繋がっている。
「お兄さんは、ハンターさんなんですか?」
「いや、ただの素人……」
「えっ、こういうのって狩猟免許とか必要なんじゃないの?」
空理恵の指摘を受けて、青年はすっと立ち上がって腕を組んだ。
「人間は法律のために生きてるんじゃない。生きるのに法律が邪魔なら無視しても良いんだよ。緊急避難ってやつだ」
「キンキューヒナン? なにがキンキュー?」
「それは――」
青年が気まずそうに顔を逸らす。良く見ると顔色が悪い。頬もやつれているし、目元には隈も出来ていた。
状況を鑑みて、面と向かって年下の女の子には言い難い理由というと――
「もしかしてぇ……お兄さん、お腹空いてるの?」
それしか考えられなかった。
馬鹿げた理由に聞こえるが、案外こういう単純な話だったりするものだ。
事実、青年はかなり悩んだ末に白状した。
「そうだよ……死ぬほど腹が減ってるんだ……」
「えっ、なんか買えば良いんじゃ……」
「金は……ない」
「えぇ~~っ?」
青年は、自分より遥かに年下の女子中学生に困窮の有様を語ってしまった屈辱に、肩を落とした。
一方の空理恵は、目の前の青年への認識が不審者でも悪人でもなく、なんとなく親しみを持てる対象程度にまでランクダウンして、かなり警戒を緩めることが出来た。
「じゃあさ、助けてもらったお礼にご飯おごったげる! アタシは宮元空理恵! 中学二年です! お兄さんは?」
自己紹介の交換としてお前も名前と年齢を教えろという身勝手な契約を押し付けられて、青年は逡巡していた。
しかし背に腹は代えられぬと観念したのか、青年は溜息混じりに名乗った。
「俺は南郷……南郷十字。27歳」
「仕事は? なにしてんの?」
「なにも……ない」
あったら無一文なわけがないだろうと、中学生の無邪気な問いに南郷は苦悶の表情で答えた。
また、クローリク・タジマが急に意味の分からないことを言い出した。
ある日の放課後、空理恵と同級生のソーカル・ザラトイは運悪く、高等部のクローリクに廊下で捕まってしまった。
クローリクは高等部一年生。ロシア系のクォーターで、銀髪の長身美少女である。
捕まったのが男子生徒なら感激の渦中に陥るだろうが、空理恵たちは正反対の辟易であった。
ソーカルは、すかさずスマホで〈サザンクロス 都市伝説〉で検索。大手検索エンジンは一瞬でその正体を明らかにした。
「サザンクロス……黒服の怪人が人気のない廃墟で怪物と戦っている都市伝説。怪人は怪物と人間の内臓を奪い合っている……だってさ」
「内臓ぉ? もつ鍋とか好きなの?」
空理恵はソーカルのスマホを覗きこむ。
そこには、誰が描いたものなのか、グロテスクな怪人と怪物が死体の臓物を奪い合い、食らいつくイラストが掲載されていた。
サザンクロスなる怪人の首には、赤いマフラーが巻かれている。
「なにコレ? マフラーなんて付けてるけど」
「人間の生皮で作ったマフラーだって」
「うげぇ~……」
悪趣味な設定に、空理恵は舌を出して嫌悪感を示した。こういう直接的に視覚にくるホラーはあまり好きではなかった。
「コラッ! お前ら、そんなホイホイとスマホに頼るなッ! もう少し自分の頭で考えんとなあ……」
クローリクは自分が解説するつもりだったらしい。出鼻を挫かれて情報化社会に八つ当たりしている。
プンプンと説教を垂れる煩い先輩は放置して、空裏恵はソーカルと一緒に都市伝説のサイトを覗いた。
「サザンクロスって、なんでサザンクロス?」
「怪人の目は闇夜で赤い十文字に光るんだって。でも、片目を無くしてるから十文字は欠けて見えるんだってさ」
「それじゃ十字星じゃなくてT字星じゃね? もしくはト星」
「さあ? そういうツッコミはこの設定考えた奴に言いなよ」
突き放すように言って、ソーカルはスマホのブラウザを閉じた。興味など最初から無いようだった。
一方、クローリクは目を輝かせていた。
