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第五十一話 剣聖家の美剣姫との決闘

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冒険者ギルドへの訪問から、瞬く間に一週間が経過した。

ヒースクリフは校舎裏へと歩いている。

ニアは珍しく彼の隣にはいない。

彼女には今寮の部屋に控えてもらっているのだ。

(今頃、彼女は何をしているだろうか)

ヒースクリフはニアの顔を思い浮かべ、その面影を打ち消した。

「いよいよか……」

ヒースクリフは感慨深げに呟いた。

彼がたどり着いたその場所には、しなやかな金髪を揺らす少女が立っている。

そこは勧学院の校舎裏の空き地だ。

彼が待ち合わせをしていた少女以外は、ここには誰も居ない。

ガランとして、じめじめした空気が漂っている。

ここは日のあたりも良くないのだ。

「待たせてしまったか?」

ヒースクリフはじっと青い空を見上げている金髪の少女に問いかけた。

「いいえ、今来たところよ」

こちらを向きもせず、涼しげな声でその少女は答えた。

(そんなに興味深い雲でも浮かんでいるかな)

ヒースクリフもまた空を見たが、その日は雲一つない快晴だった。

彼女が空を通して見ているのは、もっと別のものなのだろう。

「約束は覚えているな──────ソフィア」

彼女はやっとこちらを向いた。

腰にレイピアを帯びた少女は、少年をまっすぐと見据えて一つ頷く。

「ええ、この決闘で勝った者が負けた者の言うことを一つ聞く──────だったわよね?」

「覚えてくれていたようで何よりだ」

ヒースクリフは少し安堵した。

今更そんなことは言っていない、とすっとぼけられる可能性もあり得ると思っていたのだ。

ソフィアは不意に少し赤くなって言った。

「一応確認しておくけど──────あなたの望みは私の身体なのよね?」

ヒースクリフはぶっと吹き出しそうになったが、なんとかそれは堪え、それらしく眉を寄せて少し考えてから言った。

「まあ、そうだ」

ソフィアは眉間にしわを寄せて目をぐるりと回し、追及する。

「……その、まあっていうのは何?」

彼女は怒っているようにも聞こえる震えた声で問い返した。

ここに来て踏ん切りがつかないような態度の少年に、にわかに怒りが湧いて来ていたのかもしれない。

神聖な剣技で、婦女子の純潔を狙う不埒者。

彼女にとって目の前の少年とはそういう存在だ。

「──────その先は、剣で語ろうか」

ヒースクリフは誤魔化した。

実際、ソフィアの貞操を要求するつもりはなかったが、ハードルというのは上げておいて後から下げるほうがうまくいきやすい。

馬を買うときは、一匹目を散々値切ってから、二匹目の本命を買えというのは、前世の王国でも通用する教えだった。

相手は最初のハードルの高い要求があればこそ、そこから少し要求が下がっただけで、譲歩してくれたと思ってしまうものなのだ。

それを実践しようとして見事に失敗したのがニアの例だったのだが、ヒースクリフは懲りていなかった。

今度こそ、王国式交渉術を成功させようという気概に満ちてすらいる。

「──────そうね」

少しの沈黙の後、すらりと彼女のレイピアが抜かれた。

銀色の細い煌めきが解き放たれる。

ヒースクリフもそれに応じて剣を抜いた。

それは冒険者としての活動で手に入れた初めての短剣である。

安物だが、取り回しは優れていると駆け出しには評判の一振りだ。

(やはり自分の剣は手になじむな……)

ヒースクリフはなかなか悪くない買い物をしたとご満悦だった。

だが、その得物はずいぶんとソフィアのプライドを刺激したらしい。

「なっ!?」

彼女は驚愕を隠しきれなかった。

彼の抜いた剣が、余りに普通の鉄剣だったからである。

何の魔術的加工もなされていない、正真正銘のただの鉄の剣だ。

「どういうつもり……!?」

ソフィアは憤りを隠しきれず叫んだ。

「……何がだ?」

ヒースクリフはまるで意味が分からないというような顔で言った。

「分かっているでしょう!? あなた、授業でも私には一回も勝ったことが無いじゃない! その上、私のこの剣を相手に、ただの鉄剣で挑むつもり?」

ヒースクリフはプンスカと怒る少女を見て、興味深げな顔になる。

「その剣、何か特別なのか?」

ソフィアは呆れたように問い返す。

「魔術も歴史学も主席でしょう。あなたなら見れば分かるというのは、買い被りがすぎたのかしら?」

ヒースクリフはそう言われて、初めて彼女の抜いたレイピアをまじまじと見た。

(試験でも使っていたが、やはり彼女の愛刀はレイピアなのだな……)

彼がまず思ったのはそんなことである。

だが、次の瞬間にはその剣が発する霊気に気が付いた。

刀身の放つ圧力は尋常のものではない。

そして特徴的な大鷲の意匠の施された柄。

彼の脳裏にあるレイピアが浮かんだ。

「まさか、それは──────ペイル・レイピアか?」

その答えに、ソフィアはやっと満足げな表情になった。

「やっぱり知っているのね! これはユニヴァ家に秘蔵されていた、エア王国神話に伝わる一振りよ!」

自慢げに胸を張る。

年の割に豊かな胸が揺れる。

「……エア王朝の創始者、太祖エアはその冷気で万からなる軍勢をまるごと凍らせたとか言われる霊剣だな」

ヒースクリフは興味深げに付け加えるように言った。

「ふーん、思った以上に詳しいのね」

ソフィアは自分から聞いておいて、意外そうに言った。

(そりゃあそうだろう、俺は王国の勇者だったんだ。脅威になりそうなレベルの霊剣など把握しているに決まっている)

