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五、ある親子の邂逅
第十九話
しおりを挟む私には、娘がいました。生まれたばかりの、小さな娘が。
彼女が生まれた日のことは、よく覚えています。雨雲で真っ暗な中、野外で夫と二人、その誕生を見守りました。
ああ、そういえば、あの日も雨が降っていましたね。私があなたとはぐれてしまったとき。大きな地震があって、あなたは泣き叫んでいた。
歩き始めたばかりのあなたは、外に出る嬉しさを感じたくて外へ出た。親である私達がちゃんと見ていないといけないのに、私は小さな手を見失ってしまった。それからのことは、なにも知りません。
あなたがもし、この手紙を読んでいたら教えてほしい。もう一度会いたいのです。それが母の願いです。わがままなお母さんで、ごめんなさい。
雨音のする日は、あなたの声をより一層、近くに感じます。
* * *
何日かに一回、あまねは一人で俺の家に来るようになった。悪夢が現れてから、なかなか体調が安定しない俺を見て、心配になったそうだ。迷惑だと思ったことは一度もない。一人でいると、どうしても不安感が勝ってしまうから。部屋の扉を開ける度に安心した顔をしてしまうから、一緒にいたほうがいいと判断したのかもしれない。二週間くらいして、ようやく本調子になってもまだ、数日おきに遊びにきていた。
大学生の夏休みは長くて宿題もほとんどない。体調さえよければすることもなくて、暇な時間をただだらだらと過ごしていた。
そんな毎日が、だんだん退屈に思えてきた頃のことだった。
「やっと服買えた」
あまねが大きめの紙袋を抱えて、達成感と満足感を噛みしめている。
夏休みに入る前に、服を買いに行く約束をしていた。それが俺のせいで延びに延びて、ようやく今日果たすことができた。お詫びになにかしようと言ったけど、断られた。
それにしても嬉しそうだ。ここ数日、暑い暑いとこぼしていただけはある。背後から先代が顔を出して呟いた。
「ほんとにしまらない顔ね。変な人みたいに思われるわよ、あまね」
本人は皮肉めいたことを言ったつもりのようだが、当のあまねはなにも感じていないらしく、上機嫌なままだった。呆れたように笑いながら、先代は溜息をつく。
その様子を見たあまねがついに言った。
「カノンもそんなに変わらなかったよ。店にいる間、ずっと私の近くにいた。いつもはほとんどでてこないくせに」
隣にいる先代と俺にしか聞こえないくらいの声。先代はほとんどの人間には見えていないから、あまりおおっぴらに話すことはできない。
「いいじゃない。……ちょっと気になることがあったのよ」
確かにあまねがカタログを持ってきたときにも、似たような反応をしていた気がする。その理由は、いまだに謎のまま。あまねは大して興味もないようで、「ふーん」と返していた。
人通りの多いショッピングモールでは、あまねの声は聞き取りにくい。いつも以上に会話が途切れ途切れになった。目当てのものは買ったし、他にすることもない。自然と足が帰途へ向かっていた。
「ねえ優吾」
「なに?」
その道中、あまねが遠くを見て言ったのだ。
「私、遊園地行ってみたい」
「行けばいいじゃん」
幼い子どものような欲求。でも、からかう気にはなれない。
確か、この近くに小さな遊園地があったはずだ。あまねの家から、バス一本で行けたはず。ただ、ちょっと子どもむけなんだよな。一度だけ、興味本位でホームページを覗いたことがある。
あまねは、行きたくても行けなかったんだろう。理由はいくらでも思いつく。自分の気持ちをまったく外に出さない奴だ。そう思って、あえてなにも言わなかった。
「一人じゃ寂しいから、一緒に来てよ」
そう続くのも、なんとなくわかっていた。
「それはなあ……。いろいろと問題が……」
あまねはフグみたいになって「ケチ」とこぼす。
「あのさ、この年代の男女が一緒にいたらいろいろ言われるのわかるだろ? 万が一、知り合いに見つかったらどう弁解するんだよ」
「私も優吾も、ほとんど知り合いいないよ」
「…………」
なかなかに痛いところをついてきた。先代が吹き出したのがわかる。
早い話、俺が恥ずかしいだけなのだ。どうせ先代も一緒なのはわかっているが……。
「……どうせ私は子どもだもん」
ついにあまねが不貞腐れ始めた。
「そ、そんなこと言ってないじゃん」
そうとしか言いようがなかった。説明が難しい。
先代が後ろで、「素直じゃないわね」と意味のわからないことを言っていた。
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