「都市伝説の裏には事実が隠されている! 私が考えるに、このサザンクロスというのは自衛隊の作ったサイボーグ兵器! 恐らく陸自で使っているパワードスーツ、11式倍力作業服のプロトタイプで――」
陰謀論の彼方に飛躍するクローリクを余所に、空理恵はソーカルに耳打ちした。
「パイセンはああ言ってるけど……」
「元ネタは昔からある怪談の類。それに軍オタやホラーオタクが好き勝手に設定追加して、クローリクみたいな陰謀論者がどんどん話のスケールを勝手に大きくしてく。良くあるパターンよ。検索すれば、どっかの掲示板で書かれたラノベみたいなサザンクロスの小話でも出てくるんじゃない?」
と、ソーカルは極めて冷徹に夢を切り捨てた。
こういう冷たい分析をダイレクトに言うとクローリクを落胆させるか激怒させるだろうから、彼女に聞こえない程度の小声で。
未だに夢に酔うクローリクは講釈を終えると、ずいっと空理恵たちに接近してきた。
「今度の休み、このサザンクロスの調査に行こう!」
「えぇ~~……」
空理恵はドン引きの悲鳴を上げた。
あまりにも身勝手な陰謀の沼への誘いである。
クローリクは悪い人ではないのだが、時々こんな具合に無限大の夢に向かって暴走を始める。
「またぁ? この前は恐竜の調査とかで海まで行って、立ち入り禁止の場所まで入って……」
「警察に捕まってたわよね。あんた」
ソーカルが事実を突き詰めると、クローリクは悔しげに喉を鳴らした。
先日に起きた重要港湾での重機暴走事故。クローリクはネットの噂から、真実は怪獣の上陸によるものと判断して閉鎖された港湾区画に侵入。挙句に警察のお世話になったのだ。
「くッ……その通りだ。だが、ああも厳重な警備体制が敷かれているのは何故だ? ただの重機の暴走であんな警備が必要だろうか? やはり真実は隠蔽されているんだよッ!」
クローリク、聞く耳持たず。
ちなみに、事件当時に空理恵とソーカルも同行させられていたが、「いくぞお前達ッ!」と先頭を切って港湾に侵入したクローリクを放置して逃走したので難を逃れている。
空理恵はソーカルに耳打ちした。
「パイセン、頭いいはずなのにどぉーしてこうなっちゃうのかなあ……」
「知能と判断力はイコールじゃない。頭良くても拗らせちゃう人はいるのよ」
成績でも容姿でも高等部一年でトップクラスなクローリクの、唯一残念なところであった。
とはいえ、無碍するのも可哀想なので、空理恵とソーカルはやんわりと断ることにした。
「ごめんパイセン! 今度の休みは出かける予定が入っててさ」
「あたしもパス。また今度、暇な時に付き合ってあげる」
嘘は言っていない。実際、空理恵は次の日曜に遠くまで出かけると前から決めてあるのだ。
クローリクは基本的には善人だ。気分を害するほどしつこく勧誘することはせず
「ふむ、そうか。じゃあ仕方ないな」
とアッサリ引き下がった。
と思いきや、新たに不穏な動きを始めた。
スマホを取り出し、どこかに電話をかけている。誰に。
「もしもし、私だ。ちょっと良いかな、東少年。実は頼みたいことがあるんだ。実は今度の日曜――」
いや、誰に電話をかけていても知ったことではない。
これは逃げるチャンスだと、空理恵はソーカルとアイコンタクトを交わした。
音を立てずにゆっくりと距離を取る二人の後で、クローリクの電話は妙な方向に脱線しつつあった。
「えッ? 電話が誰に代わるって? おい、ちょッ……なんで貴様が電話に出てくるんだ! 青少年をたぶらかしてるのは貴様の方だろこの淫魔め! 私は東くんと話をして――ッて、切るなーーーッ!」
冷静に見てみると、小さな板切れに向かって会話するというのは妙な光景だなと思いながら、空理恵は階段を降りた。
クローリクがその後どうなったかは、気にしないことにした。
数日後の日曜日、まだ太陽が空の天辺まで上がり切らない朝。
空理恵は電車に揺られていた。対面座席のローカル線である。向かいの席では、ソーカルが外の風景を眺めていた。
