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第二話

竜血の乙女、暴君を穿つのこと11

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 瀬織と景が、つくし市行きのバスに乗り換えた頃には、既に日が傾いていた。

 二人はバスに乗る前に一旦帰宅していた。瀬織が準備があると言っていたからだ。

 その準備というのは、瀬織が買ったばかりの服に着替え、先日に景が左大から貰った資料本〈戦闘機械傀儡のすべて〉を持ち出すことだった。

 心細い照明が照らす薄暗いバスの車中にて、瀬織は〈戦闘機械傀儡のすべて〉を開いていた。

 そして、パラパラとページをめくって、人間を超えた速度で内容を知識として吸収している。

「ねえ……その本、どうしたの?」

 隣に座る景が尋ねた。

 左大に関わりたくないと言っていた瀬織が、突然こんな資料に興味を抱くのは不自然である。

「この本……ですか」

 瀬織は機械的で、抑揚に欠けた声で応えた、思考の容量を情報習得に割いているので、感情面が少し希薄になっていた。

「あの左大という方……思慮の浅い野武士に見えましたが、侮っておりました。景くんはこの本、読みましたか」

「うん。途中までは」

「この本、正しく全てを網羅しております。試作機から正式採用型、その細かな仕様変更まで記載されています。各機種の長所と短所、製造時期に由来する構造的欠陥までも」

 瀬織が開いているのは、巻末のページ。そこには戦闘機械傀儡〈ジゾライド〉の改装の歴史と、機械的欠陥の割り出しがずらりと写真つきで、びっしり書き綴られていた。

「そ、そこまではまだ読んでないなあ……」

 景としては物珍しい恐竜メカの写真と戦史解説が面白いと感じたので、巻末の文字列にまでは興味が及ばなかった。

「つまるところ、左大さんはいかなる戦闘機械傀儡が現れても対処できるということです。動かすにしても、壊すにしても」

 瀬織の語る所の真意が理解できず、景は首を傾げた。

 程なく、二人は目的のバス停で降車。夕闇に包まれた昨日と同じ道を辿って、左大の家の近くまで歩いた。

 暗がりの中に左大家のシルエットが見えてくると、瀬織は不意に立ち止まった。

 そして、目を凝らして左大家の周囲を見ている。

「なに……どしたの?」

 景が不審に思って声をかけると、瀬織は闇の中の一点を指差した。

「ああ、やっぱり。いましたわ」

 いる、と言われても暗すぎて景には何も見えなかった。

 瀬織と共に件の場所に向かう。そこは、左大家を囲む塀の一ヶ所だった。

 近くに寄れば、確かにいた。

 先日、左大と揉め事を起こした外国人の少女が。

 少女は、上体を塀に乗せて敷地内を覗き込んでいた。

 その背後にすぅっと身を寄せて、瀬織は中腰で囁いた。

「こんばんは」

 急に声をかけられた少女の肩がびくりと震え、怯えた様子でこちらに振り向いた。

「あ……アノ……ワタシ……」

 相変わらずの片言の日本語。昨日の今日なので怯える理由も良く分かる。しかも瀬織と景は左大の家にいたのを見られている。あれの身内と誤解されるのも仕方ない。

 瀬織は不自然なほどニコニコと微笑みながら、腰を曲げたまま少女に目線を合わせた。

「安心してください。わたくし達、ここの方とは特に関係ありませんので」

 瀬織は景に横目で視線をやった。話を合わせてくれ、という意図のアイコンクトだった。

「う、うん。そうだよ。僕らはただのお客だから……」

 景も相槌を打って少女に言った。実際、嘘は言っていない。

 未だ警戒の解けない少女に対して、瀬織は親しげに、優しく続けた。

「わたくし、東瀬織と申します。あなたのお名前は?」

 僅かな逡巡の後、少女は上目遣いに瀬織を見返した。

「ワタシ……カチナ。カチナ・ホワイト、いいマス」

「そうですか。カチナさんですか。して、カチナさんはどこから来たんですの?」

「ワタシ、アメリカから来まシタ。故郷から持ってカレタ、竜のカチナ、見つけるタメ」

「そうですかそうですかあ」

 ニコニコ笑いながら何度も頷く瀬織は、一瞬だけ酷薄な笑みを浮かべた。

 景はそれを見逃さなかった。そして察した。

 瀬織はカチナなる少女との会話で、何かの手ごたえを掴んだのだと。

「そうですか探し物ですかあ。その探し物は左大さんが持っているワケですねえ?」

「イエス! ダカラ! ワタシ、この家キタ! 見張ってルノ!」

「なるほどなるほどぉ。でも左大さんはこわぁい人ですからねぇ。一人ぼっちでは心細いですよねぇ。可哀想ですから、わたくし達も協力してさしあげましょう。ねえ、景くん?」

