ヒト・カタ・ヒト・ヒラ

さんかいきょー

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第二話

竜血の乙女、暴君を穿つのこと28(終)

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 戦闘終了後、瀬織は這う這うの体で格納庫まで帰還した。

 武装は解除し、〈マガツチ改〉の上で半ば寝込むような姿で運ばれた。

「園衛様……わたくし、もう帰ります。何と言われようと帰ります」

 疲労困憊と、ここまで面倒臭い荒事に巻き込まれた苛立ちを露わに一方的に宣言した。

 園衛も色々と察した上で

「うむ。ご苦労だった」

 と短く労っただけで会話を終えた。疲れた時にゴチャゴチャと長話をふっかけてくる大人は嫌われる、というのは園衛自身も良く分かっているのだろう。

 景は不安げな様子だった。

「ねえ、ほんとに帰っちゃって良いの?」

 と、いちいち周囲を気にしてそんな小賢しいことを瀬織に尋ねてきた。

 爆弾投下を回避するために戦ったはずの港はともすれば爆弾を落とされた方がマシかというほどにメチャクチャで、上空には自衛隊のヘリまでやって来ている。

 左大は鏡花と何か言い合っていた。

「いちいちうるせーーーんだよテメーはよーーーーっ! ドンパチ始める前に契約書にサインしたったろうが文句あんのかよオイオイオーーーーイ」

「報告書を作るのにはあなたの証言が必要で……」

「それはテメーの都合であって俺の都合じゃあねぇーよなあ、鏡花ちゃんよ~~っ? 俺は疲れてンだよ帰って寝るんだよ」

 負傷と火傷で全身から出血している左大に威圧され、鏡花は物凄く厭な顔をして後ずさっていた。

 左大の粗暴さはいつも通りのように見える。だが、単に疲れたというだけで乱暴に当たり散らすような男だったろうか。

 まるで、何かをはぐらかすように、敢えて鏡花を威嚇して、混乱させているようにも見えた。

 尤も、あの男にこれ以上関わって面倒に巻き込まれたくないので、瀬織はこの軽い違和感を気にしないことにした。

 瀬織の後では、園衛は篝と事後処理について話を始めている。

「雷王牙は大破したようだが、直せるか?」

「勾玉が無事なら……。幸い、ここにパーツはありますしぃ……」

「そうか。後は自衛隊と警察の担当者と後始末の話を――」

「あのぉ、私も帰りたいんですけどぉ~……」

 こんな混乱を放置して、自分たちだけ帰って良いのだろうか……と、景は妙な責任感を覚えているようだ。

 瀬織は呆れざるを得ない。

「あぁぁぁのですねぇぇぇ……景くん。そういうことは大人の仕事であって、景くんが気にすることではございませんのよ。大体、ここにわたくしや景くんが残って何か役に立ちます?」

 溜息混じりに、体重をかけて景の肩に手を置く。

 景は「うぅーん……」と少し考えた後、こくりと頷いた。

「そうだね……。ここにいても邪魔になるだけだし」

「そうです。大体、警察や軍隊に顔を覚えられてもロクなことにはなりませんからね~」

 と、いうわけで瀬織と景は帰ることにした。

 既に電車はなく、こんな騒ぎではタクシーも呼べないので、送迎は車の免許を持っている篝にやってもらった。

 篝も面倒事から逃げたかったようなので、丁度良い組み合わせだった。

 帰り際、未だに左大と言い合っている鏡花が一瞬、恨めしそうに篝を見ていたような気がしたが、気に留めるのも疲れるので止めた。

 瀬織と景は、後部座席に並んで座った。

 暫く走ると、高速道路のインターチェンジは騒ぎのせいで閉鎖されているのが見えた。電光掲示板には〈事故のため通行止め〉とだけ表示されている。

「しょうがないから、下の道いきますねぇ」

 運転席の篝が告げた。

 車は人気のない一般国道をひた走る。

 ハイブリッドカーの静かな駆動音の中で、景がふと口を開いた。

「左大さんは……あれで満足したのかな」

「ん~……?」

 もう二度と聞きたくない男の話題を切り出されて、瀬織の視線は窓の外に向いた。

「したんじゃ……ないんですか。何もかも、あの方の思い通りに事が運んだんですもの」

「10年前に死ねなかったから今日死のうとして、でも生き残って……これからどうするんだろう」

 瀬織は窓の外の、赤色の街灯と夜が交互に流れる景色を見ている。

 景の方には、顔を向けなかった。

「景くん。檻の中の獣に、あまり感情移入するものではありません。それが珍獣、猛獣の類ならなおさら、ですわ」

 少し厳しい口調で、たしなめるように瀬織は言った。

「そういう言い方、酷いよ」

「価値観が決定的に違う、ということですよ。獣を下手に理解しようとしたら、同じ獣となってしまいますわ。景くんは人の道を外れた虎にでもなりたいのですか? いえ、この場合は恐竜ですかね」

