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8『掛け違えたボタンの行方』
2 彼の狙いに気づかずに
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****side■唯野(課長)
人とは非常にわがままな生き物で、面倒に思っていた相手でも急に関りがなくなると多少は気になるものである。
唯野もまた、例に漏れずその一人だったようで。
部下であり恋人でもある板井が企画部から戻ってきた時、彼はUSBを手にしていた。他の書類を添えて。それは恐らく企画部から皇へのお使いなのだろうが、USBは違っていた。
──自分で届けられないくらい黒岩は忙しいのか?
皇が他人にお使いを頼まないことは知っていたが、黒岩は用がなくても苦情係に顔を出すような人物である。用があるなら自分から出向く。少なくともこれまではそうだったはずだ。
「どうかしましたか?」
帰り道、焼き鳥屋に入っていく黒岩が目に入り足を止めた唯野。彼は誰かと一緒だった。恐らく部下なのだろうが、彼が誰かと二人きりで飯に行くのは稀なこと。
「いや。俺たちもどこかで飯食って帰ろうか。明日は休みだし」
「も?」
板井は黒岩には気づかなかったらしい。グイっとその手を引いて黒岩たちが入っていった焼き鳥屋に足を踏み入れる。自分は何故こんなことをしているのだろうかと思いながら。
「今度、泊りがけでどこかに出かけませんか?」
「いいね」
唯野は背中に黒岩の気配を感じながら板井の話ににこやかに合意を示す。
板井のことはとても好きだ。こんな風に何かに気づきながらも知らないふりをしてくれる。
もっとも責められたところで自分の気持ちをきちんと理解していなかった。
愛されることが、好かれることが当たり前などと思ったことはないが”末っ子気質”というものに当てはまる部分は多々あると思う。
自分は急に構われなくなったことが嫌なのだろうかと思いながら、板井の話をぼんやりと聞いていた。
──黒岩の興味が他へ移ったと言うならそれでいいじゃないか。
元々その気持ちには応えられないのだし。
ただ、既婚者なのに一人暮らしを始めたと言うだけで部下に手を出すのはいかがなものか。きっと自分はそこに腹を立てているに違いないと思った。だからこんなに嫌な気持ちになるのだろうと。
なんとか自分の気持ちをこうだと決めつけて板井の話に向き直ったところで、
「よう、唯野に板井」
と黒岩から声をかけられた。
何故かすぐにそちらを向くことが出来なかった唯野。恋人でも紹介されるのだろうか。
「デートですか?」
と真顔で問う板井が視界に入る。
「何言ってんだ、部下と飯食いに来ただけだよ」
笑いながら否定する黒岩に心のどこかでホッとしている自分がいた。
「まだ忙しいのか?」
心の中で深呼吸をし、黒岩を見上げると極めて冷静な声でそう問う。すると、彼の横に立っていた部下と言う男と目が合い軽く会釈された。
黒岩は何かに気づいたように、ここは自分が出すから先に帰るようにと彼を促す。彼は戸惑っていたが、話が長くなってもいけないからと黒岩は後押しした。
「良かったのか? あんな風に帰して」
「ああ。アイツ家が遠いから足止めさせたら可哀そうだろ」
こんな時、黒岩は本当の意味で優しいのだなと感じる。
「そっか」
唯野は短く相槌を打つとどうでもいいというように前に向き直った。彼が悪いわけではない。これは自分の問題。
意識し過ぎたらきっと、また板井に心配をかけてしまうと思った。
「なんか、前にも増して冷たくない?」
と黒岩は苦笑いをしている。
「黒岩さん、別居しているって聞いたんですが近いんですか?」
「ああ、まあそこそこ」
穏やかに話を振る板井はやはり大人だなと思う。
「明日、仕事がないならうちで吞みなおしていきませんか」
なんて提案をするんだとは思ったが、唯野は瞬時に対応できなかった。
「おお、いいね」
黒岩は乗り気である。唯野も彼に聞きたいことがあったので反対はしなかった。複雑な心境にはなったが。
人とは非常にわがままな生き物で、面倒に思っていた相手でも急に関りがなくなると多少は気になるものである。
唯野もまた、例に漏れずその一人だったようで。
部下であり恋人でもある板井が企画部から戻ってきた時、彼はUSBを手にしていた。他の書類を添えて。それは恐らく企画部から皇へのお使いなのだろうが、USBは違っていた。
──自分で届けられないくらい黒岩は忙しいのか?
