最低悪女の前世返り

天色茜

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第一章

第十八話 本当の気持ち

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「ミティア様、良かったですね」

「わ、わかったからその顔止めてくれる?なんだかむずがゆくてたまらないわ」

 お姉様と喧嘩して数時間が経った。その間、お母様が私に会いに来てくれたのだ。。その理由は私の問題行動によるもので、決していい形ではなかったけど……本当に久しぶりに会えたし、あんなに優しい言葉をかけられて、とても嬉しかった。

 そんな私の気持ちを察しているのだろう。アンナはにこにこと、まるで幼い子供を見るかのような目をこちらへ向けてくる。私は少し恥ずかしい気持ちになりながらも、少し前まで酷く落ち込んでいたのに自分は結構現金なやつなんだなと思う。

 そんな私の耳に、コンコンと軽快な音が届く。部屋の扉からだ。どうやらまた誰か来たらしい。

(もしかしてお母様が…?)

 何か言い忘れたことがあったのかもしれない。

 私の浮かれた頭はそんなことを考えた。あのお母様がものを忘れるなんてことあるわけないのに。

「はい、今あけま―」

「アンナ、いいわ。私が出るから」

 アンナの言葉を遮りつつ軽やかな足取りでドアに向かい、ガチャリと音をたてて開く。

「はい、何かしら――」

「や、やあミティア、調子はどうだ?もしよかったら私と少し話を」



 バタンッ




 部屋に数秒の沈黙が流れた後、アンナの戸惑ったような声が響いた。

「………え?いや、あの、ミティア様。今の方ってエステル様――」

「違うわ。知らない…知らない人が立っていたのよ。なんだか雰囲気が怖かったから、危ない人かもしれないわ。この部屋から出ちゃ駄目よ」

「いや、エステル様ですよ、私も見ましたし。それよりなんで閉めたんですか!?」

「あー知らない!!私は何も見ていないわ!?」

 現実逃避する私に驚愕するアンナ。

 私だって本当はわかっているが、お姉様を見た瞬間衝動的に閉めてしまったのだ。

 いや駄目だ。お姉様は泣いて突然部屋を去った私が心配で来てくれたのだろう。もしかしたら先ほどの喧嘩をお姉様の方から謝りに来てくれたのかもしれない。

 ドアを開けなければ……そう思った矢先、ドアノブがガチャリと動いた。部屋の向こうのお姉様が開けようとしているのだろう。私はそれを見てすかさず、ドアを抑えつけた。自分でも驚くほどに、また衝動的にしたことだった。

「……ミティア、なぜ閉めたんだ。そしてなぜドアを抑えつけるんだ」

「……」

 私は俯き何も喋らなかった。いや、喋ることができなかった。

 今の私にはまだその勇気がない。お姉様と仲直りをしたいわけじゃないが、数時間前喧嘩した時の自分の行動を振り返ると、また余計なことを言ってしまいそうで怖かったのだ。

 あの時のお姉様の恐ろしい目でまた見つめられたくない。冷たい声で私を軽蔑しないでほしい。お姉様に…嫌われたくない。そんな自分の弱い感情のせいで、お姉様と会話することができないでいる。

 もちろん喧嘩したままの状態で終わらせるわけではないが、今はまだ…話す心の準備ができていなかった。

(……ん?)

 しんみりとした気分になっていたのに、向こう側から扉にかけられる力が強くなっていることに気付く。

 私は焦ってそれを抑えつけるが、向こうも対抗するように力を強めていく。しかし非力な私がお姉様に勝てるわけがない。私はさらに焦って、声を荒げた。

「嫌よ、今日はもう帰って!話なら明日聞くから……!」

「断る!今話さないと駄目な気がするんだ!ミティア、扉を開けてくれ!!」

 悲痛さを感じさせるような声でそう言うものだから、私の心は揺らいでしまう。けれど、私は負けたくはなかった。これ以上、私の感情をお姉様の好き勝手にさせてたまるか。

 私はもともと自分が悪いと思っていたし、本当に明日謝ろうと思っていたのだ。そうすればきっと、またいつもの日常に戻れる。アンナやお姉様といつものように楽しく過ごせるのだ。たとえそれが、前世のようにお姉様が私の本当の気持ちを理解していなくても。また無能な王女だと言われても、今世では私は我慢できるし、闇魔法も使うことはない。

 だから、何も問題はない。そう思って、ドアの向こうのお姉様に告げる。

「ねえ、私大丈夫よ。あんなこと言っちゃったけど、本当は全部わかってるから、心配しないで。また明日会えるじゃない。明日は今日みたいに逃げないから」

 安心させるような口調でそう語りかける。そう、今日はきっと上手に喋られない。だから私はきちんと話すために明日にしたいだけなのだ。

「……今じゃないと駄目なんだ。ミティア、明日になるとお前はきっと本音を隠してしまうだろう?」

 ――今、なんて。

 予想外の言葉に、私は目を見開く。本音?私の気持ちに表も裏もないと思っていそうなお姉様が、今そう言ったのか?

