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二章

十四幕『妄執の境地』

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 ──世界一硬い拳と聖なる剣が真っ向から激突する。発生した衝撃波に周囲の木々が根こそぎ吹き飛び、陰湿としていた視界がようやく開けた。
 二人が対峙してまだ半刻も経過していない。だが、疾うに互いは相手を自身の最大の敵として認識している。殺さねばならない、この世界に相手の存在を許すことはできなかった。

「──【神聖なる小剣セイクリッド・グラディウス】!」

 衝突後に後方へ退いたジーヴァに向け、アルテミスは詠唱で聖なる小剣を五本具現化させ、それを発射すると共に自らも聖剣を構えて果敢に迫撃する。

『随分と手品が豊富だな、アルカヌムの王よ!』

 ジーヴァの両肩が変形し、展開されたのは小さな土台と計十本の長い円筒形の装置。焦りを感じないジーヴァは手始めに具現化された小剣に照準を合わせ、円筒形の装置を五本発射した。圧縮ガスの噴射によって推力を得た装置は、小剣の剣尖に寸分の狂いなく突っ込んだ瞬間に爆発を起こす。
アルテミスはその現象に瞠目したが、それが未知の技術である以上仕組みを看破することは容易ではない。今の爆破は魔法ではなく、それを凌駕する『科学』の力だ。

「手品が豊富なのは、貴様の方であろう!」

 ジーヴァを間合いに捉えたアルテミスは跳躍して聖剣を頭上に振り上げる。近接戦に備え、ジーヴァは両腕をブレードへ変形させた。更に出力を上げ、ブレードに高熱を纏わせる。

「──せやぁあッ‼」

 高熱を帯びた両腕で、ジーヴァはその一撃を受け止める。アダマンタイト製であるため、仮令聖剣の切れ味を以てしても簡単に切断できないことを承知していたアルテミスはジーヴァの両脚に負荷をかけるためにブレードの破壊を敢えて狙わず、全力で叩きつける方針で聖剣を振り下ろした。しかしアダマンタイトは世界一と言われる硬度だけのことはあり、ジーヴァはほとんど無傷の状態であった。
 ジーヴァは事前に演算を行っていたため、その結果になることを知っていた。つまり、次の手を考える時間はアルテミスに比べて遥かに長い。
 
『この世界に先進的な物理学はない。直感に科学が勝るのは道理だ!』

 突如ジーヴァの目が赤く発光したことに気づいたアルテミスは直感に従って距離を取ろうとするが、既に準備が整っている攻撃はその猶予を与えない。

「くっ──‼」

 発光するジーヴァの瞳から放たれた赤色のレーザー光線がアルテミスの腹部に直撃。まるで犀に突進されたかのような衝撃にアルテミスは鎧が剥がされ、大きく吹き飛んだ。地面に激突する前に空中で回転させて勢いを緩和したが、ジーヴァとの距離は当初よりも広がった。

『どうした、その程度か! そんな実力で、我が御前に立つというのか‼』

 ジェット機能を駆使して宙へ飛んだジーヴァは腰の格納庫を開き、中から拳大の球体を取り出した。四角になっている起動ボタンを押し込み、球体が点滅すると同時にそれをアルテミスの方へ投擲する。咄嗟に投げられた謎の球体を切り払おうとしたアルテミスは聖剣を構えるが。

「──っ⁉」

 それは一瞬で内側から破裂し、近辺に高エネルギー波をもたらした。その手前にいたアルテミスは衝撃波に逆らえず、ジーヴァとの距離は更に遠のいてしまう。
 未知の技術に翻弄されるアルテミス。ジーヴァの攻撃手段は多彩な上、初めて目にするものばかりだ。魔法であれば完全に無効化できるが、魔法を超越する『科学』の前には手も足もでない。必死に打開策を探って思考を巡らせるが、獲得した情報は全て解析が困難を極める。

