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第二話
竜血の乙女、暴君を穿つのこと18
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激突する恐竜と飛竜。現実の竜と幻想の竜、合計80トン近い質量が激突した。
衝突時の衝撃が大気を押し出し、気圧変化による水蒸気が霧となって周囲に弾け飛ぶ。
〈ジゾライド〉のチタン製の爪は〈ズライグ・ホワイト〉の胸部装甲を貫通していた。
破砕された装甲が火花となって弾け、電気系統のショートが水蒸気に反応して幾度とスパークする。
「ぐぅぅぅぅぅ……っ!」
カチナが胸を抑えて身悶える。
分身の一つが受けたダメージがフィードバックされている。
〈ズライグ・ホワイト〉が甲高い声で啼いた。
胸を貫かれる痛みが、予想外の奇襲攻撃の驚愕が、竜哭の夜を雷で染める。
爪から逃れようと体を捩る〈ズライグ・ホワイト〉だが、〈ジゾライド〉は逃がさない。
竜王の雄叫びは嘲笑う炎。
爪を捩じり、更に〈ズライグ・ホワイト〉の体内に押し込む。
〈ズライグ・ホワイト〉が巨大な羽をばたつかせ、しゃにむに火砲を乱射した。
両翼のロケット弾を、胸のバルカン砲を、足のグレネードランチャーを一斉に放つが、〈ジゾライド〉が肉薄しているため射角に捉え切れない。辛うじてバルカン砲は直撃しているが、ぶ厚い装甲の前に無意味に跳弾している。
〈ズライグ・ホワイト〉はバイザーの奥の目を白く明滅させる。これが肉体であれば必死の形相だったろう。死と破壊から逃れるために手段を選んでいられない。
噛みつこうと口をぱくぱくと開閉するが〈ジゾライド〉に当たらない。触覚のような二本の角から対人用のショック・パルスを放つが、鋼鉄の竜王には効かない。
無駄な足掻きの果てに、遂に〈ジゾライド〉が白きワイバーンの心臓を抉り出した。
ぶちぶちと音を立てて無数のコードとハーネスを引き千切り、〈ズライグ・ホワイト〉の胸部から紫の石英が摘出された。
それは、空繰や戦闘機械傀儡の勾玉と同質の中枢回路であり、飛竜の霊体が複写された媒体である。
〈ジゾライド〉の爪が石英を一気に砕いた。
まずは一体。〈ズライグ・ホワイト〉は機能を停止し、空っぽの器となって首を垂れた。
僅か二十秒に満たない交戦だった。
「ゲホッゲホッ……! おのれぇ……レ・ギュ・ラ・スゥゥゥ……っ!」
カチナが膝をつき、胸を抑えて何度も咽た。
60余年前の屈辱が、カチナの脳裏にフラッシュバックする。
かつて黒竜であった自分が成す術なく殺された、あの竜哭の夜が今日という日に重なって、カチナは痛みを怒りで捻じ伏せた。
「回れ……我が殺戮の円刃……」
カチナの命令を受けて、残る二体の映し身が駆動する。
羽に内蔵されていた二対のプロペラ、正確にはプロップローターがせり上がり、二発のターボシャフトエンジンの高鳴りに合わせて回転速度を上げていく。
〈ズライグ・ブラック〉の胸の石英が輝くと、大気がうねり、地表から翼を押し上げるような上昇気流が発生した。
それは、揚力不足を補うための風の魔術であった。
プロップローターの揚力、上昇気流、そして翼の羽ばたきを合わせて、〈ズライグ・ブラック〉の巨体が空中に浮きあがった。
高速回転する二対のプロップローターが電光を帯び、やがて稲妻は円を描いて、〈ジゾライド〉へと撃ち放たれた。
〈ジゾライド〉と組み合っていた〈ズライグ・ホワイト〉の亡骸に、稲妻の円刃が到達。衝突と同時に円刃は弾け、放電と同時に生じた衝撃波が亡骸を破砕した。
「見たか、我がキラーディスクの威力を!」
キラーディスク攻撃。
それは、土木工事などに用いられる放電破砕をズライグの魔力により兵器として成立させたものだ。
本来なら大がかりな設備と電力が必要で、かつ兵器転用なぞ無理な代物だが、欠点を魔術的に補うことで不可能を可能としている。
〈ズライグ・ブラック〉の飛行にしても、エンジンの出力不足は魔術で、空力制御はカチナの中の飛竜としての記憶と本能で補填している。
「今のは……試し撃ちじゃ……!」
猛烈な揚力の真下にいるカチナは、予想外の風圧でコンテナの床に押し付けられ、腕立ての姿勢を取っていた。
だが今は脆弱な人の身を嘆くより、キラーディスクの狙いをつけるのが先決。
火器管制システムとの同調は全く理屈では分からないので、ほとんど感覚で狙いをつける。
既に〈ズライグ・ホワイト〉と〈ズライグ・ブラック〉は、上昇して上空50メートルにまで達していた。
頭上からのトップアタックは、全ての陸戦兵器にとって弱点である。これらワイバーン型テクノ・ゴーレムは、トップアタックにより〈ジゾライド〉を圧倒するために作られたガンシップであった。
「くくくく…人の子らはコレを作るのに大金をふっかけられたと泣いておったが……。これならば我が宿願は成就される!」
あと一撃で、あの憎い恐竜を始末できる。それも一方的に!
強者として弱者を屠る快感に痺れる。昂ぶりを必死に抑えつつ、カチナは上空の機体に視覚を同調させて〈ジゾライド〉を狙った。
〈ジゾライド〉は成す術なく、呆然と夜空を見上げていた。
いかに動きが早くとも、稲妻の速度は回避できまい。運よく避けられたとしても、空を飛ぶ相手にあんな図体の鉄の塊が反撃できるわけがない。
「悔しかろうなぁレギュラスよ! お前の爪も! 牙も! 空を舞う我が映し身には届かんのじゃからなぁ!」
得意の格闘戦を封じられた〈ジゾライド〉の敗北は必至。
勝った! 勝ったぞ!