 話を振られて、景はとてつもなく厭な予感がした。

 瀬織はきっと、恐ろしいことを企んでいる。カチナも酷い目に合わされるかも知れない。

 だからといって、ノーと首を横に振る気概は景にはなかった。

 瀬織の無言の圧力、同調の誘惑は抗いがたく、少年は上位存在の少女に屈服して

「うん……。僕も手伝う……よ」

 と、ぎこちない笑みで同意するしかなかった。

 カチナは水を得た魚のように、待ちわびた協力者を得て無邪気に笑っている。

 一見、カチナは年相応の少女にしか見えない。

 そのカチナの頭を、瀬織は自然な仕草で撫でた。

「良かったですわね~。カチナさん」

「キャッ! くすぐったいデス♪」

 子犬のように喜ぶカチナの頭上で、瀬織は首を大きく上げて息を吐いた。

 はぁぁぁぁ……っ、と満足げに。闇の中で支配者が笑っていた。

 さて、探し物を手伝うと言っても、具台的に先ず何をやるかと言えば、左大の家に真正面からコンバンワすることである。

「突撃~、隣の左大さ~ん♪ というワケですわ」

 瀬織は後に景とカチナを引きつれて、敷地の中に踏み入った。

 だが、どういうわけか真っ直ぐに玄関に向かわない。わざわざ塀の内周を沿うようにして、迂回する形で玄関に歩いていく。

「ちゃんとついてきてくださいね~」

 と言うので景もカチナも素直についていく。意図は全く分からなかったが、質問する暇はなかった。

 左大家には電気が点いており、在宅中なのは間違いない。

 瀬織はインターホンを押した。壊れているようで反応はないが、構わず連打する。

「こんばんは~左大さ~~ん? 東でーーす♪ 景くんもおりますわ~~」

 良く通る声で呼びかけつつ、ガチガチとインターホン連打。

 だが返事がない。

「あら~~? いらっしゃいませんかぁ~~? 扉の鍵わぁ~~?」

 瀬織、ドアに手をかける。

「ん~~? 閉まってますね~? 居留守でしょうかね~? 明日にしましょうか、カチナさん?」

 首を傾げて横目で後のカチナを伺う。

 カチナは呆然と目の前のドアを見ていた。否、視線は真っ直ぐではあるが、虚ろな目は何も見ていない。

 明らかな異変だが、瀬織はニタニタと笑ってドアから手を離した。

 左大の家に呼びかけるのも止めた。

 誰も何も言わず、物音もせず、夜の里山に静寂満つる。虫の鳴く音だけが遠くに響く異界のような現世に、やがて奇妙な物音が混ざってきた。

 ズン……ズン……という何かの重い足音。それが一つ鳴る度に、みしっとアスファルトの軋む音が続く。

 同時にブゥーーンというエンジンの駆動音も聞こえた。

「え……なに……?」

 景が音の方向に振り返る。

 それは次第に左大の家に、こちらに近づいているのが分かった。

 そして、巨大な何かが遂に道路と左大家との境目に到達し、家からの僅かな照明の照り返しで、闇の中にぼぅっと姿が見えてきた。

 戦闘機械傀儡――としか言いようがない物体。

 装甲で覆われた、動物型の巨大傀儡。身長は5メートルはあるだろうか。しかし恐竜ではない。〈雷王牙〉や〈綾鞍馬〉のような幻獣型でもない。強いて言えば、ゴリラのように見える意匠。