外は赤と黄色に染まった山々と谷川。
今朝は早起きして、群馬県まで電車を乗り継いで、この渓谷路線に乗ったのだった。
ソーカルの荷物はバッグ一つだが、空理恵は大きなリュックを足元に置いていた。他の乗客には同様に大荷物のハイカーの姿もあるが、空理恵の目的は登山ではない。
空理恵はスマホで〈廃墟 群馬県〉で検索。すると、スマホにプリセットインストールされていた支援AIアプリがGPSと連動して最適な画像と地図を表示してきれた。
『足尾本山保養センター。医薬庁の保養施設として運営されていましたが、医薬庁の廃止、再編に伴い7年前に閉鎖されています』
アプリが透き通るような少女の声でテキストを読み上げた。いかにも国立の保養所らしい面白みのない四角いホテルが件の保養センターだ。アングルや撮影年代も異なる複数の画像も表示される。
『近年は廃墟マニア探索対象として取り上げられていますが、危険な薬品が不法投棄されている可能性もあり、安易な訪問は――』
「分かった分かった。気をつけますよっと」
AIの余計なお節介を途中で切って、空理恵はアプリを閉じた。
このアプリは完全に閉じるまでに妙な間がある。いつも名残惜しそうにアプリのタイトルを表示して、テキストで〈UKAはいつもあなたの暮らしをサポートします〉と宣言するのだ。
便利だが、ちょっと鬱陶しい気もした。
「楽しい? 廃墟探索って」
ソーカルが風景を見ながら聞いてきた。
「楽しいっちゃ楽しいよ」
「どの辺が?」
「普通じゃ行けない所、ここではないどこか。そういう場所に行くって、なんかワクワクしない?」
「要は自分探しの一環ってワケね」
そんな分析をされても、空理恵には実感がない。
廃墟探検はゲームみたいなものだ。モンスターも出ないし宝箱もないダンジョンRPGだと思っている。当然、不法侵入なので悪いことだ。姉にバレたら絶対に怒られる。
いや、もしかしたら最初からバレているのかも知れない。
今日も出かける間際に
(危険なことはするなよ)
と言われた。
黙認された上で、節度を守れと釘を刺されているのかも知れない。
これはタブーを犯して、落ちる一線の手前でウロウロする火遊びだと思うと、背筋がゾクリと快感に震えた。
こんなスリルの果てに何かを見つけられると思っているから、廃墟探索をするのかも知れない。
「ソーカルこそ、こんな田舎ウロウロして楽しいの?」
今度は空理恵の方から問う。
ソーカルは休日になると、たまにフラッと遠出をする。その道行きが今日のように被ることもある。
見た目的には、ソーカルはこんな田舎の渓谷線には似つかわしくない。金髪の美少女外国人は、かなり浮世離れしている。
「ウロつくのは別に楽しくないわ」
「じゃあ、なんで?」
「私は自由が好きなだけ」
そう言うと、ソーカルはスマホの電源を切った。
「機械に束縛されるのもイヤ。だから今日は夕方まで電話もメールもSNSもスルー」
「なにそれ。ストレス発散の日ってこと?」
「出来るなら、毎日こうしていたいわ」
「でも、それって不便じゃない?」
空理衛の問いに、ソーカルは空虚に微笑んだ。
「たかがプラスチックとシリコンの板切れに生活を支配されるって、バカバカしくない? なんで人間が板っきれに指図されてるのよ」
「うん……?」
「くだらないのよ、そういうの」
分かるような、分からないような難しい話だ。空理恵は返答に詰まる。
ソーカルとは割と気が合うのだが、こういう利発さには舌を巻く。ちょっとついていけない。
空理恵の顔色を見て、ソーカルは気まずそうに鼻を掻いた。
「要は……私は誰にも束縛されたくないの。高校に上がったらバイクでも買うつもり」
「それで、今日は温泉に入りに来たんだ。なーんか年寄り臭いな~」
「余計なお世話よ」
ソーカルがそっけなく答えた。別に空理恵を突き放すわけではない。こういうドライな性格というだけだ。それを分かった上で、空理恵は友人として付き合っている。
