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二章

七幕『それは神を謳い、師を尊ぶ者』

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「──アルトリウス卿、ご無事ですか!」

 ウェスタとモードレッドが洞窟に入ってからニ十分が経過する頃。見張りとして残っていたアルトリウスの元へ西側を探索していたアルテミス、ガウェイン、ガレスの三人が合流した。アルテミスは先ほどアルトリウスから魔力を用いた念話にて洞窟を発見したとの報告を受け、急いで合流するために馬を飛ばしてきた。

「私は問題ありません。ただ気がかりなのは先行させたウェスタとモードレッドです。無事ならよいのですが、どうやら洞窟の中には結界が張られており、念話が飛ばせないのです」

「なんと。では、急いだほうがよさそうですね。……ガレス卿」

 馬を降りたアルテミスは後方にいたガレスに声を掛ける。西側を探索するアルテミス達も教徒との戦闘はあったものの、全員無傷で切り抜けることができていた。

「……ああ。俺が見張りってことか。了解だ、陛下」

 ガレスはその場で背負っていた逆三角盾Kite・Shieldを地面に突き刺すと、短い詠唱を言祝ぐ。神の加護を受けるその盾は魔力が流れたことで巨大な不可視の結界を展開する。これにより五キロ圏内にガレスが許可した人間以外が立ち入ることはできなくなり、万が一実力行使で侵入されても彼はすぐに知覚できる。
 その結界を感覚でキャッチしたアルテミス達は馬をガレスに預け、愈々気を張り詰めて洞窟へ入る。アルテミスは不穏な気配を感じ取っていたが、それは杞憂であってほしいと祈るしかない。

「……待っていてください、ウェスタ」

 アルトリウス達には気づかれなかったが、アルテミスは言い表し難い焦燥に駆られていた。



 ──洞窟の中心部では、二人の騎士が剣を構えていた。

「──貴様らが神の意を蹂躙せし奸賊共か。はっ、ようやく拝謁叶ったわい」

 正面に佇む老人は侮蔑するような眼差しを二人に浴びせていた。木製の杖で体を支えているが、一見脆弱に見える老躯からは形容できないただならぬ雰囲気を醸し出している。

「そういう貴方は、一体何者ですか?」

「我が名はフォール。新宗教の祖にして、輪廻を拒むものなり」

 そしてフォールと名乗った老人はことを口にした。

「そりゃ、冗談のつもりか? にしては諧謔性の欠片もねーな」

「明確に言わねば伝わらぬぞ。もしや、我が名を仮初と申すのか?」

「──ッ! 話逸らしてんじゃねえ! てめえの宗教は世に出て三百年は経ってるはずだ!」

 モードレッドの言い分は的を射ている。フォールらが信仰する宗教が興ったのは三百年前──俗に言う暗黒時代と呼ばれる戦乱や疫病が原因で文化の発展が著しく停滞した時代だ。戦争の長期化により王侯貴族がみな国を出て行ったことで弱小の権力者が林立していたために天下が乱れた。やがて疫病が流行し始め、飢饉を契機に一揆が起こった。ある場所では文明そのものが破壊され、多くの貴族が没落していったまさに暗黒の時代。

「……なるほど。ただのカルト教団ではなかったのですね」

「あ? そりゃあどういう……」

「暗黒時代ともなれば、とされている黒魔術を行使する魔導士がいてもおかしくはない」

 黒魔術は使用を認められた魔法とは一線を画している。そもそも魔法とは人間の理解が及ぶ範囲内での現象を魔力を用いることで具現できるもの。対し、黒魔術は神の権能すらも凌駕してしまう恐るべき未知の具現。例を挙げるならば──『寿』など。

「……ああ。よくぞ見抜いた白百合の騎士。だが、その血脈に神血を流しているにもかかわらず、そうまで人間に肩入れするのは何故か?」

「愚問です。私は人間として生きる道を選んだ。ならば、下界の人間を護るために戦うのは必然でしょう。では、私も問います。何故貴方達はそうまでジーヴァに助力するのですか?」

「それこそ愚問よ。我らは神を崇めるだけの存在ではない。顕現した神に従属し、人類をあるべき場所へ導く存在だ。故にあの御方に仕え、人理モラルを破壊し輪廻を断つ。誰もが苦しみから解放された完璧となるために、あの御方は必要なのだ!」