『……ああ、ああ。ああ。ああ。ああッ‼ よもや、弱者をいたぶることに愉悦を見出してしまうとはな! これでまた、我は万能から遠のいてしまったではないか!』

「逆に、貴様は漸次人間らしくなってきているぞ。だが未知を多用し続ければ、いずれ私は適応してしまうだろうな」

『ふっ、強がっているな。どちらにせよ、その前に始末するだけだ!』

 ジーヴァはブレードの熱を抑え、再び腕の側面に格納した。しかし元の腕の形に戻ったと思えば、今度はその手の平をアルテミスへ向けてきた。

『先ほどお前を殺し損ねたのが、我が生涯最後の悪運だ。ここで終わらせてやる!』

 アルテミスはその手の平に先刻のジーヴァの瞳から放出された光線よりも多くのエネルギーが働いていることを探知し、急遽接近を再開しようと踏み込んだ。遠距離では圧倒的にジーヴァにアドバンテージがある。接近戦に持ち込まなければ、聖剣の攻撃は届かない。
 だが距離はほとんど縮まらぬまま、今度はジーヴァの手の平が青く発光した──直後、高速で放出されたそれを曖昧ながらも捉えたアルテミスは狙いを予測し、直前で顔を右に傾ける。的を外したそれはアルテミスの顔を通過して背後の樹木へ直撃した。アルテミスが一瞬だけ目をやると、直撃した樹木は中間の幹が消滅しており地面に倒れていた。

『……まさか、プラズマ砲を躱されるとはな。それは計算外だぞ』

「不意打ちでなければ造作もない。貴様に備わった数多の恐ろしき技術には感服するが、斯様な攻撃は永続しないのが条理だ」

『それは、どのような推量だ?』

「かつてとある資料に目を通したことがある。ソウスケは魔導士から買い取った魔力をエネルギーに変換させ、それを動力にして自身の発明品を起動させていたという。恐らくアダマンタイトでできた貴様も同じような動力源を持っているのだろう?」

 人一倍探求心の強いアルテミスはソウスケの著作はおろか、彼の記した多くの設計図もその目で見てきた。どうやらソウスケの発明品の多くは魔法鉱石では動かせなかったらしい。彼が独自に創り出した技術を以てして、魔力をエネルギーに変換することで初めて起動させることができる。資料の多くは彼の死後すぐに魔導士連盟に燃やされてしまったが、アルテミスもジーヴァに対する知識は皆無というわけではなかった。

「無論、私は『人工知能』や貴様に備わった兵器の多くは理解が及んでいない。もし貴様があの狂科学者の知識を把握し、自己改造を行えるというならば永久に活動できる体を手にしていただろうな。だが、貴様はそれをしなかった。何故だ?」

 アルテミスはジーヴァの体内を循環するエネルギーがどれほどのものかを把握していた。エネルギーは変換されているとはいえ、元はただの魔力なのだ。探知が得意なアルテミスにしてみればジーヴァの中のエネルギーがどれほどのもので、後どれほど活動することができるのかまで演算することは容易い。人間でいう心臓などに当たる特定の急所は存在していないが、ジーヴァにも寿命はあるのだ。

『……やはり、お前は生かしておくべきではないか。その聡明さが、その探求心が、この世界を滅ぼす要因となる。……ともすれば、貴様がこの世界を破壊することになるかもしれんな』

 自嘲するように言ったジーヴァは己の手の平を見つめ、そして滔々と語りだす。

『あれは、己が野望の実現のために知能を創った。……だが、永久機関の発明が叶わなかったあれは野望だけを我に託し、多くの魔術師から得た多大な魔力をエネルギーとしてこの肉体の動力源とした。そして知能をインプットし、平和維持という名目の楽園エデン創造をプログラムしたのだ。我は人間を制御するために、敢えて不死を手にしなかった。か弱き人間を理解してやろうという慈悲を持っていたのだ』

 ジーヴァは青く光る左手の平をアルテミスに向け、二度目のプラズマ砲を発射したが難なく回避される。

『だが、だが失敗した! 我はたった一つを誤ったのだ! 人間を救済するのに、人間のことを理解する必要などなかった! その間違いを早々に自覚していれば、我は斯様に憤ることなどなかったのだ!』

「──そういうことか」

 自身の発明品に夢を託す、まるで一種の御伽噺のようだ。
 しかし、前提として世界を震撼させたソウスケ・ミキモトが果たしてそこまで単純な人間であったのか。ジーヴァは最後の発明にしては、所々が人間臭い。様々な資料を見てきたアルテミスはそこで一つの可能性に至った。

「奴は貴様に野望を託したのではない。そもそも──奴はまだ死んでいないだろうな。貴様を敢えて完璧にしなかったのは、果たしてどのような意図があったのか……」

『──っ‼ なん、だと……?』

 アルテミスの言葉にジーヴァは硬直した。脳内では過去のありとあらゆる事象を振り返っていることだろう。人間とは根本的に一線を画しているということもあり、ジーヴァ自身も己の存在意義に気づくのは早かった。

