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第二話

竜血の乙女、暴君を穿つのこと27

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 白き熱線が無数の針のように伸びた。

 放電版に重金属粒子を加速する機能はないため、高重力に引かれた熱線の射程はさして長くはない。可視化できるのは、せいぜい100メートル。

 だが、その範囲内は太陽熱に晒されたも同然だった。

 〈雷王牙〉は電磁シールドによって直撃は避けたものの、電離した高温のプラズマに晒され、装甲がごっそりと溶け落ちていった。

 上空の〈綾鞍馬〉は可視光線の外にいたが、膨張した大気の乱気流で姿勢を崩した。そして、目に見えない微細な金属粒子が翼に衝突。翼は脆弱な接合部分を焼かれ、乱気流の応力によって砕け散った。

『なんじゃとぉぉぉぉぉぉっ!』

 カチナがわけも分からずに叫ぶ中、〈綾鞍馬〉の左翼が空中分解した。

 そして成す術なく揚力を失い、きりもみ状態でコンテナの上に墜落していった。

 墜落した方向で一瞬、青い光がボウっと輝いた。それがエンジンの爆発によるものか否かは、もはや判別する術は無かった。

 〈ジゾライド〉の発する高熱で海水が沸騰している。重力場で抑え込めない熱量が周囲の大気をプラズマ化させ、海水を蒸発させていた。

 充満する水蒸気が乱気流と重力場にかき混ぜられて、辺りは高温の霧に包まれている。

 立ち込める霧中にて、瀬織は立っていた。

「はぁ……はぁ……はぁ……や、やられた……」

 搾り出すような、苦しげな声。

 〈マガツチ改〉の装甲が破損している。とっさに矢矧の円刃でシールドを張ったものの、熱線を防ぎ切れなかった。シールドの薄い部分を貫通され、両肩と脚部の装甲板が円形に焼き切られていた。

『警告 肩部 人工筋肉 破損発生 自己修復不能』

「そっちで補正なさい……」

『両腕部 武装接点 全壊 使用不能』

 〈マガツチ改〉のアナウンスの通り、両腕部のハードポイントも破壊されていた。矢矧の負荷に耐え切れずにひしゃげ、円刃を発生させる基部として使用していたチタン製の扇子は焦げて折れ曲がっている。もはや電磁シールドの展開は不能だった。

 対する〈ジゾライド〉は尚も健在である。

 重力場で海水を押し退け、更に熱量を上げんとしている。炎の色が白から青に変わりつつあるのが見えた。

 これ以上の高温度化は、地上に太陽を発生させるのと同意。その結果がどうなるかは、あまり想像したくなかった。

「さて……どうしましょうか……ねえ……?」

 瀬織は諦めたような顔で、軽く笑った

 既にこちらに戦力はなく、どこに勝ち目があるのか見当もつかない。

「逃げちゃいましょうかねえ……。死ぬまで付き合う義理は……ありませんしぃ……」

 はぁ、はぁ……と息が切れる。

 熱い。蒸し風呂のように熱い。今は海水のおかげで冷却されているとはいえ、ここが炎熱地獄と化すのは時間の問題だろう。

 逃げるなら。景と一緒に家に帰ろう。

 やむを得ない撤退だ。園衛も景も分かってくれるはずだ。園衛には、きっと大きな迷惑をかけてしまうだろうが、それが責任者の勤めなのだから仕方ない。

 瀬織は人間とは違う。

 大義だの責任だの知ったことではない。逃げたいから逃げて何が悪いのか。勝算のない戦いで死ぬまで戦うなぞ馬鹿げている。自己の保存のために戦闘を放棄するのは、当たり前のことだろう。

