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三章

八幕『決戦(?)』

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 ──決戦当日。
 時刻は午前八時丁度。城郭都市アルカヌムの南にある正門から三キロの地点に黒い外套を羽織った教徒約千人ほど現れた。
 出現は突如、恐らく黒魔術【転移】によるものだとされ、教徒は皆大鎌やナイフなどの武器を携えて待機していた。そしてアルカヌムとの中間地点に一人佇んでいるのは、聖杯略奪軍の頭領にして新興宗教に崇められし者。

「陛下! 都市内に今だ残っている全市民の避難が完了しました!」

 アルカヌム正門付近では、様々な指示が飛び交っていた。アルカヌム騎士団団長アルトリウスは援軍を含めた総勢千名を指揮して戦いの火ぶたがいつ切られてもいいように陣形を組み、作戦の最終確認をしている。精鋭部隊はソウスケの動向を探り、様子を逐一アルトリウスに報告していた。
 その中で千人の戦闘に立っているのは全身を鎧に包んだアルテミスだ。愛馬セレネに騎乗するアルテミスは馬上用にランスを得物としており、聖剣は鞘に収めている。その眼下で膝を突き報告を終えたのは、市民の避難を指揮していた衛兵の一人だ。

「……いよいよですか」

 相手の軍勢が千人程度であったのを確認したアルテミスは兵器運用、及び全軍投入を控える決断を下した。恐らく新興とはいえ三百年の歴史を持つ宗教が抱える教徒は眼前の者達だけではない。よって今日はソウスケにとって『前哨戦』に過ぎないとアルテミスは判断した。『本戦』でないならば、兵器を見せつけても対策を与えかねない。故に正面から白兵戦を行う方針を固めた。

 正門が開き、五百人の歩兵と百騎の騎馬隊を率いてアルテミスがソウスケと三キロの間隔を置いて対峙する。
 一同が潜り抜けたのを確認すると、正門が閉ざされる。前哨戦になると踏んだため、ウェスタは現在セレナード城内で養生している。一同の元へ偵察をしていた精鋭が加わり、騎乗したガウェインとアルトリウスがアルテミスの横へ参列した。

「……我が王、お気を付けて」

 アルトリウスらに見送られ、アルテミスは単身で中心地にいるソウスケの元へ向かう。素顔すら兜の下に隠されたアルテミスが近づいてくるのを見たソウスケは『ふむ』と顎を擦りながら到着を待っていた。

『……それは、怯えか? 白竜の鱗をふんだんに用いた重厚な鎧に隠れねば、私と向かい合う勇気はないと?』

 ランスの射程圏内に入ったと同時に、ソウスケが挑発的な言葉を口にした。アルテミスはそれを戯言と切り捨て、騎乗したままランスの矛先を向けた。

「貴様を慕う多くの信者が無為に死すことになる。此度の戦で発生する貴様らの死体は名すら認知されず、深淵に破棄する予定だ。この世の者ではないに死後も蹂躙されることとなろう。……もし、貴様に慈悲があるならば、疾く自害しろ。さすれば信者は生かしてやろう」

 まるで脅迫のような文句でアルテミスは説得を試みる。この戦いに和解はありえない。彼らの目的は領土でもなければ金でもない。たった一つ、願望を実現させる『聖杯』である。
 ソウスケはアルテミスの言葉を鼻を鳴らして一蹴し、戦争を確定的なものにした。

『貴様に一つ聞いてやろう。一度しか言わん。私の野望に手を貸せ。この戦、お前達に勝機は万が一にもない。私の野望はただ一つ。お前達の理解を超える全て──【全宇宙】の破壊だ。エデンはかつて人間であった私の夢であり、ジーヴァや教徒達の理想郷だった。だが、人間は宇宙を蝕むだ。ならば諸共消してしまい、宇宙を一からやり直した方が都合がよかろう?』

 聞かされたそれは、背後に立つ教徒全ての戦闘意義を消失させるものだった。あくまで教徒の目的は聖杯奪還後に『楽園エデン』を築き、そこに移住すること。だが、それは彼らが崇拝していたジーヴァの目標であった、現在その体を支配するソウスケの抱くものではない。

「……貴様は宇宙の支配者にでもなるつもりか?」

 野望にしては随分と子悪党のように思えた。だが、それも聖杯を渡してしまえば実現しかねない。
 実のところ、この問答に意味はない。今頃正門の壁上ではロングボウを持った部隊が広がり、矢を番えているだろう。アルテミスにとってはソウスケの野望など聞くに堪えない戯言なのだ。

