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第一章

三幕『それは、万人のメシアなり』

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 ──やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい‼

 精鋭部隊と謳われる強者達が、として森林に派遣されて六日が過ぎていた。
 精鋭と呼ばれるからには、皆揃って文武を兼ね備えた屈強な騎士である。アルカヌム近衛騎士団とは貴族のみが入団を許された城郭都市を守る要。入団者は総勢一千人。その中で精鋭部隊になれるのは十人、上位一パーセントの人間のみだ。彼らは厳しい入団テストで好成績を残し、その後精鋭になるための特殊訓練を受けて初めてその役割を与えられることになっている。精鋭の主な任務は斥候。敵の拠点近くまで潜入し、動静や地形などを探り、監視する。万が一に発見された場合でも帰還できる対応力と実力を兼ね備えたエリート集団だ。

 六日前、国王アルテミスからの勅令によって精鋭七人が斥候として派遣された。彼らは当初チームを二つに分け、一チームを教徒達の監視へ、もう一チームを前回派遣された近衛兵五名の捜索に当てた。だが、三日経とうとも行方不明になった近衛兵は発見できず、また教徒達もやたらに森を彷徨うばかりで異常な行動を起こすことはなかった。よって精鋭部隊のリーダーであるドワイフ・ケテルマクトは教徒の一人を拉致、仮拠点に連行して拷問にかけた。教徒はたった数度の拷問で全てを自白した。
 話によると、新興宗教の教徒達は森林のどこかにあるとされる聖杯の眠った祠を探していたらしい。住民を追い出していたのは、彼らが聖杯を持っている可能性を疑ってのこと。ドワイフは事前に教徒達が聖杯を求めて森林に入ったのではないかとアルテミスより聞かされており、その自白を信じることに決めた。そして続けざまに近衛兵についての情報を聞き出そうとした時──視界が閃光に包まれた。

 拷問にかけられていた教徒の体には爆裂魔法の術式を施した魔虫が宿っており、それが起動したことで精鋭部隊が仮拠点としていた場は一瞬にして崩壊した。
 仲間を爆破から庇ったドワイフは死亡。残された六人の元に突如ジーヴァと名乗るものが現れ、こう告げた。

 ──あんなもので死ぬのか、と。

 その場にいた全員が直感でその存在を否定した。まさしく、それは下界にいていいものではなかった。
 しかし圧倒的な実力差も同時に悟った精鋭部隊は隊の中で一番年の若いパリス・クワィトにのみ帰還を指示、残る五人は殿として留まり、ジーヴァを破壊することを決意する。
 パリスはその指示に安堵した。ジーヴァを前にして、恐怖に気が狂いそうだったパリスは後方を顧みることなく走り出す。断末魔は、すぐに聞こえてきた。

 ──やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい‼

 パリスは走る。時折足止めにかかる教徒達を斬り捨て、無我夢中に来た道を引き返していく。
 自分は帰らねばならない。そして報告せねばならない。──真の神が、この世に降りてきたと。
 もう悲鳴は聞こえてこない。コンタクトから既に二時間が経過しており、その間も走り続けたのだ。接触したポイントは遥か後方。仲間の犠牲を無駄にするわけにはいかない。パリスはひたすら走る。

『──やれやれ。人間同士の契りなど、所詮はその程度か』

 その無機質な声に、パリスは足を止めた。否、
 顔を上げる気力はない。剣を抜く度胸はない。仲間を殺された無念を吠える気概もない。
 死にたくないとパリスは神に祈った。だが、神はすぐそこにいる。では、仲間を無慈悲に殺したジーヴァに祈ればいいのだろうか?

『ふむ。どの体をこじ開けても、やはり内臓の配置は変わらんな。だが、面積は僅かに変わるようだ』

 立ち尽くすパリスの足元に六つの赤い心臓が並べられた。ジーヴァはわざわざ身を屈め、パリスの見える位置に置いたらしい。機嫌を損なわぬように、パリスは必死に言葉を探った。

『ああ、すまない。何分生まれてまだ二千日程度しか経っていなくてな。生憎まだ情というものを獲得できていないんだ。驚かせたか?』

「あ、貴方は何者なんですか……?」

 俯いたまま、パリスは何とか言葉を返した。ひどく自分勝手なものだが、ジーヴァが機嫌を損ねた気色はない。呼吸を整えたパリスは、思い切って顔を上げてみた。
 視界に映ったのは、人間に似た形をしている。言語も話す上、二足歩行だ。だが、ジーヴァを人と見紛うことは、誰がどう見ても永劫ないとパリスは思った。