 驚きのあまり何も言えないでいると、向こうから切ない声が聞こえてくる。

「すまないミティア、ドア越しでもいいから聞いてくれないか?」

「……」

 私は何も答えられなかった。だが、扉を抑えつけることは止めていた。

 それを肯定だと受け取ったのか「ありがとう」という声が響く。そして足音が遠のく音が聞こえた、おそらく部屋の外にいた衛兵だろう。一応プライベートな話だから兵士を遠ざけたのだろうか。

「…まず、私がお前の行動を咎めたことについては、謝ることはできない。今回のことは嘘でも正しいとは言えないからな」

 それは当たり前だ。私が勝手な行動をして、周りに迷惑をかけたのだから。お姉様が私に謝る要素なんてどこにもない。

 お姉様は「でも」と言葉を続ける。

「きっと…私の方が正しいとはいえない。私はお前よりずっと酷い奴だ。」

「な……」

 私は思わず反論しそうになったが、ぐっと堪えた。ドア越しに伝わるお姉様の雰囲気が、とても真剣なものだったからだ。まずは話を聞こう。そう思って私は口を噤んだ。

「こんなことを言うのも何だが、私はお前を見下していたのかもしれない。お前は私と違って人の言うことをちゃんと聞くし、人に迷惑をかけるようなことはしない。私はそれを立派だと感じるのと同時に、自ら動くことをしない子なのだとも認識していた……いや、決めつけていた、かな。私はきっと、お前に愛を注いでいれば、それでいいと思っていた。それでお前は十分幸せなのだと」

 私は息を呑んだ。

 ――お姉様がこんなことを言うなんて。


 お姉様の言う通り、私はいつも可愛いだの愛してるだのという甘く優しい言葉ばかり受け取ってきた。だから前世では「私の気持ちも知らずによくもそんなことを」と腹立たしい気持ちになっていたのだ。

 十歳が過ぎ魔法が発現しなかった頃、さらにお姉様との差で周りから馬鹿にされるようになっていた頃。私は周囲から認められたい一心で努力をし、優秀な王女を演じるようにしていた。しかし周りの評価は変わらなかった。気を許せる者も作れず憎悪と劣等感に囚われた私は、お姉様を始めとした周囲、この世界そのものさえを憎むようになっていった。

 でもそんな私はきっと、ただ一つの言葉で救われた。

「――でもそれは違った。お前は一方的な愛を与えられて満足しているようなか弱い女の子ではなかった」

 それがあれば闇魔法なんて手にすることはなかった。

「ずっといろんなことを考えていたんだろう。自分のこと、周りのこと。それを憂いていたこともあったのかもしれない。自分の夢ややりたいことを見つけて、何か行動したいと思ったこともあったのかもしれない。何かに絶望して、泣きたくなったこともあったのかもしれない」

 ただ必死に努力していたけれど、何もお姉様よりすごいなんて言われたかったわけではない。国中から称賛されたかったわけでもない。

「そうして今日行動したんだな……。それなのに、何も知らずにお前を叱った私が一番の馬鹿だ」

 「可愛い」とか、「愛してる」とか、そんな浮ついた言葉が欲しかったわけでもない。

「私はお前に幸せを与えている気になっていたんだ……。本当に幸せを貰って、甘えていたのは私の方だった。今さらかと思うかもしれないが聞いてくれ。情けないことにたったさっき気付いたんだ。それでも今伝えたい。それは――」

 馬鹿みたいな努力をしてまで得たかったもの……簡単で単純なものだ。それは――。


「お前が、自分の意志で考えてずっと努力している、私の自慢の妹だということだ」


 ――私を一人の人間として認めてくれる言葉だった。




「……このことすらも自分の力で気付けたものではない。友人に言われて気付いたことだ。誰よりもお前を見てわかっているつもりだったのに、他人に言われて初めて知ったんだ」

 自己肯定感の高いお姉様が、ただ自分を反省させて、私という存在を理解しようとしている。その真っ直ぐさは変わらないが、少なくとも前世ではこんな出来事見たことも聞いたこともなかった。

「……すまない。謝って済む話でもないとは思っている。けど、私はやっぱり、お前に嫌われたくないんだ」

 何が起こっているのか理解できていないのに、私の心は締め付けられる一方だった。

「さっきあんな怒り方をしたばかりで信じてもらえないかもしれないが、私はお前が大好きなんだ」

 ぽろっと目からしずくが流れる。

 嫌だ。アンナだって見てるのに。そう思って涙を拭っても、全く止まる様子がない。それどころか、どんどん多くなっていって、情けないしゃくりも上がってしまう。

「お前が嫌なら無理には近付かない。でも、私は頑張るから、お前に認めてもらえるように努力するから、いつかその時は……また一緒に笑ってくれないか」

 ……ああ、そんな言葉を前にも聞いたことがある。

 私がお姉様を殺そうと部屋に入った時だ。様子がおかしくなった私のことを、療養中のお姉様は必死に考えてくれてそう言った。私の突然の本音に困惑しただろうに、そう言ってくれた。

 でもあの時は、もう手遅れだった。憎悪が精神を壊し、闇魔法という邪悪そのものを手にした私は、お姉様の言葉なんてもう耳には入らなかった。その時にはもう、他人の不幸と自分へのスリルでしか満たされることができなくなっていたから。

 ――それでも……今なら?