 長い両腕の拳が接地している様は確かにゴリラに似ているが、現生のゴリラにはあり得ない形状も見られる。

 左肩には戦車の主砲ほどもある大型の火砲を搭載している。その部分だけがやけに現実の兵器じみていて、全体の幻想的な意匠から浮いていた。

 その砲に狙われているような気がして景は「ひっ」と小さく悲鳴を上げたが、瀬織が小声で呟くのが聞こえた。

「多分……まだ大丈夫」

 と。

 ゴリラ型傀儡は体内からエンジン音を響かせながら、敷地内に入ってきた。進行方向は真っ直ぐ、景たちのいる玄関である。

 その矢先、突如としてゴリラ型傀儡が傾いた。足元の地面が陥没し、横転する形で地中に沈んでいく。

 ボンっ……と存外に地味な落着音がして、ゴリラ型傀儡は穴の底に沈んだ。

 何が起きたかは見れば分かる。事前に落とし穴が仕掛けられていたのだ。それも、ああいった巨大な傀儡の来襲を想定した、深く大きな落とし穴のトラップが。

 瀬織はこれを予測して、迂回ルートで玄関に至ったのだと景は悟った。

 それは分かる。だが、どうしてこんなものを事前に用意していたのか。そもそも瀬織も何故にそこまで予測できたのか。それが景には分からなかった。

「ど……どういうこと、これ?」

「どうもこうもぉ……」

 瀬織に問うている間にも事態は急変。

 エンジン音が穴の中から地表に近づいてくる。古い型のトラックが強引に坂を上がる時のような悲鳴に似たエンジンの唸りと共に、ゴリラ型傀儡は落とし穴から這い上がってきた。

 対傀儡としては、単純に深さが足りないのだろう。人力で掘削するとなれば、深さ5メートルの落とし穴でも労力は凄まじい。

 自宅に危機が迫っているというのに、未だ左大は姿を見せない。そもそも、こんな罠を用意しているくらいだから家にはいないのでは……?

 と考えを巡らせる景の後で、瀬織はゴリラ型傀儡の様子を冷静に観察していた。

 関節の動きはぎこちない。駆動方式は人工筋肉ではなく旧式の油圧式。

 エンジンからの排気は背中から。歩く度に背面構造物が妙な揺れ方をしている。工作精度が明らかに低い。武装も右肩のランチャーが目立つが、他に火器は見当たらない。照準装置もランチャーに備わった物だけだ。対人装備はない。

 つまり、この傀儡の撃破を狙うなら――

「うしろ――」

 瀬織が呟くと同時に、敷地の外の草むらが持ち上がった。

「うおらっしゃうああああああああああああッッッッ!」

 左大億三郎が、雄叫びと共に出現。密林でのゲリラ戦、あるいはスナイパーのギリースーツのように草を被った偽装を放り投げて、同じく偽装して寝かせていた大型の金属タンクを起こした。

 そのタンクは、プロパンガスの50キログラム容器であった。

 この界隈は都市ガスの普及が芳しくなく、未だにプロパンガスに頼る家庭が多い。これ自体は決して珍しい物ではない。そこらの家に、もちろん左大の家にも備わった普及品である。

 この容器、当然にして重い。50キログラム容器ならば、ガスを充填した際の重量は100キログラムに近い。まともに持ち上げるのは常人では不可能。左大の腕力を以てしても迅速な輸送は不可能である。

