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Case.5 霊鬼
第十五話
しおりを挟むそれは、夏休みが明けた九月の上旬のことだった。
「……猪狩さん、早いじゃないですか」
〈茨城童子〉鬼頭葵は、専部の教室の扉を開けた。
「珍しいですね。一番乗りだなんて」
「まあな」
猪狩結香は生返事をする。受験用の参考書を解いている。猪狩は外部進学をするつもりのようだ。
猪狩の邪魔をしないように、鬼頭は少し離れた場所で、読みかけの小説を開いた。
「招かれざる客」が来訪したのは、その直後のことだった。
つい先程、鬼頭が入ってきた扉が、音もたてず、跡形もなく吹き飛ばされた。去年の四月に直したばかりだというその扉は、木屑を残して床に散らばる。
その一瞬で、猪狩と鬼頭は鬼の襲来だと気付いた。
「……こんなところまで来られるとは、〈酒呑童子〉以来だな」
ただし猪狩も、もちろん鬼頭も、一昨年〈酒呑童子〉が襲来したとき、その場にはいなかった。そこにいたのは有馬と真冬だけだった。
「どうしますか? ここ、壊されちゃまずいですよね?」
「いや、ここでいい。葵、あれの退治が最優先だ」
「……了解」
扉を吹き飛ばした「それ」が、ようやく姿を見せたと思った刹那、太陽が隠れたように、辺りが暗くなった。
猪狩は舌打ちをして、〈式札〉と呼ばれる和紙を取り出した。ヒトを模した形をした、擬人式神だ。
猪狩はそれに、ふぅっと息を吹きかける。猪狩の意思をくんだかのように、擬人式神は分裂し、鬼の身体にまとわりついた。
鬼、もしくは〈ヒト〉の形ができるまで、それほど時間はかからなかった。
「葵、頼んだ!」
猪狩がそう叫んだのと同時に、鬼頭が飛び出した。〈茨木童子〉である彼の実力は、猪狩もよく知っている。
鬼に近い姿となった鬼頭の爪が、鬼の首へと伸びていった。
振り下ろした腕は、実体を掴むことなく、宙を切った。
* * *
「……とゆーわけで、皆も以後気を付けるように!」
という締めくくりの言葉で、会長さんの説明は終わった。
とりあえず、ここまででわかったことは、さっき専部の教室が何者かに襲われたこと、襲ってきたそれの正体がわからないことだけだ。
「あの……」
私は気になることがあって、控えめに手を挙げた。
「鬼はどうしてここまで入ってこられたんですか? ここに来る前に、誰かが気づきそうなものですけど……」
その言葉一つで、教室の空気が悪くなった……気がする。
あれ……。私、また変なこと言いました?
「……ももがまた変なこと言ってる」
あ、相変わらず凛津は辛辣だなぁ……。
「あれ、凛津ってそんなに桃田と仲よかったっけ……?」
有馬先輩が呟いた。
知らないうちに呼び方が変化していたことに、有馬先輩は驚いたようだ。実は私達、夏休み中に学校外でも遊んでいたんですよ。
なぜ「もも」になったのかというと、私の名字か「桃田」だからだそうです。安直ですね。
「澪、そりゃあそれができたら苦労しないさ。雑魚ならともかく、ある程度強い鬼の襲来を予想するのは難しい」
「う、すみません……」
ああ、ついに会長さんにまで呆れられてしまった……。
「それはいいとして、問題は『誰が襲ってきたのかわからない』ところですかねぇ……?」
鬼頭先輩の言葉に会長さんが頷いた。
「そうだな。あれがまた襲ってこないことを願うばかりだよ」
* * *
「ひぇ……。あっつぅ……」
九月といえど、昼間はやっぱり蒸し暑い。それでも中庭には、弁当を食べる人がちらほらいる。私もそのうちの一人だ。まあ、独りでいるのは私くらいだけど。
入学してから五ヶ月が経って、最近はクラスの子からお弁当のお誘いを受けることも多くなってきた。好意、というよりは慈悲に近いような気がするけど、入学当初のことを考えると成長したと思う。誘われること、誘いを受けてもパニックにならないこと。
それでも、独りになるとわかっていても私がここに来るのは、ずっと学校に来ていないマユちゃんを探すためだ。
夏休みに入るまでは彼女のクラスに突撃したりしてたんだけど、向こうのクラスの子達に顔を覚えられたみたいで……。最近はクラスに突撃するまでもなく教えてくれます。なんか、申し訳ない……。
「もしかして、私のせいでいなくなっちゃったのかなぁ……?」
私の──〈半鬼〉の能力は未だにわからないことが沢山ある。むしろわからないことの方が多い。
とりあえず、何の能力も持たない人間には無害なことがわかった。理論上は、凛津の〈言霊〉の暴走を止めたときにはマユちゃんをはじめ、他の人には危害は及んでないはず。
だとしたら考えられることは三つ。彼女が〈退鬼師〉か、それとも鬼か。はたまた、私達がまだ知らない別の力があったか。
「……やっぱり、全然わかんないや」
どちらにせよ彼女がいなければ、どの可能性も探れない。一応、田沼先生には相談してあるけど、何せ〈半鬼〉には色々なタイプがあるらしくて、私がどのタイプに属しているかはまだ判明していない。
「はぁ……。数学教える約束してたんだけどなぁ。もう二学期、始まっちゃったよ」
誰もいないはずの空に向かって、そう呼びかけた。
「覚えていてくれたんだ。でも、もうよくなっちゃった。ごめんね、澪ちゃん」
その声は、いつも彼女がやって来ていた校舎側からではなく、真反対の運動場側から聞こえた。
「マユ……ちゃん……?」
そこには、彼女の姿はなかったはずなのに。
──なのに、どうして?
「……澪ちゃん? どうしたの?」
先手を取られた。聞きたいこと、沢山あるのに。いつも彼女のペースに持ち込まれてしまう。
「え、ええと、数学教えなくてもいいって話だよね? でも、どうしてそんな急に?」
「それは……」
マユちゃんは結構長い時間躊躇っていた。
「それは内緒! 絶対に守られる明日もなければ、約束もないでしょう? そういうことだよ」
「え……?」
なんだろう。何かがおかしい。違和感がある。
絶対的な根拠はない。でも、そう感じてしまうのは、私の思い過ごしなのだろうか?
「あ、どうせなら一緒にご飯食べよ! 私、どうせ独りだし」
彼女に対する違和感を隠そうとした結果、ぎこちない笑顔を浮かべてしまった。それが彼女に伝わってしまったかどうかはよくわからないけど、丁重に断られる。
「ごめん! 今日はちょっと用事があるんだ!」
「そ、そっか……」
マユちゃんは、校舎の方へ歩き出そうとして、足を止めた。
「あのね、私、多分……」
「え?」
「ううん。何でもない。バイバイ」
常に嵐のような彼女にしては、やけに静かだった。
「マユちゃん、疲れてるのかなぁ……?」
いつものあの元気さを感じない。こんな根暗な私ですら明るくしてしまう人なのに。
雲みたいに曖昧な違和感に、胸騒ぎがした。
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