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第二章
第三十話 草木の記憶2
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城に帰るとすぐに図書館にこもり、国の貴族の名簿資料を探し漁った。古い文献でもエーデルという姓について何か情報を得ることができるかもしれない。しかしその期待は裏切られ、数時間探してもめぼしい情報は見当たらなかった。今日行った町についての資料を探しても、そこがかなり辺鄙な場所のせいか本すらなかった。
できるなら一人で解決したかったが、仕方ない。僕は今日行動を共にした護衛騎士にエーデルという貴族について聞いてみたが、やはり申し訳なさそうな顔をされるばかりだった。だがその騎士が自分が調べようかと申し出てくれたので、ありがたくお願いすることにした。
以前よりましになったとはいえ、ベルナデッタに知られると面倒くさいことになるのは確実だったからだ。彼女に悟られ、余計なことを母に告げられて動きづらくなるのは嫌だった。
しかし僕は、そこで今までの自分の行動を振り返り、驚いた。
何故僕はここまで必死にエーデル家について調べているのだろうか。確かに人より好奇心はある方だが、人に頼んでまで調べているなんて…。
ふと今日出会ったマリーという少女を思い出して、ぶわっと顔が熱くなる。
(いやいや、気になることに少し熱が入っただけだ。それにハンカチを返してもらう約束もしたし…)
自分らしくない感情に戸惑いを隠せない。自覚があるほど人を信用していないのに、何故少し話しただけの他人のことを調べているのだろう。僕は自分がわからなくなってしまった。ひとまず心を落ち着かせるために深呼吸をする。
騎士がエーデル家に関する情報を持ってきてくれたら、それを頼りにマリーという少女に会いに行こう。その時にお詫びの品を送って、ハンカチも受け取って、それで終わりだ。ふう、と息を軽く息を吐く。とりあえず今日はもう休もう。
しかし、そんな穏やかな日々はすぐに終わった。戦争に赴いていた第一王女が流行り病にかかって帰ってきたのだ。
―――
――「第一王女が死んだ」というニュースは、すぐに国中を駆け巡り、国内外にまでも広がった。国は悲しみと嘆きに包まれ、同盟国からは追悼の意を表する言葉が寄せられた。それほどまでに彼女は国中から愛され、影響力は大きい存在だったのだ。
戦場での彼女を見た者は言った。死などを感じさせる様子は微塵もなく、同盟国の兵士や騎士を鼓舞し、進んで道を切り開いていったと。そんな彼女だったからこそ戦死ではなく病死というのは、酷くやるせなさを感じるものだった。
戦場で病にかかってしまった時は城中が絶望したと思ったが、医師の見立てではきちんと治療すれば決して死ぬことのない病だったという。それなのに、症状は悪化の一途を辿り、ついには命を落としてしまった。複数人の医師が彼女の診察に当たったが、誰もその原因はわからなかったそうだ。
僕は当然王女の功績を称えるような、厳かな葬式に出席した。ほとんど会話もしたことがなかったが、幼い頃彼女が僕に手を差し出してくれたことを思い出して、複雑な感情になった。辺りを見回すと皆辛そうな顔をしていて、僕は改めて彼女の偉大さを思い知った。だが――。
(……⁉)
第一王女の妹にして僕の姉、ミティア・ノヴァ・ロワイヤル。彼女の目には悲しみなど一切こもってないように見えたのだ。それどころか、どこか優越に浸っているような表情にも見える。僕はそんなはずはないと自分に言い聞かせた。
彼女は第一王女ととても仲の良いことで有名だった。目立つ姉と周囲からよく比べられることはあったものの、本人たちはそれを意に介さないほどに普段から一緒にいて、特に第一王女が至る所に妹自慢をしていることは僕も知っていた。