そう確信したカチナの視界の奥で、〈ジゾライド〉は嗤った。
〈ジゾライド〉が背中のハードポイントに装備する、二対の巨砲。
FH‐70。陸上自衛隊にも配備されている155㎜榴弾砲である。
書類上は用途廃止のスクラップとして廃棄され、左大家のダミー会社に売却もとい譲渡されて、戦闘機械傀儡の武装として装備されたものだ。
直撃すれば、いかなる妖魔とて一撃で消滅させる火力を誇る。
とはいえ、榴弾砲自体はコンポーネントの単純な流用であり、ハードポイントへの懸架装置以外に特に手は加えられていない。
照準装置や給弾機構も従来品のままだ。
つまり、砲兵としての知識と経験を持ったオペレーターが〈ジゾライド〉の背中に張り付いて、手動で操作しなければ発射できない。
そして発射できたとしても次弾装填は事実上不可能であり、先制攻撃として突撃前にとりあえず一発ぶち込んでおく的な運用しかできない。
戦闘機動中に発射するのも不可能だ。
この榴弾砲は走行中に撃てるように設計されていないし、そもそも操作するオペレーターが振り落される。
仮にオベレーターを榴弾砲の操作用に固定するとしたら、それは決死の懲罰席に他ならない。〈ジゾライド〉の戦闘機動時のGに耐えられずに血と肉のシェイクと化すのがオチだ。
故に、〈ジゾライド〉の背中の巨砲は飾りでしかない。
だが、榴弾砲の操作をするのが人間でなければ?
Gに耐え、発射時の衝撃波で吹き飛ぶのも恐れない、人外の存在がオベレーターならば、〈ジゾライド〉はいかなる環境下でも砲撃が可能だ。
今、〈ジゾライド〉の背面、榴弾砲の操作盤のシートには二体の空繰がベルトで固定されていた。
整備を行っていた〈祇園神楽〉の同型機である。この二体には、砲術の知識だけが封入されている。
上空の敵の脅威判定を経て、〈ジゾライド〉の火器管制AIが初めて
射撃の要アリ
との指令を出した。
155㎜榴弾砲は対空砲ではない。元より上空への砲撃は不可能だ。
最初から、そんなことに砲撃を使うつもりはない。
夜空に四つの円刃が煌めいた時、〈ジゾライド〉は膝を曲げて身を屈め、尻尾を大きく振り上げて、地面に振り下ろした。
同時に、両足の人工筋肉が全力で屈伸。地を蹴り、アスファルトを粉砕して、巨体が上空に飛び上がった。
50トンの巨体が砲弾と化して夜天を貫く。
「なっ!」
まさかの出来事にカチナが目を見開いた。
跳躍する鉄塊は瞬時に上昇し、自らを対空砲弾として〈ズライグ・ホワイト〉の高度に到達。擦れ違いざまに翼を蹴とばして、更に上空へと突き抜けていく。
しかし〈ジゾライド〉の蹴りは、〈ズライグ・ホワイト〉の翼の先端を掠めるに留まった。姿勢が崩れただけで、ほとんどダメージはない。
「まさか……こんな手を使うとはな! だが、万策尽きたのうレギュラス!」
冷や汗を浮かべるカチナだが、今度こそ勝利を確信した。
自由に飛行可能なワイバーンゴーレムと異なり、陸戦兵器に過ぎない〈ジゾライド〉には自由落下しか道は残されていない。あとは墜落か、着地か。
いずれにせよ、その瞬間にトドメを撃ち込むつもりだった。
しかし〈ジゾライド〉が選ぶのは、第三の選択。
砲手の〈祇園神楽〉がハンドルを回し、右の榴弾砲の仰角を上げて、発射レバーを引いた。
暗黒の空に爆炎が上がった。無照準の砲撃は空に消え、遠方の海上に飛んでいった。一見して無意味な悪あがきの砲撃。
だが、これは砲撃の反動を姿勢制御に利用するのが目的だった。
砲撃の反動と尻尾を舵にした重心移動で〈ジゾライド〉は空中で180°転回。落下する方向を制御した。すなわち、対空砲弾である自身の弾道を変更した。
本来なら地表に固定するアウトリガーなしでの空中発射は、ハードポイントから右の榴弾砲を脱落させた。その脱落した榴弾砲を〈ジゾライド〉は両手の爪で掴み、棍棒さながらに振り上げて、落下と共に眼下の〈ズライグ・ホワイト〉へと叩き込んだ。
脳天を叩き割られる〈ズライグ・ホワイト〉。
ぶち込まれた榴弾砲も無惨にひしゃげ、固定されていた〈祇園神楽〉も上半身と下半身をベルトで両断されて宙を舞った。
「んなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
カチナは頭を抑えて絶叫した。
痛みのフィードバックと。目の前で起きたあらゆる現実を理解できぬ錯乱が思考を焦がす。
制御を失った〈ズライグ・ホワイト〉は、きりもみ状態となって墜落。
〈ジゾライド〉は使い物にならなくなった榴弾砲を〈ズライグ・ブラック〉へと投げつけた。
操作するカチナの判断が遅れ、榴弾砲の砲身が翼に直撃。片方のプロップローターの回転が失速。姿勢制御不能に陥った〈ズライグ・ブラック〉は、ゆっくりと地上に落ちていった。
〈ジゾライド〉は自由落下で地表に達し、残った榴弾砲と脚部のアウトリガーを展開して接地面を最大まで広げて、道路を滑走破壊しながら着地した。
一方の〈ズライグ・ブラック〉はプロップローターの揚力で、比較的穏便に着陸した。
ずしり、と20トン超の機体が土煙を上げて接地する。
プロップローターは未だに稼働状態で、周囲の大気を巻き上げていた。
幸運にも〈ズライグ・ブラック〉の射線上に、無防備な〈ジゾライド〉の背中がある。まだ着地の衝撃から体制を立て直せていない。
カチナは頭痛で疼く片目を抑えて、コンテナの床を這いながら狙いをつける。
「空中戦をやるなど予想外じゃったが……今度こそ終わりじゃ! キラーディスク!」
