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12──彼らの事情【社長】

3 非日常から日常へ

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「君も会って来るといい」
 遠江の言葉に阿貴は軽く頷く。
 彼はすれ違いざまに、
「義兄さんたちは先に帰ったよ」
と言葉を残していった。

 阿貴の背中を見送りながら、和宏との会話を思い出す。
 大した話をしたわけではないが、それでもまだ触れることのできる距離にいたのだと改めて感じる。優人の目を盗んでの短い接触は遠江に思慕を抱かせるには十分だったということだ。
 連絡先くらいは知っている。彼が応じるかどうかは別として。


 翌週、雑誌社の者からコンタクトがあり、遠江は相手を社長室へ招いていた。
「お久しぶりですね」
 彼女……と言っていいのだろうか。
 相手の名は片織と言った。和宏が雑誌社にて書評をしていた時の担当。
「して、今日はどのようなご用件で?」
 遠江の質問に彼女は品の良い笑みを浮かべる。
「雛本和宏がうちにエッセイを上げてくれることになりましたの」
 ”そのお知らせに”と。
「それは嬉しい知らせですね。ぜひ、定期購読を」
 遠江はテーブルに置かれた紅茶に手を伸ばしながら。

「別に買えと言いに伺ったわけではありませんのよ。あなたが彼のファンだと言っていたのを覚えていたので」
 彼女の言葉に礼を述べるとお茶菓子を勧めた。
「あれから三年も経つのですね」
 先日再会した和宏はそんなこと一言もいってなかったなと思いながら、きっかけを問う。
「いろいろと片付いたから再就職したいというので試しに誘いをかけたところ良い返事を貰えたもので」
 その後、彼女は和宏が弟の優人とK学園の大学部の近くで暮らし始めたことなどを話し帰って行った。

「何か飲み物をご用意しましょうか?」
 来客が帰ったのち、ぼんやりと窓の外を眺めていると秘書にそう問われ、
「じゃあ、珈琲を頼もうかな」
と返答した遠江。
 自ら逃したチャンスだというのに、この愁いは何だというのか。

 阿貴から解放したいと願った。
 本当の幸せを掴んでほしいと願った。
 その相手は自分でなくてもいいと思ったはずだ。そしてその覚悟もした。

 元より、あんな方法で彼から大切なものを奪ったのだ。好かれていると思う方がどうかしている。
 それでも会って気づく。彼の人柄に惚れていたのだと。

「社長?」
 珈琲を持って来てくれた秘書に、定刻までの人避けを頼み錠を下ろす。
 遠江は奥の部屋へ向かうとベッドに突っ伏した。
 今日は阿貴も不在だ。

 あの日の選択が間違っているとは思っていない。自暴自棄になった和宏を手に入れたところで、阿貴と変わらないのだから。これは後悔ではないのだ。
 目を閉じ、あの日の彼のことを心に浮かべる。
 違う未来を選択しても良かったなどとは到底思えない。

──あの時点でなら、和宏を好きにできた。

 和宏が優人と同居を始めるということは、気軽に会うことが不可能ということ。片織はファンとしての接触ならば目をつぶるとは言ってはいたが。
 元より接触はほぼなかったのだ。今更悔いても遅いだろう。
 三年もあったというのに自分はなんの行動も起こしはしなかった。
 進むこともできず、諦めることもできない中途半端な場所に立っている。

「バカですね、僕は」
 
 きっとチャンスなんていくらだってあったろうに。
 浴衣姿の彼の姿を思い出す。その身を組み伏せて好きにできたらどんなか解放されたろうか。だが、自分には彼を不幸にする勇気はなかった。
 ただ想像の中で彼を辱める。快楽に身を任せ、望むままに彼の中に自分自身を穿つ。
 疲れているのだろうか。想像はいつの間にか途切れ、夢と融合していた。

 そうして次に目が覚めた時には、とうに日が傾いており、遠江はため息をつく。
「お休みだったのですね。疲れは取れましたか?」
 社長室のドア開ければ、ホットタオルを持った秘書が控えていた。
「君は実に優秀だねえ」
 自嘲し、肩をすくめる遠江に差し出されるタオル。
「下で待っております」
 余計なことを言わない秘書。遠江はやれやれと言って帰り支度を始めたのだった。
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