だから彼女は第一王女の死を誰よりも悲しんでいるはずなのだ。信じられない気持ちで姉を見つめていると、唐突にその宝石のような瞳からぽろっと涙を流した。
「お姉様ぁ……」
今にも倒れてしまいそうなほど弱々しい声だった。その様子に儚げな姿に周囲は同情の視線を送る。しかし僕は同情なんてとんでもない、酷い邪悪なものを見た気分になった。まるで人形のように精巧で美しい容姿の中に、途轍もなくおぞましいものが渦巻いている気がした。
そんなものを見てしまったせいか、葬式は第一王女に対する弔いの感情すらなくなってしまい、ただそこの化け物への恐怖を抑えるので精いっぱいだった。
―――
それから事態はどんどんおかしくなっていった。第一王女の死に立て続き国王と王妃の不審死が見つかり、城内は半ばパニック状態であった。しかし、次の王位は第二王女だとすぐに決まって、僕は何だか不安な感情に駆られていた。王妃が亡くなったと同時に存在を明かされた第三王女はまだ幼いから薦める声が少ないのは理解できる。しかし、自分への票が少なく、第二王女を薦める声が多く上がったのは意外だった。
決して彼女を妬ましく思っているわけではない。自分が優れているからという話ではなく、第二王女は魔法が使えないからだ。王族はある六つの魔法の中から必ず一つ使えるというのがこの国の常識だった。僕なら植物の魔法を使えるし、二つの魔法を扱えていた第一王女は規格外として、一つも使えない第二王女が裏で王族の名折れとまで言われていた。
そうだとしても第二王女が王位を継ぐというのは、王位に興味がない自分にとって喜ばしい話だ。しかし腑に落ちないし、本当にこれでいいのかと感じてしまう。まだ自分は先日葬式で見た彼女を恐れているのだろうか……。
不安を抱えながらも、僕は雇い主がいなくなったベルナデッタを城から追い出した。長年苦しんできた問題だったが、笑えるほど簡単に事が運んで行った。顔も見たくなかったので、別れの挨拶すらすることはなかった。
新たな女王が生まれたこの国は、しばらくしてやっと落ち着きを取り戻した。以前よりずっと自由になった僕は騎士が調べてくれた情報をもとに、エーデル家に赴いた。
今ならマリーの「ほとんど貴族といえない家」という言葉の意味がわかる。エーデル家はほとんど平民と言っても変わりない、準男爵家だったのだ。それでも貴族ということを信じられなくなっていた僕は衝撃を受けた。しかし貴族と平民の境界線が曖昧な準男爵家だったから、資料にも載っていなかったのかと納得もしていた。
馬車に乗ってエーデル領まで行くと、そこには貧しい平民とはいえない、しかしとても貴族の屋敷とはいえないような大きさの家があった。僕は馬車を見えないような場所に置いて、普通の平民の格好で門を叩いた。手紙もよこさずいきなり来るのは失礼かもしれないが、自分の身分がバレるようなことになるのは避けたい。マリーは僕が王子だと知らないし、そもそもここに来るのも非常に個人的な用件だからだ。
しばらく待つと侍女らしき女性が扉を開けてくれた。彼女は少し警戒した様子だったが「マリーさんに用があって」と言うと「少々お待ちください」と呼びに行ってくれたようだった。またしばらく待つとドタドタと慌ただしい足音が聞こえてきて、勢いよく扉が開いた。
「あ!あなたは…あの時の紳士的な人‼」
前の記憶と全く変わらない様子でマリーが飛び出してきた。貴族と言っていたのに、そう思わせない振る舞いにくすりと笑みがこぼれた。
「そうです。こんにちは」
「こんにちは…って、遅いですよ!私すっかりあなたの名前を聞くのを忘れちゃって、そもそも家がどこにあるのかも教えてないまま別れちゃって…正直もう会えないかと思ってました」
「すみません。ではもうハンカチはありませんか?」
