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1『塩田と板井』
4 唯野の過去と想い
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****side■唯野
『黙っているのはいいが、バレた時傷つくのは板井なんじゃないのか?』
ちゃんと休憩を取れといったのに、昼休みに一人苦情係に残る板井を見て、唯野は塩田に言われた事を思い出してしまった。
板井が自分を慕ってくれるのは、上司だからだ。そして彼が真面目な部下だから。それ以上でもそれ以下でもないのに。
『おかえりなさい』
と言われて切なくなる。
──板井は俺の過去を知らない。
どんな、経緯で妻と結婚したのか?
塩田にも言えなかったこと。自分さえ最近知った真実。何も守れていなかったことを知り、絶望した。
──俺は妻を愛していると思いこんでいただけだった。彼女はずっとそのことに気づいていたのに。
『花はあなたの子じゃないの』
最愛の娘と血が繋がっていないことを知り、唯野は何もいえなかった。その可能性はあると思っていたから。
何も妻の不貞を疑っていわけではない。唯野は酔った勢いで彼女と肉体関係になり、責任をとる形で彼女と結婚したのだから。しかしそれは彼女の申告による既成事実。唯野には記憶がなかった。
唯野が彼女と関係したのはその一度だけ。責任を感じてしまい、そういう気持ちになれなくなってしまったのだ。だが、その後起きたことは唯野を地獄へと突き落とす。
『ごめんなさい。限界なの』
彼女は甘い言葉に騙されただけなのだ。
唯野が(株)原始人に就職し、一番最初に配属されたのは営業。我が社では営業部は花形、企画部はエリート。商品開発部は司令塔、商品部は戦場などと言われている。
余談だが、苦情係が『上層部の溜まり場』と呼ばれているのは、大方塩田のせいである。
唯野は営業時代、現在の総括と同期であった。二人にとっては営業部にいた期間が一番長いということになる。風向きが変わったのは、今から四年くらい前。現在の副社長、皇が入社してから。その皇もそれ以前のことは知らない。もちろん、総括にも話したことはない。
これはまだ唯野たちが二十代だった時の出来事。
営業部で常に好成績だった唯野と総括は目立っていた。特に唯野は見目もよく、人当たりも良いことから社内でもモテていたのである。しかしまだ、入社して一年も経っておらず結婚どころか、交際する余裕などなかった。
どんな嫌味もにこやかに返す唯野に、周りは毒気を抜かれていく。営業は唯野にとって天職に思えた。そこに魔の手が迫っているとも知らずに。
『会長の甘い言葉に乗ってしまった私がいけないの。あなたのせいじゃない』
唯野に好意を寄せていた彼女は当時、我が社の受付嬢であった。澄んだ声をした美女。
彼女の想いを知った我が社の会長はそこに目をつけた。
実のところ、彼女が会長に良いようにされたことは知っている。会長本人から取引材料として知らされたのだから。
──俺のせいで、巻き込まれただけなんだ。
会長の目的は彼女ではなく、唯野だったということだ。
──俺は板井を巻き込みたくない……?
あの時のように。
『あの子に手を出されたくなければ、分かるね?』
会長が惹かれたのは、唯野の自己犠牲の精神。
いつでも笑顔で相手を許せる唯野の、”人間らしい感情”を見たいと彼は言った。
──泣いて懇願したら、許されたのだろうか?
彼女を守りたいと思った。それが愛ではなかったと言うなら、なんなのだろう?
過去を知ったら板井は、俺を軽蔑するだろうか?
あの時助けてくれたのは社長。しかしその十年後に社長から恨みを買うことになるとは想像もしていなかった。
板井を必要以上に自分に踏み込ませるのは危険だ。だが全てを知っても、変わらない関係が欲しいとも思ってしまっている。
飯に行くか? と聞けば断られ、唯野は泣きたい気持ちになった。塩田が何か買ってきてくれることが判っているのだから、当然なのに。
『黙っているのはいいが、バレた時傷つくのは板井なんじゃないのか?』
ちゃんと休憩を取れといったのに、昼休みに一人苦情係に残る板井を見て、唯野は塩田に言われた事を思い出してしまった。
板井が自分を慕ってくれるのは、上司だからだ。そして彼が真面目な部下だから。それ以上でもそれ以下でもないのに。
『おかえりなさい』
と言われて切なくなる。
──板井は俺の過去を知らない。
どんな、経緯で妻と結婚したのか?
塩田にも言えなかったこと。自分さえ最近知った真実。何も守れていなかったことを知り、絶望した。
──俺は妻を愛していると思いこんでいただけだった。彼女はずっとそのことに気づいていたのに。
『花はあなたの子じゃないの』
最愛の娘と血が繋がっていないことを知り、唯野は何もいえなかった。その可能性はあると思っていたから。
何も妻の不貞を疑っていわけではない。唯野は酔った勢いで彼女と肉体関係になり、責任をとる形で彼女と結婚したのだから。しかしそれは彼女の申告による既成事実。唯野には記憶がなかった。
唯野が彼女と関係したのはその一度だけ。責任を感じてしまい、そういう気持ちになれなくなってしまったのだ。だが、その後起きたことは唯野を地獄へと突き落とす。
『ごめんなさい。限界なの』
彼女は甘い言葉に騙されただけなのだ。
唯野が(株)原始人に就職し、一番最初に配属されたのは営業。我が社では営業部は花形、企画部はエリート。商品開発部は司令塔、商品部は戦場などと言われている。
余談だが、苦情係が『上層部の溜まり場』と呼ばれているのは、大方塩田のせいである。
唯野は営業時代、現在の総括と同期であった。二人にとっては営業部にいた期間が一番長いということになる。風向きが変わったのは、今から四年くらい前。現在の副社長、皇が入社してから。その皇もそれ以前のことは知らない。もちろん、総括にも話したことはない。
これはまだ唯野たちが二十代だった時の出来事。
営業部で常に好成績だった唯野と総括は目立っていた。特に唯野は見目もよく、人当たりも良いことから社内でもモテていたのである。しかしまだ、入社して一年も経っておらず結婚どころか、交際する余裕などなかった。
どんな嫌味もにこやかに返す唯野に、周りは毒気を抜かれていく。営業は唯野にとって天職に思えた。そこに魔の手が迫っているとも知らずに。
『会長の甘い言葉に乗ってしまった私がいけないの。あなたのせいじゃない』
唯野に好意を寄せていた彼女は当時、我が社の受付嬢であった。澄んだ声をした美女。
彼女の想いを知った我が社の会長はそこに目をつけた。
実のところ、彼女が会長に良いようにされたことは知っている。会長本人から取引材料として知らされたのだから。
──俺のせいで、巻き込まれただけなんだ。
会長の目的は彼女ではなく、唯野だったということだ。
──俺は板井を巻き込みたくない……?
あの時のように。
『あの子に手を出されたくなければ、分かるね?』
会長が惹かれたのは、唯野の自己犠牲の精神。
いつでも笑顔で相手を許せる唯野の、”人間らしい感情”を見たいと彼は言った。
──泣いて懇願したら、許されたのだろうか?
彼女を守りたいと思った。それが愛ではなかったと言うなら、なんなのだろう?
過去を知ったら板井は、俺を軽蔑するだろうか?
あの時助けてくれたのは社長。しかしその十年後に社長から恨みを買うことになるとは想像もしていなかった。
板井を必要以上に自分に踏み込ませるのは危険だ。だが全てを知っても、変わらない関係が欲しいとも思ってしまっている。
飯に行くか? と聞けば断られ、唯野は泣きたい気持ちになった。塩田が何か買ってきてくれることが判っているのだから、当然なのに。
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