ヒースクリフは苦々しくそう思ったが、口には出さない。

口は禍の元だ。

そして、話を転換する。

これ以上、武器の話をしてしまっては、そういえば鉄の剣なんてわたしを舐めているのね!!という方向にも話が転がりかねない。

「──────この決闘は一対一、かつ誰の助力も求めない。相違ないか?」

少年は人気のない校舎裏を慎重に見まわしてから言った。

この辺りには誰も来ないうえ、人気のある所からも離れているので、辺りは静寂が包み込んでいる。

ソフィアは一つため息をつく。

その様子は誤魔化されてやるわ、とでも言いたげだ。


彼女は頷き皮肉げに言った。

「いつものメイドさんを連れてこられなくて残念ね」

ヒースクリフは苦い顔になる。

決闘の時にお留守番だと告げられた時の彼女の顔を思い出したのだ。

ソフィアとの決闘に行けないと知った時の彼女の膨れた顔。

機械にもこんな顔が出来るのであれば、人間と何が違うのだろうと思った。

だが、今は関係ない。

フグのように丸くなったニアの顔を振り払う。

今、決闘が始まろうという時まで、ヒースクリフとソフィアの間には会話が無かった。

決闘が決まってからの二週間、二人は口をほとんど聞かなかったのだ。

ソフィアはヒースクリフを卑劣漢だと思っていたし、彼もそう思われていることは知っていた。

そのため、ヒースクリフはここでやっと彼女と普通の会話が交わせたことが素直に嬉しかった。

(仲間にする過程で仲が悪くなるのでは本末転倒にもほどがある……)

「──────あなたがただの鉄剣を使うのなら、私もペイル・レイピアの権能は使わないであげる」

その言葉を皮切りに、戦いは唐突に始まった。

気だるげだった二人の雰囲気は霧散し、緊張が走る。

目つきも鋭くなる。

いきなり踏み出したのはソフィアだ。

魔力を込めたその両足は地面に半ばめり込み、爆発的な加速を見せた。

(流石に身体強化魔法は熟練の域だな。中級魔法クラスを越えて、ほとんど上級魔法クラスの強化率だ……!)

ヒースクリフは内心舌を巻いた。

前世でも彼女と同じ年で同程度の身体強化が使えたかどうか、彼は自信が持てなかった。

瞬く間に目の前に迫った彼女は、恐るべきスピードを乗せてレイピアを突き出してくる。

(……身体強化)

ヒースクリフは心の中で小さく呟く。

魔力丹田から吸い出された魔力が足へと流れ込み、ヒースクリフの脚力は倍増し、彼は必殺のレイピアの一撃からひらりと身をかわした。

強化なしではとても避けきれないほどの鋭い突きだったのだ。

その一撃には、スケベ野郎に一瞬で引導を渡してやろうという迫真の気概が込められていた。

だが、ソフィアは躱されたことに焦るでもない。

続き技の連撃にシフトした。

銀色の線としか見えない高速の攻撃が人体の急所を狙う。

ヒースクリフはそれを躱して躱して躱しまくる。

ソフィアの攻撃はかすりもせずに避けられ続けるが、彼女に顔には薄い笑みが、段々と濃い笑みが浮かんできた。

(戦闘狂というやつか……?)

動き続けながらも、ヒースクリフは自分を棚に上げて、彼女の性癖を勘ぐった。

その間にも連撃は止まらない。

それどころが、突きのスピードは速くなり、威力は上がってゆく。

細剣が風を切る音すらもう二人には届かない領域へと至っている。

「やるわね!」

ソフィアは突きを繰り出しながら、得意げにそう言った。

ヒースクリフは黙ったままで応えない。

ただただ愚直に身をかわす。

「これなら!?」

ソフィアはギアを上げた。

身体強化魔法がまた一段階複雑な紋章を描き出す。

彼女の動きはもう一段階素早く、攻撃ももう一段階重くなる。

ヒースクリフもまた身体強化魔法を強めることで対抗した。

(これは……完全に上級魔法だな。この年齢でここまでの力量、素晴らしいとしかいうほかない)

ヒースクリフは感嘆した。

そんな思索に耽っていたからだろうか。

ソフィアの渾身の一撃がほとんど直撃する。

(……入った!)

ソフィアはそう確信した。

だが、直後ガキンという音が人気の無い校舎裏に響き渡る。

無論、レイピアが人体を貫通した音ではない。

レイピアは薄皮一枚も貫くことなく、ヒースクリフの差し込んだ剣により弾かれたのだ。

「……もう逃げ回るのは終わりかしら?」

ソフィアは必中を確信した一撃が弾かれた驚きを隠し、表面上は平然と言った。

剣を使うことを意識すれば、回避はおろそかになる、その瞬間が自分の勝利の時だとでも言うように。

彼女は全く追い詰められてはいないのだ。

「──────いや、驚いたよ……!」

ヒースクリフはまるで答えになっていない返事をした。

ソフィアが怪訝そうに彼を見ると、ヒースクリフの顔は紅潮しており明らかに興奮していた。

「──続けようか!」

それは防戦一方だった男の顔ではない。

ソフィアは思った。

(まるで──教え子がうまくやったときの、教師の顔?)

(まさか──────まるで相手にされていない……?)

彼女は決闘が始まってこの方、というより決闘を申し込んだ時から、自分の優位を全く疑ったことが無かった。

だが、この瞬間。

興奮するヒースクリフの顔を見た瞬間。

自分がひどい思い違いを、ひどい思い上がりをしていたのではないかという不安に、突然襲われたのだった。
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