「ありますよ!ちゃんと綺麗にしたんですからね。ちょっと待っていてください」
マリーは言いながらまた慌ただしく家の中を駆けて行った。そしてすぐに戻ってきて、確かに僕が渡したハンカチを差し出した。
「どうですか?」
「新品みたいに綺麗ですね、ありがとうございます。あとマリーさん、これをどうぞ。先日のお詫びです」
そう言って菓子折りを差し出すと、マリーはあからさまに嫌そうな顔をした。
「あの、お詫びはいいって言いましたよね?こんな高そうなもの……本当に大丈夫です」
「僕の気が済まないんです。それに僕は甘いものは好きではなくて。本当に要りませんから、どうぞご家族で召し上がってください」
「じゃあなんで買ったんですか」
「友人から貰ったんです」
さりげなく嘘をつくと、マリーは納得のいっていないような顔をした。だが突然ひらめいたようにあ、と声をだすと、悪戯をする子供のようににやりと笑った。
「甘いものが苦手なんですね……?じゃあ私にお詫びを送った罰を受けてもらいます。このお菓子を一緒に食べましょう!」
「え、いや」
「ちょうどいいお茶も入ったんです!どうぞどうぞ!」
マリーに家の中へと腕をひかれる。すぐに帰るつもりだったので断ろうとしたが、楽しそうに笑うマリーを見ると強く言うことができなかった。客室のようなところに案内され、座るように施される。何度か帰ろうとしたが、すぐに侍女が二人分のお茶を持ってきたので結局マリーの要望通り、お菓子を食べることになってしまった。
こんな状況になるなんて思わなかったので少しドギマギしていたが、マリーがずっと明るく話しかけてきてくれていたおかげで、緊張も退屈もすることはなかった。話し始めてすぐ名前を聞かれたが、素直にシュテルだと名を教えた。王子と同じだと怪しまれる可能性もあったが、物凄く珍しい名前ではないし、大丈夫だろうと気楽に考えた。姓も聞かれたが、わからないということにしておいた。平民ならそう珍しくはないことだ。
マリーの話は興味深かった。エーデル家が貴族としての扱いをされないことは気にしていないようだったが、彼女はもっとこの家を大きくしたいと考えているようだ。一人娘なのでいつかはこの家を継ぎ、領地を経済的に発展させてたいらしい。何でも領地にいる人々が大好きで、もっと豊かな暮らしをさせたいんだとか。楽しそうに夢を語るマリーの目は輝いていて、気付けば僕は応援したいという気持ちになっていた。
彼女の話は楽しかったが、馬車にいる使用人をあまり待たせるわけにはいかないので、菓子を食べたらすぐに城に戻ることにした。
「また遊びに来てね!シュテル」
「うん、また来るよ」
敬称も不要の仲となれば、マリーはますます人懐っこい性格に感じられた。
それからも適当に理由をつけて何度もエーデル家に遊びに行った。もし王位を継いでいたらこんなに自由に行動はできなかったので、素直にあの女王となった姉に礼を言いたい気分だった。
ある日、エーデル家の庭でマリーに軽く質問した。
「マリーは魔法を使えるの?」
「……うん。シュテルは使えないんだっけ」
さすがに魔法のことまで正直に言うと、正体を知られる可能性がある。彼女になら身分を明かしても問題ないとは思うが、騙していたようでなんとなく言いづらく、かなり仲が深まった今でも僕は本当のことを言えないでいた。
マリーはその質問には答えたが目に見えて落ち込んだ。彼女の反応はわかりやすく、僕も他人の感情には敏感なので、考えていることはすぐにわかる。決して落ち込ませるつもりはなかったので、僕は少し焦った。
「どうしたの?魔法が使えるなんてすごいことじゃないか」
「……ありがとう。魔法が使えて嫌なわけじゃないんだけど、ただちょっと嫌なことを思い出して」
「……そっか。もしよかったら教えてくれないか?」
マリーはいつもの明るい声を抑えて、ぽつぽつと語りだした。
