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第4話 呪われた家系
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「実は叔父が亡くなりまして……」
うだつの上がらないその新入社員はおそるおそる切り出した。
しきりに額をハンケチで拭っている。
「そうか……。それはご愁傷様だな。忌引きにしておくから、会社のことは気にせずお別れをしてきてくれたまえ」
課長の許可が出ると、その新入社員はペコペコしながら帰っていった。
次の日もお通夜があるから欠勤するとかいう。
それにも当然だなと課長は許可を出す。
日本では公私の別を付けようという向きが強すぎる。
私を優越させるべきだという、日本社会への小さな反抗のつもりでもあった。
次の日、新入社員がまたも汗をぬぐいながら出勤してくる。
「おはよう。どうかね、調子は?」
課長の男は慎重にそう言った。
親族の葬式のあとの挨拶には気を遣うものだからだ。
うっかり気分はいいかなどと聞けば、いいわけが無いだろうと激怒される恐れがある。
コンプライアンスとかいうものに厳しい時代だ。
葬式ハラスメントなどという言葉が存在してもおかしくない。
「はあ……」
歯切れの悪い様子である。
「おい、どうした? 君は若手のホープなんだぜ。そんな様子では困るじゃないか」
課長はお世辞を言って、彼を元気づけようとした。
実際にはその新入社員はぱっとしない仕事ぶりだったが、そんなことは関係ないのだ。
とりあえず、人というのは褒めておけばよい。
部下であればなおさらである。
課長のおべっかでいくらか気分が良くなったのか、彼はおそるおそる言った。
「実は、叔母も亡くなりまして……」
課長は渋々彼の欠勤を許可した。
繁忙期であるため、新入社員であろうと人の手が減るのは痛かったが、仕方ないことである。
前回は認めたことを今回は認めないでは風聞がいささか悪い。
叔父では認めて、叔母では認めないでは男女差別という声が上がる恐れもあった。
男尊女卑を排することは現代における錦の御旗なのだ。
でが、それだけでは終わらなかった。
次の週には従妹が。
その次の週には遂に母が亡くなったという報告を、新入社員はいかにも恐縮だというようにしてきた。
それらにもやむなく課長は忌引きを認める。
新入社員はペコペコしながら、しかし何のためらいもなく休んでいく。
新入社員の欠勤が二週間にも達したある深夜、課長は残業を強いられたオフィスで一人、イライラしていた。
新入社員といえども、一人の手が足りなければ必然的に誰かが補う必要があるのだ。
直属の上司である彼は最近残業続きだった。
それもこれもあのぱっとしないくせに怠惰な新入社員のせいだ。
ペンをくるくるとまわす。
これは彼のストレスが溜まっているときの癖であった。
「二週間で六人も親戚がなくなるものだろうか……」
それならばあの新入社員の家は、呪われた家系なのやもしれぬ。
いやいや、そんな非科学的なことなどあるはずはない。
呪いなど迷信である。
彼は現実主義的なサラリーマンとして当然の結論に至った。
であれば、そんなに親類が死ぬわけはない。
彼は嘘をついて会社をずる休みしているのだ。
「どうしてやろう……」
課長は人が居なくなってガランとしたオフィスを見回しながら考えた。
自分のエリアだけに明かりがついている様子はどこか風情があるようにも思える。
熟慮の結果たどり着いた結論は、彼を追及するのは難しいということだ。
仮にずるであると糾弾してみて、実際に親族がバタバタと亡くなっていたらどうするのだ。
失礼千万で平謝りということになる。
面白くない。
そんなリスクを冒すつもりにはなれなかった。
課長はペンを回しながら、ぐるりとオフィスを見渡す。
誰も居ない仕事場は、昼の騒がしさから一転して静寂に支配されている。
人気のなくなったオフィスにいると、彼にちょっとした好奇心が湧いてきた。
あの新入社員のデスクには忌引き届が大量に入っているのだろうか。
例えば、来週の分の届など入っていれば面白いではないか。
来週死ぬはずの父の分の忌引きですとは言わせない。
怠惰きわまる新入社員の尻尾を掴むことが出来る。
課長は期待を胸に、新入社員のデスクに歩いていくと、彼の引き出しを開いてみた。
重い感触。
彼は暗い室内で中を覗き込んだ。
それを見つけたとたんに息を呑む。
引き出しの中には乾いた血がこびりついた包丁が粛然と並んでいた。
オフィスに隠されていた凶器の禍々しさに震えてきた。
ただの包丁な訳はない。
それなら仕事場に使用済みの状態で並べて置く意味などないからだ。
課長が現実逃避気味にその本数を数えると、ちょうど包丁は六本だった。
「確かあいつの死んだ親類の人数も──────」
課長はそこまで呟いたところで後頭部にガツンとした衝撃を感じた。
彼は痛みすら感じる暇もなく倒れる。
「やれやれ、変な胸騒ぎがするから久しぶりに会社に来てみれば……」
課長の背後に現れた新入社員は倒れ伏した上司を見てため息をついた。