『端的に申せば、な。言い換えれば私は全生命の管理者となるつもりだ。物事に善悪が伴う生命は生み出さん。ありのままの自然を保つのみだ。お前が今許容し、聖杯を渡すというならば私の妃にしてやろう。無駄な血は一滴も流れず、争いによる憎しみも怨嗟もない。ただ全てが一度漂白されるのみ。そこに痛みはなく、嘆きすらない』

「貴様は理想を語る時は饒舌になるな。……大義は我らにあり、我らは正義である。世界のために、私達はいくらでも血を流し、苦痛に悶え、怨嗟を募ろう。だが、それは勝利のための犠牲だ。無血で変えられる世界など、端から存在しない。我らは犠牲の上に立っている」

 これまで幾度も戦争の都度、アルテミス達は犠牲を払い、多くの血を流し続けてきた。敵の亡骸を踏み、そこを戦場としてきた。凄惨な地獄を、何度も潜り抜けてきたのだ。最早死に対する恐怖はなく、仲間の死を嘆こうとも拒むことはない。

『……愚かだな。私は以前よりも体が馴染んでいる。お前のみでは私には勝てんぞ』

「私には親愛なる仲間達がいる。共に剣を執ってきた。此度も大義の下に、我らは貴様らを断罪するのみ」

 互いに一切表情を変化させることなく、睨み合う視線が交差する。

『──抜かせ‼』

 次の瞬間、一瞬で右腕を高熱を纏わせたブレードに変形させ、馬ごとアルテミスを斬り裂かんと飛翔した。しかし不意打ちにもかかわらず、上空へ飛んだソウスケを兜の奥にある鋭い碧眼はしっかりと補足していた。

「神より賜りし、雷を世に降ろす。これより、其の輝きを許容せん。──照らせ、【絢爛なる我が長槍】!」

 詠唱と共に、ランスの真名が解放される。
 ただの鉄槍に外見を保っていたその周囲に光の粒子が顕現し始め、螺旋状に渦巻いていく中、ソウスケのブレードは既に振り下ろされ、兜にその一撃が迫ってきていた。

「【靊霳瞬光・雷霆巨槍ゼノ・ケラウノス】──ッ!」

『────────ッッッ⁉』

 世界を包む閃光の後、矛先がソウスケの腹部に突き刺さる。ブレードを振り下ろす速度は間に合わず、炸裂した一撃はアダマンタイト製の強固な体を貫くことはできなかったものの、【ゼウスの雷霆ケラウノス】をその身に受けたソウスケは思考が強制的に切断され、何が起きたのか理解に至らぬまま後方へ吹き飛ばされた。
 同時に、その一戦を見ていた騎士団から歓声が上がる。皆がアルテミスの勝利に指揮を高め、闘魂を燃焼させていく。ソウスケが不意打ちを突いたにもかかわらず敗北したというのに、並んで佇む教徒達が動揺しないことをアルテミスは訝しんだが、それを些事として今だ雷が残るランスを掲げる。

「──我々は悪を断ち、正義を為す! 世界を守るために進軍せよッ‼」

 アルテミスが開戦を宣言すると、呼応するように雄叫びにも似た声が轟き大地を震わした。そして騎馬隊を筆頭に、歩兵部隊が続いて全力で駆け出す。それを見た教徒達もまた、武器を構えて正面から向かって来る。

(……やはり、何か腑に落ちない)

 見るからに勝機のない戦いに参戦した敵軍から気概というものは何も感じ取れなかった。まるで、端から勝利を諦めているかのような顔つきばかり。

「杞憂であればよし。懸念を断つため、誰も生かしては帰さん!」

 遠方では電撃に身動きが取れなくなっていたソウスケが回収されている。あの様子ではもう前哨戦には参加できないだろう。
 アルテミスは数メートルの位置まで騎馬隊が来たのを確認すると、向かってくる教徒の元へ突進する。先ほどアルトリウスからは単身での戦闘は危険だと言われたが、国王として先陣を臣下に任せるわけにはいかない。

「ハアアアアアァァ──ッ‼」

 月の名を冠するアルテミスの愛馬は王国随一の駿馬だ。迫ってきていた自軍を背に、単身で得物を構えて敵軍へ突っ込んだ。ランスを突き、大鎌を振りかざした教徒を串刺しにする。そして引き抜くと同時に馬上で巧みに振り回し、投擲された黒塗りのナイフを全て振り払う。蒼穹の下では、黒塗りも一切意味をなさず、弾き飛ばすのは容易だ。
 やがてアルトリウスが率いた騎馬隊が合流。勇ましい声の参戦と共に現場のあちこちで悲鳴が上がっていた。その戦闘は、傍から見れば一方的な虐殺だ。

