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第六章 帰って早々、呆気なくフィリス聖王国調査を始めました。
第四十三幕 止めると何なんだ!
しおりを挟む「何とも、凄いものを見たな」
「うむ。見事なまでの乳揺れだったの」
孫三郎が真顔で下らないことを言い、静馬はついつい躓きかける。
「どこを見とるのだ、どこを」
「女だてらにあそこまで動けるとは、きっと只者ではない」
「護身用に、組討(格闘術)でも習っていたのではないか」
「にしても、挙動が鋭すぎる。きっと忍の類だの」
そんな推論を聞きながら、静馬には疑念が生じる。
あの女が普通でないのも確かだが、孫三郎の目端の利き方こそ異常なのではないか。
膨らむ違和感を心の中で棚上げにし、静馬は少し話を変えた。
「しかし、あの連中は大丈夫かな」
「問題なかろう」
「聞くところによれば、市井の喧嘩沙汰も厳罰化してるそうだが」
「喧嘩などなかった、という扱いで終わるだろうて」
断言する孫三郎だが、静馬はもう一つ得心がいかない。
「確かに、一方的過ぎて勝負にならなかったが」
「そうではない。あれだけ武士の体面に拘っていた奴が、抜刀の末に素手の女を相手に惨敗した、などと訴え出られると思うか?」
「あぁ……そうか。それもそうだな」
命を惜しまず体面やら矜持やらを守る、そんな生き様があってもいい。
だが強請り集りに精を出している最中、あの浪人の守ろうとしたそれは何処に行っていたのやら。
静馬の白けた雰囲気を察してか、孫三郎が話を続ける。
「しょうもない男ではあるが……あれも環境の犠牲者なのかもな」
「というと、例の『野焼き』での溢れ者か」
静馬の出した単語に、孫三郎はゆっくり頷く。
小田原攻囲の最中、嫡男の鶴松が夭折したとの報を受けた秀吉は、周囲の諫言を無視して北条方の支配下にある上野の諸城を放棄させるだけの条件で和睦し、陣を解いて全面撤退する判断を下す。
我が子を悼んでの判断は、人としては同情するに値するものだったが、天下人としては度し難い暴挙となった。
秀吉の命で長期の出陣をしていたのが全て無駄働きになった挙句、未曾有の規模で行なわれた鶴松の葬儀や、慰霊や追悼のための各種式典の数々への参加を余儀なくされ、更にはそれらの費用の負担までも強制された大名の間には、当然ながら豊臣政権への不満と不信の声が渦巻くこととなる。
明智光秀の謀反によって信長と信忠が横死した後、その光秀に勝利を収めた秀吉は混乱する織田家中の跡目争いを制し、信長の一族から権力を簒奪して今日の地位に就いている。
なので臣従している諸侯にとっては、道義的には秀吉を主君として仰ぐ筋合いはない。
豊臣政権の基盤を支えているのは、圧倒的な武力による連戦連勝の実績と、勝利の結果として得た富の気前良い分配だ。
しかし、対北条戦の頓挫でその両方が途絶えた上に、大局を無視して私情に流される愚か者なのではないか、との疑惑が生じてしまったのだ。
世継ぎを失った動揺と、高まる悪評への焦りは、秀吉に更なる愚行を選ばせた。
小田原攻めで失策のあった者や、和睦への反対意見を述べた者への懲罰を名目とする大々的な粛清がそれで、世間では『太閤の野焼き』と呼ばれている。
豊臣政権としては、家の取り潰しや知行の召し上げの乱発は、恩賞用の土地の確保と、反抗的な大名への恫喝を行う一石二鳥の妙案――となるはずだった。
だが、その結果は浪人の急増によって治安を悪化させ、強権政治への反感を増大させただけに終わり、不穏な気配の燻る現状を作った最大の原因と考えられている。
「あの無能ザルもまぁ、しょうもない真似をしてくれたわ。天下はまだまだ荒れるぞ」
「楽しそうだな、孫三郎」
「あっふぁっふぁっ、ちょっとばかり暴れ足りなくての――それに、秀吉とその手下の国造りは、民百姓を軽んじ過ぎとるでな」