「まず、私の魔法はこれなんだけど…」
マリーがそう言うと、目の前の地面の土が浮かび上がり、人形のような形を作った。
「これは……土魔法?」
「うん」
頷くマリーに対して、僕は素直に驚いた。土魔法は王族に発現すると言われている六つの魔法の中の一つである。王族以外にも発現することはあるが、それは非常に珍しく、仮にそうなったとしたら周囲からもてはやされる場合が多いらしい。それなのに浮かない顔をしているのは何故だろう。僕は不思議に思いながらマリーが話し出すのを待った。
「……この間貴族の令嬢たちとのお茶会に参加したの。男爵家ぐらいのご令嬢たちがね、準男爵家の私を誘ってくれてすごく嬉しかった。途中まで楽しく話してたんだけど、魔法を使えるかっていう話になって、私が使えるって言ったら見せてくれってお願いされたの。そして今みたいに魔法を見せたんだけど……。土魔法だってわかると、なんで準男爵家のお前が使えるんだって、みんな怒り始めちゃった。よくわからないけど、土魔法が使えるのが気に食わなかったらしくて…実はお前はお母さんが王族と不貞をしてできた子なんじゃないかって言いだす子もいて…それで私、怒っちゃったの」
マリーの声がどんどん暗くなっていく。それでも彼女はぐっと堪えるように話を続けた。
「私が怒られるのはいい。でもお母さんを酷く言われるのは許せなかったの…でも、どうしよう。私、貴族の子たちに怒鳴っちゃった。私のせいで、お父さんやお母さんやみんなが困ることになったらどうしよう……!」
マリーは涙声になりながらようやく不安を吐き出した。僕はマリーを心配すると同時に、その令嬢たちへ怒りがこみ上げてくるのを感じた。彼女たちが最初からマリーを攻撃するつもりがあったのかは知らないが、自分たちより身分が低い彼女が王族が扱うような魔法を使えるは、プライドが許せなかったのだろう。だがそんな理由で純粋なマリーを傷付けることは、今までに感じたことのない怒りを感じた。他人のために怒ることができなかったはずなのにと、自分の感情に驚いてもいた。それほどまでに、既に彼女は僕にとって大切な人になっていたのだ。
認めよう、僕は彼女を愛しているということを。
できるなら一人で解決したかったが、仕方ない。僕は今日行動を共にした護衛騎士にエーデルという貴族について聞いてみたが、やはり申し訳なさそうな顔をされるばかりだった。だがその騎士が自分が調べようかと申し出てくれたので、ありがたくお願いすることにした。
以前よりましになったとはいえ、ベルナデッタに知られると面倒くさいことになるのは確実だったからだ。彼女に悟られ、余計なことを母に告げられて動きづらくなるのは嫌だった。
しかし僕は、そこで今までの自分の行動を振り返り、驚いた。
何故僕はここまで必死にエーデル家について調べているのだろうか。確かに人より好奇心はある方だが、人に頼んでまで調べているなんて…。
ふと今日出会ったマリーという少女を思い出して、ぶわっと顔が熱くなる。
(いやいや、気になることに少し熱が入っただけだ。それにハンカチを返してもらう約束もしたし…)
自分らしくない感情に戸惑いを隠せない。自覚があるほど人を信用していないのに、何故少し話しただけの他人のことを調べているのだろう。僕は自分がわからなくなってしまった。ひとまず心を落ち着かせるために深呼吸をする。
騎士がエーデル家に関する情報を持ってきてくれたら、それを頼りにマリーという少女に会いに行こう。その時にお詫びの品を送って、ハンカチも受け取って、それで終わりだ。ふう、と息を軽く息を吐く。とりあえず今日はもう休もう。
しかし、そんな穏やかな日々はすぐに終わった。戦争に赴いていた第一王女が流行り病にかかって帰ってきたのだ。
―――