「────ッ!」

「うわああああああああああああああああッ⁉」

 しかし負けじと応戦する教徒が騎馬隊の一人に狙いをつけた。大鎌で馬の右脚を切り裂き、姿勢を崩したことで乗っていた若い騎士が落下する。騎士の鎧についた紋章はユースティティアのものだ。それぞれモチーフとする騎士団には紋章があり、アルカヌムは紋章は『獅子』、東国は『鷹』、コルクワは『蛇』、そしてユースティティアは『猫』となっている。援軍に応じてくれたたった三ヵ国の紋章をアルテミスは全て記憶していた。すぐに救援に向かおうとするが、青年の身体中に無数のナイフが突き刺さるほうが早かった。

「陛下‼」

 そんなアルテミスの元へ、同じくランスを得物としたアルトリウスが合流した。てっきり作戦を無視したことを糾弾されるかと思ったが、彼はアルテミスに怪我がないことを確認して安堵するだけだった。

「アルトリウス卿、どうやら此度の前哨戦に『矢の雨』はいらぬようですね」

 壁上で待機させていた長弓隊を出すまでもないと判断したアルテミスは、あえて単身で先走ることにより作戦の中止を伝えた。本来は開戦と同時に矢の雨を降らせる算段だったが、ソウスケの奇襲、そしてその失敗による頭領の戦闘続行不可という異常事態に即座に適応したアルテミスは、それを出し惜しんだ。

「ええ、今後の本戦で活用すべきでしょう。初見の方がより多数を射抜けるはずです」

 近くにいた教徒を三人穿ち、風穴を開けたことでアルトリウスの頬に返り血が飛んだが、それでも爽やかに返答し、そして遠くで苦戦している騎馬兵の元へ向かった。
 戦況を見る限り、やはりアルカヌムの騎士は援軍で参戦した騎士とは一線を画している。明らかに苦戦しているのは援軍でやってきた者達だ。それもそのはず、アルカヌムの騎士はこれまで何度も戦争をして、その全てを勝利に収めてきた。ウェスタや四星騎士の功績が大きいとはいえ、個々の力量も並大抵のものではない。

「ふっ!」

 ランスを薙ぎ払い、教徒を五人纏めて吹き飛ばす。歩兵隊が合流したことで戦力差は圧倒的になり、教徒は順調にその数を減らしていった。だが、こちらも無傷とはいかない。総合的な戦力はこちらが高くとも、質より数を取る相手の戦略は厄介だ。最低でも騎士は一人で教徒二人を相手どらねばならず、アルテミス達が奮闘しようとも、当然向こう側にもそれなりの強者は揃えられていた。

「キィイイイイイ‼」

「なっ、む────じ、ウェっ……」

 耳をつんざく咆哮を上げたそれは、正面で剣を振りかぶった騎士に向けて手を伸ばす。頭部を落として完全に油断していた騎士は切断部から百足を生やした教徒の接近を許してしまう。
 両手で首を絞められた騎士は酸素を求めて喘ぎ、口腔内を敵に晒してしまう。ここぞとばかりに教徒の首から生えていた百足がそこを入り口として侵入し、騎士の咽喉を通り抜けて体内に侵食した。

「キリアあああああああああああああ────ッッ‼」

 そのすぐ隣で戦闘していたキリアの友人であろう騎士が名を叫び、両手を引き剥がそうと体を丸めて教徒にタックルで吹き飛ばす。まるで空っぽのように軽く飛ばされた教徒を見て、アルテミスは嫌な予感を覚えた。

「そこの騎士! 今すぐ彼から離れなさい!」

 しかしアルテミスの警告は届かず、喉元を押さえて蹲るキリアを心配した彼はその背中を強く叩いて飲み込んだ百足を外に出そうと躍起になっている。だが、やがてキリアの体が痙攣を始め、すぐに止んだ。

「キリア、大丈夫か‼」

 ゆっくりと顔を上げたキリアの顔は青を通り越して真っ白になっていた。唇を動かして何かを言っているが、彼の友人は聞き取ることができない。

「キリ──────」

 直後、右腕を上げたキリアの首が消滅する。その背後を一過したアルテミスがランスで頭部を消し飛ばしたのだ。突然無くなった友人の顔に目を剥く彼が状況を理解し、声をあげて涙を流そうとした瞬間。

「───────グ、かッ」

 消失したキリアの首から伸びてきた百足が、がら空きだった彼の口腔内に侵入する。そして彼はその場に仰向けで倒れ込み、そして痙攣を始めた。すぐに様子を心配した仲間が駆けつけようとするが、一部始終を見ていた騎士がそれを引き留める。