 今世では罪を償うと決めたものの、お姉様に本当の気持ちを明かすつもりはなかった。あんなことをした私が、人に理解される必要なんてないと思っていたのだ。それでも、今なら手が届くんじゃないか?前世のように人を信じることができなかった私ではなく、人を信じることができる私なら……。

 諦めたはずの希望と期待が、再びよみがえる。

 ああずるい。私はもう諦めたのに。確かに勝手なことはしたが、こんなことになるとは思わなかった。

 あの奴隷商人たちのような腐った奴らを対峙するより、お姉様といる方がずっと辛い。だって、あまりにも眩しい。前世から感じていた劣等感や憎悪の感覚がまだ残っているのに、鈍感で奔放なお姉様に振り回されるのはもううんざりなのに。それでもこんなに心を動かされてしまう。この人に理解されて、認められて嬉しいという感情が溢れすぎて、あまりにも苦しかった。

 本当にもううんざりだ。人の気も知らず私を振り回すお姉様が、こんな私なんかを認めてくれるお姉様が、私は理解できない。こんな面倒くさい妹、放っておけばいいのに。きっと私がいなくなっても、お姉様が失うものなんて何一つないのに。どうしてこんなふうに助けてくれる。


 ――でも、そういう人だからこそ私やみんなが憧れるエステルお姉様なんだろうな……。






「――お姉様の馬鹿」

 お姉様の話を聞いてしばらく黙った後、出た言葉はそれだった。

 一度口にすると止まらなくなり、私は思い切ったように叫ぶ。

「この鈍感!自由人!大っ嫌い!!」

「…え?ちょ、えぇ⁉」

 ドア越しに困惑した声が聞こえる。

 ドアを挟むとお姉様の声がよく聞こえない。もはやお姉様と私を阻む扉すら鬱陶しく感じた私は、思いっきりそれを開ける。私の目の前には目を丸くしたお姉様がいた。

 ――もっと言いたいことを言ってやる。今まで溜め込んできた言葉全部!

 そう思ってドアを開けたのだが、お姉様を見た途端に思考が固まってしまう。

 心配そうに私を見るお姉様の瞳はまるで泣いたかのように充血していた。いつもの自信に溢れた顔の面影もなく、恐怖を感じているようにさえ思う。

 その時先ほどお姉様が言った「お前が嫌なら無理に近付かない」という言葉を思い出した。いつもなら使わない少し自信のない言葉。相手の気持ちを優先するような言い方。

 ああ、お姉様も不安だったんだな。

 そう思うと、肩から力が抜けたような感覚になった。そして、私も言わなければと思った。お姉様が私を安心させてくれたように。私も、自分の気持ちを伝えなくては。

「…ミティア?」

「…やだ」

「……え?」


「お姉様がいなくなったら、嫌よ!!」


 安心させるように優しく言おう。そう思ったのに、本音を出した途端、私の感情は歯止めがきかなくなったかのように溢れ出す。そして止まりかけていた涙もまた溢れ出した。

 お姉様は突然泣き出した私に驚いていたが、私は悔しさやら恥ずかしさそれどころではなかった。感情の行き場が見つからず、ただそのままお姉様へぶつける。

「なんで勝手に離れようとしてるのよ……私のことが嫌いになったの!?」

「い、いや、お前が私のことを嫌いって言ったから――」

「そんなこと言ってないわ!?」

「えぇ……」

 なんだか向こうの方が若干引き気味だ。でも仕方ないじゃないか。滅茶苦茶なことを言っているのはわかっているが、自分でも自分がわからないくらいに感情が溢れてくるのだ。悔しさ、悲しみ、嬉しさ、愛情……感情の一つ一つをまとめて整理する余裕もなく、私はそれをお姉様にぶつける。

 上手く言葉にできてはいないが、それは私の純粋な感情だった。

「……本当はわかってるの、お姉様に非は一切ないって。全部私が悪いの、勝手なことをして勝手に泣き喚いて……」

「……お前がどう思おうが、私は自分の過ちを否定することはしない。それに…お前を嫌いになるわけがないし、お前から離れるつもりもない」

「……本当に?」

「あぁ、お前が嫌と思うほど近くにいてやるよ……。いやでも、嫌だったら素直に言ってくれ。お前に嫌われることだけは避けたいから、何とかして上手く立ち回る」

 どこまでも正直で素直な言葉に、私は笑う。

 そんな私に上から手が降ってきて、頭を撫でた。暖かい手だ。涙がゆっくりと、静かに落ちていく。しかしそれはもう悲しみから生まれたものではなかった。


「お姉様……ごめんなさい」


「私も本当にすまなかった」


 少し眉を下がらせながら、優しい顔で笑ってくれる。この時、私はどうしようもなく胸が暖かくなって、自分の感情を初めて自覚した。


(ああそうか、私はお姉様のことが大好きだったんだな)


 私たちは前世という長い時間を経て、本当の姉妹になれたような気がした。
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