この出血量では助からないことは、これまでの経験から分かっている。
「やれやれ。上司では殺したところで忌引きにならないじゃないか……」
うだつの上がらないその新入社員はおそるおそる切り出した。
しきりに額をハンケチで拭っている。
「そうか……。それはご愁傷様だな。忌引きにしておくから、会社のことは気にせずお別れをしてきてくれたまえ」
課長の許可が出ると、その新入社員はペコペコしながら帰っていった。
次の日もお通夜があるから欠勤するとかいう。
それにも当然だなと課長は許可を出す。
日本では公私の別を付けようという向きが強すぎる。
私を優越させるべきだという、日本社会への小さな反抗のつもりでもあった。
次の日、新入社員がまたも汗をぬぐいながら出勤してくる。
「おはよう。どうかね、調子は?」
課長の男は慎重にそう言った。
親族の葬式のあとの挨拶には気を遣うものだからだ。
うっかり気分はいいかなどと聞けば、いいわけが無いだろうと激怒される恐れがある。
コンプライアンスとかいうものに厳しい時代だ。
葬式ハラスメントなどという言葉が存在してもおかしくない。
「はあ……」
歯切れの悪い様子である。
「おい、どうした? 君は若手のホープなんだぜ。そんな様子では困るじゃないか」
課長はお世辞を言って、彼を元気づけようとした。
実際にはその新入社員はぱっとしない仕事ぶりだったが、そんなことは関係ないのだ。
とりあえず、人というのは褒めておけばよい。
部下であればなおさらである。
課長のおべっかでいくらか気分が良くなったのか、彼はおそるおそる言った。
「実は、叔母も亡くなりまして……」
課長は渋々彼の欠勤を許可した。
繁忙期であるため、新入社員であろうと人の手が減るのは痛かったが、仕方ないことである。
前回は認めたことを今回は認めないでは風聞がいささか悪い。
叔父では認めて、叔母では認めないでは男女差別という声が上がる恐れもあった。
男尊女卑を排することは現代における錦の御旗なのだ。
でが、それだけでは終わらなかった。
次の週には従妹が。
その次の週には遂に母が亡くなったという報告を、新入社員はいかにも恐縮だというようにしてきた。
それらにもやむなく課長は忌引きを認める。
新入社員はペコペコしながら、しかし何のためらいもなく休んでいく。
新入社員の欠勤が二週間にも達したある深夜、課長は残業を強いられたオフィスで一人、イライラしていた。
新入社員といえども、一人の手が足りなければ必然的に誰かが補う必要があるのだ。
直属の上司である彼は最近残業続きだった。
それもこれもあのぱっとしないくせに怠惰な新入社員のせいだ。
ペンをくるくるとまわす。
これは彼のストレスが溜まっているときの癖であった。
「二週間で六人も親戚がなくなるものだろうか……」
それならばあの新入社員の家は、呪われた家系なのやもしれぬ。
いやいや、そんな非科学的なことなどあるはずはない。
呪いなど迷信である。
彼は現実主義的なサラリーマンとして当然の結論に至った。
であれば、そんなに親類が死ぬわけはない。
彼は嘘をついて会社をずる休みしているのだ。
「どうしてやろう……」
課長は人が居なくなってガランとしたオフィスを見回しながら考えた。
自分のエリアだけに明かりがついている様子はどこか風情があるようにも思える。
熟慮の結果たどり着いた結論は、彼を追及するのは難しいということだ。
仮にずるであると糾弾してみて、実際に親族がバタバタと亡くなっていたらどうするのだ。
失礼千万で平謝りということになる。
面白くない。
そんなリスクを冒すつもりにはなれなかった。
課長はペンを回しながら、ぐるりとオフィスを見渡す。
誰も居ない仕事場は、昼の騒がしさから一転して静寂に支配されている。
人気のなくなったオフィスにいると、彼にちょっとした好奇心が湧いてきた。
あの新入社員のデスクには忌引き届が大量に入っているのだろうか。
例えば、来週の分の届など入っていれば面白いではないか。
来週死ぬはずの父の分の忌引きですとは言わせない。
怠惰きわまる新入社員の尻尾を掴むことが出来る。
課長は期待を胸に、新入社員のデスクに歩いていくと、彼の引き出しを開いてみた。
重い感触。
彼は暗い室内で中を覗き込んだ。
それを見つけたとたんに息を呑む。
引き出しの中には乾いた血がこびりついた包丁が粛然と並んでいた。
オフィスに隠されていた凶器の禍々しさに震えてきた。
ただの包丁な訳はない。
それなら仕事場に使用済みの状態で並べて置く意味などないからだ。
課長が現実逃避気味にその本数を数えると、ちょうど包丁は六本だった。
「確かあいつの死んだ親類の人数も──────」
課長はそこまで呟いたところで後頭部にガツンとした衝撃を感じた。
彼は痛みすら感じる暇もなく倒れる。
「やれやれ、変な胸騒ぎがするから久しぶりに会社に来てみれば……」
課長の背後に現れた新入社員は倒れ伏した上司を見てため息をついた。
この出血量では助からないことは、これまでの経験から分かっている。
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