上 下
35 / 235
第三話

剣舞のこと・舞姫は十字星に翔ぶ

しおりを挟む

「わたくし、今回あまり出番がないんですのよ~?」
 -剣の舞姫、傷ついた孤狼、運命の交わる日-


 雪積もる戦場ヶ原にて──人と竜と神との戦いがあった。
 遠き神代の頃、二柱の荒ぶる神が戦った伝説の残る此の地こそ、最良の戦場なのだ。
 形なき滅びの概念〈禍津神〉に、強制的に形を与え、跡形も殺し尽くすための、決戦場なのだ。
 宮元家旗下の対妖魔部隊の全てが、ここに集結していた。
 陸上自衛隊の全面支援の下、結界領域の外周を環状に取り囲むように、3000人を超える人員が、500機を超える戦闘機械傀儡が配置されている。
 戦場ヶ原の雪上には、青いシートが環状に敷設されていた。雪上に、半径2kmの青い円環が作られていた。
 円環の中央には、翡翠色の岩片がうず高く積み上げられていた。
 陸自の雪上車やトレーラーによって運び込まれた多数の装備品と、戦闘指揮所。
 その中で、結界発生の最終オペレートが進行していた。
「環状加速器に通電確認。コロニウム素子、荷電粒子化を確認。正常に加速中……」
「マ号ゼノリスに磁気と熱源を確認。増殖率120%、160%、200%、尚も増加」
 薄暗い指揮所にて、オペレーター達の報告を聞く老人が一人。凶暴な薄笑いを浮かべていた。
 老人の名は、左大千一郎。
「ぬるいなあ! ゼノリスに電撃をプレゼントしてやれい!」
「でっ、電撃っ! そんなことをしたら……」
 背後から口を挟まれ、オペレーターが狼狽えた。
 モニターの中では、翡翠色の岩辺が生物のように蠢き、その体積を急速に膨張させている。
 左大千一郎は、それに餌を与えてやろうというのだ。
 老人はマイクを掴み
「ケンザン1号機から15号機! AGEM対妖魔電磁弾一斉射撃! 目標はマ号ゼノリス!」
 外に待機している、ステゴサウルス型戦闘機械傀儡〈ケンザン〉の部隊に命令した。
 常軌を逸した命令であった。
 しかし正気にては大業ならず。各戦闘要員に既に迷いはなく、〈ケンザン〉の装備した各2門、合計30門の155㎜榴弾砲が一斉に砲火の雄叫びを上げた。
 砲煙は開戦の狼煙となった。
「マ号ゼノリス、急速に物理構造を形成! 予測全高、500メートル!」
「ゴーストジャミング極大! ケンザンの対霊電磁障壁、辛うじて拮抗しています!」
「コロニウム素子の活性値が振り切れます! 観測不能! 不能です!」
 オペレーターの悲鳴のような報告の最中にて、老人は笑っていた。
「お望み通り、テメェに体を与えてやるぜ。だがここで滅びるのはテメェの方だぜぇ、バケモノッ!」
 左大千一郎、これから開く地獄の門の遙か彼岸、十万億土に戦意を滾らせる。
 AGEM弾の電撃を種火として、岩片は爆発的に増殖。明確な形状を持った巨大構造体へと自らを鍛造した。
 同時に、世界の姿が変貌した。
 一瞬の事だった。
 円環の内部は異界と化していた。
 戦場ヶ原を囲む山々は消え、荒涼とした岩と氷の大地がどこまでも広がっている。
 地平線の彼方には、靄に包まれた太陽が白く輝く。
 空は分厚い暗雲に覆われ、雷雲が不気味に唸りを上げて渦巻いていた。
 環状結界の内部は、今や外界と隔絶された地獄だった。
 この地獄の風景は、この場にいる全ての人、全ての戦闘機械傀儡の無意識下に刻み込まれた遺伝子の記憶だ。
 遠い祖先たちが見てきた、この世の終わり。大絶滅の光景。それが具現化した異界の戦闘領域だった。
 この異界の中心に立つのは、異形の地獄門。
 全高500メートル、直径600メートルを超す巨大妖魔。圧縮岩盤の外殻に覆われた八本脚、八頭の滅びの概念結晶体。
「禍津神……ついに実体化したか」
 最前線にて呟くは、一人の少女。
 宮元園衛、18歳。千早に似た装束をまとい、傍らには二体の空繰を従えている。