〈ズライグ・ブラック〉の両翼のプロップローターがキラーディスクを形成し、地獄の光輪を投射した。
〈ジゾライド〉が振り向き、目を細めて自らに迫る光輪の軌跡を捉えた時には、その鋼鉄の機体に二枚のキラーディスクが直撃していた。
弾け飛ぶ電光。
夜天に火花の血潮が走った後に、砕かれていたのはキラーディスクの方だった。
地獄の光輪は〈ジゾライド〉の装甲に触れた瞬間、魔術で増幅されていた電圧を打ち消され、極度に矮小化して、粉々に砕けてしまった。
「はっ……?」
自信を込めた必殺の一撃が無力化され、カチナの意識が凍りついた。
〈ジゾライド〉の関節が、赤熱化している。10月の冷たい空気が関節に触れて、水蒸気を上げている。
蒸気をまといながら、〈ジゾライド〉がゆっくりと歩き始めた。
〈ズライグ・ブラック〉に向かって、悠然と殺意を込めて、前身を始めた。
「こっ……この……っ!」
カチナはコンテナの床にへたり込み、無意識に後ずさった。
「この……っ! バケモノめぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
人の身にて、黒龍は恐怖に絶叫した。
〈ズライグ・ブラック〉が全身の火器を放つ。無数の赤い火線が夜に尾を引き、存外に地味な発射音が雪崩のように重なって、迫りくる竜王を迎撃する。
対装甲用のHEDP弾頭ロケット弾の嵐、効かない。
20mmバルカン砲の猛攻、だが効かない。
M129グレネードランチャーの速射、それも効かない。
全てが効いていない。
あらゆる抵抗をものともせず、〈ジゾライド〉が爆炎の中を進んでくる。
極大のキラーディスクの投射さえ、爪の一振りで打ち砕かれた。
「ひぃぃぃぃぃぃぃっ!」
戦意を喪失したカチナが〈ズライグ・ブラック〉を退かせようとした時には、〈ジゾライド〉が目前まで迫っていた。
おいおいまだ逃げるなよ、とでも言いたげに〈ジゾライド〉左の爪で〈ズライグ・ブラック〉の翼を掴んだ。
そして〈ジゾライド〉は右腕の兵装コンテナを展開した。
露わになる、チェーンソー型の対妖魔切削殲滅装置。通称チェイン・マグニーザー。
主機とは別に装備された補機のターボシャフトエンジンを動力として、破壊の牙が高速回転を始めた。炭化タングステンのエッジが黒い残像を成すほどの超高速回転刃が、〈ズライグ・ブラック〉の顔面に叩き込まれた。
激しい火花と切削された装甲のカスが周囲に飛び散る。
「ぎぃやああああああああああああああああ!」
カチナが顔面を抑えてのたうつ。
顔を削り取られていく幻肢痛と、魂を引き裂かれる苦痛に全神経が支配される。
チェイン・マグニーザーとは、強大な妖魔を炭化タングステンエッジで物理的に切削し、強電磁波の照射で霊的に捩じ切る二段構えの殲滅用超兵器。
これを展開された時点で、〈ズライグ・ブラック〉の運命は決まっていた。
程なく、チェイン・マグニーザーが〈ズライグ・ブラック〉の胴体部まで両断。中枢回路の石英が破壊され、内部に封入されていた黒龍ズライグの霊体は死んだ。形なきモノ、神や魔を殺すために人類がありったけの殺意を込めて練り上げた兵器をまともに受けて、剥き出しの霊体が耐えられるわけがなかった。
「あぁー……ぁぁ……」
自らの精神の片割れを喪失して、カチナは意識を失った。
切削された〈ズライグ・ブラック〉の無様な亡骸に向けて、〈ジゾライド〉は左の榴弾砲を向けた。爪でフックを引っ張り、手動で砲口を切り口に合わせた。
至近距離からの砲撃。そして爆発。
榴弾の爆炎が二体の竜を飲み込み、離れたコンテナ上にいたカチナも爆風で吹き飛ばされた。コンテナに残されていた機材の数々、竜血の入った注射器も無秩序に散乱していった。
同じころ、左大とデイビスの死闘の決着も近づいていた。
息を切らし、肩を上下させるデイビス。
対する左大もダメージが蓄積し、足がフラつく。
それでも、左大の表情は楽しげだった。
「はぁ、はぁ……なあ、デイビスよォ……。ティラノを追うスティラコはトリケラとなる……って言うぜ。今のお前は正しく俺と言うティラノに追いすがった……トリケラトプスだぜ」
そんなこと誰が言っているのか。デイビスは聞いたことがない。
だが、あの牛に似た間抜け面の草食恐竜くらい知っている。
「だァれがトリケラトプスじゃああああああああッッッッっ!」
「さァこいよトリケラァ! こぉいっこいっ! こいっっっ!」
謎の挑発でこい、こいと手振りをする左大。
挑発に乗ったデイビスが拳を下段に構えて突進する。
左大は横ステップで回り込もうとしたが、思うように体が反応しない。
体力の限界だった。
それでも、ここで倒されるのなら構わなかった。
全力を出し切った戦いで敗れて死ぬのもまた、良き人生の花道だと……最初から納得の上でこうしている。
限界なのは、デイビスも同じだった。
足がもつれて姿勢を崩し、中途半端な勢いで左大に衝突した。
反射的にカウンターを叩き込む左大。
互いの拳が腹にめり込んで、二人の巨漢は拳を撃ち放つ形で吹き飛んだ。
「ぬぅぉっ!」
「ぐあああああああああ!」
瓦礫の上を転げまわって、左大は地に両膝をついた。
倒れてはいない。だが、すぐに立ち上がれない。
額から脂汗を垂らして、左大は笑った。
「こい……あと一息だぞデイビス……!」
勝敗など、もうどうでも良かった。こんな投げ槍で戦っていては負ける。きっと、デイビスの執念の方が勝るだろう。
さあかかってこい。俺にトドメを刺してみろ!