 妙な言い回しに、瀬織は自嘲気味に笑った。

 同時に、左大のような人間に対する軽蔑も込めた笑いだった。

「未練を抱えたままでは、死んでも死に切れない……それは人もトカゲも同じということ。今宵のはた迷惑な騒動は、荒ぶる御霊を鎮める神楽舞でございましょう」

「カグラマイ?」

「怨霊とは、過去に心を置き忘れてしまったモノのこと。永久に過去の戦場いくさばを彷徨い続ける怨霊の未練を晴らすには、過去をそっくり再現してあげるんですよ。人はおもてを被って鬼となり蛇となり竜となり、古の戦いを再現する神楽を舞う。戦いの結末がどうあれ、怨霊は舞の果てに漸く、己という物語の終わりを受け入れるのです」

「左大さんは……自分とジゾライドの無念を晴らしたかったんだね。それで10年前の戦いを再現したんだ……」

 また、景が感情移入し始めている。少年らしい未熟な優しさだ。

 そういう半端な踏み込みは、景の今後に非常によろしくない傾向だと思う。

「互いに適度な距離、すなわち間を保つのが幸せな人間関係なんですよ。人の間と書いて人間なのですから」

「誰とでも分かり合えるわけじゃないって……言いたいの?」

「人がこの世に生じて幾万年。近しい男女ですら分かり合えないのに、どうしてアカの他人と分かり合えると思うのでしょうか? 他人と分かり合えば平和になる? 冗談ではありませんわ。分からない、分かりたくもない相手なら関わらない。そういう処世術で……わたくしは良いのだと思いますよ」

 生温い平和主義を突き放すような瀬織の口調に、景が押し黙る。

 疲れているので感情が表に出てしまって、少し言い過ぎたかも知れない……と瀬織は自省した。

「左大さん自身も仰っていたでしょう? 価値観は多様なんです。ですから……今夜のことは思い出にしてしまいましょう」

「思い出って……日記にでも書けっていうの?」

「徒然なるままならば、それも良いでしょう。心の奥にしまい込むより、記録として吐き出す方が健やか、かも知れませんわ」

「日記なんて、小学生の夏休みに書いたっきりだけど……」

 景はアドバイスに困惑した。国語の授業の作文以外で何かを執筆する機会はないのだろうし、仕方のないことだ。

 瀬織はくすりと笑いをこぼして、漸く景に振り返った。

「お手伝い、しましょうか?」

 瀬織の手が景の手にすっ、と触れた。

「日記くらい……じ、自分で書けるよっ!」

 景は赤面しつつも、瀬織の手を払わなかった。

 瀬織はこの流れは良し、と見る。

「明日も学校がありますし、景くんはもうお休みになってください。折角ですからぁ、わたくしが膝枕――」

 と、誘惑の途中で車がカーブに入り、瀬織の体がぐぅっと窓側に押し付けられた。

「――っと、だから膝枕を――」

 続いてブレーキ。

 瀬織の体が前にぐっと引っ張られてから、シートベルトで座席に引き戻された。

「むぅ……」

 瀬織は不満げに唸った。

 走行中の膝枕は危険である。止めておくのが賢明である。

 残念無念の溜息を吐いて、景とは車内で適度な距離を保ったまま、帰宅までの小一時間を揺られて過ごした。



 事件の始末は、波風の立たない結果となった。

 公の警察発表ではシナリオ通りに大型重機の暴走ということで済まされた。埠頭の損壊も、重機のエンジン爆発によるものだと。

 海上に投下されたJDAMも爆発時に吹き飛んだ危険物の回収、という名目で自衛隊が出動して処理された。

 一般の目撃者の口封じに関しては、敢えて放置する方針だった。

 SNS等で「恐竜型ロボットを見た」などと吹聴しても冗談か狂人としか思われないし、写真もコラージュの類として笑い飛ばされる。

 流布された情報には愉快犯や陰謀論者によって尾ひれ背びれに手足まで生えて、事実が原形を留めぬほどに歪曲されるのに、そう時間はかからない。

 戦闘機械傀儡が暴れ回り、燃え尽きていった竜哭の夜も、やがて取るに足らない都市伝説の一つと化すのだろう。

 その他、細かい隠蔽も万全であった

 園衛曰く

「左大の爺さんが粉をかけてた政治屋は多くてな。左大家の諸々が公になると連鎖的に自分達もヤバくなるので必死に隠蔽する、というわけだ。ま、そういう政治屋先生たちが現役の内は安心ということだ」。