孫三郎の語りに、いつになく真摯な何かが混ざっている感じがするが、そこに触れてもきっとはぐらかされてしまうのだろう。
そう考えて、静馬は曖昧な微笑だけを返しておいた。
「お、ここではないのか」
孫三郎の指差す方向に、探索所の建物が見えた。
白木に『公儀探索所』と墨書された看板、そこに捕縛に用いられる荒縄と手鎖が吊るされているのは、各地に置かれた探索所に共通の意匠だ。
入り口では二名の門番が周囲に警戒の視線を巡らせ、その傍らには新たな賞金首の手配書が貼り出された高札が立てられている。
「京や堺でも見かけたが、何処も似た感じだの」
「探索所とはこういうものだ、との印象を持たせようとして、狙って構えを似せてるのではないかな」
そんな話をしながら、静馬は門番に手形を示して敷地内へと入り、孫三郎も後に続く。
世間で人狩りや賞金稼ぎと呼ばれる探索方は、一応は検断を司る役人の末端に位置付けられているが、決まった職務や俸給は用意されていない。
探索方がこの場で得られるのは賞金首の情報と、賞金首を連行するか殺害した場合の賞金のみ。
不逞浪人による犯罪の激増への対策として、同じ浪人に権限を与えて罪人を取り締まらせようとしたのが、公儀探索所の始まりだ。
探索方の身分を保証する手形は、去年の探索所設立時に二百枚ほど発行された。
静馬もその時に手に入れたのだが、犯罪の凶悪化・組織化による賞金の高騰もあって、探索方に就くのを希望する者が後を絶たず、現在ではかなり厳しい審査が行われているらしい。
「ついワシも入ってしまったが、問題ないかの」
「人を雇って、集団で仕事をしてる連中も多いしな。多分平気だろう」
二人は敷石で舗装された短い道を抜け、建物内へと入っていく。
中はそこそこ広いが人は少なく、係員が数名と探索方らしい若い男が一人いるだけだ。
探索方が幾人も集まって情報交換などをしていた、京や安土の探索所とは雰囲気が違うな、と思いつつ静馬は受付役と思しき係員に声をかける。
「首実検を願いたい」
「して、賞金首の名と罪状は」
「山室帯刀、『三日月の山室』だ――罪は複数の殺し、それに追剥」
そう告げて、静馬は身分を証明する手形を見せる。
続いて三日月槍と首の塩漬けが入った樽、死体から回収した書き付けや手紙を渡す。
「暫し待たれよ」
係員は他の同僚と共に、書類をまとめた帳面を捲っている。
賞金首の情報は罪状別に管理されているらしく、表紙には『追剥』の文字が見えた。
「見当たらんな」
「それなら、こちらでは」
係員達は小声で言い交わし、いくつもの帳面を持ち出して人相書との照合を続けている。
治安の悪化で賞金首も急増しているのか、管理も行き届かなくなっている様子だ。
「賞金首を討ったか」
見知らぬ声に振り返ると、来た時から姿の見えていた若い男が立っている。
人を自然と身構えさせる険のある目付きと、着ている羽織の質の良さと、人斬りに特有な剣呑な気配と、腰の大小に見える装飾の豪華さが、どうにも釣り合いが取れていない。
妙に警戒心を煽ってくる男だな――そう思いつつも、静馬はそれを表に出さないように応じる。
「ああ、安い首を一つだけ、だがな。お主は情報集めか」
「まぁ、そうだな。にしても、その若さで大したものよ。これが初めての仕事かね?」
「いや、三度目になる」
「ふふふ――末恐ろしい。急がねば我の仕事が残らんかもな」
二つ三つしか年が違わないであろう男の言葉は、初対面らしからぬ馴れ馴れしさを感じさせるものだったが、静馬はそういう次元とは違う不快さを感じていた。
若さ故に侮られるのも仕方ないし、実害がなければいくら見下されようと受け流せる程には、軽い扱いにも慣れている。
しかし男の態度は、どうもそういったものとはズレがあった。
声に底意というか悪意というか、どうにも素通りできない棘が含まれていて癇に障るのだ。