そう願って顔を上げた左大の視界に映ったのは、予想外の光景だった。
デイビスが注射器を握っている。黒い液体の入った、ひび割れた注射器。
「はぁ……はぁ……はぁぁぁぁぁぁ! 貴様を打ち殺すのに! 手段は選ばぬと言ったァ!」
その注射器がなんなのか、左大は具体的には分からない。
だが恐竜的直感が脳の旧皮質の奥底で叫んでいる。
あんなものを使ったら、全てがおしまいだと。
左大より早く、瓦礫の向こうから制止する声がした。
「おやめください宗主様! 竜血に適応できるのは長年の調整あってこそ!」
「普通の人間が使えば死にますぞぉぉぉぉぉぉ!」
生き残りのデイビスの一族が声を張り上げた。
デイビスは同胞の悲痛な声に耳を貸す気配がない。
それどころか、左大の表情を見て不敵に笑った。
「貴様が焦っているということはァ! 俺にとって有利ということだな~~~っ!」
「止めろデイビス! 取り返しのつかんことになるぞ!」
「俺はなぁ~~サダィ~~~……っ! 取り返しのつかんことになるのは大好きなのだぁ~~~っ!」
激情のままに、デイビスは暴に注射器を頸動脈に打ち込んだ。
「ドワォ!」
奇声を上げるデイビス。
生と死を天秤に賭けた選択。それ自体は良い。結構なことだ。そういう土壇場は左大も望む所だ。
だが、デイビスの手段は間違っているのだ。
「ばかやろうが……」
変わりゆくデイビスを見る左大の視線は、ひどく悲しげだった。
デイビスの肉が変化していく。
打ち込まれた竜血は人体を強制的に飛竜に近づける。時間をかけて調整されたカチナと異なり、デイビスの肌は黒く変色し、表皮は鱗のごとく硬質化。筋肉は異様に盛り上がり、怪物じみた外見に変貌した。
「ぬぅぅぅぅぅぅん……。ぐぅぅぅぅぅ……」
呻き声を上げるデイビスは、さながら竜人といったところか。
全身から湯気を上気させて、竜人が筋肉を震わせた。
「FooooMゥゥゥゥ……。生まれ変わった気分だァ……」
竜人と化したデイビスは、間近の残骸に目をやった。
左大の乗っていた軽自動車が下敷きになっている。200キログラムはあろうかという装甲の破片だ。
デイビスはその残骸を
「だァァァァばァ~~ッッッッ!」
片手で押し退け、下敷きになっていた軽自動車に手をかけた。
そして足を踏ん張り、背筋の膂力で以て600キログラムの車体を持ち上げ、地面に叩きつけた。
砕け散る軽自動車。その光景を見たデイビスの一族が湧いた。
「じっ自動車にジャーマンスープレックスだぁっ!」
「日本でしか売られていない軽量の自動車とはいえ車を投げ飛ばすとはぁ~~っ! 宗主様の力は既に人間を超えておられる~~っっっ!」
同胞の歓声を背に受けたデイビスが、余裕の表情で左大を見下ろした。
「フハハハハハ……竜血を得た我が聖なる肉体には、もはや一片の隙もなしィ……」
左大は無言で虚空を見つめている。
それは、全てを諦め、敗北を受け入れたように見えた。
「終わりだサダィ! 飛竜突貫斬撃翼――――ッ!」
強烈な手刀の袈裟切りが左大の肩口に打ち込まれた。
終わった。全てが終わった。
肉を裂き、骨を砕いた確実な手応えを感じ、デイビスはくつくつと笑った。
「すまんなデイビス。効かねぇンだ……」
左大は無常に呟いた。
手刀を撃ち込んだデイビスの腕が、逆方向に折れ曲がっていた。
左大の鎖骨の強度に耐え切れず、竜人の腕は無惨に破壊されていた。
「なぁ~~~っ! バカな~~~っ!」
信じられない現実にデイビスは絶叫した。
「人間を超えたこの俺が~~ぁっ!」
「デイビスよ。そんなトカゲの力に頼らなくたって、人間は十分すぎるくらいに強いぜ」
「どぉーーーーしてっ!」
「そのトカゲが人間より強ぇのなら、どうして山奥に引きこもってたんだ。大昔の人間に負けたからだろ……」
デイビスの表情が凍結した。
そもそも、ズライグは自分達の祖先同様にサクソン人に負けてウェールズに逃げ込んだのだ。ズライグは火砲すらない中世の野蛮な戦士たちに、ただの人間に負けたのだ。
敗者の力を得た所で、どうして勝者に勝てるというのか。
「じゃあ……お、俺は何のために……」
「人生ってのは間違いだらけで、何が正解だったのかって、いつも後悔して後から本当の答を探すもんだ。お前の答え合わせは……あの世でやりな」
左大がデイビスの足を払い、姿勢を崩して腰から体を持ち上げた。
プロレス技のアルゼンチンパックブリーカーに近い形で、デイビスの巨体を肩に乗せている。
勝利を目前に選択を誤った愚者へのせめてもの手向けとして、大技で送ってやる。
「恐竜酔拳! ギガノトフォー――――ルッ!」
左大は全身を回転させ、竜巻と化して天空に飛ぶ。その勢いを乗せた大車輪投げで、デイビスを燃え盛る火中へと投げ入れた。
「ああぁぁぁ……こ、これが俺の結末かよぉぉぉぉぉ……」
嗚咽のような叫びを残して、デイビス・ブラックは炎に消えた。
その炎は、〈ズライグ・ブラック〉の破壊された炎。ターボシャフトエンジンの燃料に引火した炎は、更に激しく火柱を上げて、飛竜の墓標と成っていた。
全ての敵を打ち倒し、〈ジゾライド〉が勝利の雄叫びを上げた。
しかし左大の表情は苦く、冷え切っていた。
「あとちょっとだったんたぜ……。デイビス……ばかやろうめ……」
望んだ場所に、あと一歩の所で手が届かなかった空しさ儚さ。