 盲目的な狂信者のように理想を語るフォールに対しての二人の眼差しは憐憫を帯びていた。

「……何が、貴方をそこまで狂わせたのです?」

 フォールの口にした理想は、まさにジーヴァが聖杯を使用して実行しようとしている『人類の理想郷への帰郷』に他ならない。ソウスケ・ミキモトの著作【人理の末路】に登場する『楽園エデン』を実際に創り上げ、人類を導くと叫び、世界を滅ぼそうとしている。
 何かの理由で世界(人間)に絶望したフォールは、黒魔術を使い延命に延命を重ねてまで今日まで生きてきた。約三百年に及ぶ妄執の起源を知りたいとウェスタは思った。

「……かつて私は人が私欲に利用され死んでいく世を嘆き、戦争のない世の中を作るためだけに全てを捧げてきた。暗黒時代に突入してからは私のような平和思想の人間は排斥され、石を投げつけられ、酷く罵倒された。だが、それでも私は人間の良心に必死に訴えかけ続けたのだ!」

 フォールが想起するのは凄惨な戦争の跡地だけだ。戦火は砂漠の上でも消えることはなく、世界は曇天に覆われていた。昏い世界、そこに生きる人間は歓喜か絶望しか知らない。戦争の反対を訴える度にフォールは屈辱的な扱いを受けてきた。

「……そして軍の指揮を乱す国賊として投獄された時、ようやく私は悟ったのだ。人間の根底にあるのは他人を踏み躙ることに愉悦を乱す悪辣な劣情。天下泰平は存続せず、私欲の優先ある限り戦争は切り離せぬ縁にあるのだと!」

 フォールは信じていた妻子にさえ裏切られた。あまつさえ自身を非難した息子は戦争に駆り出され、どこの誰とも知らぬ敵に殺され、死骸はどこかへ置き去りにされた。やがて肉が腐り蛆が湧こうとも弔ってやることは叶わず、ただ死亡したという事実だけが掲示板に張り出された。自身の息子は強欲な貴族に利用され、命を無駄にしたという事実はフォールを絶望の淵に追い込んだ。

「だが、ある日私は運命に出会った。彼は私に『楽園エデン』という理想郷を語り聞かせ、同時に如何に人間が度し難い生命であるかを説かれた。ああ、実に彼は優れた人格者であった。我が憎悪の矛先を明らかにするだけでなく、その道程までも教授してくれたのだ」

「……それはジーヴァと名乗るあの神ですか?」

「いいや、あの御方がまだ覚醒以前のことだ。私に道を教授してくれたのは君らが知るかの思想家──ソウスケ・ミキモトだよ」

「──っ!」

 その可能性はあり得ないわけではなかった。確かにソウスケという人物は三十年前には生きていた。常識的に考えれば三百年前に生存しているはずがない。……しかし、フォールは黒魔術を使用することができる。故に、ソウスケが近代まで生きながらえたことにも納得がいってしまう。

「……つまり、あれか。そのソースケってやつの妄言にてめえらは誑かされたってわけだな」

 今まで口を噤んでいたモードレッドがようやく反応を示した。その表情を見たフォールは眉をぴくりと動かし、鋭い眼光でモードレッドを射抜いた。

「……我らが誑かされた、と? はっ、やはり浅はかな男だな。彼は貴様より何倍も叡智に富み、優れた科学技術を持ったまさに神域の人間なのだぞ!」

「だから、なんだ。仮令そいつが天才であっても、結局『えでん』なんて理想を実現しようとしたバカの一人だ。てめえの言う通り、人間全員が賢いとはいえないが、それでもよく知らねー人間や神に助けてくれなんて言うほど弱い生き物じゃねーよ」

「弱き者を導くのは常に上に立つ賢者だ。惨めでありながら救済を求めないなど、その方が傲慢であると思わぬか?」

「俺は思わないね。寧ろ人間は自分達で道を切り拓いていく。それを妨げ、わけもわかんねーとこに連行しようとするてめえらの方が傲慢だぜ?」

「モードレッド……」

 ウェスタはモードレッドの意見に感銘を受けていた。人間に上も下もない。誰にも、神にさえ導かれるべきではないのだ。皆等しく、手を取りあって未来を開拓していくのが人間だ。まして誰も彼もが完璧である必要などない。
 人間が生きている限り、世界から戦争はなくならない。その観点から見れば確かにフォールの言う通り人間というのは度し難いのかもしれない。それでも、ウェスタは下界でのたった十年の月日で分かったことがある。