 もう良い。

 諦めてしまおう、と決意して瀬織は振り返った。

 ふわり、と胸に温もりが触れる。

 陸と海の両方から、こそばゆい感覚が流れ込んでくる。

 海中には、まだ左大が生きている。忌々しくも、あの男は勝利を願っている。この期に及んで、瀬織に願を掛けている。

 陸の上には、景がいる。

 瀬織の神の眼が、こちらを不安げに覗く少年の姿を捉えた。

 景の口が、小さく動くのが見えた。

「負けないでよ……」

 そう言っている。

 今どき、幼児向けのアニメ映画でも声を出してヒーローやヒロインを応援する子供はいやしない。景の性格にしても、大声で応援するような子ではない。

 それでも気恥ずかしそうに声に出して搾り出した思いは、瀬織には愛おしく思える。

 人の願いこそが、神の存在意義である。

「ああ……もう……っ! 仕方ありませんわねぇぇぇぇぇぇっ!」

 言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうな表情で、瀬織は戦場に向き直った。

「そういうお願いをされると……叶えてあげたくなるのが……わたくしのサガッ!」

 人願うゆえに神あり。

 ガキン、と音を立てて背中の〈天鬼輪〉が八本の突起を展開した。八つの勾玉が心臓のように脈動し、内なる可能性を解き放たんとしている。

 瀬織の戦意に気付いた(ジゾライド)が、喉を鳴らしてこちらを見た。

 攻撃が、くる。

「誰でもいい! 二秒だけ時間を稼いでッ!」

 願いを神に託すのならば、人も相応に誠意を見せよと、瀬織は霧の中の味方に求めた。

 既に動ける者は誰もいないかも知れない。だとしたら、全てが終わりだ。瀬織は人の可能性に賭けた。

 〈ジゾライド〉の放電版からの局所熱線が霧を引き裂く。

 白い閃光が束となって瀬織に殺到し、その直前で歪曲した。

 〈雷王牙〉が高速で割り込み自らを防壁として、瀬織の前で熱線を弾いていた。しかし人工筋肉は限界を超え、断裂して潤滑液を噴出。電磁シールドも熱線を抑えきれず、E.M,S,S,はショートして爆散した。

 無防備な〈雷王牙〉は、それでも我が身を盾の獅子と化して、熱線を受け切った。

 瀬織の目の前で、〈雷王牙〉は四肢を切り裂かれて砕け散った。

「大義ですわ……ッ!」

 その獅子奮迅に送るは、掛け値なしの賞賛。

 〈雷王牙〉は値千金の、勝利に至る二秒間を稼ぎ切ったのだ。

「回れ天鬼輪! 後生のごとく!」

 〈天鬼輪〉が光輪を形成。それは光速を超えて回転、加速し、時の果てから瀬織の神としての可能性を引き出す。

 収束した光輪は金色の種に形を変えて、瀬織はそれを握りしめた。

「いでよ! 重連方戟斧――」

 瀬織が種を地面に打ち込むと、コンクリートを食い破り、黄金の戦斧が出現した。

「――金剛ォ!」

 重連方戟斧・金剛。

 これはいつの日かそこに至る、瀬織の神としての可能性の一端を顕現させた方術武装であった。

 身の丈ほどもある戦斧を持ち上げ、瀬織は後光を背負って空高く跳躍した。

 背中の後光もまた、瀬織の神としての可能性の一端である。重力を無視して、埒外の物理法則を以てして、〈ジゾライド〉の頭上約100メートルの高さにまで跳んだ。

 〈ジゾライド〉迎撃の熱線を放つ、と瞬時に瀬織は予知する。

 しかし構わず、大きく金剛戦斧を振り上げた。

「泰山金剛陣! 不動金剛縛!」

 まずは一振り。大地に不可視の力場を叩き込む。

 直後、〈ジゾライド〉の足元のコンクリートが、高温と荷重力によって紫色に結晶化し、一斉に隆起。エクロジャイト、あるいはゼノリスと呼ばれる高硬度の圧縮結晶が、無数の楔となって〈ジゾライド〉を拘束した。

「振れや降れ! 野生えの山よ! 四山招来! 比叡、榛名、霧島、金剛!」

 更に振り下ろすは、四連戟。

 その一振り一振りが、瀬織の原点たる世界樹、扶桑の生える霊山の仮想質量を現世に召喚するのだ。

 〈ジゾライド〉が射角を確保した背ビレの放電版から迎撃の熱線を放った。逆流する火線の滝が瀬織に殺到するものの、四霊山の質量によって重力偏向。大きく歪曲し、完全に防御された。

「四霊山! 大・圧・殺ッ!」

 赤色に大気を燃やす、形なき朧な巨大質量が、次々と〈ジゾライド〉に圧し掛かる。

 比叡山、榛名山、霧島山、そして金剛山。蓬莱の島、扶桑の国にそびえる四霊山の質量が炎の竜に叩き込まれた。

 いかに神の力とて、自然に干渉する虚ろな力なれば、戦闘機械傀儡には通じない。自然の理から外れた存在には魔術的な輝きは届かないのだ。

 しかし、それは戦闘機械傀儡本体に通用しない、というだけの話。

 〈ジゾライド〉の周囲に生じる重力場に対して更に質量を投入するのならば、金剛戦斧の力は有効だ。

 四霊山の質量を加算され、〈ジゾライド〉の姿が歪んだ。想定をはるかに超えた重力に耐え切れず、空間ごと潰されていく。その重力で、水蒸気が結晶化する。

 バキ! バキ! と激しい破砕音が響く。〈ジゾライド〉の足元が深く、更に深く陥没していく。

 あらゆる物質は極限まで圧縮されることで、金属結晶に変わる。〈ジゾライド〉の周囲の海水が凸凹の金属ブロックに変化し、妖しく明滅する垂直のトンネルと化して竜を奈落に引きずり込む。