酒とは人生の鎮痛剤。ほんの一時、この馴れきった虚無感を忘れさせてくれる。
酔いは……とっくに醒めていた。
衝突時の衝撃が大気を押し出し、気圧変化による水蒸気が霧となって周囲に弾け飛ぶ。
〈ジゾライド〉のチタン製の爪は〈ズライグ・ホワイト〉の胸部装甲を貫通していた。
破砕された装甲が火花となって弾け、電気系統のショートが水蒸気に反応して幾度とスパークする。
「ぐぅぅぅぅぅ……っ!」
カチナが胸を抑えて身悶える。
分身の一つが受けたダメージがフィードバックされている。
〈ズライグ・ホワイト〉が甲高い声で啼いた。
胸を貫かれる痛みが、予想外の奇襲攻撃の驚愕が、竜哭の夜を雷で染める。
爪から逃れようと体を捩る〈ズライグ・ホワイト〉だが、〈ジゾライド〉は逃がさない。
竜王の雄叫びは嘲笑う炎。
爪を捩じり、更に〈ズライグ・ホワイト〉の体内に押し込む。
〈ズライグ・ホワイト〉が巨大な羽をばたつかせ、しゃにむに火砲を乱射した。
両翼のロケット弾を、胸のバルカン砲を、足のグレネードランチャーを一斉に放つが、〈ジゾライド〉が肉薄しているため射角に捉え切れない。辛うじてバルカン砲は直撃しているが、ぶ厚い装甲の前に無意味に跳弾している。
〈ズライグ・ホワイト〉はバイザーの奥の目を白く明滅させる。これが肉体であれば必死の形相だったろう。死と破壊から逃れるために手段を選んでいられない。
噛みつこうと口をぱくぱくと開閉するが〈ジゾライド〉に当たらない。触覚のような二本の角から対人用のショック・パルスを放つが、鋼鉄の竜王には効かない。
無駄な足掻きの果てに、遂に〈ジゾライド〉が白きワイバーンの心臓を抉り出した。
ぶちぶちと音を立てて無数のコードとハーネスを引き千切り、〈ズライグ・ホワイト〉の胸部から紫の石英が摘出された。
それは、空繰や戦闘機械傀儡の勾玉と同質の中枢回路であり、飛竜の霊体が複写された媒体である。
〈ジゾライド〉の爪が石英を一気に砕いた。
まずは一体。〈ズライグ・ホワイト〉は機能を停止し、空っぽの器となって首を垂れた。
僅か二十秒に満たない交戦だった。
「ゲホッゲホッ……! おのれぇ……レ・ギュ・ラ・スゥゥゥ……っ!」
カチナが膝をつき、胸を抑えて何度も咽た。
60余年前の屈辱が、カチナの脳裏にフラッシュバックする。
かつて黒竜であった自分が成す術なく殺された、あの竜哭の夜が今日という日に重なって、カチナは痛みを怒りで捻じ伏せた。
「回れ……我が殺戮の円刃……」
カチナの命令を受けて、残る二体の映し身が駆動する。
羽に内蔵されていた二対のプロペラ、正確にはプロップローターがせり上がり、二発のターボシャフトエンジンの高鳴りに合わせて回転速度を上げていく。
〈ズライグ・ブラック〉の胸の石英が輝くと、大気がうねり、地表から翼を押し上げるような上昇気流が発生した。
それは、揚力不足を補うための風の魔術であった。
プロップローターの揚力、上昇気流、そして翼の羽ばたきを合わせて、〈ズライグ・ブラック〉の巨体が空中に浮きあがった。
高速回転する二対のプロップローターが電光を帯び、やがて稲妻は円を描いて、〈ジゾライド〉へと撃ち放たれた。
〈ジゾライド〉と組み合っていた〈ズライグ・ホワイト〉の亡骸に、稲妻の円刃が到達。衝突と同時に円刃は弾け、放電と同時に生じた衝撃波が亡骸を破砕した。
「見たか、我がキラーディスクの威力を!」
キラーディスク攻撃。
それは、土木工事などに用いられる放電破砕をズライグの魔力により兵器として成立させたものだ。
本来なら大がかりな設備と電力が必要で、かつ兵器転用なぞ無理な代物だが、欠点を魔術的に補うことで不可能を可能としている。
〈ズライグ・ブラック〉の飛行にしても、エンジンの出力不足は魔術で、空力制御はカチナの中の飛竜としての記憶と本能で補填している。
「今のは……試し撃ちじゃ……!」
猛烈な揚力の真下にいるカチナは、予想外の風圧でコンテナの床に押し付けられ、腕立ての姿勢を取っていた。
だが今は脆弱な人の身を嘆くより、キラーディスクの狙いをつけるのが先決。
火器管制システムとの同調は全く理屈では分からないので、ほとんど感覚で狙いをつける。
既に〈ズライグ・ホワイト〉と〈ズライグ・ブラック〉は、上昇して上空50メートルにまで達していた。
頭上からのトップアタックは、全ての陸戦兵器にとって弱点である。これらワイバーン型テクノ・ゴーレムは、トップアタックにより〈ジゾライド〉を圧倒するために作られたガンシップであった。
「くくくく…人の子らはコレを作るのに大金をふっかけられたと泣いておったが……。これならば我が宿願は成就される!」
あと一撃で、あの憎い恐竜を始末できる。それも一方的に!
強者として弱者を屠る快感に痺れる。昂ぶりを必死に抑えつつ、カチナは上空の機体に視覚を同調させて〈ジゾライド〉を狙った。
〈ジゾライド〉は成す術なく、呆然と夜空を見上げていた。
いかに動きが早くとも、稲妻の速度は回避できまい。運よく避けられたとしても、空を飛ぶ相手にあんな図体の鉄の塊が反撃できるわけがない。
「悔しかろうなぁレギュラスよ! お前の爪も! 牙も! 空を舞う我が映し身には届かんのじゃからなぁ!」
得意の格闘戦を封じられた〈ジゾライド〉の敗北は必至。
勝った! 勝ったぞ!