「──フォール様の黒魔術【媒介蟲】。一度その身に侵入を許せば、五臓六腑は食まれ、自我を盗られる」

 その声が耳元で聞こえたと同時に、直感が警告を鳴らした。一瞬死を錯覚したアルテミスはすぐに体内の魔力を風として放出し、周囲の有象無象を死の感覚ごと吹き飛ばす。

「……名を聞こう。油断していたとはいえ、私の背後に回り込むとはな」

 突如発生したその風に身を任せて華麗に着地した男は、他の教徒と何ら変わらない風体。全身をキャソックに包み、素性を隠すための外套を羽織っている。得物は右手に大鎌、左手に小鎌を握っている。ふと、アルテミスは自身の喉の皮が斬られていることに気が付いた。

「……我が名はフリー・クラムネット。惜しいな、もうお前を殺すことはできない」

 フリーと名乗った男は残念そうに肩を竦め、分かりやすく嘆息した。

「そう分かっているならば、何故立ち塞がる」

「俺の魂はあの御方のものだ。仔細は俺が決めることではない」

「傀儡と化し、命すら委ねるとは……。度し難いほどの狂信者め」

「俺は魂すら黒く染めてしまった。だが、あの御方はそれを許容してくださる。故に、惑いはない」

 大小の鎌を胸の前で交差したフリーは、地面を蹴ってアルテミスに肉薄する。アルテミスのランスはリーチこそ長いが内側に入り込まれては対処に困るので、接近を許さぬように再び魔力を吹き荒れる風として放出した。

「──っ⁉」

「風に逆えば、動きは鈍る。風に委ねれば、動きは加速する。俺は、そうして生きてきた」

 風の綻びを見抜いたフリーは、予定より速くアルテミスを間合いに捉えた。舌打ちと共にセレネの綱を引き、大鎌の一撃を回避する。しかし、二撃目の小鎌が蹄に掠ったことで態勢が崩れてしまった。

「これで、おわ──」

 よろめいた愛馬により隙が生まれたアルテミスの喉を掻っ切ろうとフリーはもう一歩踏み込んでから後悔した。いずれ世界の覇者となるとまで謳われた英雄であるアルテミスが、そんなに容易く落とせるはずもなく──。

「…………」

 フリーの上半身が消失し、その場に残された脚部は膝から崩れ落ちた。超人的な身のこなしを可能としたアルテミスは態勢がぐらつく中でも焦燥なくフリーを捉え、冷静な一撃を放った。その威力は横を通過しただけでも強い風圧を発生させるほどであり、直撃すれば命はない。現に、回避という選択のなかったフリーは上半身がどこにもなかった。

 風を発生させたことでアルテミスの付近は開いていたが、すぐに円を作るようにして多くの敵に囲まれる。そこには教徒のみならず、首や口から百足を生やした自軍の騎士もいた。

「……蟲への対処は、並の騎士では難しい。ですが精鋭やアルトリウス卿、ガウェイン卿がいるおかげか、そこまで苦戦しているというわけではないですね」

 アルテミスはそう分析し、息の荒いセレネを落ち着かせてからランスを構え直す。彼女とは長年阿吽の呼吸で戦ってきた勇敢な仲間だ。深淵探索を成し得たのも、彼女あってこそだ。

「行きましょう、セレネ。我々ならば、恐れるものは何もない!」

 ランスを体の一部の如く器用に扱いながら、アルテミスは接近してくる百足や教徒を薙ぎ払っていく。誰もが彼女達に触ることができずに朽ちていく。アルテミスがより攻撃に専念できるように、セレネは指示がなくとも己の役割を果たしてくれる。

「ハアアアアアアアァァ─────ッッッ‼」

 嵐を纏っているかのようなアルテミスを止めようと多くの者がゾンビのように彼女に群がるが、その連撃の前になす術なく倒れていく。百足は増殖する猶予がないため、飛び出ている一匹を排除されてしまえばそれは死を迎える。
 最後の一人の腹部を突き刺し、風穴の空いた教徒は苦痛と幸福を同時に得たかのような表情を浮かべて地に伏した。そしてアルテミスはランスを振り払い、付着した血を大雑把に落としてから辺りを睥睨する。戦況はこちらが依然有利を保っており、教徒の数は既に五百を切っていた。

(……これだけで趨勢を推量するのは愚策。ソウスケ、貴様は何を考えている?)

 この場に姿を見せていないガレスとフォール。
 不穏な気配を払拭しきれぬまま、アルテミスは眼前の敵の掃討にかかった。
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