面倒な相手と縁を持ってしまったな、との思いを伏せながら静馬は男との雑談に応じることとなった。
「うむ。見事なまでの乳揺れだったの」
孫三郎が真顔で下らないことを言い、静馬はついつい躓きかける。
「どこを見とるのだ、どこを」
「女だてらにあそこまで動けるとは、きっと只者ではない」
「護身用に、組討(格闘術)でも習っていたのではないか」
「にしても、挙動が鋭すぎる。きっと忍の類だの」
そんな推論を聞きながら、静馬には疑念が生じる。
あの女が普通でないのも確かだが、孫三郎の目端の利き方こそ異常なのではないか。
膨らむ違和感を心の中で棚上げにし、静馬は少し話を変えた。
「しかし、あの連中は大丈夫かな」
「問題なかろう」
「聞くところによれば、市井の喧嘩沙汰も厳罰化してるそうだが」
「喧嘩などなかった、という扱いで終わるだろうて」
断言する孫三郎だが、静馬はもう一つ得心がいかない。
「確かに、一方的過ぎて勝負にならなかったが」
「そうではない。あれだけ武士の体面に拘っていた奴が、抜刀の末に素手の女を相手に惨敗した、などと訴え出られると思うか?」
「あぁ……そうか。それもそうだな」
命を惜しまず体面やら矜持やらを守る、そんな生き様があってもいい。
だが強請り集りに精を出している最中、あの浪人の守ろうとしたそれは何処に行っていたのやら。
静馬の白けた雰囲気を察してか、孫三郎が話を続ける。
「しょうもない男ではあるが……あれも環境の犠牲者なのかもな」
「というと、例の『野焼き』での溢れ者か」
静馬の出した単語に、孫三郎はゆっくり頷く。
小田原攻囲の最中、嫡男の鶴松が夭折したとの報を受けた秀吉は、周囲の諫言を無視して北条方の支配下にある上野の諸城を放棄させるだけの条件で和睦し、陣を解いて全面撤退する判断を下す。
我が子を悼んでの判断は、人としては同情するに値するものだったが、天下人としては度し難い暴挙となった。
秀吉の命で長期の出陣をしていたのが全て無駄働きになった挙句、未曾有の規模で行なわれた鶴松の葬儀や、慰霊や追悼のための各種式典の数々への参加を余儀なくされ、更にはそれらの費用の負担までも強制された大名の間には、当然ながら豊臣政権への不満と不信の声が渦巻くこととなる。
明智光秀の謀反によって信長と信忠が横死した後、その光秀に勝利を収めた秀吉は混乱する織田家中の跡目争いを制し、信長の一族から権力を簒奪して今日の地位に就いている。
なので臣従している諸侯にとっては、道義的には秀吉を主君として仰ぐ筋合いはない。
豊臣政権の基盤を支えているのは、圧倒的な武力による連戦連勝の実績と、勝利の結果として得た富の気前良い分配だ。
しかし、対北条戦の頓挫でその両方が途絶えた上に、大局を無視して私情に流される愚か者なのではないか、との疑惑が生じてしまったのだ。
世継ぎを失った動揺と、高まる悪評への焦りは、秀吉に更なる愚行を選ばせた。
小田原攻めで失策のあった者や、和睦への反対意見を述べた者への懲罰を名目とする大々的な粛清がそれで、世間では『太閤の野焼き』と呼ばれている。
豊臣政権としては、家の取り潰しや知行の召し上げの乱発は、恩賞用の土地の確保と、反抗的な大名への恫喝を行う一石二鳥の妙案――となるはずだった。
だが、その結果は浪人の急増によって治安を悪化させ、強権政治への反感を増大させただけに終わり、不穏な気配の燻る現状を作った最大の原因と考えられている。
「あの無能ザルもまぁ、しょうもない真似をしてくれたわ。天下はまだまだ荒れるぞ」
「楽しそうだな、孫三郎」
「あっふぁっふぁっ、ちょっとばかり暴れ足りなくての――それに、秀吉とその手下の国造りは、民百姓を軽んじ過ぎとるでな」
孫三郎の語りに、いつになく真摯な何かが混ざっている感じがするが、そこに触れてもきっとはぐらかされてしまうのだろう。
そう考えて、静馬は曖昧な微笑だけを返しておいた。