 狛犬型の〈雷王牙〉と鴉天狗型の〈綾鞍馬〉。武装をフル装備した重武形態であり、園衛の使う十振りの刀剣をも携えていた。
「いつだったか、左大の爺様が言ってたっけな。『これは我々自身を地獄から救い出す戦い』だと。滅びの日に抗い続けた積年の思いの全て……今こそ全て叩き込む! いざや、纏う! 羽那暦はなごよみの衣!」
 園衛は赤い勾玉を頭上に掲げた。
 迸る赤き閃光が、少女の体を戦の化生に塗り替える。
 園衛の結われた黒髪がはらりと解け、透き通る水色に変わった。装束は表面の位相テクスチャを変換されて、色と形を変えていく。
 赤き瞬きの後、園衛は五色に煌めく戦装束を纏っていた。
 鬼神神楽・羽那暦。心身ともに極限まで鍛え抜かれた園衛のみが顕現させ得る、究極の対魔戦装束だった。それは柔らかくも硬く、華やかにして慎ましく、たおやかにして勇ましい。
 二律背反の戦乙女の衣だった。
「いざ舞わん! 鬼神の神楽を!」
 園衛の両脇に、二体の空繰が身を乗り出す。その背から、二振りの太刀を引き抜いた。
 総大将たる園衛の抜刀を待っていたかのように、3000の兵が鬨の声を上げた。
 呼応するかのように、全ての戦闘機械傀儡が吼えた。かつてない戦意を以て、自分たちを絶滅させた滅びという概念に向かって、激怒の雄叫びを上げた。
 命ある人の叫びが異界を揺さぶる。命なき恐竜の進撃が地獄を震わせる。
 突撃、戦闘機械傀儡軍団。
 ティラノサウルス型〈ジゾライド〉が、サーベルタイガー型〈センオウガ〉が、ランフォリンクス型〈カリュウゴウ〉が、多種多様な絶滅動物型の呪術戦斗人形が突き進む。
 竜は往く。
 鋼の体躯をゆっくりと前に。あの遠き日の死に向かって往く。
 虎は往く。
 セラミックの足で地を蹴り、あの遠き日の原野へ駆けて往く。
 翼竜は往く。
 より早く大気を切って、あの遠き落日を越えて往く。
 全てが終わってしまったあの日に帰って、死のその先の向こう側を目指して。
 人と竜は巨大なる破滅を乗り越えんと、抗った。
 約3時間後、戦闘は終了した。
 石灰化して崩れ堕ちる〈禍津神〉の物理構造が、勝敗を物語っていた。
 〈禍津神〉から放たれた無数の分身体もまた、形象崩壊していく。
 大量の戦闘機械傀儡たちの残骸の中からは、光の粒が空に昇っていく。恐竜たちの魂は逆襲と勝利に満足した。彼らは空よりも高く、ずっと遠い彼方へと還っていくのだ。
 大勢の兵も死んだ。雪がいたる所で真紅に染まっている。
 崩壊する〈禍津神〉の体表から、〈センオウガ〉と人型の甲冑のような残骸が転げ落ちた。最後の時間稼ぎのために突撃した機体と、その主だった。
「せ……西海さん……」
 園衛は、自らの兄弟子の決定的な死を目の当たりにした。
 右手に握られていた虚像の霊剣、フツノミタマが消失する。
 園衛は、全てのまやかしを払う霊剣フツノミタマを以て〈禍津神〉に最後の一撃を叩き込んだ。既に満身創痍だった。精神も擦り切れる寸前だった。
 〈雷王牙〉も〈綾鞍馬〉も、園衛を守って擱座している。
 振り向けば、生きているか死んでいるのかも分からない仲間たちの姿があった。
「そ……園衛様……ご無事ですか……」
 苦しげに呻くのは、神喰澪。まだ中学二年生の少女だった。
 光速の投球を放つ澪の右腕は鮮血に染まっていた。左目も血に塗れ、潰れているように見えた。
「ああっ、澪……。私……私たちは……勝った……勝ったのか? これで……」
 まるで実感のない勝利。鋼の意志が全身から抜け落ちていく。
 立つ気力すら失せて、園衛は地に膝を付いた。
 頭上では、異界の空が砕け散って、青空が戻り始めていた。自然さえも、紛れもない人類の勝利を告げていた。
 だというのに、園衛の胸は雪よりも冷たく凍えていた。
 何の高揚感も達成感もなく、虚無だけが広がっていく。
 この死体の山の中で、いったい何を思えというのか。何を言えというのか。