 しかし、熟練したガス業者はこの容器を斜めに接地し、回転させることで滑らかに移動、運搬せしめる。

 それに倣って左大はプロパンガス容器を、張り手を連打するような形でグイグイグイと回転押し出し。前に前にと突き進み、ゴリラ型傀儡の背面へと蹴りつけた。

「はーーっ、恐竜酔拳っ!」

 ガス容器の弁は開いていた。シューっとガスの漏れる音がする。

 左大は小型のガンタイプガスライターに着火し、投擲。同時にバックステップで退避した。

翼竜大爆散サラマンダーボンバー――――っ!」

 ライターはガスへと引火。ぼっと火柱が立ち上がったと思えば、夜闇にオレンジの火球が爆ぜた。

 爆音自体は一瞬。ゴリラ型傀儡の背面構造物が弾け飛ぶ金属破砕音の方が大きい。その爆炎は雑な作りの機体内部へと達した。

 ゴリラ型傀儡が緩慢な動きで転回しようとした瞬間、爆発の衝撃で生じた燃料パイプの亀裂に炎が触れて、機体は一気に炎に包まれた。

「ははーーっ! テメェみたいなパチモン相手に傀儡なんざぁ必要ないぜっ!」

 勝ち誇る左大の目の前で、ゴリラ型傀儡は身もだえしながら倒れた。

 そして、左大家の裏の塀から何者かの絶叫が上がった。

「ぎぃぁぁぁああああああああああ!」

 断末魔の叫びであった。

 それを聞いた瀬織は、酷薄な笑みを浮かべた。

「うふふふ……生きながらに身を焼かれる感覚ぅ……。普通の人間じゃ耐えられませんわよねぇ?」

 何者かの叫びは、ゴリラ型傀儡の炎上する感覚をまともにフィードバックした操縦者のものだった。

 燃え上がる傀儡の横を通って、左大が瀬織たちのいる玄関までやってきた。

「ようガキ。昨日も今日もよくやってくれたなオイ」

 左大がガラの悪い口調でカチナに食いかかった。

 昨日の再現になりそうな不穏な雰囲気に、景は慌てた。

「あの左大さん、違うんですよ。この子は……」

「違う? なにがぁ……?」

 左大と瀬織が同時に、似たような顔で笑った。凶暴な殺意に満ちた笑いだった。

「景くぅん……まだ分かりませんかぁ? 左大さんは後から奇襲したんですよ? その時、カチナさんはどこを見ていたでしょう?」

 当のカチナは、依然としてドアの方に顔を向けて動かない。景は彼女が怯えて動けないのだと思ったが、何か雰囲気がおかしいことに気付いた。

 左大は両手の指を組み合わせ、ウォーミングアップのように関節を鳴らした。

「カチナ……ねえ? カチナっつーのはネイティブアメリカンの精霊のことだな。そんで、このガキは一見そっちの部族に見える。女の子が『ワタシの部族の宝物を返してくださーい』と泣きついてくるなんて……ハッ、出来過ぎた話じゃあねぇか? それで情に流されてホイホイ協力する?」

 鼻で笑って、左大はカチナの肩に掴みかかった。

「景ちゃんみてぇーなウブい男の子ならいざ知らず! その手のハニトラに俺が引っかかると思ってんのかあーーーーっ!」

 左大は強引にカチナを自分に振り向かせ、噛みつく勢いで叫んだ。

 それはカチナに向かって叫んだのではなかった。カチナの虚ろな目の奥にいる、別の存在に向けて叫んでいた。

 状況を飲み込めず戸惑う景に、瀬織は解説を始めた。

「先程、カチナさんの頭に触って思考を読んでみました。この子、なにを考えていたと思います? 空っぽですよ」

「空っぽ……? どういうこと」

「言葉の通り。何も考えておりません。経歴もただの嘘の設定です。カチナさんは誰かさんの命令を実行するだけのお人形。同時に、傀儡の死角を補完する目……ですかねえ?」

 言うと、瀬織は玄関のドアを開けて見せた。鍵など最初からかかっていない。

 こうして、左大と瀬織は家の中にカチナの注意を引きつけていた。そしてカチナの視界の死角である敵傀儡の背面を狙って攻撃を仕掛けた、というわけだ。

 改めて考えると、左大が昨日カチナに行った乱暴な対応と言動の数々も合点がいく。「テメーはどこの誰なんだよ!」という尋問にしても、最初からカチナの正体を見抜いていたと思えば筋が通る。

