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第二話

竜血の乙女、暴君を穿つのこと21

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 〈ジゾライド〉の攻略をする、と一口に言っても具体案はまるで無い。
 あの凄まじい戦闘能力に加えて、わけの分からない炎上形態まであるという。こちらの戦力がほとんど無い現状でどう立ち向かえというのか。
 その上、こうして考えている間にも関節部の冷却が進行している。
 いっそ知ったことかと二人で逃げてしまおうか……と、瀬織は思った。もちろん、景と一緒に。
 当の景は、瀬織の隣に同席している。完全に素人なので彼が議論に口を挟む余地はなく、単に座っているだけだ。
 そんな景が、瀬織の耳元で素人らしい疑問を呟いた。
「ねえ……瀬織のあの凄い技でドーーンって、やっつけられないの? カミナリ落としたり、金色の剣を出したり……」
 以前に荒神と戦った時に景が見た、瀬織の方術のことだ。
 確かに威力だけを見れば、〈ジゾライド〉を倒すのは不可能ではない。だが、そう見えるだけだ。
「うーん……それは無理ですわねぇ」
 瀬織は断言した。
 結論だけを言っても、当たり前だが理由は分からない。景は首を傾げた。
「どうしてさ」
「呪術、方術、魔術、仙術。呼び方は色々ありますが、根本はみな似たようなものです。人間が自然の摂理に介入し、言霊や契約で以て操る術にございます。でも、あの恐竜さんは現在の摂理から切り離されているんですよ。恐竜は現在の自然が発生する以前の生物ですからね。故に、あの空飛ぶトカゲさんの輪っか攻撃も、わたくしの方術も通じないのです」
 景は説明が良く読み込めず、「ううん?」と鼻を鳴らして頭上に疑問符を浮かべた。
 そのやり取りを聞いていたのか、後ろから左大が口を挟んできた。
「つまりだ。現代のどんなコンピューターウイルスも大昔の真空管コンピューターには効果がないってことだ。根本のプログラムの仕組みから違うからな。人間の使う術ってのは、自然というコンピューター上の動作を制御するプログラムコードと思えば良い。そして、人間はいちいち呪文詠唱っていうコードを打ち込まなきやならんが、対する瀬織ちゃんはオペレーティングシステムなのでワンクリックで発動できる」
 現代人である景には左大の比喩が分かり易かったようで、得心した様子で「なるほどぉ」と呟いた。
 瀬織も左大の口上には素直に納得した。
「ええ、大体そんな感じですわ。それで……これからどうするんですの?」
 今までの戦いを見ても分かる。左大は現代人とは思えぬほどに覚悟が決まっている。判断も早い。鏡花は左大を侮っているようだが、それは大きな間違いだ。
 そして今も、左大は瀬織の期待通りの決断力を見せた。
「第一に、作戦指揮は俺がやる。それで良いな?」
 左大は園衛に向けて言った。
 関係各所との交渉や大筋の判断を行う総司令官が園衛であり、作戦の実務は自分が担当する、というわけだ。
「了解。では、人員の配置、装備選択、使用の一切は左大さんにお任せします」
 園衛もまた、迅速に全てを了承した。
 あまりに呆気ない指揮官任命に、鏡花の表情は険しかった。
「園衛様……あのような男に任せて良いのですか」
「鏡花よ。お前はまだ経験が足りん。治世の能臣が乱世の姦雄になるとは限らんのだ」
「あんな男……臣下ですらないでしょう」
「とりあえず、今は私の判断を信じろ」
 鏡花はそれきり黙ったが、納得がいかない様子だった。
 左大は椅子から立ち上がると、肩を慣らしながら前方に移動した。
「っつーワケで、俺が作戦を指揮する。なにせ俺がジゾライドのことを一番良く分かってるんでな」
 そして、集まった面々を見渡す。
 まずは、瀬織。彼女が普通の人間でないこと、いや人間ですらないことは左大もとっくに知っている。
「協力してくれっかな、瀬織ちゃん?」
