忘れられた幼な妻は泣くことを止めました

帆々

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秘め事

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『アリス、あなたは離れた僕をこれ以上苦しめたいのですか? 彼は簡単にあなたに会うこともでき、考えたくもないが、あなたの手を取ることもできる。その事実が腹立たしくてなりません。

 あなたと僕だけのこのやり取りの中に異物が紛れ込んだようで、我慢がならない気持ちです。

 こんなことを書いている僕がおかしいのは百も承知です。あなたは何も悪くない。現にあなたは彼の妻で、その側に住んでいらっしゃるのだから。ただ、何の力もない自分が情けなく、苛立たしい……』

 一読して、その文面にアリスはすっかり動揺してしまった。手紙を取り落とし慌てて拾い封にしまった。その動きを見たミントが駆け寄った。ロエルの手紙は一人でゆっくり読ませてあげたいと、敢えて離れていたのだ。

「どうかなさいまして?」

「どうしましょう……。あの方を怒らせてしまったわ」

 原因は手紙にあるのは明白だった。ミントはアリスの手の手紙に目をやり、

「ミントが読ませていただいても?」

 と許可を取った。アリスは小刻みに頷いた。これまでも、ロエルの手紙はミントが目にすることは多かった。

 急いでミントは手紙に目を通した。ミントの反応をアリスは息を潜めるようにうかがっている。読み終えた侍女が吹き出すように笑った。

「これは妬いていらっしゃるのでございますよ。姫様がディアー様のことを書かれたでしょう? それで嫉妬していらっしゃるだけでございます」

「嫉妬……」

「それはそうでございますわね。離れたロエル様とは違って、ディアー様はほんの目と鼻の先にお住まいですもの。しかも、正式な夫君とくればそれは面白いはずがございませんよ。姫様がわざわざディアー様のことを持ち出したのは、その嫉妬を煽るためではないかと拗ねていらっしゃるのでございますよ」

 ミントの解釈にアリスは頬を染めた。首を振る。

「そんな、まさか……」

「ええ。姫様がそんなことをなされる方だとは、ミントは思いませんがね。男の嫉妬は拗れると女より怖いと申しますからね。お早く誤解を解いて差し上げるとよろしゅうございますよ」

「拗れるって、なあに?」

「そうでございますね、例えばディアー様をどこかで襲われるとか……。腕に自信がおありなら、決闘を申し込まれるとかも考えられますわね」

 ミントの口調には楽しげな響きがあり、そのまま鵜呑みにはしない。しかし、ふと連想するものがあった。ロエルが地方の令嬢と知り合ったと触れた箇所にはもやもやした記憶は鮮やかだ。あれに似たものを彼にも与えてしまったのだと想像はついた。

 次の手紙では謝ろうと思った。

「でも、ディアー様とは普通の夫婦ではないのだとお話ししたこともあるのに……」

「それでも、ロエル様にはお嫌なのですわ。姫様が誰かの妻でいらっしゃる事実が」

 にんまりとした笑顔で自分を見るミントが何とも照れ臭い。アリスは顔を背けた。手紙をしまいに寝室へ行き、そこでもう一度ひっそり読み返した。



 ロエルからの手紙が途切れた。八日に一度は届いていたが、十日を過ぎ二十日を過ぎてもぱったりと来なくなった。折しも誤解を解くための返事を送ったその直後でもあり、アリスには不安だった。

(怒っていらっしゃるのかも)

 ミントも気がかりだが努めて明るく、

「天候や道路の事情の配達の事故もありますからね」

 と何でもないように口にしていた。しかし、手紙の伝達を頼んでいる知人には何度も問い合わせていた。相手は必ず信用の置ける配達便を使ったと請け合うし、実際に護衛も付く当世の郵便の事故は少ない。

 言葉にしなくとも、アリスがロエルの手紙を待ちかねているのは知れた。届いたそれがレイナや実家からのものだと、落胆しているのが少しの表情の動きでわかる。

 彼女の日常に既にロエルのくれる手紙の存在は大きい。それが、変化のない日々を強く彩っていたのだと彼女だけでなくミントも強く感じた。

 気落ちしているとはいえ、アリスは努めて変わりなく過ごしている。ふさぐわけでもなく、ロフィにも母らしい細やかな優しさを注いでいた。そんな主人の健気な様子に、顔にこそ出さないがミントが焦れてきた。

 アリスへのロエルの感情は貴公子にありがちな浮ついたものだったのだろうか、と疑心を募らせもした。珍しい高貴な人妻へのちょっかいに飽きたのか。またはこっちをその気にさせたところで興が覚めた……。

 ミントもこの恋愛ごっこが長く続くとは考えていない。どこかで必ず終わりが来ることは、わかっていた。そうであっても、思い思われた美しい思い出は、長くアリスに貴重な宝物になるはずだと考えた。だからこそ、危険を承知で手紙のやり取りを推してきた。

 であるのに、

(あっけない終わり)

 意気消沈するよりロエルへの腹立たしさが勝った。数度のやり取りで尽きてしまうほどの情熱であるのなら、

(うちのうぶな姫様にコナをかけるな、意気地なし)

 と胸の中では悪態をついている。

「またお手紙を書かれてはいかがでございます? 何かの手違いということも考えられますもの」

「いいわ」

 アリスは力なく首を振る。拗ねているのでもなくロエルを責めるのでもない。寂しげにあきらめの体だ。

「ねえ、明日にでも孤児院に慰問に行こうと思うの。時間も空いてしまったし……。準備を頼めるかしら?」

「ああ、ようございますわね。お外に出られるのは、ようございますとも」

 慈善活動は今後のロフィのためにとロエルの知恵で始めたものだった。彼からの連絡が途絶えたからといって、止めてしまうのはおかしな話だった。

 ミントは居間を出て行った。

 同じ眺めの場所にいては同じことを考え過ぎてしまう。出来ることも限られているが、動かないと気持ちが澱んでいくだけだ。それだけはわかる。またそんな自分も惨めで情けなく思う。

 一人になって、出るのは深く長いため息だった。
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