――「第一王女が死んだ」というニュースは、すぐに国中を駆け巡り、国内外にまでも広がった。国は悲しみと嘆きに包まれ、同盟国からは追悼の意を表する言葉が寄せられた。それほどまでに彼女は国中から愛され、影響力は大きい存在だったのだ。
戦場での彼女を見た者は言った。死などを感じさせる様子は微塵もなく、同盟国の兵士や騎士を鼓舞し、進んで道を切り開いていったと。そんな彼女だったからこそ戦死ではなく病死というのは、酷くやるせなさを感じるものだった。
戦場で病にかかってしまった時は城中が絶望したと思ったが、医師の見立てではきちんと治療すれば決して死ぬことのない病だったという。それなのに、症状は悪化の一途を辿り、ついには命を落としてしまった。複数人の医師が彼女の診察に当たったが、誰もその原因はわからなかったそうだ。
僕は当然王女の功績を称えるような、厳かな葬式に出席した。ほとんど会話もしたことがなかったが、幼い頃彼女が僕に手を差し出してくれたことを思い出して、複雑な感情になった。辺りを見回すと皆辛そうな顔をしていて、僕は改めて彼女の偉大さを思い知った。だが――。
(……⁉)
第一王女の妹にして僕の姉、ミティア・ノヴァ・ロワイヤル。彼女の目には悲しみなど一切こもってないように見えたのだ。それどころか、どこか優越に浸っているような表情にも見える。僕はそんなはずはないと自分に言い聞かせた。
彼女は第一王女ととても仲の良いことで有名だった。目立つ姉と周囲からよく比べられることはあったものの、本人たちはそれを意に介さないほどに普段から一緒にいて、特に第一王女が至る所に妹自慢をしていることは僕も知っていた。
だから彼女は第一王女の死を誰よりも悲しんでいるはずなのだ。信じられない気持ちで姉を見つめていると、唐突にその宝石のような瞳からぽろっと涙を流した。
「お姉様ぁ……」
今にも倒れてしまいそうなほど弱々しい声だった。その様子に儚げな姿に周囲は同情の視線を送る。しかし僕は同情なんてとんでもない、酷い邪悪なものを見た気分になった。まるで人形のように精巧で美しい容姿の中に、途轍もなくおぞましいものが渦巻いている気がした。
そんなものを見てしまったせいか、葬式は第一王女に対する弔いの感情すらなくなってしまい、ただそこの化け物への恐怖を抑えるので精いっぱいだった。
―――
それから事態はどんどんおかしくなっていった。第一王女の死に立て続き国王と王妃の不審死が見つかり、城内は半ばパニック状態であった。しかし、次の王位は第二王女だとすぐに決まって、僕は何だか不安な感情に駆られていた。王妃が亡くなったと同時に存在を明かされた第三王女はまだ幼いから薦める声が少ないのは理解できる。しかし、自分への票が少なく、第二王女を薦める声が多く上がったのは意外だった。
決して彼女を妬ましく思っているわけではない。自分が優れているからという話ではなく、第二王女は魔法が使えないからだ。王族はある六つの魔法の中から必ず一つ使えるというのがこの国の常識だった。僕なら植物の魔法を使えるし、二つの魔法を扱えていた第一王女は規格外として、一つも使えない第二王女が裏で王族の名折れとまで言われていた。
そうだとしても第二王女が王位を継ぐというのは、王位に興味がない自分にとって喜ばしい話だ。しかし腑に落ちないし、本当にこれでいいのかと感じてしまう。まだ自分は先日葬式で見た彼女を恐れているのだろうか……。
不安を抱えながらも、僕は雇い主がいなくなったベルナデッタを城から追い出した。長年苦しんできた問題だったが、笑えるほど簡単に事が運んで行った。顔も見たくなかったので、別れの挨拶すらすることはなかった。
新たな女王が生まれたこの国は、しばらくしてやっと落ち着きを取り戻した。以前よりずっと自由になった僕は騎士が調べてくれた情報をもとに、エーデル家に赴いた。