 とのこと。

 悪しき金の繋がりで人を雁字搦めにするのもまた、政治力ということだろう。

 一方、カチナは自分が置かれた状況に当惑していた。

「な、なんじゃこれは……」

 園衛の屋敷に連れてこれらたかと思えば、日本語の妙な書類を突き出された。

「戸籍抄本だ。お前の身分を記載してある。ほら、見てみろ」

 と、園衛が指差すのは氏名欄。

 カチナは日本語の読解は完全ではない。漢字と平仮名とカタカナと三種類も文字があるのだから、全てを把握するのは困難だ。

 なので、代わりに園衛が声に出して名前を読んでやる。

「宮元カチナ。それがお前の名前だな?」

「はあ? なんじゃそりゃ! なんで我がお前と同じミヤモトなんじゃい!」

「お前は私のまた従妹の母方の伯父が外国の愛人と作った的な遠縁の親戚で、両親が亡くなったからウチで暮らすことになった……ということだ」

「だからなんでじゃい!」

 鼻息荒く食い下がるカチナを見下ろして、園衛は腕を組んで「ふん」と鼻を鳴らした。

「日本では実子以外と財産のやり取りをするのは少し面倒でな。お前の財産をゲットするには、戸籍上我が家の養子にするのが一番手っ取り早いんだ」

 とんでもない内容を、さらりと口にした。

 要は損害賠償としてカチナたちの財産を接収するための手段なわけだが、それが何を意味しているかは世間に疎いカチナでも分かる。

「そ、それって……いわゆる養子縁組の儀装という奴では……」

「そういうことになるな?」

「え、ええんかい……それ」

 カチナの指摘を、園衛は鼻で笑った。

「正攻法でお前らのような悪党を裁けるワケがあるまい。毒を以て毒を制すのだよ」

 要は権力で警察も行政も抱き込んでいるから出来る超法規的な処置、ということだ。

 逃げるのも借金を踏み倒すのも無理だと観念して、カチナはガクリと肩を落とした。

「参った、参ったよ……。ちゃんと借金返せばええんじゃろ……」

「そうだ。全額返済すれば、名前も元通りだ」

 カチナは自分が被害者面をするのは筋違いだと思いつつも、ガクリと肩を落として項垂れる他なかった。

 とはいえ、〈ジゾライド〉への復讐という目的は果たせたので、実のところ満更悪い気分ではない。

(まあ、プラマイゼロってことにしといちゃるわ)

 と、カチナが自分を納得させた矢先、分厚い書類の束がドン、とテーブルに置かれた。

「実は残念なお知らせがある。お前の借金は3倍に増えた」

「えっ」

 書類の一枚一枚には、各企業が戦闘で被った損害の詳細が記載されている。

 破壊されたゲート、溶けたコンクリート、崩落した埠頭、陥没した港湾の再整備、破壊されたコンテナとその中身etc……。

 それらの賠償額の1/4がカチナたちに課せられることになった。

 カチナの今後の処遇と借金返済の手段については、また別の物語である。



 あんなことがあった数時間後にも関わらず、景は普通に学校に行った。

 今日くらい休んでしまっても良いんじゃいかなあ、と淡い期待を抱いて朝の二度寝を狙って布団を被ったものの

「おほほほ……だぁめ♪ ですわよ」

 と、部屋に踏み込んできた瀬織がにこやかに布団を奪取。

「今世の学生さんというのは気合が足りませんわねぇ~。雨だろうと雪だろうとカミナリだろうと大人は出勤しなければ世の中は回らないのです。だから学生の内からホイホイ休んでいたら、ロクな大人にはなれませんことよ~」