「ってことは、カチナちゃんって瀬織と同じ……?」

 景の問いかけに、瀬織はくつくつと嘲笑で応えた。

「まさか。これはもっと悪趣味なモノですわ。一応人間ですよ、これ」

「えっ」

「生まれてから今の今まで何も教えられず、何も学ばず何も聞こえず何も見ず。そうして作った肉人形。ああ、なんて非道い♪」

 言っている意味が理解できず、景の思考が停まった。

 左大はカチナから目を逸らし、吐き捨てるような口調で続けた。

「聞いたことがあるねぇ。爺さんの時代、そういうことしてたクソカルト共がいたってなあ~~っ? オイ、そろそろ出てきたらどうだよオイ?」

 左大の目線の先、燃える傀儡の背後から、三人の人影が現れた。

 黒いフードを被った二名の男に挟まれた中央には、身長2メートルはあろうかという巨漢がいた。

 肩まで伸びた長髪、左大に負けずとも劣らぬ筋肉。それは服を内側から押し上げ、はち切れんばかりに胸板は厚い。骨格、体幹、全てが太い白人の男。

「流石はサダイィ……。アンクルDの孫よ。ウェンディゴ1体は貴様を侮ったことの代償――」

 殊勝に余裕ぶる男が言い終わるより早く、左大は駆けだしていた。

「死ぃねオラー―――――ッ!」

 速い。ディノニクスより早い疾風の突撃。ほとんど跳躍に使い疾走の勢いを乗せて、剛拳が男に襲いかかるッッッ。

 男がその奇襲攻撃を寸前で避けることが出来たのは、彼の者にも相当の技があることを物語っていた。しかし完全には避けられなかった。

 男の横に控えていた黒フードの付き人が一人、脇腹に左大の拳の直撃を受けていた。

「ぎぼぶごぶえぅぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 人とは思えぬ絶叫を上げて吹き飛ぶ黒フード。

 攻撃を避けたとはいえ、男は狼狽していた。

「うおおおおおお! 貴様ァーーーー!」

 いきなりこんな攻撃を受けるとは思っていなかったようだ。額に冷や汗が浮かんでいる。

 左大は容赦なく剛拳を連打。男、打撃を次々に確実に捌く。

「はっはっはーーーっ! どこの誰だか知らねぇが、良い腕前じゃあねぇか! 即殺ソッコロするつもりだったがぁ、名前を聞いておこうか!」

「うぬぅ~~っ! ふざけたことを~~っ!」

「言えよ名前ぇ~~っ! 殺すぞ~~っ殺すぞ~~っ」

「我が名はデイビス! デイビス・ブラックよぉっ!」

 デイビスは左大の殺意と拳を捌き切り、バックステップで距離を取った。片足で立つ、独特の構えであった。

 左大は愉快げに笑う。自らの拳を見事跳ね除けた強者との出会いに、ティラノサウルスのように歓喜する。

「デイビスゥ! 初対面だなあ! どうせすぐにサヨナラだが覚えとくぜぇ。刻んどくぜぇ。テメーがどこの誰だかは大体分かったしなぁ」

「ほざけぇ! 貴様の祖父に奪われた我らの誇りは返してもらうわ!」

「女々しいなあ! 何十年も昔のことをあーだこーだと! 雄々しいテメーの筋肉が泣いてるぜっ!」

「知った風な口を聞くなぁ~~っっっっっ!」

 デイビスは感情を露わに奥歯を噛んで顔を歪めた。年輪のように積み重なった憎悪と辛苦が込められた歪みが全てを物語る。この男の過去が、左大の祖父がつけた傷跡に満ちたものであると。