今ならマリーの「ほとんど貴族といえない家」という言葉の意味がわかる。エーデル家はほとんど平民と言っても変わりない、準男爵家だったのだ。それでも貴族ということを信じられなくなっていた僕は衝撃を受けた。しかし貴族と平民の境界線が曖昧な準男爵家だったから、資料にも載っていなかったのかと納得もしていた。
馬車に乗ってエーデル領まで行くと、そこには貧しい平民とはいえない、しかしとても貴族の屋敷とはいえないような大きさの家があった。僕は馬車を見えないような場所に置いて、普通の平民の格好で門を叩いた。手紙もよこさずいきなり来るのは失礼かもしれないが、自分の身分がバレるようなことになるのは避けたい。マリーは僕が王子だと知らないし、そもそもここに来るのも非常に個人的な用件だからだ。
しばらく待つと侍女らしき女性が扉を開けてくれた。彼女は少し警戒した様子だったが「マリーさんに用があって」と言うと「少々お待ちください」と呼びに行ってくれたようだった。またしばらく待つとドタドタと慌ただしい足音が聞こえてきて、勢いよく扉が開いた。
「あ!あなたは…あの時の紳士的な人‼」
前の記憶と全く変わらない様子でマリーが飛び出してきた。貴族と言っていたのに、そう思わせない振る舞いにくすりと笑みがこぼれた。
「そうです。こんにちは」
「こんにちは…って、遅いですよ!私すっかりあなたの名前を聞くのを忘れちゃって、そもそも家がどこにあるのかも教えてないまま別れちゃって…正直もう会えないかと思ってました」
「すみません。ではもうハンカチはありませんか?」
「ありますよ!ちゃんと綺麗にしたんですからね。ちょっと待っていてください」
マリーは言いながらまた慌ただしく家の中を駆けて行った。そしてすぐに戻ってきて、確かに僕が渡したハンカチを差し出した。
「どうですか?」
「新品みたいに綺麗ですね、ありがとうございます。あとマリーさん、これをどうぞ。先日のお詫びです」
そう言って菓子折りを差し出すと、マリーはあからさまに嫌そうな顔をした。
「あの、お詫びはいいって言いましたよね?こんな高そうなもの……本当に大丈夫です」
「僕の気が済まないんです。それに僕は甘いものは好きではなくて。本当に要りませんから、どうぞご家族で召し上がってください」
「じゃあなんで買ったんですか」
「友人から貰ったんです」
さりげなく嘘をつくと、マリーは納得のいっていないような顔をした。だが突然ひらめいたようにあ、と声をだすと、悪戯をする子供のようににやりと笑った。
「甘いものが苦手なんですね……?じゃあ私にお詫びを送った罰を受けてもらいます。このお菓子を一緒に食べましょう!」
「え、いや」
「ちょうどいいお茶も入ったんです!どうぞどうぞ!」
マリーに家の中へと腕をひかれる。すぐに帰るつもりだったので断ろうとしたが、楽しそうに笑うマリーを見ると強く言うことができなかった。客室のようなところに案内され、座るように施される。何度か帰ろうとしたが、すぐに侍女が二人分のお茶を持ってきたので結局マリーの要望通り、お菓子を食べることになってしまった。
こんな状況になるなんて思わなかったので少しドギマギしていたが、マリーがずっと明るく話しかけてきてくれていたおかげで、緊張も退屈もすることはなかった。話し始めてすぐ名前を聞かれたが、素直にシュテルだと名を教えた。王子と同じだと怪しまれる可能性もあったが、物凄く珍しい名前ではないし、大丈夫だろうと気楽に考えた。姓も聞かれたが、わからないということにしておいた。平民ならそう珍しくはないことだ。
マリーの話は興味深かった。エーデル家が貴族としての扱いをされないことは気にしていないようだったが、彼女はもっとこの家を大きくしたいと考えているようだ。一人娘なのでいつかはこの家を継ぎ、領地を経済的に発展させてたいらしい。何でも領地にいる人々が大好きで、もっと豊かな暮らしをさせたいんだとか。楽しそうに夢を語るマリーの目は輝いていて、気付けば僕は応援したいという気持ちになっていた。