そう確信したカチナの視界の奥で、〈ジゾライド〉は嗤った。
〈ジゾライド〉が背中のハードポイントに装備する、二対の巨砲。
FH‐70。陸上自衛隊にも配備されている155㎜榴弾砲である。
書類上は用途廃止のスクラップとして廃棄され、左大家のダミー会社に売却もとい譲渡されて、戦闘機械傀儡の武装として装備されたものだ。
直撃すれば、いかなる妖魔とて一撃で消滅させる火力を誇る。
とはいえ、榴弾砲自体はコンポーネントの単純な流用であり、ハードポイントへの懸架装置以外に特に手は加えられていない。
照準装置や給弾機構も従来品のままだ。
つまり、砲兵としての知識と経験を持ったオペレーターが〈ジゾライド〉の背中に張り付いて、手動で操作しなければ発射できない。
そして発射できたとしても次弾装填は事実上不可能であり、先制攻撃として突撃前にとりあえず一発ぶち込んでおく的な運用しかできない。
戦闘機動中に発射するのも不可能だ。
この榴弾砲は走行中に撃てるように設計されていないし、そもそも操作するオペレーターが振り落される。
仮にオベレーターを榴弾砲の操作用に固定するとしたら、それは決死の懲罰席に他ならない。〈ジゾライド〉の戦闘機動時のGに耐えられずに血と肉のシェイクと化すのがオチだ。
故に、〈ジゾライド〉の背中の巨砲は飾りでしかない。
だが、榴弾砲の操作をするのが人間でなければ?
Gに耐え、発射時の衝撃波で吹き飛ぶのも恐れない、人外の存在がオベレーターならば、〈ジゾライド〉はいかなる環境下でも砲撃が可能だ。
今、〈ジゾライド〉の背面、榴弾砲の操作盤のシートには二体の空繰がベルトで固定されていた。
整備を行っていた〈祇園神楽〉の同型機である。この二体には、砲術の知識だけが封入されている。
上空の敵の脅威判定を経て、〈ジゾライド〉の火器管制AIが初めて
射撃の要アリ
との指令を出した。
155㎜榴弾砲は対空砲ではない。元より上空への砲撃は不可能だ。
最初から、そんなことに砲撃を使うつもりはない。
夜空に四つの円刃が煌めいた時、〈ジゾライド〉は膝を曲げて身を屈め、尻尾を大きく振り上げて、地面に振り下ろした。
同時に、両足の人工筋肉が全力で屈伸。地を蹴り、アスファルトを粉砕して、巨体が上空に飛び上がった。
50トンの巨体が砲弾と化して夜天を貫く。
「なっ!」
まさかの出来事にカチナが目を見開いた。
跳躍する鉄塊は瞬時に上昇し、自らを対空砲弾として〈ズライグ・ホワイト〉の高度に到達。擦れ違いざまに翼を蹴とばして、更に上空へと突き抜けていく。
しかし〈ジゾライド〉の蹴りは、〈ズライグ・ホワイト〉の翼の先端を掠めるに留まった。姿勢が崩れただけで、ほとんどダメージはない。
「まさか……こんな手を使うとはな! だが、万策尽きたのうレギュラス!」
冷や汗を浮かべるカチナだが、今度こそ勝利を確信した。
自由に飛行可能なワイバーンゴーレムと異なり、陸戦兵器に過ぎない〈ジゾライド〉には自由落下しか道は残されていない。あとは墜落か、着地か。
いずれにせよ、その瞬間にトドメを撃ち込むつもりだった。
しかし〈ジゾライド〉が選ぶのは、第三の選択。
砲手の〈祇園神楽〉がハンドルを回し、右の榴弾砲の仰角を上げて、発射レバーを引いた。
暗黒の空に爆炎が上がった。無照準の砲撃は空に消え、遠方の海上に飛んでいった。一見して無意味な悪あがきの砲撃。
だが、これは砲撃の反動を姿勢制御に利用するのが目的だった。
砲撃の反動と尻尾を舵にした重心移動で〈ジゾライド〉は空中で180°転回。落下する方向を制御した。すなわち、対空砲弾である自身の弾道を変更した。
本来なら地表に固定するアウトリガーなしでの空中発射は、ハードポイントから右の榴弾砲を脱落させた。その脱落した榴弾砲を〈ジゾライド〉は両手の爪で掴み、棍棒さながらに振り上げて、落下と共に眼下の〈ズライグ・ホワイト〉へと叩き込んだ。
脳天を叩き割られる〈ズライグ・ホワイト〉。
ぶち込まれた榴弾砲も無惨にひしゃげ、固定されていた〈祇園神楽〉も上半身と下半身をベルトで両断されて宙を舞った。
「んなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
カチナは頭を抑えて絶叫した。
痛みのフィードバックと。目の前で起きたあらゆる現実を理解できぬ錯乱が思考を焦がす。
制御を失った〈ズライグ・ホワイト〉は、きりもみ状態となって墜落。
〈ジゾライド〉は使い物にならなくなった榴弾砲を〈ズライグ・ブラック〉へと投げつけた。
操作するカチナの判断が遅れ、榴弾砲の砲身が翼に直撃。片方のプロップローターの回転が失速。姿勢制御不能に陥った〈ズライグ・ブラック〉は、ゆっくりと地上に落ちていった。
〈ジゾライド〉は自由落下で地表に達し、残った榴弾砲と脚部のアウトリガーを展開して接地面を最大まで広げて、道路を滑走破壊しながら着地した。
一方の〈ズライグ・ブラック〉はプロップローターの揚力で、比較的穏便に着陸した。
ずしり、と20トン超の機体が土煙を上げて接地する。
プロップローターは未だに稼働状態で、周囲の大気を巻き上げていた。
幸運にも〈ズライグ・ブラック〉の射線上に、無防備な〈ジゾライド〉の背中がある。まだ着地の衝撃から体制を立て直せていない。
カチナは頭痛で疼く片目を抑えて、コンテナの床を這いながら狙いをつける。
「空中戦をやるなど予想外じゃったが……今度こそ終わりじゃ! キラーディスク!」