 夜が殺気戦気が充満する死地へと変貌する寸前、残った一人の黒フードが恐々とデイビスに進言した。

「そ、宗主様! ここはお引きください! 我らの本懐、この男を殺すことではありますまい!」

「う、うぬぅぉぉぉぉ~~っっっ!」

 正に臥薪嘗胆。肝を嘗めるがごとく憎悪を抑え込み、デイビスは引き下がることを承諾した。

「サダィィィィ……。貴様との勝負は預けた。次はレギュラスもろとも貴様を打ち殺してやるわ!」

「へぇ? そいつは楽しみ」

 意外にも、左大は追いかける素振りを見せなかった。

 それどころか、背後の瀬織たちに目配せをして

「そのガキも返してやりな」

 と、カチナをあっさりと解放するように指示した。

 瀬織は肩をすくめて、軽い溜息を吐いた。

「はあ。ま、どうせ人質には使えませんしねえ」

 カチナは何事もなかったかのように歩いて、デイビスたちに合流した。

 デイビスは動きの鈍いカチナの手を強引に引っ張って、敷地の外へと出ていった。

 ただ一人、左大の剛拳に撃たれた黒フードを残して。

 左大は昏倒した黒フードの上半身を起こすと、気つけの気合を入れた。

「ふぅ~~っ、せいっ!」

 心臓マッサージのような衝撃を受け、意識を取り戻す黒フード。混乱する黒フードへにじり寄る左大。

「さーて、じゃあ吐いてもらおうかな~~。テメーらのアジトの場所」

 なるほど、捕虜を尋問するから追撃の必要はなかったということか。

 しかし当然ながら、素直に吐くわけがない。

「ふざ……ふざけるな。そんなこと言うワケ……」

「ふーん。じゃあ拷問すっか」

 さらりと恐ろしいことを口にした左大に、景は戦慄した。

「ええっ! いや、それは流石にマズイですよ!」

「大丈夫だいじょぶ! 後遺症残るようなことしねーから!」

 軽い調子で言う左大に取りつく島はなく、景は瀬織に救いを求めたが

「ほほほ……今世の拷問。どんなものか見てみたく思いますわあ」

 無駄なことだった。

「貴様の拷問など効くものか……」

「ほぉ~~? じゃあ試してみっか」

 言うと、左大はズボンのポケットから小瓶を取り出した。

 それは、どこにでも売っているような、大手食品メーカー製の劇物。

 一味唐辛子であった。

 左大は瓶の蓋を開けると、中身をぱらぱらと自分の掌に振った。まじりっけ無しの真っ赤な唐辛子の粉末が、大きな手に万遍なく振りかけられた。

 黒フードは何が起きるのか予測できず、左大の手と顔を何度も交互に見返している。

「おっしゃいくぞオラァ!」

 左大、黒フードのズボンに手をかけるやベルトを弾いて一気に脱がす。

 そして趣味の悪い紫色のトランクスの隙間から、唐辛子に染まった右手を中へと突っ込んだ。

「おお? おあ? おっ、おっ、おっ……」

 当惑に満ちた黒フードの悲鳴は、数秒後――

「おぉぉぅぅあぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 地獄の業火に焼かれる絶叫へと変化した。

 唐辛子の粉末を最もデリケートな粘膜に直接塗り込むという拷問。なるほど確かに後遺症はない。100%天然成分の口に入れてもあまり危険ではない劇物である。

 しかし同じ男としてその苦痛を想像できるがゆえ、景の表情は暗い。

 瀬織は意表を突いた拷問方法を満足げに眺めている。

「さーて、どっかの誰ちゃんよ。助けて欲しかったらアジトの場所に案内してくんねーかなあ?」

 痛苦に悶える黒フードに、左大は救いの手をちらつかせた。

 たかが唐辛子。この程度耐えてやると強情を張る黒フードだったが、いつまで待っても股間の炎が止むことはなかった。

「うぬぉ…お、おっ、おっ、おおおおおおお……」

「生憎だが、いつまで待っても痛みは変わらないぜ。こいつぁ以前、乾燥唐辛子をバラした手のままトイレに行って間違ってアソコに触っちまった経験から思いついた拷問でな~~っ。苦痛を取り除く方法は一つしかない。さぁ~~っ、どうするよぉ?」

「おぅぅぅぅぅっ、ぉっ、おっ……教える! 教えるっ!」

 敗北を認め、必死に頷く黒フード。

 言質を得るや、左大は黒フードの体を担ぎ上げた。

「じゃあ行くかアジトによーーっ!」

 左大は庭の片隅に駐車してある軽自動車の助手席に黒フードを投げ入れ、自らは運転席のドアに手をかけた。

 背後では、未だに〈ウェンディゴ〉と呼ばれたゴリラ型傀儡が炎上している。

 遠くから消防車のサイレンが響き、防災無線も聞こえてきた。

『ただいま、つくし市北条地区にて住宅火災が発生しています。消防団の方は大至急現場に向かってください』

 これは流石に少しまずい、と瀬織は思った。

「あのぉ~、左大さん。燃えてますけどぉ……」

「オウ、後はよろしく」

「いやあの……」

 瀬織の話に聞く耳持たず、左大は全てを丸投げして軽自動車を発進。転回して敷地の外に走り去ってしまった。

「面倒を始末するつもりが……余計に面倒臭くなってしまいましたわ……」

 自らの予想を超える頭恐竜な人間に、瀬織は心ならずも翻弄されていた。

 瀬織は裏の里山の林に意識を向ける。そこには〈綾鞍馬〉が待機していたが、火災を鎮める機能は無い。自分には対処不能な事態ゆえ、〈綾鞍馬〉は林の奥に引っ込んだ。

 瀬織は塀の影に目を向ける。そこには〈雷王牙〉が潜んでいたが、火事なぞどうしようもないので無理だと首を振って、尻尾を落として後に下がっていった。

 そうこうしている内に、最大の脅威が左大家に近づきつつあった。

 消防車&消防士。サイレンはもはや至近距離。

「ねえ……どうするのさ瀬織……」

「ふふふ……さぁて、どうしてくれますかねえ……?」

 初めて相対する極めて面倒なシチュエーションに、瀬織は肩をすくめて軽く笑った。

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