彼女の話は楽しかったが、馬車にいる使用人をあまり待たせるわけにはいかないので、菓子を食べたらすぐに城に戻ることにした。
「また遊びに来てね!シュテル」
「うん、また来るよ」
敬称も不要の仲となれば、マリーはますます人懐っこい性格に感じられた。
それからも適当に理由をつけて何度もエーデル家に遊びに行った。もし王位を継いでいたらこんなに自由に行動はできなかったので、素直にあの女王となった姉に礼を言いたい気分だった。
ある日、エーデル家の庭でマリーに軽く質問した。
「マリーは魔法を使えるの?」
「……うん。シュテルは使えないんだっけ」
さすがに魔法のことまで正直に言うと、正体を知られる可能性がある。彼女になら身分を明かしても問題ないとは思うが、騙していたようでなんとなく言いづらく、かなり仲が深まった今でも僕は本当のことを言えないでいた。
マリーはその質問には答えたが目に見えて落ち込んだ。彼女の反応はわかりやすく、僕も他人の感情には敏感なので、考えていることはすぐにわかる。決して落ち込ませるつもりはなかったので、僕は少し焦った。
「どうしたの?魔法が使えるなんてすごいことじゃないか」
「……ありがとう。魔法が使えて嫌なわけじゃないんだけど、ただちょっと嫌なことを思い出して」
「……そっか。もしよかったら教えてくれないか?」
マリーはいつもの明るい声を抑えて、ぽつぽつと語りだした。
「まず、私の魔法はこれなんだけど…」
マリーがそう言うと、目の前の地面の土が浮かび上がり、人形のような形を作った。
「これは……土魔法?」
「うん」
頷くマリーに対して、僕は素直に驚いた。土魔法は王族に発現すると言われている六つの魔法の中の一つである。王族以外にも発現することはあるが、それは非常に珍しく、仮にそうなったとしたら周囲からもてはやされる場合が多いらしい。それなのに浮かない顔をしているのは何故だろう。僕は不思議に思いながらマリーが話し出すのを待った。
「……この間貴族の令嬢たちとのお茶会に参加したの。男爵家ぐらいのご令嬢たちがね、準男爵家の私を誘ってくれてすごく嬉しかった。途中まで楽しく話してたんだけど、魔法を使えるかっていう話になって、私が使えるって言ったら見せてくれってお願いされたの。そして今みたいに魔法を見せたんだけど……。土魔法だってわかると、なんで準男爵家のお前が使えるんだって、みんな怒り始めちゃった。よくわからないけど、土魔法が使えるのが気に食わなかったらしくて…実はお前はお母さんが王族と不貞をしてできた子なんじゃないかって言いだす子もいて…それで私、怒っちゃったの」
マリーの声がどんどん暗くなっていく。それでも彼女はぐっと堪えるように話を続けた。
「私が怒られるのはいい。でもお母さんを酷く言われるのは許せなかったの…でも、どうしよう。私、貴族の子たちに怒鳴っちゃった。私のせいで、お父さんやお母さんやみんなが困ることになったらどうしよう……!」
マリーは涙声になりながらようやく不安を吐き出した。僕はマリーを心配すると同時に、その令嬢たちへ怒りがこみ上げてくるのを感じた。彼女たちが最初からマリーを攻撃するつもりがあったのかは知らないが、自分たちより身分が低い彼女が王族が扱うような魔法を使えるは、プライドが許せなかったのだろう。だがそんな理由で純粋なマリーを傷付けることは、今までに感じたことのない怒りを感じた。他人のために怒ることができなかったはずなのにと、自分の感情に驚いてもいた。それほどまでに、既に彼女は僕にとって大切な人になっていたのだ。
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