〈ズライグ・ブラック〉の両翼のプロップローターがキラーディスクを形成し、地獄の光輪を投射した。
〈ジゾライド〉が振り向き、目を細めて自らに迫る光輪の軌跡を捉えた時には、その鋼鉄の機体に二枚のキラーディスクが直撃していた。
弾け飛ぶ電光。
夜天に火花の血潮が走った後に、砕かれていたのはキラーディスクの方だった。
地獄の光輪は〈ジゾライド〉の装甲に触れた瞬間、魔術で増幅されていた電圧を打ち消され、極度に矮小化して、粉々に砕けてしまった。
「はっ……?」
自信を込めた必殺の一撃が無力化され、カチナの意識が凍りついた。
〈ジゾライド〉の関節が、赤熱化している。10月の冷たい空気が関節に触れて、水蒸気を上げている。
蒸気をまといながら、〈ジゾライド〉がゆっくりと歩き始めた。
〈ズライグ・ブラック〉に向かって、悠然と殺意を込めて、前身を始めた。
「こっ……この……っ!」
カチナはコンテナの床にへたり込み、無意識に後ずさった。
「この……っ! バケモノめぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
人の身にて、黒龍は恐怖に絶叫した。
〈ズライグ・ブラック〉が全身の火器を放つ。無数の赤い火線が夜に尾を引き、存外に地味な発射音が雪崩のように重なって、迫りくる竜王を迎撃する。
対装甲用のHEDP弾頭ロケット弾の嵐、効かない。
20mmバルカン砲の猛攻、だが効かない。
M129グレネードランチャーの速射、それも効かない。
全てが効いていない。
あらゆる抵抗をものともせず、〈ジゾライド〉が爆炎の中を進んでくる。
極大のキラーディスクの投射さえ、爪の一振りで打ち砕かれた。
「ひぃぃぃぃぃぃぃっ!」
戦意を喪失したカチナが〈ズライグ・ブラック〉を退かせようとした時には、〈ジゾライド〉が目前まで迫っていた。
おいおいまだ逃げるなよ、とでも言いたげに〈ジゾライド〉左の爪で〈ズライグ・ブラック〉の翼を掴んだ。
そして〈ジゾライド〉は右腕の兵装コンテナを展開した。
露わになる、チェーンソー型の対妖魔切削殲滅装置。通称チェイン・マグニーザー。
主機とは別に装備された補機のターボシャフトエンジンを動力として、破壊の牙が高速回転を始めた。炭化タングステンのエッジが黒い残像を成すほどの超高速回転刃が、〈ズライグ・ブラック〉の顔面に叩き込まれた。
激しい火花と切削された装甲のカスが周囲に飛び散る。
「ぎぃやああああああああああああああああ!」
カチナが顔面を抑えてのたうつ。
顔を削り取られていく幻肢痛と、魂を引き裂かれる苦痛に全神経が支配される。
チェイン・マグニーザーとは、強大な妖魔を炭化タングステンエッジで物理的に切削し、強電磁波の照射で霊的に捩じ切る二段構えの殲滅用超兵器。
これを展開された時点で、〈ズライグ・ブラック〉の運命は決まっていた。
程なく、チェイン・マグニーザーが〈ズライグ・ブラック〉の胴体部まで両断。中枢回路の石英が破壊され、内部に封入されていた黒龍ズライグの霊体は死んだ。形なきモノ、神や魔を殺すために人類がありったけの殺意を込めて練り上げた兵器をまともに受けて、剥き出しの霊体が耐えられるわけがなかった。
「あぁー……ぁぁ……」
自らの精神の片割れを喪失して、カチナは意識を失った。
切削された〈ズライグ・ブラック〉の無様な亡骸に向けて、〈ジゾライド〉は左の榴弾砲を向けた。爪でフックを引っ張り、手動で砲口を切り口に合わせた。
至近距離からの砲撃。そして爆発。
榴弾の爆炎が二体の竜を飲み込み、離れたコンテナ上にいたカチナも爆風で吹き飛ばされた。コンテナに残されていた機材の数々、竜血の入った注射器も無秩序に散乱していった。
同じころ、左大とデイビスの死闘の決着も近づいていた。
息を切らし、肩を上下させるデイビス。
対する左大もダメージが蓄積し、足がフラつく。
それでも、左大の表情は楽しげだった。
「はぁ、はぁ……なあ、デイビスよォ……。ティラノを追うスティラコはトリケラとなる……って言うぜ。今のお前は正しく俺と言うティラノに追いすがった……トリケラトプスだぜ」
そんなこと誰が言っているのか。デイビスは聞いたことがない。
だが、あの牛に似た間抜け面の草食恐竜くらい知っている。
「だァれがトリケラトプスじゃああああああああッッッッっ!」
「さァこいよトリケラァ! こぉいっこいっ! こいっっっ!」
謎の挑発でこい、こいと手振りをする左大。
挑発に乗ったデイビスが拳を下段に構えて突進する。
左大は横ステップで回り込もうとしたが、思うように体が反応しない。
体力の限界だった。
それでも、ここで倒されるのなら構わなかった。
全力を出し切った戦いで敗れて死ぬのもまた、良き人生の花道だと……最初から納得の上でこうしている。
限界なのは、デイビスも同じだった。
足がもつれて姿勢を崩し、中途半端な勢いで左大に衝突した。
反射的にカウンターを叩き込む左大。
互いの拳が腹にめり込んで、二人の巨漢は拳を撃ち放つ形で吹き飛んだ。
「ぬぅぉっ!」
「ぐあああああああああ!」
瓦礫の上を転げまわって、左大は地に両膝をついた。
倒れてはいない。だが、すぐに立ち上がれない。
額から脂汗を垂らして、左大は笑った。
「こい……あと一息だぞデイビス……!」
勝敗など、もうどうでも良かった。こんな投げ槍で戦っていては負ける。きっと、デイビスの執念の方が勝るだろう。
さあかかってこい。俺にトドメを刺してみろ!