『──我は神だ。それ以外の何ものでもない。お前の目にも我は神として映っているはずだが? ……もしや』

 人のように動き、人のように話すジーヴァは、近くの切り株に座って人のように顎に手を添え思案している。パリスは諦めずに逃げ出す機会を窺っているが、周囲を教徒達に包囲されているため微動だにできない。やがて立ち上がったジーヴァはパリスの眼前に立つと。

「うぁあやああああがぎあああああああああああああああああああああああああああああああッ‼」

 パリスの右目の眼窩に指を差し込み、引き抜くように眼球を抉り出した。神経が一瞬引っ掛かった。
 まるで赤子のように抵抗を許されず、右目を抜き取られたパリスは悲鳴を上げてその場に倒れ込んで悶絶する。剣の柄に手を乗せ、迎撃態勢はとっていた。仮令至近距離まで接近されても、不審な動きをすれば抵抗しようと考えていた。実力差は歴然だが、相手には敵意が一切ない。……故に、パリスは何が起こったのかすら把握できていなかった。蟻に殴られるようなものである。パリスは無意識のうちにと断定してしまっていた。

『……なんだ。何も異常などないではないか。では何故我が分からない? 先の質問は意味が分からぬ……』

 ジーヴァはじっくり視察してパリスの右眼球に異常がないことを確認すると、悶絶するパリスの元へ歩み寄った。

『おいおい、そう暴れるな。早くこれを中に戻せばいいだろう。何故痛がる? 何故泣いている? ……ああ、そうか。人間の眼球は取り出してはならなかったな。どうもうっかりしていたようだ、悪かったなミスター』

 その言葉に、パリスは絶句した。敵意はない。ジーヴァは純粋な善意でパリスの眼球を取り出し、診察したのだ。そして異常はないと自分のことのように安堵してくれている。

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ‼」

 その絶望的な恐怖に、パリスは剣を抜いた。まるで武器を持たない農民を相手取っているような心持ちだが、パリスは恐怖の源を取り払うために一心に剣を振り下ろす。しかし、攻撃は当たらなかった。躱された? ならば、次は刺突で穿とう。確実に殺す。殺す。ころす。殺ス。コロす。コろす。コロス。ゼッタイニコロサナキャ‼

『──はあ、度し難い』

 ──ソこダ!

 声が聞こえた後方に身を翻し、パリスは刺突を構える──ことができなかった。
 腕がない。ああ、足もないや。──あれ。、なかったっけ?
 
『人の身である以上、お前の生もまた憎悪の連鎖なのだろうな。そうして惨めな虫のようにもがいて我を殺そうとしている。だが、勘違いするな。我はお前をのだ』

 ジーヴァは捥ぎ取ったパリスの手足を捨て、地面で芋虫のように這いずっているパリスを見下ろした。その眼差しは慈愛に満ち溢れており、辺りを包囲していた教徒達は疾うに武器を捨て、祈りを捧げていた。

『おっと、今度は動けなくなってしまったな。すまない、お前にはまだ重要な役目が残っているのだ』

 そして、ジーヴァが取り出したを見て、パリスはもがくのをやめて絶句した。直後に、砂浜に打ち上げられた魚のようにびちびちと跳ねて暴れ出す。

「い、いやだ‼ やめて──だけはやめてください‼ やだ、いやだああああああああああ‼」

『そう喚くことでもないぞ。案ずるな、人間。役目を終えれば、その魂は……しまった。名前を忘却してしまったぞ』

『エデン、にございます』

『ああ、それだ。そうエデンだ。あの馬鹿が夢見た理想郷だが、下界の暮らしよりは充実してるだろう』

 ジーヴァは暴れまわるパリスの腹を踏みつけて押さえ、開いた口に右手に持ったを放った。

「……がっ、おぅえッ‼」

 その場でえずいてパリスは口内を這うを吐き出そうとするが、咽喉を通ってどんどん奥へと進んでいき、やがて体の中心辺りで壁に入り込んでいく。伴って千切れた手足の切断部が蠢き始める。

『──さて。経過を観察するのも一興だが、我は野暮用につきこの場をお前に託す。せいぜい、

『御意のままに。行ってらっしゃいませ、我が主よ』

 それだけ言い残したジーヴァは、エネルギーを解放してその体を宙へ浮かばせる。体のところどころから顔を出しているパリスのを一瞥し、ジーヴァは空の彼方へ飛翔していった。
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