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第八話 後悔

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 宮中の中央付近に設けられた豪華な寝室。

 南に面した大きな窓から差し込む月光は弱々しい。

 日に日に迫る新月が、月の女神の力を着実に削いでいた。

 金の刺繍がなされた豪華絢爛な掛け布団をかけた一組の男女が床に就いている。

 二人の表情は対照的だ。

 女の方が健やかな表情を浮かべ寝息を立てているのに対し、男の顔は物憂げで瞼も開いている。

『奪ってやるぞ!お前の大切なもの全部!!──────』

 自分の声がリフレインする。

 ずっと昔の出来事なのにも関わらず、今でも頭も離れないその光景。

(本当にこれで良かったのだろうか)

 勇者メルヴィルは自問した。

 この十年以上の間、何度も自分自身に問うてきた問いであるが、結論は出ていない。

 こんな月の光が弱い日にはいつも考え込んでしまう。

 暗さというのは人を弱く、否定的な感情にさせる。

 イマナ神との邂逅により、超常の力を得た彼もまたその傾向に囚われていた。

(俺が彼女と結婚したのは……彼女を愛していたからなのか?)

 そんな詮無いことを今日も考えている。

 隣で眠る王女エリザベスの寝顔を見つめた。

 その相貌は今でも霞むことなく美麗である。

『当然そうだ!彼女は誰よりも美しかった!』

 答える声がまず浮かんだ。

 だが──────

『ただの復讐だ!俺はやつのもっとも大切なものを奪ってやったのだ!』

 頭のどこかで囁く声も聞こえる。

(復讐だったのか……?この生活も全部。みんなの仇討のためにやっているのか?)

(そんなの……屑じゃないか……)

 良くない方向に進み続ける思考を打ち切ろうとするが、止められない。

(そもそもイマナ神は何故俺に力を授けた?)

(俺は勇者ハルデンベルグを滅した。それが神がやらせたかったことなのか……?)

 違うような気がする。

 彼の直感はよく当たった。

(そもそも、俺は借り物の力で粋がっているだけじゃないのか?)

 これもメルヴィルがずっと囚われてきた悩みだった。

(それに引き換え、勇者ハルデンベルグ。やつの力は本物だった。やつ自身が培い、鍛え上げた力を俺の権能は容赦なく打ち破った)

 後悔はしていない。

 やつは只の屑だった。

 何の罪もない村のみんなを殺したこと、今でも許せない。

 許せるはずもない。

 国王陛下の命令だったことは知っている。

 だが、直接手を下したやつが許せるはずもないのだ。

(アクラ……)

 魔族の少女を思い出す。

 もう思い出は十年以上前のことになってしまったが、村で過ごした日々は貧しくとも彼の宝物であった。

 村での思い出からの繋がりで、童話を思い出す。

 女衆が寝物語として使うありふれたおとぎ話だ。

 その共通点は、最後にこう締められるということである。

(『世界にイマナが現れし時、大波もまた訪れる』か)

(どんな大波が待っているっていうんだろうな)

 親魔人族派と見られる新勇者が立ったことで、魔国との関係も良好化した。

 これまでの勇者としての仕事に“大波”はない。

 苦しい選択をしたことも数えきれないが、彼自身の正義にもとる行動はとっていないつもりである。

(これだけでは済まない。きっと何か大きなことが起こる)

(それこそ、世界中を巻き込むような大きな何かが)

(だが、今は──────)

 眠気に身をゆだねる。

 勇者の朝は、早いのだ。

 ◇

 イーソン村の一画で俺は今日も鍬を振るっていた。

「休憩だよ!ほら、食いな!!」

 母親が投げつけてきた干した木の実を口に放り込む。

 僅かな甘みにほおが緩んだ。

 そして、周りに広がる広大な農地と彼方に見える立派な領主様の屋敷を見渡す。

(何をしてるんだ、俺は……)

 気づけば、前世の意識に目覚めてから、半年以上が経過していた。

 その間していたことと言えば──────

(駄目だ……ほとんど農作業しか思い出せん……)

 彼は立派な農家の倅と化していた。

(思ったよりも今世の常識に体が引っ張られるな)

(だが──────)

「このくらいは出来るようになったぞ」

 片手で子供の頭ほどもある岩塊を持ち上げると、そのまま握り砕いた。

 ぱらぱらと砕けた岩が拳から零れ落ちる。

「ふむ」

 前世の力にはまだ遠く及ばない。

 勇者ハルデンベルグがその力を示せば、山を引き裂くことすら叶った。

 しかし、前世で八歳の頃に今ほどの力を示していたかと言えばそんなことも全くない。

(順調だな。やはりこの体は魔力強化効率が圧倒的にいい)

 彼は機嫌よく頭の中でつぶやいた。

(遺跡での訓練が効いている。通う回数を増やしたいところだが……)

「再開だよ!ヒース、次はあっちの畑で兄ちゃんたちを手伝いなさい!!」

 彼に容赦なく課せられる農作業は、訓練に通う時間をほとんど残さない。

 それに問題は母親だ。

 彼女はヒースクリフが与えられた重労働に少しも音を上げなくなったのを見て取ると、どんどんと割り振る仕事を増やしていった。

 今では兄たちの三倍以上の量を課せられている。

 いくらなんでも八歳の子供にさせられる仕事量ではないと思ったのか、そこで止まったのはせめてもの朗報であるが。

 あのままのペースで負担を増やされていたら、流石のヒースクリフでも逃亡することを真剣に検討していただろう。

「だが──」

「やつには更にまだまだ遠く及ばんか……」

 またもメルヴィルのことを考えていることに気づいた彼は自嘲した。

 どうすれば彼に勝てたのか、どうすれば彼に勝てるのか。

 この半年間それを考えない日はなかった。

 彼は自分を深く恨んでいるだろう。

 それは間違いない。

 だが、ヒースクリフは違った。

 メルヴィルはハルデンベルグを恨んでいたし、逆もまた然りだろう。

 だが、ヒースクリフはハルデンベルグではない。

 彼の恨みを自分自身のこととして理解していないのだ。

 分かっているのは、勇者メルヴィルが凄まじく強いということ。

 そして、自分の今の潜在能力は彼にも匹敵しうると前世の記憶が判断していることだけだ。

(まあ、戦えるとも思えんし、机上の空論に過ぎないが……)

(そもそも──────)

 この半年間で様々なことが判明した。

 このイーソン村は“サルダ自治国”とかいう国の中にあるらしい。

 前世で一生を捧げたタルシス王国の隣国である。

 しかし、ハルデンベルグの知識にそんな国は無かった。

 それも当然だ。

 この国は彼が死んだ後に生まれていたのだから。

(十一年か……)

 既に勇者ハルデンベルグの死から十一年が経過していた。

(そりゃあ、知らない国の一つも出来るだろうな)

 村に訪れた商人から聞いた年号は確かにそれだけの時が経ったことを彼に知らせた。

(メルヴィルと戦うなど……そもそも無理かもしれん。やつももう今では、いい歳だ)

 そして──────

(エリザベスに関する情報は得られなかったな……)

 その商人はここらでは情報通で通っていたが、異国の王女様については存在すら知らないようだった。

(こんなちんけな村に来る行商人では無理もない……)

 本人が聞けば激怒しそうなことを平然と考えながら、ヒースクリフは作業を進める。

(しかし、彼女については──────知らねばならんな)

 ヒースクリフは一人、貧村から脱出する計略を練っていた。

 背後に広がる広葉樹林では、名も知れぬ鳥が何の不安もなさそうに囀っている。
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