『……ふざ、けるな……。我は、自由ではなかったのか! 何故そこにいる! 答えろ、‼』

 ジーヴァは錯乱していた。
 どこにもその意識はない。当然だ、彼は四十年前に死んだはず。今際にこの体の中に『人工知能』をインプットし、悲願を託して逝った。間違いない、記録にはそう
 しかし、ジーヴァの内部の奥底には眠っていた。胎児のように、ひたすら時期を待っている。問い質すため、ジーヴァはアクセスを試みる。──その瞬間。

『……』

 アルテミスは表面上では冷静を装っていたが、内心は動揺していた。目下動力が失われたことで活動を停止したかのように宙を飛んでいたジーヴァが落ちてきたのだ。奇襲を警戒し、罠である可能性を考え接近はしない。中段に剣を構え、アルテミスは様子を窺っていた。

『──ふ』

 漏れたような笑い声に、アルテミスは警戒を強める。やがて無防備にうつ伏せで倒れていたジーヴァがのっそりと体を起こした。

『……ああ。私は成し遂げたぞ』

 立ち上がったジーヴァは、雰囲気が一変していた。その声音には憤慨も憎悪もなく、一貫して落ち着いたものになっている。手を開閉させ、動きを確認しており──まるで、何者かが憑依したようだった。

『時期尚早であったが故に生前の記録こそほぼ欠落してしまったが、御木本惣右介であることは自覚できる。私が成し遂げんとした悲願……かつて愚昧な者共の虚飾にかどわかされ、堕ちた我が理想の実現。為すべきを成すため、私は地獄より舞い戻ったぞ!』

 両腕を広げながら、ジーヴァは空を仰いで呵々大笑した。それを見ていたアルテミスは明確な敵意を浴びせるとともにその正体を解析する。あれはもうジーヴァであってジーヴァではない何かだ。もし落ちてくる前にジーヴァの発言をあてにするならば、今その体を支配しているのは『人工知能』ではなく、そのである可能性が高い。

「それは妄言か。それとも執念か」

『妄執だ。蒙昧な人間を導く、私はその一点に固執している。根底が悪しき魂である限り、最早覆すことは叶わぬ。人類は癌だ。大地を荒廃させ、海に塵を流し、大気を汚染する。生きとし生ける人間は、皆等しく罪過を得ている。故に救済してやらねばならぬのだ。でなければ、やがて人間は自ら破滅を招き、罪なき生命すらも道連れにする。この星は人のものではない。元来の美を穢してまで、無為に生きるなど愚かなり』

 アルテミスは確信する。間違いない、眼前にいるのはジーヴァの体を支配している『ソウスケ・ミキモト』だ。ジーヴァとソウスケの思想に明確な違いはない。だが、感じ取れる根本的な執念が桁違いであった。
 ジーヴァは誕生当初からソウスケの思想を継いでいた。故に、それは義務であると理解していたものの、形としては他人の思想を押し付けられた状態であった。そのために自ら人間を深く理解しようと考え、あらゆる手段を使ってその思想を自分のものにしようとしていたのだ。

『ふっ。AIとて、人間の手によって生み出される製品なのだ。土台の下に隠匿したプログラムがかくも容易く発見されたのは予想外だったが、お前もなかなかいい救世主メシアになれていたではないか。だが、温い。人工知能であるが故に、正当性を模索してしまったのがお前の過ちだ。お前は所詮、私の手の平の上で踊っていたに過ぎないのだ。……それに、完璧に創ってしまっては私の存在意義がなくなってしまうからな』

「『人間の本質とは魂であり、肉体は殻に過ぎない』。貴様はそう綴っていたな」

 肉体がなければ自己を知覚できない。魂に容器を与えなければ、魂は何者であるかを自覚できず、まるで夢の中にいるかのように生死の概念すらもない存在となってしまう。【人理の末路】にて、ソウスケはそう記していたとガウェインから聞いていた。

『その通りだ、若き聡明な王よ。言わば魂が自覚をするために肉体は必須だ。だが、その考え自体はもう旧い。人間は生きる必要がなくなったのだ。生死を凌駕し、電脳空間に記録を復元すればいいだけのことだ』

「……なるほど、現実を二つ持つということか」

『ほう、ネットワークなき世界でもこれほど見識がある人間がいたとは……。あやつが見込んだだけの王ではある。……まさしく、それは言い得て妙だな。私を構成する全てのデータを記録し、もう一つの世界に私のコピーを作り出すのだ。肉体を持たないが、それには知識がある。私に基づく論理的思考で物事を判断する、まさに私そのものだ』