「お、ここではないのか」
孫三郎の指差す方向に、探索所の建物が見えた。
白木に『公儀探索所』と墨書された看板、そこに捕縛に用いられる荒縄と手鎖が吊るされているのは、各地に置かれた探索所に共通の意匠だ。
入り口では二名の門番が周囲に警戒の視線を巡らせ、その傍らには新たな賞金首の手配書が貼り出された高札が立てられている。
「京や堺でも見かけたが、何処も似た感じだの」
「探索所とはこういうものだ、との印象を持たせようとして、狙って構えを似せてるのではないかな」
そんな話をしながら、静馬は門番に手形を示して敷地内へと入り、孫三郎も後に続く。
世間で人狩りや賞金稼ぎと呼ばれる探索方は、一応は検断を司る役人の末端に位置付けられているが、決まった職務や俸給は用意されていない。
探索方がこの場で得られるのは賞金首の情報と、賞金首を連行するか殺害した場合の賞金のみ。
不逞浪人による犯罪の激増への対策として、同じ浪人に権限を与えて罪人を取り締まらせようとしたのが、公儀探索所の始まりだ。
探索方の身分を保証する手形は、去年の探索所設立時に二百枚ほど発行された。
静馬もその時に手に入れたのだが、犯罪の凶悪化・組織化による賞金の高騰もあって、探索方に就くのを希望する者が後を絶たず、現在ではかなり厳しい審査が行われているらしい。
「ついワシも入ってしまったが、問題ないかの」
「人を雇って、集団で仕事をしてる連中も多いしな。多分平気だろう」
二人は敷石で舗装された短い道を抜け、建物内へと入っていく。
中はそこそこ広いが人は少なく、係員が数名と探索方らしい若い男が一人いるだけだ。
探索方が幾人も集まって情報交換などをしていた、京や安土の探索所とは雰囲気が違うな、と思いつつ静馬は受付役と思しき係員に声をかける。
「首実検を願いたい」
「して、賞金首の名と罪状は」
「山室帯刀、『三日月の山室』だ――罪は複数の殺し、それに追剥」
そう告げて、静馬は身分を証明する手形を見せる。
続いて三日月槍と首の塩漬けが入った樽、死体から回収した書き付けや手紙を渡す。
「暫し待たれよ」
係員は他の同僚と共に、書類をまとめた帳面を捲っている。
賞金首の情報は罪状別に管理されているらしく、表紙には『追剥』の文字が見えた。
「見当たらんな」
「それなら、こちらでは」
係員達は小声で言い交わし、いくつもの帳面を持ち出して人相書との照合を続けている。
治安の悪化で賞金首も急増しているのか、管理も行き届かなくなっている様子だ。
「賞金首を討ったか」
見知らぬ声に振り返ると、来た時から姿の見えていた若い男が立っている。
人を自然と身構えさせる険のある目付きと、着ている羽織の質の良さと、人斬りに特有な剣呑な気配と、腰の大小に見える装飾の豪華さが、どうにも釣り合いが取れていない。
妙に警戒心を煽ってくる男だな――そう思いつつも、静馬はそれを表に出さないように応じる。
「ああ、安い首を一つだけ、だがな。お主は情報集めか」
「まぁ、そうだな。にしても、その若さで大したものよ。これが初めての仕事かね?」
「いや、三度目になる」
「ふふふ――末恐ろしい。急がねば我の仕事が残らんかもな」
二つ三つしか年が違わないであろう男の言葉は、初対面らしからぬ馴れ馴れしさを感じさせるものだったが、静馬はそういう次元とは違う不快さを感じていた。
若さ故に侮られるのも仕方ないし、実害がなければいくら見下されようと受け流せる程には、軽い扱いにも慣れている。
しかし男の態度は、どうもそういったものとはズレがあった。
声に底意というか悪意というか、どうにも素通りできない棘が含まれていて癇に障るのだ。
面倒な相手と縁を持ってしまったな、との思いを伏せながら静馬は男との雑談に応じることとなった。
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