「仕方ありませんからねえ。今さらイヤだイヤだとゴネても議論の足を引っ張るだけですし。なし崩し的に荒事に参加させられてしまうのは癪ですが……まあ、そのぶん園衛様にお給金を弾んでもらうということで」
 戦闘参加を拒否するのは容易いが、それでは作戦の成功率が明らかに下がる。作戦失敗は園衛の権威の失墜に繋がり、景との生活にも将来的に悪影響が出ると予想した上で参加を決定した。
 言葉の通り、瀬織は金で折り合いをつける方向で固まった。
 次に、左大は篝に目を向けた。宗家の左大と、下っ端に過ぎない篝とは初対面である。
「えぇーと……誰ちゃんだっけか、キミ?」
「あっ、あのぉ、そのぉ、うぅえぇぇぇぇぇ……」
 篝の中で人見知り、乱暴な異性への恐怖、名前だけは知っている有名人への畏敬諸々が混ざり合い、まともに返答できない。
 仕方なく、園衛が助け舟を出した。
「西本庄篝です。うちで働いてる者で、空繰の整備をやってもらっています」
「なるほど。じゃあ、整備を手伝ってくれ」
 存外に淡白な反応で拍子抜けしたのか、篝は「ふぇ?」と素っ頓狂な声を上げた。
 左大は極めて迅速に、この場の面子に役割を与えている。
「雷王牙、綾鞍馬。お前らも手伝ってくれや」
 獅子と鴉、二体の空繰は人間に、それも園衛が認めた人物ならば力を貸すことに躊躇はない。快く短い鳴き声で応えた。
 この中で戦闘に参加できるのは、瀬織と雷王牙、綾鞍馬と全てが人外の存在である。
 悪く言えば寡兵。良く言えば少数精鋭で実際寂しいわけだが、そこに更に別の問題があった。
「ここでちょっと確認したいことがある。この中で、射撃の得意な奴はいるか? 長距離の狙撃経験がある奴が望ましいんだが」
 誰からも返答はない。今どきの学校の授業のように質問はスルーされて、シィンと場が静まり返った。
 何かしらのリアクションを求めて、左大は園衛に横目をやった。
「私が射撃は不得手なの知ってるでしょう。敵に突っ込んでぶっ放すなら兎も角、狙撃というのは……」
 断られたので、左大は次に瀬織を狙った。
「空繰との精神リンクは得意と見た。空繰の持ったライフルを遠隔操作で撃てるか?」
「そんな経験はありませんし、そもそも使う空繰というのは――」
「綾鞍馬の遠隔操作を頼みたいんだが?」
「論外ですわ。あの二匹とは相性が悪いのです。仮に強引に乗っ取っても、それで細かな操作というのは……」
 残るは、景と鏡花と篝の三人。全員が素人で、しかも一人は一般人の少年ときた。
 全く持ってお話にならないと、左大は唸った。
「あぁん……。綾鞍馬は自律行動できっけど、精密射撃は無理なんだなあ……。基礎設計が古いから火器管制AIに対応してねぇんだ。無理なら、ちょーーっと作戦を考え直さなきゃならん」
 今は一分でも惜しい状況だ。〈ジゾライド〉の冷却が終わらない内に全ての準備を終え、有利に作戦を進めねばならない。
 何かを思いついたらしく、篝が遠慮がちに手を挙げた。
「あーの~……澪ちゃんを呼ぶっていうのは、どうでしょうか?」
 先日、瀬織が会った神喰澪のことだ。
 あの、別の世界観で生きているようなボウリング女の名前が、どうしてこのタイミングで出てくるのか瀬織は不可解だったが、事情を知る左大と園衛の反応は少し違っていた。
「澪ちゃんなら……確かにアリだな。火力不足が解決する」
「それは私も考えたのだが……」
 園衛は気まずそうな顔をして、スマホを出して電話をかけた。
 何度かのコールの後、聞こえてきたのは
『おかけになった電話は電源が入っていないか、電波の届かないところに……』
 という定型のアナウンスだった。
「澪の奴……また電話の電源を入れとらんのだ……」
 園衛の声色には呆れと苛立ちが入り混じっていた。
 神喰澪はアテにならないようだ。電話が通じないのなら仕方ない。
 空繰の、しかも飛行型の遠隔操作の経験があり、射撃に長け。それでいて実戦にも動じない度胸のある人材が必要だという。
 瀬織は一同をぐるり、と見渡した。
 確かに、ここにいる園衛の関係者にはそんな人材はいない。都合良く往年の熟練操者がピンチヒッターに現れる可能性も限りなくゼロに近い。
 だが、関係者以外ならばどうだろうか?
