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第三十三話 正反対な二人

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ヒースクリフはぼんやりと教科書を見つめながら、無気力に講義を聞いていた。

教壇に立つ頭の禿げかけた中年の教員は、長々と講義を続けている。

「Sクラスの皆さんならば、当然ご存じの通り、我らがサルダ自治国には隣接する国が3つあります。誰か分かる人は?」

一人の男子生徒が勢いよく手を上げ、立ち上がって答えた。

「タルシス王国、神聖エルフリア共和国、魔王ドルムント帝国です!」

「そうですね。では──────」

歴史科教師の説明は続いたが、ヒースクリフは上の空だ。

どうせ子供向けの歴史の授業など知っていることばかりになるのは目に見えていたからである。

蒼い天蓋に大洋に浮かぶ島のように揺蕩う雲を眺めながら、彼は何かを考えているようだ。

(やはり、あの才能はこんな辺土に置いていくには惜しいな……。どうにかパーティメンバーに引き入れたいものだ)

ヒースクリフが考えていたのは、先ほど立ち会った少女のことだった。

ソフィア。

彼女の剣才は、前世も含めたこれまでの人生で見て来たものの中でも、五指に入るほどのものだった。

五指というと大したことの無いようにも思えるが、彼は前世では覇権国家であるタルシス王国の武の中枢にいたのである。

彼がこれまで見てきた人物の中で五位というのは、ほぼすなわち人類において五位というのと等しかった。

そんな授業に身が入りきらない少年に対して、またもその隣に座っている少女もまた、物憂げな表情を浮かべていた。

彼女もまた、学業は良く収めている。

今更、大陸の人口分布やら農業生産高やらは、聞かされたところで、既習範囲の内容ばかりで退屈だったのだ。

そうなると自然と思い出されるのは、先ほどの試合だ。

(ヒースクリフの剣術は粗削りだった。でも、しっかりとした師匠を持てば、まだまだ伸びる剣であることも間違いない! なんとか、彼と剣術を研鑽する友人になれるといいのだけれど……)

ソフィアは横目でヒースクリフを見た。

彼はソフィアのことなど見たくもないとでも言うように、わざとらしく窓の外を向いている。

(やっぱり、剣術の授業のことを引きずっているのかな……。手を抜けば彼のプライドは守られたんでしょうけど……)

ソフィアは自分がやったことが正しい行いだったのかどうかを自問自答し、すぐに答えを出した。

(ううん。やっぱりそれはあり得ないわね。剣術を極めんとする者の一人として、どんな理由があろうと、手を抜くなんてありえないわ。第一、それじゃあ剣に対しても、相手に対しても失礼だもの)

そう結論を出したはいいものの、彼女は沈鬱な表情のままだ。

傍らの少年は不自然なほどに彼女の方を見ようとしない。

「魔王ドルムント帝国とは現在国交が断絶していて、ほとんど往来はないんですね。それは400年程前のいわゆる魔王戦争の頃から続いていて──────そこっ! 聞く気あるの!?」

歴史教師は授業開始から余りに講義を聞くつもりを見せない二人に対して、唾を飛ばしながら叫んだ。

一人は主席、一人は次席というそのペアが授業を聞かないとなると示しが付かない。

ソフィアはヒースクリフに向けていた目を、すぐさま教壇に戻して優雅に微笑むと、申し訳ありませんでした、と謝罪する。

ヒースクリフも思索の回廊から舞い戻ると、頭を少し下げて謝意を表明したことで、歴史教師は面目を保った。

ごほん、と咳ばらいを一つすると講義に戻る。

(放課後になったら、ソフィアを勧誘してみるか……)

(授業が終わったら、ヒースクリフを鍛錬に誘ってみましょうか……)

正反対の性格とも言える二人は、この時この場所においては、ピッタリ同じようなことを考えていた。

その後の神学の授業については特筆すべきことはない。

牧師のような恰好をした教師が、さも神聖な話であるというように説いたところによると、この世界には主神である天神様とその従神である無数の神々が存在しているのだという。

従神の中には、太陽を司る陽神様や、運命を司る運命神様などがいらっしゃり、神々のご恵沢によってこの世界は正常な状態を保っている、とも彼は言った。

だが、この授業の内容もヒースクリフにとっては知っていることばかりだ。

(神々のことが、たった十年程度世界を留守にしていただけで変わるわけが無いのだから当然だがな)