皇が他人にお使いを頼まないことは知っていたが、黒岩は用がなくても苦情係に顔を出すような人物である。用があるなら自分から出向く。少なくともこれまではそうだったはずだ。
「どうかしましたか?」
帰り道、焼き鳥屋に入っていく黒岩が目に入り足を止めた唯野。彼は誰かと一緒だった。恐らく部下なのだろうが、彼が誰かと二人きりで飯に行くのは稀なこと。
「いや。俺たちもどこかで飯食って帰ろうか。明日は休みだし」
「も?」
板井は黒岩には気づかなかったらしい。グイっとその手を引いて黒岩たちが入っていった焼き鳥屋に足を踏み入れる。自分は何故こんなことをしているのだろうかと思いながら。
「今度、泊りがけでどこかに出かけませんか?」
「いいね」
唯野は背中に黒岩の気配を感じながら板井の話ににこやかに合意を示す。
板井のことはとても好きだ。こんな風に何かに気づきながらも知らないふりをしてくれる。
もっとも責められたところで自分の気持ちをきちんと理解していなかった。
愛されることが、好かれることが当たり前などと思ったことはないが”末っ子気質”というものに当てはまる部分は多々あると思う。
自分は急に構われなくなったことが嫌なのだろうかと思いながら、板井の話をぼんやりと聞いていた。
──黒岩の興味が他へ移ったと言うならそれでいいじゃないか。
元々その気持ちには応えられないのだし。
ただ、既婚者なのに一人暮らしを始めたと言うだけで部下に手を出すのはいかがなものか。きっと自分はそこに腹を立てているに違いないと思った。だからこんなに嫌な気持ちになるのだろうと。
なんとか自分の気持ちをこうだと決めつけて板井の話に向き直ったところで、
「よう、唯野に板井」
と黒岩から声をかけられた。
何故かすぐにそちらを向くことが出来なかった唯野。恋人でも紹介されるのだろうか。
「デートですか?」
と真顔で問う板井が視界に入る。
「何言ってんだ、部下と飯食いに来ただけだよ」
笑いながら否定する黒岩に心のどこかでホッとしている自分がいた。
「まだ忙しいのか?」
心の中で深呼吸をし、黒岩を見上げると極めて冷静な声でそう問う。すると、彼の横に立っていた部下と言う男と目が合い軽く会釈された。
黒岩は何かに気づいたように、ここは自分が出すから先に帰るようにと彼を促す。彼は戸惑っていたが、話が長くなってもいけないからと黒岩は後押しした。
「良かったのか? あんな風に帰して」
「ああ。アイツ家が遠いから足止めさせたら可哀そうだろ」
こんな時、黒岩は本当の意味で優しいのだなと感じる。
「そっか」
唯野は短く相槌を打つとどうでもいいというように前に向き直った。彼が悪いわけではない。これは自分の問題。
意識し過ぎたらきっと、また板井に心配をかけてしまうと思った。
「なんか、前にも増して冷たくない?」
と黒岩は苦笑いをしている。
「黒岩さん、別居しているって聞いたんですが近いんですか?」
「ああ、まあそこそこ」
穏やかに話を振る板井はやはり大人だなと思う。
「明日、仕事がないならうちで吞みなおしていきませんか」
なんて提案をするんだとは思ったが、唯野は瞬時に対応できなかった。
「おお、いいね」
黒岩は乗り気である。唯野も彼に聞きたいことがあったので反対はしなかった。複雑な心境にはなったが。
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