 いいものを見つけた、と瀬織は邪悪な笑みを浮かべた。
「使えそうな人材。一人おりますわねえ~、そ・こ・に」
 瀬織が部屋の片隅を指差した。一同、一斉のその先を見る。
 暗がりの中に〈マカヅチ改〉が鎮座している。その隣に、体育座りの姿勢でうずくまるカチナがいた。
「は……っ? な、なぜに我を見るのじゃ……」
 全てを失い、すっかり意気消沈していたカチナが顔を上げた。また厄介事が降りかかると直感で
 感じ取ったらしく、青ざめてジリジリと壁の方に尻を擦っている。
 瀬織は席を発つと、すたすたとカチナの方に歩いていった。
「お話聞いてましたかあ?」
「きっ……聞いておらんわっ、貴様らの話なぞ……」
 カチナは嘘を言っている。さして広くもない部屋だ。聞こえていないわけがない。見た目通りの小娘ではなく、中身は人外の黒龍なのだ。どんなに不利な状況だろうと賢しく聞き耳を立てて情報を集めている、と考えるべきである。
 全てを見透かした上で、瀬織は冷たい笑顔でカチナの頭を見下ろした。
「聞いてましたよね? なので、お仕事の話をしましょうか」
「有り金も物資も全てくれてやったろう……。この上、我になにを望むというのか……」
「勘違いされておりませんか? わたくしは、あなたに仕事を強いるつもりはありません。契約をしたいのです」
「ン……?」
 カチナの態度に揺らぎが見えた。契約、という言葉に反応している。
 脈アリ、である。
「意見具申でございます」
 瀬織は手を挙げて、左大と園衛に振り返った。
「カチナさんに綾鞍馬の操作をお任せしたいと申し上げます。成功報酬として、カチナさん達の借金を四割引き。失敗しても二割引き、ということで如何でしょうか」
 有無を言わさず金額の交渉に入る瀬織。
 当事者のカチナを置き去りに、園衛がそれに乗った。
「任せるのは構わん。だが四割引きは高い。被害総額は億単位なのでな」
「では三割引き」
「高い。成功報酬で二割だ」
「では……二割五分で如何でしょうか。失敗したら五分引きということで」
「ふむ……。良かろう」
 金額の方はまとまった。
 敢えて当初は高額を提示するのは古今東西、交渉の基本テクニックである。金額を折半して、概ね瀬織の想定していた妥協額に至ったので成功といえる。園衛は金持ちなので、億単位の金額でも話が早くて助かる。
 成功すれば莫大な借金が25%オフになる、というのはカチナにとっても悪い話ではあるまい。
 一方で失敗すれば、たったの5%オフ。これは瀬織の仕込んだ人心操作の仕込みだ。敢えて不利な条件を付加することで、作戦成功へのモチベーションを上げるのだ。
 さて、手応えや如何に――
「そ、そういう条件で我と契約するのならば……やっても構わんぞ」
 上目遣いで瀬織を見上げて、カチナが言った。
 脈あり。である。カチナの中の黒竜はデイビスたち一族と契約して1500年間も生きてきたのだ。契約で意思を思い通りに誘導してやるのは、瀬織にとっては容易いことだった。
 しかし、まだイエスという答を得たわけではない。
 カチナ自身、色々と逡巡があるようだった。
「我はサダイの家を恨んでおるのだぞ。故意に作戦を失敗させるとは思わんのか?」
「失敗したら、借金減りませんわよぉ? 同胞の皆さん、とっても苦労しますわよね? 情であなたを縛る気もなければ、信用する気もありませんわ。わたくし達とあなたとの関係は、あくまで金銭の絡んだ契約です」
「フム……おぬし、なかなか分かる奴じゃな」
 カチナは関心していた。