「……フォール、貴方の妄執は尊重します。私欲を肥やそうとする醜い争いは、きっと永劫なくなることはないでしょう。ですが、皆が皆そうではない。の貴方のように、世界のために平和を呼びかけられる人もいるのです。私は、下界の人間を信じています。人間は、ましてあのような神に導かれる存在ではないのです!」

 人間に熱心に寄り添ったからこそ、フォールは人間の汚い側面を見てしまった。何も考えず、流されるままに小さな幸不幸を甘受していれば、そこまで苦悩することはなかっただろう。だが、彼は彼なりに世界を憂い、そしてソウスケから教授を受けた。それは正しい答えではなかったが、同時に人間を人一倍憂う彼だからこそそんな選択を取ってしまったのかもしれない。

「……もうよい。貴様らとは分かり合えぬのだ。ソウスケ殿亡き目下、私はあの御方を支え、人類の導きを成功せねばならん。こちらに寝返るというならば、は死なずに済んだのだがな……」

 ふと、冷たい視線がウェスタに向けられた。フォールはため息をつくと、杖を地面に叩きつけ足元に魔法陣を構築させる。

「ソウスケ殿は私に悲願を託した。そしてあの御方目覚めし今、その悲願はようやく果たされる!」

「モードレッド、構えて! 何か来ます!」

「そんくらい見れば分かるわ! 俺の心配はいいからあいつだけ見とけ!」

 フォールが発動しようとしているのは黒魔術だ。神聖な魔法とは違い、魔法陣の色はやや黒ずんでいた。フォールの足元に構築された魔法陣は徐々に直径を広げている。

「──【内に眠りし、我が蟲よ。識を喰らい、我が手中に堕ちよ】」

 不気味に発光する膨らんだ魔法陣に向けて、フォールは再度杖を叩きつける。途端に構築された魔法陣全体に亀裂が広がっていき。

「【パペット・オブ・ザ・アビス深淵の傀儡】!」

 ──魔法陣が砕け散る。その光景を見ていたは途端に胸の奥で何かが蠢くのを感じた。
 直後に胃が、肝臓が、胆嚢が、腎臓が、脾臓が、膵臓が、大腸が、小腸が、肺が、心臓が──五臓六腑が無数の細い何かに食い荒らされていく。
 
(──よせ)

 無意識に唇から唾液が零れて地面に流れていく。やがて視界が一瞬赤く染まったかと思うと、それは今度は頭蓋に侵入してきた。そして悉くに齧り付き、捕食していく。

(──ヤ、めろ)

 声が出ない。思考ができない。
 あっと言う間に空っぽになった体の中で、今度は巣を作り卵を植え付けていく。その感覚に嘔吐感を覚えた。
 咽喉を這い回るそれが有り得ないほどの不快感を彼に与える。

「……モードレッド?」

 ウェスタは何が来るかと身構えていた。しかし、魔法陣が砕けた後もフォールに変化はない。黒魔術というからには、想定外の攻撃が来るのだろうとウェスタは踏んでいたが、自身にもフォールにも何の変化もなかったために違和感を覚えていた。そして確認のためにモードレッドの方を振り向いた瞬間、その異変に気が付いた。
 口から線を引いている唾液、蒼白になった顔色、ふらふらと揺れている体、焦点の定まっていない双眸。まるで何かの状態異常を患っているようだった。

「……うぇ、すた……」

 虚ろな瞳でモードレッドはウェスタを見た。

「……に、げ……があああああああああああああああああああああッ‼」

 言いかけた瞬間に、モードレッドは突如雄叫びを上げて自身の咽喉を扼する。そして蹲り、地面に勢いよく何度も額を叩きつけ始めた。

「モードレッド‼」

 ウェスタは急いで容態を確かめようとモードレッドの傍へ走る。──一瞬だけ彼と目があった直後。

「────‼」

 モードレッドの喉奥から這い出るように飛び出したのは、パリスに寄生していたあの。かさかさと多脚を動かしながら気味の悪い鳴き声を上げた百足は、体の内側に無数にある目をウェスタに向けていた。

「モー、ドレッド……そ、んな……」

 思わずその場にへたり込んでしまうウェスタの眼前で、モードレッドが立ち上がった。そしてモードレッドは左手で大剣を握り、覚束無い足取りでウェスタに近づいてくる。

「……私の傀儡に相応しいかどうか見極めさせてもらうぞ、緑の騎士よ」

 新たな傀儡を手に入れた喜びからか、フォールは口を歪めていた。
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