38 / 75
秘め事
4
しおりを挟む翌日、孤児院へは連絡をせずに向かった。院長が忙しければ、物資だけ渡せば用は足りる。
施設の前でアリスは馬車を降りた。以前入ったドアを叩いた。どれほどかして、女性の職員が現れる。彼女の姿を見て中へ招き入れてくれた。
「たびたびのご訪問をありがとうございます。院長は来客でして、少しお待ちいただけますでしょうか?」
「お忙しければいいのです。慰問の物資をお届けに来ただけなの。前に毛布が足りないとうかがっていたので。それと食べ物を……」
「少しだけお待ち下さいませ。慰問の方は大歓迎なのですから。会わずにお帰ししたら、後で叱られますわ」
職員は改めて言い、院長のもとへ去って行った。アリスはその間御者に頼み、中に物資を運び入れてもらう。教室の子供たちが珍しげに客をのぞいている。何となく足が向き、教室へ入った。
大きな子が小さな子の面倒を見ながら遊ばせている。女の子たちが揃いのエプロンワンピースを着ていて可愛らしい。
アリスにはどう声をかけてよいかもわからない。そうすべきなのかも判断がつかない。ただ教室の雰囲気を興味深く眺めているだけだ。しばらくそうしていると、背後に人の気配があった。院長かと思ったが、彼女が振り返るより早く、
「ここでお会いできて嬉しいわ」
と声がかかる。振り返ると、それはアレクジア公爵夫人だった。ロエルの母になる。アリスは驚きに固まり声も出なかった。しかし、この孤児院は元々が公爵夫人の慈善活動の場だった。彼はそれを紹介してくれたのだから、この再会はそう不思議でもない。
遅れてそれがのみ込めたが、言葉は出なかった。夫人の挨拶へ丁寧に辞儀を返しただけになる。
着飾った様子もなくごく身軽な衣装だった。それでも美しさも気品も他を圧倒する。アリス自身も華美を抑えた衣装が常だが、決してこうは見えないだろうと舌を巻く思いだった。
(こんな花のような方なら、誰も敵わないわ。同時期に妍を競うことになった令嬢方はお気の毒ね)
とまた場違いな感心をしてしまう。
院長も現れ、アリスは物資を届けに来たことを再び述べた。
「ありがたいですわ。毛布は特に助かります。先日雨漏りで、しまってあったものが傷んでしまって……。その修理の手筈を夫人が整えて下さいましたの」
「セナ、あなたはいただいた物資を早く見たいのでしょう? ご案内はわたしにさせて頂戴な。この方、存じ上げているのよ」
「まあ、そう?」
院長と夫人は仲が良さげだ。アリスは戸惑うが拒否もできない。夫人に従い、館内を回ることになった。教室では子どもたちに声をかけ、慣れた調子で様子をうかがっている。よく通っていることがわかる仕草だ。
「これ好き」
幼い女の子が二人の前で、ワンピースのスカートを広げて見せた。愛らしくよく似合っている。それをアリスが口にすると、
「あなたが前にたくさん下さった布から皆んなで仕立てたの。男の子にはベストを作ったわ」
と言うから驚く。以前、公爵邸を訪れた際、ロエルが母が仕立て屋のようになる時があると笑っていたのを思い出す。
館内を出るからついて行き、裏手の温室に出た。そこでは鉢植えの珍しい切り花がたくさん育てられている。匂いと色でここだけが異空間に感じられる。世話をしている子供たちもいて、二人にお辞儀した。
質素な孤児院に華やかなこの温室は違和感がある。この豪奢な花々をどこに飾るのか。アリスが不思議な顔をしたのを見てとると、夫人は少し笑った。そんなところがロエルの面差しによく通う。
彼女はまぶしい思いで、横顔にちょっと見とれた。
「商売用としてこの花を育てているの。大きな子供たちが主になってお世話してくれているの。わたしもお手伝いさせてもらっているわ」
「この花を……、売るのですか?」
「数が限られてしまうから、そんなに儲けにはならないのが現状だけれど。それでも悪くない実入よ。温室はここだけでなく邸にも作ったわ。注文があるとそちらの工房で花束にして送るの」
ドアでつながった奥の部屋を示す。中は長机があり、作業場になっていた。たくさんのリボンや包装紙がきちんと整理されてある。そこに見覚えのあるラベルを見つけ、アリスははっとなった。
(『小鳥』)
数ヶ月、このラベルを貼った花束を贈られたことがあった。きっとロエルからのものだと解釈している。そのラベルがここにあるのだから、『小鳥』という謎めいた花屋の正体はこの孤児院だということだ。
(……というより、公爵夫人)
「前に、こちらのお花を贈っていただいたことがあります。メイドが評判なのだと噂していましたわ」
「あら? 嬉しいわ」
夫人はアリスに微笑んだ。温室を出ると屋根の修理にかかる大工たちと行き合った。夫人の手配によって速やかに工事の手が入ることになったのだ。放置すれば建物自体に大きな修繕が必要になってくる。
「世間の温情にも甘えながら、足りない分はこちらで賄える風にまで持って行けたら、と思うの。自分たちで生み出した何かがちゃんと糧になっているのだとわかることは、子供たちにとってもいいと思えて……」
夫人なりの慈善の理念を持っているのが知れて、アリスは感心しきりだ。この人も慰問の始まりは彼女と同じ醜聞からの逃避だったと聞いている。しかし、今はそこにしっかりと根が張り、行動に空々しさはない。
これからの自分にどこまでその真似が務まるのか、途方もない気がする。ぼんやりするアリスに声がかかった。
「もしよろしければ、邸にお茶にお招きしたいわ」
「ご迷惑では……」
「迷惑ならお声はかけないわ」
その言葉の調子がロエルによく似ている。彼からもそんな返しをもらったことがあった。予定もない。言葉に甘え、アリスは夫人の馬車について公爵邸に向かうことになった。
112
お気に入りに追加
761
あなたにおすすめの小説
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
「あなたのことはもう忘れることにします。 探さないでください」〜 お飾りの妻だなんてまっぴらごめんです!