「みんないなくなってしまったのに……勝った? 勝ったって……」
 この戦闘に投入された戦闘機械傀儡の90%、500機以上が大破、あるいは再起動不能となり、損失した。
 参加した対妖魔猟兵、自衛隊員、及び支援要員約3000名の内、死者829名。重軽傷者1371名。行方不明者7名。
 この勝利によって人類滅亡を回避したと考えれば、些少な犠牲である。
 だが人間の死を数字で処理できる人間は、そう多くはない。
 宮元家の次期当主たる園衛もまた、割り切れる人間ではなかった。
 死んだ配下や仲間たちは、誰も彼も見知った顔だ。割り切れるわけがなかった。
 戦後処理もまた、責任者たる宗家の務めである。
 〈禍津神〉との戦場ヶ原最終戦から一週間後。
 園衛は、つくし市のとある斎場にいた。服装は、礼服でもある学生服。
 斎場の掲示板には〈全ホール 宮元家様貸しきり〉と表記されている。
 今日、ここでは宮元家による戦没者たちの葬儀が執り行われる。
 園衛は宗家の代表として出席せざるを得なかった。
 葬儀が始まると、園衛は壇上に立って忌辞を述べた。
「本日は大阪での葬儀に出席する父母に代わり、若輩の身ながら私が出席する運びとなりました。先ずは、先の戦闘において亡くなられた方々に、深く感謝と哀悼の意を――」
 原稿通りの内容を読み上げる。
 宗家の娘らしく凛として、感情を表に出さぬように、レコードのようにスピーチする。
 感情を押し殺さなければ、耐えられない。
 何百人と集まった遺族を前にして、のうのうと生き残ってしまった自分がどんな顔をしろというのか。
 潰れてしまう。機械のようにならなければ、潰されてしまう。
 二時間にも及ぶ葬儀は全くもって他人事のように過ぎて行った。
 式が終わると、遺族が列を成して園衛の前に集まってきた。
「園衛様……これから私たちはどうすれば良いのでしょうか?」
 戦いの終わりは、同時に失職も意味する。彼らの新たな生業を用意してやらねばならない。
「園衛様……自分はこんな有様です。正直、これからどう生きていけば……」
 左腕を失った負傷者が、申し訳なさそうに目を逸らした。彼らにも生きる道を示してやらねばならない。
 園衛は以前のように、自信と慈愛に満ちた自分を演じた。
「大丈夫だ。私に任せておけ」
 空虚な心が軋む音がした。
 何百人もの人生の重みが圧し掛かってくる。
 潰れてしまう。潰されてしまう。
 葬儀後の振る舞いは担当の者に任せて、園衛は帰路についた。
 送迎の車が屋敷に着く頃には、夕方になっていた。
 門の前には、中等部の制服を着た二人の少女が待っていた。
「園衛様、おかえりなさい」
 と、会釈をするのは西本庄篝。
 同じく会釈をするもう一人は、神喰澪。右腕にサスペンダーを巻き、左目に眼帯を付けた痛々しい姿だった。
「どうした、二人とも」
 中等部の二人がわざわざ屋敷まで来る用件とは何なのか。
 澪が右目で真っ直ぐに園衛を見据えて、口を開いた。
「無理をなさっているように見えます。皆、園衛様のことを心配しています」
「それに、妹君……クリエ様のご病気も……」
 続いて篝が俯き加減に言った。
 二人の言葉がチリチリと園衛の腹の奥を焦がす。痛い所ばかり突いてくる。
 それでも、園衛は平静を装った。
「私は大丈夫だ。それよりも澪、ケガの方は?」
「これは……瞼を切っただけです。腕も単なる骨折で……」
 巧く、話題を逸らす。
「篝よ、私が学校に行ってないから心配してるのか? 私は3月で卒業だぞ? 行く必要がないから行かないだけだ」
「えっ、そう……なんですか?」
「そうだよ。私はいつも通りだよ。はははは」
 中学生の詮索を軽くいなして、園衛は門をくぐった。
 ぽかんと口を開ける篝の横で、澪は切なげに園衛の背中を見送っていた。
「いつも通りじゃないですよ、園衛様……」