そう願って顔を上げた左大の視界に映ったのは、予想外の光景だった。
デイビスが注射器を握っている。黒い液体の入った、ひび割れた注射器。
「はぁ……はぁ……はぁぁぁぁぁぁ! 貴様を打ち殺すのに! 手段は選ばぬと言ったァ!」
その注射器がなんなのか、左大は具体的には分からない。
だが恐竜的直感が脳の旧皮質の奥底で叫んでいる。
あんなものを使ったら、全てがおしまいだと。
左大より早く、瓦礫の向こうから制止する声がした。
「おやめください宗主様! 竜血に適応できるのは長年の調整あってこそ!」
「普通の人間が使えば死にますぞぉぉぉぉぉぉ!」
生き残りのデイビスの一族が声を張り上げた。
デイビスは同胞の悲痛な声に耳を貸す気配がない。
それどころか、左大の表情を見て不敵に笑った。
「貴様が焦っているということはァ! 俺にとって有利ということだな~~~っ!」
「止めろデイビス! 取り返しのつかんことになるぞ!」
「俺はなぁ~~サダィ~~~……っ! 取り返しのつかんことになるのは大好きなのだぁ~~~っ!」
激情のままに、デイビスは暴に注射器を頸動脈に打ち込んだ。
「ドワォ!」
奇声を上げるデイビス。
生と死を天秤に賭けた選択。それ自体は良い。結構なことだ。そういう土壇場は左大も望む所だ。
だが、デイビスの手段は間違っているのだ。
「ばかやろうが……」
変わりゆくデイビスを見る左大の視線は、ひどく悲しげだった。
デイビスの肉が変化していく。
打ち込まれた竜血は人体を強制的に飛竜に近づける。時間をかけて調整されたカチナと異なり、デイビスの肌は黒く変色し、表皮は鱗のごとく硬質化。筋肉は異様に盛り上がり、怪物じみた外見に変貌した。
「ぬぅぅぅぅぅぅん……。ぐぅぅぅぅぅ……」
呻き声を上げるデイビスは、さながら竜人といったところか。
全身から湯気を上気させて、竜人が筋肉を震わせた。
「FooooMゥゥゥゥ……。生まれ変わった気分だァ……」
竜人と化したデイビスは、間近の残骸に目をやった。
左大の乗っていた軽自動車が下敷きになっている。200キログラムはあろうかという装甲の破片だ。
デイビスはその残骸を
「だァァァァばァ~~ッッッッ!」
片手で押し退け、下敷きになっていた軽自動車に手をかけた。
そして足を踏ん張り、背筋の膂力で以て600キログラムの車体を持ち上げ、地面に叩きつけた。
砕け散る軽自動車。その光景を見たデイビスの一族が湧いた。
「じっ自動車にジャーマンスープレックスだぁっ!」
「日本でしか売られていない軽量の自動車とはいえ車を投げ飛ばすとはぁ~~っ! 宗主様の力は既に人間を超えておられる~~っっっ!」
同胞の歓声を背に受けたデイビスが、余裕の表情で左大を見下ろした。
「フハハハハハ……竜血を得た我が聖なる肉体には、もはや一片の隙もなしィ……」
左大は無言で虚空を見つめている。
それは、全てを諦め、敗北を受け入れたように見えた。
「終わりだサダィ! 飛竜突貫斬撃翼――――ッ!」
強烈な手刀の袈裟切りが左大の肩口に打ち込まれた。
終わった。全てが終わった。
肉を裂き、骨を砕いた確実な手応えを感じ、デイビスはくつくつと笑った。
「すまんなデイビス。効かねぇンだ……」
左大は無常に呟いた。
手刀を撃ち込んだデイビスの腕が、逆方向に折れ曲がっていた。
左大の鎖骨の強度に耐え切れず、竜人の腕は無惨に破壊されていた。
「なぁ~~~っ! バカな~~~っ!」
信じられない現実にデイビスは絶叫した。
「人間を超えたこの俺が~~ぁっ!」
「デイビスよ。そんなトカゲの力に頼らなくたって、人間は十分すぎるくらいに強いぜ」
「どぉーーーーしてっ!」
「そのトカゲが人間より強ぇのなら、どうして山奥に引きこもってたんだ。大昔の人間に負けたからだろ……」
デイビスの表情が凍結した。
そもそも、ズライグは自分達の祖先同様にサクソン人に負けてウェールズに逃げ込んだのだ。ズライグは火砲すらない中世の野蛮な戦士たちに、ただの人間に負けたのだ。
敗者の力を得た所で、どうして勝者に勝てるというのか。
「じゃあ……お、俺は何のために……」
「人生ってのは間違いだらけで、何が正解だったのかって、いつも後悔して後から本当の答を探すもんだ。お前の答え合わせは……あの世でやりな」
左大がデイビスの足を払い、姿勢を崩して腰から体を持ち上げた。
プロレス技のアルゼンチンパックブリーカーに近い形で、デイビスの巨体を肩に乗せている。
勝利を目前に選択を誤った愚者へのせめてもの手向けとして、大技で送ってやる。
「恐竜酔拳! ギガノトフォー――――ルッ!」
左大は全身を回転させ、竜巻と化して天空に飛ぶ。その勢いを乗せた大車輪投げで、デイビスを燃え盛る火中へと投げ入れた。
「ああぁぁぁ……こ、これが俺の結末かよぉぉぉぉぉ……」
嗚咽のような叫びを残して、デイビス・ブラックは炎に消えた。
その炎は、〈ズライグ・ブラック〉の破壊された炎。ターボシャフトエンジンの燃料に引火した炎は、更に激しく火柱を上げて、飛竜の墓標と成っていた。
全ての敵を打ち倒し、〈ジゾライド〉が勝利の雄叫びを上げた。
しかし左大の表情は苦く、冷え切っていた。
「あとちょっとだったんたぜ……。デイビス……ばかやろうめ……」
望んだ場所に、あと一歩の所で手が届かなかった空しさ儚さ。
酒とは人生の鎮痛剤。ほんの一時、この馴れきった虚無感を忘れさせてくれる。
酔いは……とっくに醒めていた。
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