暫くして、次の停車駅でソーカルは降りた。駅に併設してある日帰り温泉で時間を潰して、後は日が暮れるまでその辺りを散策するのだという。
空理恵は終点まで乗って降りた。
ここから更に1kmほど徒歩で道路を北上して、幅の狭い峠道に入る。
そこから先は道路が閉鎖されていて、道程は大手地図サイトにも載っていない。
頼りになるのはAIアプリのナビなのだが
『電波が届かないエリアです。オフラインは私のサポート範囲外となります。申し訳ありません』
と、丁寧に謝られてしまった。
スマホの画面上部に表示される電波状態のインジケーターは圏外を示していた。
「あちゃー……やっぱ無理かあ」
仕方なく、事前にスマホにダウンロードしておいた地図を見て目的地である廃墟を目指す。
体力に自信はあるので、登山に苦労はない。
ただ、どんどん道が心細くなる。舗装は次第に荒れ始めて、整備も放棄されて久しいのが分かる。
耳を澄ませても車の通る気配はなく、どんどん人里から離れていく。
とても心細い。世界との繋がりが絶たれて、人外魔境に一人取り残される孤独の恐怖に、空理恵はブルっと震えた。
ここで熊にでも襲われたら完全におしまいだ。
「何が自由だよ……むちゃくちゃ怖いっての……」
と、毒づきながらも空理恵はスリルに高揚していた。引きつった顔で、笑っていた。
これこそ望んでいた通りの、見た事のない世界だ。
この荒れ果てた道の先に、自分ではない自分がいるような気がする。
そんな考え、バカバカしい――と思いながらも、歩みは止めなかった。
もう道は落ち葉と土に覆われて、半ば獣道と化していた。
ふと、道の傍らに異物を見つけた。
「えっ……?」
バイクが一台、停めてある。
自然に還りつつある道路の端に、まるで似つかわしくない文明の利器が出現した。
空理恵はバイクのことは良く分からないが、その車両は到底ツーリング向きのデザインには見えなかった。モーターショーで展示してあるような未来的なデザインだった。
分かり易く言えば、SFメカのようだった。
しかし、その黒い外装は土で薄汚れていて、かなり使い込まれているのが分かる。
周囲の土にはタイヤ痕もあるので、放置車両でないのも瞭然だった。
「こんな所に何しに来たんだろ……って、アタシが言えたことじゃないし……」
このバイクの持ち主はソーカルのような物好きか、あるいは空理恵と目的が同じなのかも知れない。
だが、当の持ち主はどこにも見当たらない。この辺りは山林の中を一本道が通っているだけで、バイクを降りる理由はないはずだ。
「変なの……」
少し不審に思いつつも、空理恵は先を急ぐことにした。
それに妙な話だが、なんだかバイクに見られているような気がする。バイクに目などあるわけがないのに。
どうせなら、廃墟には一番乗りをしたい。見知らぬ誰かと廃墟で鉢合わせなんて、あまり良い気分ではない。さっと探検して日が落ちるまでに帰ろう。
そう思って速足で道を登ること50メートル。
がさり、と脇の草むらが揺れて、背の低い動物が顔を出した。
田舎住まいの空理恵には馴染み深く、出来るだけ遭遇したくない動物が、道路の真ん中まで歩み出てきた。
イノシシである。
「うげっ……」
空理恵はあとずさった。
これはまずい、と本能と知識の両方で分かる。
ほぼ豚の見た目に反して、イノシシは凶暴かつ強力な野生動物だ。地元でも山から降りてきたイノシシに襲われて負傷者が出るというニュースが度々ある。
あの牙で突進されたら柔な肌など一瞬で切り裂かれるし、まともに体当たりをくらったら吹き飛ばされて骨折は確実だろう。
そんな危険生物と、真正面から対峙してしまった。
空理恵は後歩きでジリジリと間合いを離そうとするが、イノシシは徒歩で距離を詰めてくる。
しかも、鼻息が荒い。獣臭さが臭ってくるほどに。かなり興奮している。
「やばっ……!」
危険を感じた空理恵が踵を返したのと同時に、イノシシが突進してきた。