 日の落ちた稽古場で、園衛は何時間か床に座り込んでいた。
 断熱加工も施されていない板張りの床は冬の冷気を吸いこんで、制服の上からでも園衛の体温を奪っていく。
 寒い。
 心が寒い。ひび割れる。凍って砕けて潰れてしまう。
 稽古場にくる前に、妹の所に立ち寄ってきた。
 まだ4歳の妹、クリエは病魔に侵されていた。
 小児ガンの転移だった。〈禍津神〉の死の因果律の影響だった。
 〈禍津神〉を倒しても、都合良く病気が治るわけがなかった。それでも一縷の望みを託して戦ったのも事実だ。
 しかし淡い希望は、いつだって現実に踏み潰される。
「あねうえ……わたし、またおやまにいきたいなあ……」
 妹が途切れそうな声で言った。
 針金のように細い指で、園衛の手を握って。
「はるになったら、またみんなでおはなみしたいなあ……」
 もう手の施しようがないから、妹は病院から自宅に帰されていた。
 稽古場の冷たい床を。園衛の拳が叩いた。
「勝った……? 勝っただと? 私は何に勝ったというんだッ!」
 力を込めて握りしめて、もう一度殴りつけた。
「妹一人救えなくて……何が勝利だクソめが……。地獄から救い出すための戦い……? 勝ったというなら、今すぐにクリエを救ってみせろ!」
 両手で床を殴りつけたまま、園衛は崩れ落ちた。
「誰でもいいから……助けてくれ……」
 潰れてしまう。ぺしゃんこに、潰されてしまう。
 涙も嗚咽も押し殺して、いつまでそうしていたものか。
 不意に、外から稽古場の戸がトントンと軽く叩かれた。
「失礼します園衛様。お客様が……」
 女中の何ということもない報告だった。
「客……だと?」
 今が何時かは分からないが、とっくに夜になっている。
 こんな時刻の来訪など礼を欠いている。何より、今の園衛に応対できる余裕はない。
「悪いが、お帰り願おう」
「それが、旦那様に火急のご用件とのことで……。旦那様がいらっしゃらないのなら、園衛様にお取り継ぎをと……」
 宗家の責任を果たせと、またしても誰も彼もが押し付けてくる。
 しかし、未だ砕けぬ園衛の心は逃避を良しとせず、仕方なく役目に応じることになった。
 なるべく平静を取り繕うが、それでも不機嫌が表情に滲む。
 むっとした顔で応接室に入ると、小太りの中年男性が待っていた。
「これはこれは園衛様、夜分遅くに申し訳ありません」
 わざとらしい営業スマイルで頭を下げる男。
 こんな男に見覚えはないが、相手は園衛のことを知っているようだ。
「私、土師部三由という者でして――」
 聞いたことがない名前だった。自己紹介するということは、つまりは父の知り合いであって、園衛とは面識がない人物なのだ。
「用件は、なんです?」
 商談だの何だのくだらない話だったら、早々に追い出すつもりだった。どんな話だろうと、可能な限り早く帰って頂くことに変わりないのだが。
 ところが、土師部は妙なことを
「かねてより用意していた、おくすりが仕上がったもので」
 口にしたのだ。
「薬……? なんの薬」
「ですから、妹君の……クリエ様のお体を治す、おくすり、ですよ」
 土師部はあっけらんとした口調で、事もなく言ってのけた。
 ほとんどの内臓に転移したガンを治療できる薬などあるわけがない。医療に関しては素人の園衛でも、その程度は分かる。そんな便利な薬があるのなら、とっくにガンは根絶されているはずだ。
 9割の懐疑に満たされながらも、園衛のひび割れた心は残りの1割に揺らいだ。
 もし、これが戦いの果てに得た最後の希望ならば、縋っても良いのではないか。
 これまで戦い続けた自分に神が与えたもうた救いの手ならば、それは当然の報酬のように思えた。
「話を……聞かせてもらおうか」
 この選択が、園衛と妹の運命を大きく変えることになる。
 そして、10年の月日が流れた。
しおりを挟む
1 / 4

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

万分の一の確率でパートナーが見つかるって、そんな事あるのか?

Gai
ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:2,436pt お気に入り:3,464

前世の因縁は断ち切ります~二度目の人生は幸せに~

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:118,613pt お気に入り:5,301

冒険がしたい創造スキル持ちの転生者

Gai
ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:2,797pt お気に入り:9,012

ソロ冒険者のぶらり旅~悠々自適とは無縁な日々~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,889pt お気に入り:1,774

人生やり直しスイッチ

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:5

その白兎は大海原を跳ねる

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:25

処理中です...