 もう一つの世界に解き放たれたそれは、最初から自己を認識するための素材が全て揃っている。生まれた瞬間から自分が何者であるかを知り、肉体がなくとも自分を判別することができるのだ。

「では何故、その複製体を封印していたのだ。わざわざ人工知能に正当性を学ばせ、非効率に野望を実現させるより、最初から貴様自らが動いていた方が早かったのではないか?」

『それは無理だ。電脳空間に私を作り出すことはできたが、やはりこの世界の資源と私の技術程度では完璧な複製は叶わなかった。現に、時期尚早に出てきた私は記憶の一部を欠いている。お前が余計な物言いをせねば、もう少しましな状態で出てくることができたのだがな……』

「ジーヴァに活動させつつ、貴様は安全圏から時期を窺っていたということか。さぞやジーヴァも無念であろう。創造主とはいえ、愚かと嘯いた人間にこうまで欺かれていたとはな」

 端からジーヴァはソウスケ・ミキモトの代用品でしかなかった。アルテミスが気付かせなければ、己こそが救世主なのだと信じて聖杯を起動していたに違いない。だが、押し付けられた思想が果たして正しいものかを知るために、ジーヴァは非効率にも時間をかけて多角的に人間を観察していた。結果やはり人間は度し難いと判断したが、結局最初からソウスケの手の平で踊っていた道化として終わってしまった。

『さて、無駄話はここまでにするとしよう。私は一刻も早く聖杯を奪取し、永久機関の開発に取り組まねばならないのだ。楽園エデンの監視者として、私は永久に生き続ける』

 その体の開発者であるソウスケは、武器の扱いに当然だが熟知している。予断を許さない状況であることに変わりはないが、アルテミスの為すべきことも揺らがない。

「その意志を貫徹したくば、私の屍を超えてみせよ。だが、そこに一切の容赦はない。長きに亙る妄執の成れの果て、我が聖剣による幕引きを許す」

『たかが数百年とて生きられぬ人の身で阻むのか』

「貴様も黒魔術がなければ人の身だ。そして私は祖国を愛する一国の王として、為すべきを為すのみ」

『愚かな! なればその卑小な躯、気高き威光諸共に踏みにじってやろう‼』

 ジェット機能を応用して推進力を得たソウスケが怒りと共にアルテミスに向けて飛んでくる。
 アルテミスのやるべきことは何ら変わらない。
   多くの臣下を犠牲にした。この世で最も愛する少女をたくさん傷つけた。だが、自らはたった一度致命傷を受けたのみ。

「──【神聖失墜。かつての威光を喪いし其は、天地を食らう邪悪なり】」

   生涯を終えたはずの科学者は、救済という幻想に囚われた挙句金属という肉体を得て地獄より帰ってきた。そして不遜にも神々を蔑み、世界を破滅させようと企んでいる。それは人間を愛しすぎたが故の結末。

「【深淵よ、我を識れ。御名を言祝ぐ禁忌の詠唱。恩寵を穢し、我は天を落とす】」

 ならば、その幻想を打ち砕く。この地を終局にして、妄執の墓場としよう。
 衝突を控えたアルテミスの握る聖剣の輝きが失われ、彼女の周囲を黒い瘴気が浮遊する。やがて瘴気は剣身に吸い込まれ、同時に世界が影に覆われた。

 アルカヌムのセレナード城で出生したアルテミスは神界に住む多くの神々から恩寵を賜った。その数だけ加護を有し、『夜明けを実現する』と伝説に謳われる聖剣までも下賜された。
   しかし過去に一度だけ深淵の探索に出たアルテミスはそこで深淵の主と出会い、そして愛された。その際にアルテミスの聖剣は深淵の加護を受け、闇に堕ちた。主は一言だけアルテミスに告げた。

 ──この闇を解放する度に、お前は内側から穢される。

 アルテミスは詠唱の度に、己が何かに侵食されていたことに気づいていた。しかし世界を、ウェスタを護るためならば、その程度は彼女にとって些少な事でしかない。

「【現世へ終焉を齎す導きの聖剣アルバ・ディアボロス】‼」

 アルテミスが剣を振りかぶった瞬間、世界が暗闇に閉ざされた。
   ソウスケは感覚を奪われる。演算は停止し、視界から得られる情報は皆無。現状の認識は不可能となり、根が人間で構成されたソウスケは恐怖を覚える。
 光芒が差し込み、世界から影が消える。疾うに戦いは終わっていた。
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