猛烈なダッシュだ。人間と違って動作のタメが全くない、爆発的な加速。空理恵にどれだけ体力の自信があろうと生物としての基本性能が違い過ぎる。
瞬く間に追いつかれて、リュックを背負った背中に突撃が突き刺さろうとした、そのとき
ヒュンッと空を切る音がした。
直後、イノシシの側頭部に一本のナイフが突き刺さっていた。
ナイフの柄からは、一本のコードが伸びている。
「――インパクト」
どこかで男の声。
同時に、パンッという破裂音がして、イノシシは派手に転倒した。
倒れたイノシシは激しく痙攣した後、完全に動きを止めた。
「っと、とととと……ぇ、え?」
空理恵は急ブレーキをかけて、背後に振り返った。
イノシシは完全に昏倒している。死んでいるのだろうか。
助かった? いや、助けられた? 誰に? あのナイフを投げたのは――
と順番に思考と視界を動かして、ナイフに繋がったコードを辿っていくと、イノシシの出てきた草むらから、一人の男性が現れた。
若い青年だった。擦り切れた黒いジャンバーを着ている。
青年は空理恵に気付くと、厄介そうな顔をして近づいてきた。
「子供がどうして……こんな所にいる」
咎めるような声色だった。
確かに、叱られても仕方ない。本来なら立ち入り禁止の場所に、何の備えもなく踏み入った挙句、野生動物に襲われてしまったのだから。
しかし、見ず知らずの青年に謝る道理はない。
「あの……あ、ありがとうございます」
逆に感謝しなければならない。危険を救ってもらったのだから、当たり前だ。
ぺこりと頭を下げる空理恵を見て怒る気も失せたのか、青年は溜息を吐いた。
「危険だから、もう帰りなさい」
「えぇ……でも、それはちょっとぉ……」
空理恵が反論しようとすると、青年はムッとした様子で目を細め、その場に屈んだ。
青年はイノシシの頭からナイフを引き抜き、一振りして血を払った。
良く見れば、ナイフのコードは青年の右腕の裾に繋がっている。
「お兄さんは、ハンターさんなんですか?」
「いや、ただの素人……」
「えっ、こういうのって狩猟免許とか必要なんじゃないの?」
空理恵の指摘を受けて、青年はすっと立ち上がって腕を組んだ。
「人間は法律のために生きてるんじゃない。生きるのに法律が邪魔なら無視しても良いんだよ。緊急避難ってやつだ」
「キンキューヒナン? なにがキンキュー?」
「それは――」
青年が気まずそうに顔を逸らす。良く見ると顔色が悪い。頬もやつれているし、目元には隈も出来ていた。
状況を鑑みて、面と向かって年下の女の子には言い難い理由というと――
「もしかしてぇ……お兄さん、お腹空いてるの?」
それしか考えられなかった。
馬鹿げた理由に聞こえるが、案外こういう単純な話だったりするものだ。
事実、青年はかなり悩んだ末に白状した。
「そうだよ……死ぬほど腹が減ってるんだ……」
「えっ、なんか買えば良いんじゃ……」
「金は……ない」
「えぇ~~っ?」
青年は、自分より遥かに年下の女子中学生に困窮の有様を語ってしまった屈辱に、肩を落とした。
一方の空理恵は、目の前の青年への認識が不審者でも悪人でもなく、なんとなく親しみを持てる対象程度にまでランクダウンして、かなり警戒を緩めることが出来た。
「じゃあさ、助けてもらったお礼にご飯おごったげる! アタシは宮元空理恵! 中学二年です! お兄さんは?」
自己紹介の交換としてお前も名前と年齢を教えろという身勝手な契約を押し付けられて、青年は逡巡していた。
しかし背に腹は代えられぬと観念したのか、青年は溜息混じりに名乗った。
「俺は南郷……南郷十字。27歳」
「仕事は? なにしてんの?」
「なにも……ない」
あったら無一文なわけがないだろうと、中学生の無邪気な問いに南郷は苦悶の表情で答えた。
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