友坂 悠
恋愛
あなたのことはもう忘れることにします。
探さないでください。
そう置き手紙を残して妻セリーヌは姿を消した。
政略結婚で結ばれた公爵令嬢セリーヌと、公爵であるパトリック。
しかし婚姻の初夜で語られたのは「私は君を愛することができない」という夫パトリックの言葉。
それでも、いつかは穏やかな夫婦になれるとそう信じてきたのに。
よりにもよって妹マリアンネとの浮気現場を目撃してしまったセリーヌは。
泣き崩れ寝て転生前の記憶を夢に見た拍子に自分が生前日本人であったという意識が蘇り。
もう何もかも捨てて家出をする決意をするのです。
全てを捨てて家を出て、まったり自由に生きようと頑張るセリーヌ。
そんな彼女が新しい恋を見つけて幸せになるまでの物語。
拝啓、私を追い出した皆様 いかがお過ごしですか?私はとても幸せです。
香木あかり
恋愛
拝啓、懐かしのお父様、お母様、妹のアニー
私を追い出してから、一年が経ちましたね。いかがお過ごしでしょうか。私は元気です。
治癒の能力を持つローザは、家業に全く役に立たないという理由で家族に疎まれていた。妹アニーの占いで、ローザを追い出せば家業が上手くいくという結果が出たため、家族に家から追い出されてしまう。
隣国で暮らし始めたローザは、実家の商売敵であるフランツの病気を治癒し、それがきっかけで結婚する。フランツに溺愛されながら幸せに暮らすローザは、実家にある手紙を送るのだった。
※複数サイトにて掲載中です
七年間の婚約は今日で終わりを迎えます
hana
恋愛
公爵令嬢エミリアが十歳の時、第三王子であるロイとの婚約が決まった。しかし婚約者としての生活に、エミリアは不満を覚える毎日を過ごしていた。そんな折、エミリアは夜会にて王子から婚約破棄を宣言される。
【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?
碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。
まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。
様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。
第二王子?いりませんわ。
第一王子?もっといりませんわ。
第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は?
彼女の存在意義とは?
別サイト様にも掲載しております
【完結】お姉様の婚約者
七瀬菜々
恋愛
姉が失踪した。それは結婚式当日の朝のことだった。
残された私は家族のため、ひいては祖国のため、姉の婚約者と結婚した。
サイズの合わない純白のドレスを身に纏い、すまないと啜り泣く父に手を引かれ、困惑と同情と侮蔑の視線が交差するバージンロードを歩き、彼の手を取る。
誰が見ても哀れで、惨めで、不幸な結婚。
けれど私の心は晴れやかだった。
だって、ずっと片思いを続けていた人の隣に立てるのだから。
ーーーーーそう、だから私は、誰がなんと言おうと、シアワセだ。
旦那様は離縁をお望みでしょうか
村上かおり
恋愛
ルーベンス子爵家の三女、バーバラはアルトワイス伯爵家の次男であるリカルドと22歳の時に結婚した。
けれど最初の顔合わせの時から、リカルドは不機嫌丸出しで、王都に来てもバーバラを家に一人残して帰ってくる事もなかった。
バーバラは行き遅れと言われていた自分との政略結婚が気に入らないだろうと思いつつも、いずれはリカルドともいい関係を築けるのではないかと待ち続けていたが。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる