僕等の世界は鬼の中

悠奈

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Case4. ゴブリン

十五話

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   一ヶ月ほど経って、夏休み直前になりました。
  暑くなりすぎたのか鬼の出現も緩やかになり、そこそこ平和な時期になっていました。

「桃田澪」

  私は凛津さんに名前を呼ばれた。相変わらずフルネームだ。

「私の家に来て」

  私は口に含んでいたお茶を吹きそうになりました。

 * * *

  え、ええ?  どういう状況?

  八月上旬。私は凛津さんの家の前で状況が読み込めずにいました。
  凛津さんは私を家に誘うと、てきぱきと日程を合わせ、名津君を追い出し、なにが起こっているのかわからないうちに、その日を迎えた。
  名目上専部は部活なので、端から見たら私達が遊んでいてもなんの違和感もないけれど、凛津さんは私のことが嫌いだったはず。どうして急に……。
「──お。桃田澪」
  私は凛津さんに呼ばれていることに気付いていなかった。
「は、はいっ!  なんでしょうか!?」
  凛津さんは微妙な顔をしている。なにか間違えただろうか。
「…………別に」
  え、ええ~……?
  どうしよ……。私、なんで誘われたんだろ……。

  その答えはすぐにわかった。
「桃田澪。あなた、数学できるんでしょ?」
「は、はあ……」
  まあ、人並みには……。
「…………」
  しばし沈黙。
「わからない、から、教えて……ください」
  大分照れていたけど、結構素直にそんなことを言われた。
「え……あ……」
  え、凛津さんが私に?  数学を、聞く?
「え、あの、ほんとに言ってますか?」
「……言ってる。『教えて』」
  あ、これ本気のやつだ。私には〈言霊〉は効かないので、今のほ無効ですけど。
  上から目線なのは、人とのコミュニケーションに慣れていないからかなあ。そう思うと可愛い。
「わかりました。私でよければ」

  普段は勉強でわからないところがあったら名津君に教えて貰っているらしい。でも、名津君もそこまで頭がいいというわけではないらしく(本人談)、私に役割が回ってきた。
「凄い……。全部、解けた……」
  わからなかったところを一通り教えたところで、凛津さんは感動していた。
  そんなに嬉しいんだ。素直。
  彼女の性格は歪んでいると思っていた。ほとんど話さないし、暗いし、プライドが高いし。でも、こんな一面もあったのか。
「そんな感じでよかったですか?」
  凛津さんは勢いよく頷いた。
「また、教えてもらう。次は図形」
「私でよければ……」
  このまま仲良くなれたらいいな。そんなことを思った。

 * * *

  凛津さんの提案で、かき氷を食べに行くことになった。近くに美味しいお店があるそうだ。
  会話はなかなか弾まない。名津君が一緒にいるときも、彼が一人で話しているような印象だから、多分、これがデフォルトだ。
「この辺りは、外国人さんが多いですね」
  なんとなくそう呟くと、凛津さんは答えてくれた。
「うん。夏は凄いよ。知らない人いっぱい」
  凛津さんの世界は「知ってる人」と「知らない人」でできてるのかな?
「ねえ」
  改めて話しかけられる。
「桃田澪は、どうして敬語なの?」
「…………」
  それをあなたが言いますか、と思ったけど、それとこれとでは別の話だ。
「なんとなく、ですかね。私は大人と関わることが多かったから、癖になっちゃって」
  薙刀で強くなって、大人の世界に首を突っ込んで、気が付いたらやめていた。それだけが自分の世界だったから、癖がついてしまった。
「私は、敬語はすきじゃない」
  凛津さんは言う。
  そりゃあそうだろうなあ。凛津さん、先輩達にもほぼため口だもん。

「だから、私には使わないでほしい」

  初めてそんなことを、彼女の口から聞いた。明らかな、要望。

「うん。わかった」

  それは、ちゃんと受け入れるべきだと思ったから。
「そ、それでも癖はそう簡単には治らないので、期待はしないでください……」
  私がそう小さくなっていると、凛津さんは笑っていた。

 * * *

  人混みに、さっきからなにか別のものが見える気がする。
「……あれ、多分鬼」
  凛津さんがそう言わなければ、私は見落としていただろう。
「どうするの?」
  ここで戦うわけにはいかない。一般人の目が多すぎる。
  だけど、「言葉」とは、こういうときに便利だ。
「そうだね……。『ついてきて』」
  そう言った彼女は、人がいない裏道へ歩いて行った。
  その言葉は私に向けられたものに聞こえる。でも、それだけじゃない。人の足元でうごうごしていた鬼も、凛津さんに付いてきた。
  小さな小鬼。でもそれは、この国のものじゃない。
「ゴブリンだ……」
  ゴブリン。邪悪な、または悪意をもった精霊。西洋の鬼とも言われる。
  カテゴリー的には鬼だから、凛津の〈言霊〉が効いたのか。
「薙刀、ないけど戦える?」
「うん。大丈夫です」
  凛津さんがそう聞いてきた。
  私はそこに落ちていた長めの枝を拾う。ここはビルが建ち並ぶ都会じゃない。少し大きな枝くらい、道端にたくさん落ちている。
  凛津が息を吸う音が聞こえる。
「『固定』」
  途端、ゴブリン達の動きが止まった。その隙を私は短い枝を振る。
  うーん。長い方とはいえ、やっぱり短いなあ……。
  いつもと違うリーチに戸惑いつつも、そのままゴブリンを退治していく。
  ゴブリンはそこまで強くない。結構さくっと終わりそ──。
「あ。〈言霊〉切れた……」
  凛津さんがそう呟く。
「え」
  だが時すでに遅し。ゴブリン達は動き出してしまった。
  途端に目標を私と定め、小さな棍棒で私の身体を叩き始めた。
  …………うん。あまり痛くない。
  そう余裕に考えていたのがよくなかったのかもしれない。凛津さんが青い顔をしていた。
「嘘……。こっち来る……。名津は……?」

  …………あれ?

「り、凛津さん!?」
  そっか、凛津さんは前衛で戦える能力はない。だから鬼が大群で向かってくるのには慣れていないんだ。
  あとは、名津君がいないから。
「凛津さん!」
  彼女は私の叫び声で我に帰る。
「後ろに二歩、右に大きく一歩ずれてください!  タイミングは指示します!」
  彼女はもう、焦っていない。
「──……今!」
  その声とほぼ同時に、なにもない空間ができる。急には止まれないゴブリンは、そこへ突っ込んでいく。
  私はそこに向かって、枝を振り下ろした。

 * * *

「よかったですね~。うまくいって」
  私と凛津さんは二人並んでかき氷を食べていた。
  うん。このかき氷、おいしい。
「…………?  凛津さん、どうかしました?」
  凛津さんは溶けかけのかき氷を前に固まっている。さっきのゴブリン戦で、なにか思うところがあったのだろうか。
「私、だめだめだった」
  ああ、そういうこと。確かにプライド高めな凛津さんには、きついことだったかもしれない。
  凛津さん、自分で思っているよりも名津君のことを信頼しているんだろうな。
「それでもいいと思いますよ。今はまだ」
  ちゃんとしてアドバイスになったかどうかは、微妙なところだ。

「今日はありがとうございました」
  私は帰り際、凛津さんにそう言った。
「うん。桃田澪、気をつけて」
  凛津さんはそう返す。なんだかなあ……。
「あのね凛津さん」
  不思議そうな顔が返ってきた。
「私のこと、フルネームで呼ぶのやめてほしい」
「…………」
  反応がない。あれ、無意識だったかな?
「うん。わかった」
  おお。意外とあっさり。
「でも、澪は嫌だから、ももで」
「え、ええ?」
  まさかのあだ名。
「じゃあ、ももも……」
  うん。そうだね。

「それじゃあ凛津。また学校でね」
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