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彼岸の乙女、流れる水となることver.1.3

彼岸の乙女、流れる水と成ることver.1.2-2(跡地)

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 これは、ここにが存在したと記すものである。

 常陸の国の戦にて、人形(ヒトカタ)踊る。
 名もなき少女の姿のヒトカタは、形を持ったいくさそのもの。
 可憐な容姿は民を惑わし、飛天の舞歌は兵を酔わせて、甘い色香は将を狂わせた。
 私、東千草が命じたのである。
「主上に仇なす東夷の地ゆえ、ことごとく蚕食せよ」
 と。
 それが御役目であったし、何よりも、ヒトカタが人の一切合切を食い尽くしていくのを見たかった。
 美しかった。全てが美しかった。
 新皇を騙る某の、身の程を知らぬ夢が砕けていくのが美しい。
 坂東武者たちがジワリじわりと数を減らし、追い詰められていくのが美しい。
 士気をなくした兵が離散し、軍勢は見るも無惨に衰え、民草から厄介者として蔑まれていくのが美しい。
 追い詰められた残党たちが、最後の突撃の中で敢え無く果てていく最期が美しい。
 そんな夢の残骸、屍の上に立つ、あの少女の姿の戦の権化は――凄絶に美しい。
「こたびは何人……人が死にましたか? まあ、いまさら数なんて……どうでも……ヒヒッ……!」
 彼の女は小奇麗な装束を返り血で赤黒く染めて、狂ったように笑う。
 私はそれに見惚れていた。
 きっと、笑っていた。
 傍から見れば私も完全に狂っていただろうから
「あなた、正気ですか?」
 北家の子女に、呆れたように言われた。
 此度の戦に、東家以外の三家からも人員が派遣されていた。
 彼らはヒトカタに魅せられた私の監視役だったのかも知れないし、ヒトカタが人の手を離れた場合に備えた保険だったのかも知れない。
 事実、ヒトカタは人の制御から逸脱した。
 ヒトカタの運用開始から1000と余年。
 累積した怨念と穢れは、ついにヒトカタを狂大なる荒神に変貌させた。
 可憐な少女は巨大な蟲のような異形に変わり、見るもおぞましい分身を産み始めた。
 それは正しく蟲の産卵のように、ぶつぶつと、ぼとぼとと、べちゃベチャと、無数に無限に妖魔を産み落としていった。
 美しかった。
 人を超えた永遠の存在が、この世の理すら塗り替えようとしているのだ。
 ヒトカタと分身たちは村々を襲い、人を食らい、川も大地も汚染していった。
 私はただ、それを見ていた。
 妖魔討滅の御役目など、もうどうでも良かった。
 アレを止める? どんでもない! そんなことはしてはいけない!
 私たちが1000年かけて育てた戦の権化が、この国を滅ぼすのを見届けなくては!
 そして私も最後に、あの戦争に食われて終わろう。
 美しい戦争の一部になって、惨たらしく死んで終わろう。
「ははーん、さてはお前――アホだな!」
 北家の子女が私を棍棒で殴り倒して、意識はそこで途絶えた。
 目が覚めると、全てが終わっていた。
 あの美しいヒトカタが、荒神が、三家と坂東武者の野蛮人どもによって、バラバラに解体されて、燃やされていた。
 あろうことか、連中は残骸をどこかの山中に埋めるつもりだった。
「やめて……そんなこと……もったいない……っ」
 私は涙ながらに止めようとした。
 北家の子女の足にしがみついて、止めようとした。
「コレが人の形をしてるから……恋でもしたの? バカなのアンタ? 人形に恋とかキモッキモッ!」
 なんたる無神経な発言か。野蛮人! この野蛮人!
「お前に……っ! お前に私のなぁぁぁにが分かるッ!」
「知るかっバーーーーーカ!」
 北家の子女に鍬で頭をカチ割られて、私は再び意識を失った。
 その日、私は信仰と憧憬を同時に、永遠に喪失した。
 もはや京に帰る気も起こらず、私は東国に残ることにした。
 せめて、あのヒトカタの埋まった山を見上げながら、余生を穏やかに過ごす――つもりだったのだが
「本家から、アンタの目付けをしろと言われたんだけど……」
 なんたることか、北家の子女も東国に居残ることになった。
 私の監視と称して、私のすぐ隣の土地に家を建て始めたのだ……。
 今日より、微熱と眩暈に悩まされる――私の戦後が始まった。


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