 そして底へと沈んだ頭上からは、大量の海水が〈ジゾライド〉に流れ込んだ。

「その過ぎたる力で! あなた自身が滅びるのですよッ!」

 瀬織の眼下、闇の海に竜が沈む。

 膨大な海水が超高温の炎に触れ、巨大な水蒸気爆発を引き起こした。

 直径20メートルを超える水柱が立ち昇り、発生した津波が埠頭に襲いかかる。

 爆発には、結晶化した炎の欠片が混ざっていた。〈ジゾライド〉を構成していた金属が燃えながら再結晶化して、赤い薄皮のような破片になって四散していく。
 
 漆黒の水面に咲いて散るは、爆火炎水の彼岸花。

 それは、〈ジゾライド〉が文字通り砕け散ったことを意味していた。

「これで終わっていなければ……」

 瀬織は不穏な表情で、地上への降下軌道に乗っていた。

 地表に降りる頃には背中の後光も、金剛戦斧も消失していた。バッテリー残量が1割を切ったことを伝える警告音が鳴っている。

『警告 電力残量 危険域 要補充 警告 警告』

 二度目を撃つ余力は、もうない。

 未だ煮えたぎる海面を、瀬織は睨む。

 頼むから、もう上がってこないでくれ――と、願って。

 だが、神の願いを叶える神は存在しない。

 渦巻く潮の中心から、竜の咢がせり上がってきた。

 装甲が黒くボロボロに劣化した〈ジゾライド〉の頭部が、胴体が、腕が、しかし原形を留めたまま海中から出現した。

「う……うそでしょぉ……」

 もはや打つ手は何もない。

 絶望に、瀬織は後ずさる。

 〈ジゾライド〉が埠頭へと迫る。動きは鈍いが、今や再上陸を阻む者は何もない。

 その時、一発の銃声が空を切った。

 大気を歪める熱の弾道が〈ジゾライド〉胸部、機能中枢である勾玉へと撃ち込まれた。

 12.7mm徹甲焼夷弾が、満身創痍の勾玉に直撃した。

 防御能力を失った勾玉に亀裂が走り、〈ジゾライド〉が悲鳴のような叫びを上げた。

 瀬織が射撃の飛んできた方向に振り返ると、コンテナの上で片膝をつき、破星種子島を構える〈綾鞍馬〉の姿が見えた。

 墜落直前にマニューバスラスターの逆噴射で制動をかけ、全壊を免れたのだろう。

『レギュラス……ざまあみろじゃ!』

 通信越しに、ついに念願の一撃を食らわせたカチナの、怨念の篭った歓声が聞こえた。

 ティラノサウルスの怨念を現世に留める器たる勾玉を砕かれ、〈ジゾライド〉が身もだえる。それでも尚、目に怒りの炎を灯して、この世に留まろうとしている。

 悪あがきであった。衰えたる竜王の見苦しい末路であった。もはや、その姿に絶対的な恐怖も力も感じられない。

 そんな哀しき姿に、男が末期の言葉を投げかける。

「もう十分……楽しんだろう?」

 今まで海中に避難していた、左大だった。

 海上に浮上して、崩れた埠頭によりかかって、〈ジゾライド〉に語りかける。

「なあ、ジゾライドよ……」

 青春の全てを注ぎ込み、心を通わせた戦闘機械傀儡へと、左大は何を思うのか。

 〈ジゾライド〉と左大の視線が交錯した。

 悲しげな、だが満足げな左大の目を見て、何かを悟ったのか。〈ジゾライド〉は天に向かって一吼えして、一切の抵抗をやめた。

 胸の勾玉が砕け散る。竜王の魂は今、十万億土の彼方へと散華した。

 竜を現世に繋ぎ止める全ての力を失い、〈ジゾライド〉の機体が形象崩壊していく。フロギストンモードからの強引な物理回帰に、鋼の体躯は耐えられなかった。

 竜は、海の底へと崩れ落ちた。

 もう二度と、浮上することはないだろう。

「あばよ! おれのジゾライド!」

 軽い敬礼と共に、清々しき別れを告げる左大。

 やりきった男とは真逆に、瀬織は疲労困憊で尻餅をついた。

「冗談ではありませんわよ本当……つっかれたあ……」

 面倒ばかり丸投げされて、達成感も共感も微塵もない。

 瀬織としては、こんなチーム戦など二度と御免であった。

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