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霧中
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しおりを挟むミントは時計にまた目をやった。アリスがディアーの晩餐に招かれてもう三時間近く経つ。
「お食事をいただいたらすぐに戻るわ」
アリスはそう言っていた。ロフィに関しての話もあるだろうし、今後のことで説得されているのかもしれない。
(無理なことを承知なされていなければよいのだけれど)
ロフィも随分前に休ませた。椅子に掛け手紙を書いているが集中できない。それらを片づけ居間を歩き回った。そしてまた時計を見る。
「遅いわ」
これ以上は我慢がならない。楽しくやっているのならそれで良し。もしディアーに無理難題を押しつけられているのなら、自分が行かねばアリスは難渋しているに違いない。
ミントは離れを飛び出し母屋に駆けつけた。表玄関は暗い。少ない使用人も休んでしまっている者もあるようだ。いつも出入りする厨房側の出入り口から中に入った。厨房は無人で灯が落ちてる。
(なら、晩餐自体は終わったのよね)
暗い廊下を進む。賑わいだ様子も話し声もない。食堂をのぞいた。二人の食事の後はある。使用人の都合で片づけは明日に回すようだ。
(なら、サロンでお話かしら?)
食堂を出たところで背後から物音がした。家具がぶつかるような硬い音だ。深夜に近くひと気のない中その音は、ミントに奇妙に響いた。
(まさか)
嫌な胸騒ぎで彼女は執務室に走った。一階の奥にあるそこはフーが詰めている。諸々の業務はそこで行なっていることを彼女は知っていた。
時間を気にせず荒くノックをした。何度も繰り返す。ほどなくドアが開いた。フーだった。やはりまだ堅い身なりのまま。彼女を怪訝な様子で見返した。
「姫様がいらっしゃらないの」
「それはどういう?」
ミントはアリスがディアーに晩餐に招かれてまだ帰らないことを告げた。フーはすぐに部屋を出てきた。
「晩餐があること自体知らない」
当主を降りたディアーに決裁権はない。彼の意思を問うことなどなく、接触も少ないことは以前言っていた。
「さっき食堂を見たの。そこで家具が動くような音がしたのよ」
フーが先になり二人は食堂にとって返した。ドアを開ける。中に入ったフーが辺りをうかがっている。大テーブルの奥のある壁に手を置き、一気に押し開いた。
「隠し部屋があるの?!」
「主人がメイドを押し込めて好きにする部屋だ。昔からある」
小さな灯りが灯る小部屋があった。そこに弛緩したアリスが手首をテーブルの脚に縛り付けられている。その彼女の衣服を剥ぎ取ろうと、ディアーが覆い被さっている最中だった。
扉が開いたこともすぐには気づかず、ディアーはアリスのドレスを引き裂いた。白い胸元が露わになる。その背にフーが手近の椅子を投げつけた。
容赦のないやりようにミントも息をのんだ。衝撃にうめいてディアーがうずくまった。フーが自身の上着を脱ぎアリスに放った。ミントも駆け寄り手首の縛めを解いた。ぐったりとした主人を抱きしめる。
「離れに逃げなさい」
フーの指示が飛ぶが、意識のはっきりしないアリスをミント一人では運べない。ちょうど驚きと痛みから覚めたディアーが何かを喚いた。それに取り合わず、フーは食堂から水の入ったボウルを取ってきてそれをアリスの頭にぶちまけた。
眠っていたような彼女がそれで目を開ける。
「目を覚まされてよかった……!」
ぼんやりしたままだがミントの声に状況を悟るのか、取り乱して泣き出した。
「ここから離れなさい。早く」
再びのフーの叱咤だ。足元のおぼつかないアリスを抱きかかえ、ミントはその場を逃げ出した。
邸を出た後も恐慌を来したアリスは泣きじゃくる。背をさすりつつ離れに戻った時には、気丈なミントもぐったりとなった。大息を吐いて寝室に連れて行き、改めて主人の様子を観察した。胸元が破られ、可哀想に乳房がこぼれそうになっている。しかしそれ以上の被害はないようだ。
「ご安心なさいませ。ご無事でございますから」
アリスはベッドに伏しながら、涙声で訴えた。
「お酒を勧められて、飲むうちに、めまいがひどくなって……。何にもわからないの」
状況から、ディアーが卑劣な手段を取ったことは見てとれた。彼を受け入れない妻に薬まで盛るとは、あまりにやり過ぎだ。許せない。
(あと少し遅れていたら……)
衝撃から今も立ち直れない主人を前に、怒りでミントは我を失いそうになる。
水を飲ませ着替えを手伝った。母屋の方ではどうなっているのだろうか。フーがディアーを押さえ込んでいるはずだと信じるが、
(椅子を投げつけるなんて、あの人も手荒なことをするものだわ。当主を降りたとはいえ、ディアー様は主筋には違いないのに)
ディアーを同情する気はさらさらないが、フーの行動に違和感はある。これまでもディアーに対して辛辣な言動があった。先代亡き後は特に目につく。ミントがすぐ彼に助力を求めたのは、邸に詳しく、ディアーに対して毅然と振る舞ってくれると思ったからだ。
その信用は裏切らなかった。フーが助けてくれなければアリスの身は守れなかっただろう。
ちらりとブルーベルの残した奇怪な話が頭をもたげた。先代をフーが殺害したといった件だ。
(大旦那様とディアー様、それにフーとの間に何かあるの?)
先代の遺言を盾に邸はフーが支配していた。資金も彼が臨時の決裁権を持っていて、全てその許可が要る。ロフィが成人するまでの措置であり、アリス側に特に不満はない。しかし、嫡子のディアーには納得のいかない状況だろう。主従が逆転してしまっていた。
今夜のことで恥をかかされた形になったディアーが、黙っているだろうか。今後アリスは警戒し彼に近づくことはないが、それで引き下がるのか。フーが金を握らせ懐柔するのか……。
(嫌な雰囲気だわ)
さっさとこの邸を出て行ったブルーベルが羨ましくなる。そして、少しだけその不在が寂しかった。
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