 などと饒舌に語りながら朝食を配膳、諸々の朝の支度を整えて、いつものように瀬織と景は一緒に登校した。

 中等部の景は、瀬織を含めて高等部の生徒とは校内で顔を合わせる機会はない。

 だが食後の昼休みに教室を出て適当に散歩をしていると、高等部の生徒から声をかけられた。

「おお、東少年! 奇遇だなッ!」

 クローリクだった。

 上級生の、しかも銀髪の美少女に親しく声をかけられるシチュエーションは大多数の男子が羨むこと間違いないはずだが、彼女の語る内容は色事から遠くかけ離れていた。

「見たかね、今朝のニュースをッ! 港が重機の暴走でメチャクチャに壊れたと言っていたが、アレは嘘だな。真実を覆い隠す陰謀だよ。だが! 私は既に真実に気付いているぞッ!」

「し、真実って……なんですか」

 〈ジゾライド〉の暴走の件については景は全てを知っているので、白を切るしかない。

 目を逸らして、無知を装ってクローリクの怒涛のスピーチを聞き流す。

「恐竜だよ恐竜! それが海から上陸して港を破壊したと噂になっているのだッ! 海から来た直立二足歩行の恐竜! つまり怪獣だよ! 怪獣は実在したんだッ!」

「へ、へええええ……こわいですねぇ~……」

「奇しくも明日、私たちは海沿いに調査に行くのだ! これぞ正に天佑! 私が! この私が怪獣の正体を暴ぁく!」

「が、がんばってくださいね……」

 大いに盛り上がるクローリクの横を通り過ぎて、さりげなく立ち去ろうとした矢先、景の腕が掴まれた。

 クローリクの細い指が腕を掴んでいる。そのまま至近距離までぐいっと引き寄せられ、景より背の高い銀髪の少女の青い瞳に覗きこまれた。

「折角だから、キミも同行したまえッ!」

「えぇっ、なんで!」

「あの女……東瀬織からキミを救い出すためだ! 休日くらい、あの女から離れて健全なレクリエーションに興じるのだ!」

「れ、レクリ……? っていうか近い、顔近いです先輩……」

 クローリクの甘い吐息が鼻にかかる距離だった。

 ところが、クローリクは一切気に留めていない。

「近くても遠くてもどっちでも良いッ! さあ来たまえ! 来るんだね! いいや、来なくても明日迎えに行っても良いんだね!」

「来なくて良いし行かないですよ~~っ!」

 景の反論を聞いているのかいないのか、このままでは強引に妙な課外活動に引きずり込まれてしまうという断崖絶壁において、救いの手が背後からぬぅっと伸びてきた。

「なにやら騒がしいと思えば……わたくしの景くんに何をしてくれてるんですかねえ、クローリクさん?」

 瀬織が後から景を抱き込むような形で手を伸ばしていた。

 冷たくクローリクを睨みながら、力を込めて景をクローリクから引き離そうとしている。

「景くんの明日の予定には先約が入っておりますのよ。部外者のよそ様はお引き取り願いますわ」

「先約だとぉ……? どうせ良からぬ企みをしているんだろう、東瀬織ィ!」

「ほほほ……ぶっちゃけ、景くんとわたくしでお出かけするんですのよっ! だから、あなたの変な勧誘は断固拒否ですのよ!」

 初耳の約束に、景は「えっ」と声を上げた。知らない内に勝手に瀬織に外出の予定を組まれている。

 間に挟まる景を置き去りに、黒と白の相反する美少女が身勝手に鎬を削る。

「景くん昨日言いましたわよね~? 『なんでも言うこと聞く』ってぇ? だ・か・ら! わたくのお願いには絶対服従なんですよぉぉぉぉぉ?」

「人を誑かす毒婦の正体見たりっ! 少年、こんな女の命令など無視したまえ! 邪悪な支配の罠を打ち砕くんだッ!」

 クローリクと瀬織の二人にプロレスの関節技さながら拘束され、景はもみくちゃにかき混ぜられていた。

「ちょっ……二人とも……僕の話聞いてる? ねえ、ちょっと……うぶぶっ」

 甘く香る制服と女体の布団蒸しに押し潰されて、成すがまま。

 半ば失神状態に陥った景が解放されたのは、昼休み終了のチャイムの鳴る十分後のことだった。



 そして事件から数日後、右大鏡花は左大の家を尋ねた。

 理由は三つ。

 一つ、園衛が電話をかけても出ないので、代理人が直接出向くことになった。

 二つ、その代理人である東瀬織が

「二・度・と。御免ですわ~」

 と断固拒否したため、お鉢が鏡花に回ってきた。