ヒースクリフは人間界の移ろいやすさと比べ、神の世界はどれほど安寧な場所なのだろうかと空想しながらそう考えた。

ヒースクリフのみならず、Sクラスに入ってくるほどの生徒は、座学の基本くらい実家で叩き込まれてきた者ばかりだ。

教室の雰囲気は、初回授業にして退屈に飲まれそうになっていたが、神学教師は気にしていない様子だ。

熱狂的な聖王教の信者らしい彼は、彼自身の経典解釈を披露することに躍起になり、クラスの様子を大して顧みても居なかったのだ。

終業の鐘が鳴り、やっと神学教師は多いに講義内容を脱線していたことに気づいた。

続きはまた来週、と言い残すと彼は教室を出て行った。

ヒースクリフは教科書──────国費によって支給されているお下がりの古びたものだ──────をしまって、ソフィアにどう声を掛けようか考えている。

(勧誘しようにも、何と言ったらいいんだ? 別にタルシス王国に着いて来てほしい訳でもない。ただお前の才能が惜しくなったなどと言えば何様だという話になるだろうしな。負けておいて何を言うと言われては何も言い返せん……)

ヒースクリフが苦悩する中、クラスの後ろの方では意を決して彼に話しかけようとしている者がいた。

それも複数である。

彼等はひそひそ声で相談を交わしている。

主席のヒースクリフに勉強や魔術、剣術を教わりたい、というのが彼らの総意らしかった。

彼等の身につける衣服、鞄などを見れば、それほど裕福ではない家庭の出であることは知れただろう。

それもそのはず、彼等は一人残らず平民の出であった。

平民でありながら、主席を勝ち取ったヒースクリフは、勧学院内での英雄として見る向きが彼らの中で高まってきたのである。

そんな彼を旗印として、勧学院で平民の派閥を作り上げようという政治的な野心も彼らは持ち合わせていた。

代表として選ばれた一人の男子生徒が、ヒースクリフの肩に手を掛けようとしたその時、少女が割り込んできてヒースクリフに声を掛けた。

今は俺が彼に用があったんだ! とその男子生徒は文句を言おうと口を開きかけたが、慌ててその口をふさいだ。

目の前に居たのは、勧学院1年Sクラス内での政治力学の頂点だったのだから。

政治力学の頂点──────ソフィアは物おじせずヒースクリフに声を掛けた。

「手合わせしなさい!」

それが彼女の第一声であり、ヒースクリフは困惑した。

彼女の傍らには、こっちに手を伸ばしかけて慌てて引っ込めた男子生徒が居る。

彼は何の用事もなかったことをアピールするかのように下手くそな口笛を吹きながら退散した。

(今のあいつ、どこかで……?)

ヒースクリフは去って行った男子生徒に見覚えがあることに気づいたが、詳しくは思い出せなかった。

というより、それを思い出すよりも優先するべきタスクを先に処理することに決めたのだ。

「手合わせ? 授業でこれからもさんざんやるではないか」

そう言ってしまってから、ヒースクリフはわざわざ相手から話しかけてもらうという機会を台無しにしつつあることに気づいた。

慌てて今の拒絶ともとれるような発言を撤回しようとしたが、それよりも早く少女は言った。

「なら──────授業外での鍛錬で、私を倒したなら、なんども一ついうことを聞いてあげるわ!」

教室に残っていたマンデルはその発言に卒倒しそうになり、ひっくり返りそうになったところを、お付きの使用人によって支えられた。

教室はソフィアの宣言によって、戦慄に包まれている。

立ち直ったマンデルは慌ててソフィアにその発言を撤回させ、私が代わりに鍛錬のお相手をいたします! と宣言しようとしたが、ヒースクリフはここに来てニヤリと笑った。

ソフィアがその笑みを見てごくりと生唾を飲む。

それほどヒースクリフの笑みはギラギラと輝いていたのだ。

乙女である彼女がそれを情欲の輝きと見紛うたことを誰が責められよう。

それにヒースクリフのその後のセリフも良くなかった。

「今、なんでもと言ったな? では──────」


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