 論理的かつ合理的に、カチナの本質を理解して話す瀬織に、どこか自分と同じ匂いを感じ取ったのかも知れない。
「だが……我は人食いの竜じゃぞ。人の子らにとっては忌むべき存在ではないのか?」
 カチナは感情面での忌避、それによる連携の不備を危惧している。果たして園衛たちは人外の怪物を一時の戦友として受け入れてくれるのか、という疑問は当然だ。
 その答を、総司令官であり雇用主である園衛に求めた。
「些細なことだ。気に留める必要なし」
「些細と抜かすか?」
「そうだ。お前の前世が何であろうと、今のお前が人を害したことはないのだろう?」
 前世というのは語弊があるが、心だけが別の肉体で生まれ変わったと解釈するなら似たようなものかも知れない。
 確かに園衛の言う通り、カチナという人の器に収まってから人を食ったことはない。というより、つい一時間ほど前にこの体になったばかりで、何かを口にする暇すら無かった。
「ならば、お前には何の罪もない。少なくとも私には過去のことでお前に罰を与える権利はない」
 平然と言ってのける園衛に続いて、瀬織が言葉を続けた。
「あなたに復讐する権利があるとしたら、それは昔のあなたに食べられちゃった人のご家族くらいですかねえ? まあ、わたくしも似たようなものですし」
 瀬織の口調に悪びれた様子はなく、薄ら笑いを浮かべていた。
 実際、何もかも覚悟と納得の上で瀬織は今も生きているし、生かされている。
 カチナは「フム……」と小さく溜息を吐いて、顔を床に向けた。
「よかろう。承知した。我としても。レギュラスに一矢報いることが出来るなら……悪い話ではない」
 とりあえずの、イエス。
 これにて契約成立ということだ。契約によって生きてきた黒竜の言質は絶対である。
「じゃ、とりあえずの人員は揃ったってことだな」
 左大もカチナのことは一戦力として割り切り、ドライに対応してみせた。
 臨機応変に態度を変えられる、こういう手合いは中々に手強い。鏡花を未熟者扱いするだけのことはある。
「恐竜の孫もまた恐竜……ということですか」
 瀬織は肩をすくめた。話に聞く祖父、左大千一郎さながらに政治も得意と見える。ただの狂人でも野武士でもない。
 現に、左大は手持無沙汰な景を見て
「景ちゃんは……そうだな。俺たちの飯でも運んできてくれや」
 と、役割を与えた。
 景はきょとんと目を丸くしていたので、瀬織はわざとらしく合の手を入れた。
「あー、わたくしもお腹空いてしまいましたわ~? 園衛様のことですから、この程度の用意は――」
「無論だ。ここに来るまでにコンビニで買ってきた。車の中に置いてある」
「ですって、景くん? お車まで、わたくしもお供しましょうか?」
 景は景なりに瀬織たちの気遣いが分かったようで、口を尖らせた。
「もう! それくらい一人で大丈夫だよ!」
 そう言って、小走りに部屋を出ていった。
 左大は指揮官として、景に帰れと命じることも出来た。そうしなかったのは、疎外される景の胸中を量ってのことだろう。仕事を与え、仮にも一員として扱うことで、自信をつけさせてやりたかったのだろう。
「左大さんって、普通の大人みたいなこと出来るんですのね」
 瀬織は感心半分、けなし半分に呟いた。
「あったりまえだろ。俺は大人なんだっつの! オラ! 次いくぞ次ィ!」
 ふざけた調子で言い放ち、左大は先陣を切って移動を始めた。
 行く先は、先刻まで〈ジゾライド〉が整備されていた格納庫だった。
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