 三つ、左大家にはまだ隠し財産があるという疑いが浮上したからだ。

 先の戦闘でも損害賠償の対価としては、接収した格納庫の機材では些少だと適当な難癖をつけて左大から譲歩を引き出せ、というのが園衛からの指令だった。

 無理難題である。

 あの恐竜のような男に、まともな交渉術が通用するわけがない。

 今度こそ自分は殺されるかも知れない。だが、それが臣下としての御役目ならば、甘んじて受け入れる覚悟が鏡花にはあった。

 はあ、と小さく息を吐いて、気を引き締める。

 目の前には、左大の家の粗末な玄関。インターホンを押してみるが、手応えがない。壊れている。

「左大さん、いらっしゃいますか」

 仕方なく、家の中に声をかけた。反応がない。

「あの、左大さん?」

 試しにドアに手をかけてみる。何度かノブを引っ張ってみたが、鍵は閉まっている。運悪く、いや運よく不在なのか。

 と、古びたドアの上から紙が一枚、はらりと落ちてきた。

「きゃっ! なに……?」

 どうやら、ドアの震動に応じて落ちるように細工されていたらしい。

 紙には何やら短い文章が書かれていた。

 〈俺は自分自身を鍛える旅に出る! 探しても無駄だぜ! あばよ!〉

 そんな内容の、左大からの書置き。

 つまり先んじて逃亡されてしまった。

 思えば、先日の戦いの後に左大が鏡花を威嚇して話をはぐらかした時点で気付くべきだった。

 そのせいで聞き取り調査の機会を失い、鏡花は今日まで左大に近づくことすら憚っていた。

 あの時から、左大は財産の接収を予見して逃亡を企てていたのだ

 恐るべき男である。正しく恐竜並の洞察力である。野性の勘と理性の智謀を兼ね備えた、危険極まりない人物である。

 ともあれ、鏡花は安堵していた。

 厄介者の相手をしなくて済んだのだから、不本意だがこれで良しである。



 死すべきか、生きるべきかと己に問うたのは、大昔の劇作家の一文の和訳である。

 果たして左大億三郎が選んだのは後者であるが、女々しく惨めったらしく後ろ向きに生きるためではなく、目的を果たした抜け殻になって死んだように生きるためでもない。

 齢三十を越して尚、凄春の続きを侵犯るためだった。

 左大がとある弁護士事務所を訪問したのは、事件の翌日のことだった。

「よう、二階堂さん。久しぶりィ」

 小奇麗な弁護士事務所に乗り込んできた、全身包帯だらけの大男。制止する他の所員を引き摺りながら、二階堂本人に強引に目通りした。

 二階堂が左大の訪問の理由を察していなければ、即座に警察に通報されていただろう。

「ここに来た理由。大体の察しがつきますが」

 5年前と変わらぬ、二階堂の抑揚のない声。

 分かっているなら話が早い、と左大は口火を切った。

「爺さんの遺産、他にもあんだろ?」

「はい」

 呆気ない返答だった。

「お孫さんが来たら、これをお渡ししろと言付かっております」

 そう言って、二階堂は机の引き出しから封筒を取り出した。

 くだらない相続争いを嫌う孫が、わざわざ自分から出向いて遺産について尋ねるとしたら、それは本当に遺産が必要になった時だけだと、左大千一郎は予測していたのだ。

 他人の予想通りに動くのは少し癪に障るが、今回に限ってはそれも良しと、左大は笑みを浮かべて封筒を受け取った。

 中身は折り畳まれた日本地図だった。

 地図の数十か所には、赤と黒とマジックで×と〇の印がつけられている。位置を指定している割にはかなり大雑把な上、印の意味も分からない。後は自分で探して確かめてみろ、というワケだ。

「そういうことだと思ったぜ」

 左大は踵を返し、事務所の出入り口に向かった。

「ありがとよ。世話になったぜ、二階堂さん」

「お元気で、左大さん」

 背中越しに謝辞を述べて、左大は事務所を出た。

 現在のところ、それが左大の最後の目撃情報となる。以後の行方は誰にも掴めなかった。

 だが油断してはならない。左大億三郎という危険な恐竜愛狂家が存在する限り、そう遠くない未来に、第二第三の〈ジゾライド〉が再起動するのだから。

 まだ見ぬ未来にて、竜が吼えている。

 炎のように、吼えさけぶ。

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