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外から吹く風

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 小姓見習いの主な役目や時間、その内容……など。アリスの知りたいこと全てに、ロエルは時折思い出すようにしながら答えてくれた。

 本式の役目は厳しく躾けられた小姓が行う。その見習いは専ら飾りの存在だ。儀式に小旗を振って歩くとか、何かの試合に子犬を連れて歩くとか……。高齢の王族女性がそんな可愛い姿を好むという。

「難しくお考えにならなくていいですよ。本人は遊びに行くような感覚でいいのでは? 僕は王宮のお庭で虫を追っかけて遊んだことばかり覚えています」

 そう微笑んで言われるとアリスの不安も軽くなる。舅が今回のことで盛り上がり、やれ乗馬だやれ行儀作法だと、ロフィに対して注文が増えた。それにいつしか彼女も感化され、変に構え過ぎていたところもある。

 できる準備はこちらがしっかりしてやり、あとは応援してやる体で見守ればいい。ロエルの言った言葉をそのままロフィに伝えようと思った。

 肩の荷が軽くなったようで、アリスは誰とはなしに笑みを浮かべた。

「ロフィ君はどのような少年ですか?」

「元気で歳の割にしっかりしていると思います。でも、まだまだ赤ちゃんみたいなところもありますわ。何かあると、すぐにわたしや世話係の侍女に甘えて……」

「……あなたはすっかり母親のご様子ですね。……実の親子ではいらっしゃらないと聞きましたが」

「生後半年でわたしのところへ。今では違和感もありません。あの子が来たばかりの頃、夜は乳母が帰ってしまうんです。それを知らなくて、侍女と二人で大慌てでしたわ」

 フーの無責任な意地悪に、さすがにのんきなアリスも憤った記憶がある。赤ん坊を知らない彼女たちに任せ、ロフィに何かあったらどうするつもりだったのか。

 ロフィの一挙手一投足に振り回される嵐のような日々も、今は笑って振り返ることができる。

(あの子がいてくれたから、これまでのドリトルン家での日々を意味あるものにできた)

 そんな感慨がある。

「……あなたはお優しい」

「いいえ。無理に任されて、断りもせずに受け入れただけですわ」

「あなたが断れないように話を運ばれたのでしょう?」

 アリスはちょっと笑った。彼はフーをよく知らないはずが、ちゃんと理解できている。彼女の境遇に苦い表情を見せた。ちょっとやり過ぎに映ったおせっかいも親切も、彼の優しさに他ならない。

 本人を前にし、ふと納得がいく。

「……当主代理の件ですけれど、正式に決まりました。受けるべきではないとおっしゃっていただいたのに、何もできませんでしたわ」

「あなたのせいではないです。決まったものはしょうがありません。今後はあなたのお名で社交界の人脈を広げるロビー活動を行うつもりでしょうね」

「いけないのですか? わたしの名前が使われても……。社交をしませんから、噂になっても影響もないと思うのですけれど」

「あなた自身は割り切ってお考えでも、あなたの大事な方々に何かしらの影響があります。ご実家のお父上やロフィ君にも、ドリトルン家が買った恨みの火の粉が及ぶことは十分あります」

 アリスはロエルの言葉にはっとなった。以前彼が言っていた。実家の父が美麗な馬車で大学に通っていると噂になっていると……。その出所はアリスが嫁いだドリトルン家以外にあり得ない。既に、金にまつわる醜聞は存在している。そこに新たに社交界で彼女の名が喧伝され始めればどうか。

(お父様はじかに嫌な噂を耳にするかもしれないわ)

 そして、これから成長していくロフィにも、雨のように噂のつぶてが降ってくることは想像に難くない。

 アリスは口元を手で押さえた。ひと時呼吸が止まった。

「どうすれば……?」

「不安におさせして申し訳ありません。いたずらにあなたの動揺を煽るつもりはないのです。ただ、あなたが…、その、物事にあまりに鷹揚でいらっしゃるから……」

「のんき者とおしゃって。鈍いとお思いなのでしょう?」

「そうとは言っていません。少しだけ、その傾向が見られる時もあるかと……」

 ロエルが懸命に言葉を選ぶ様子がほんのりおかしい。

(世間を知るしっかりしたこの方からしたら、ずれたお馬鹿さんにしか見えないのでしょうね)

 彼女の名がドリトルン家から発せられることで、守りたい人々に悪影響を与えてしまう。そのことに彼の指摘でようやく気づけた。それを伝えたかったから、しつこいほど当主代理を避けるように勧めてくれていたのだ。

 彼はそこで軽く咳払いをした。

「僕がお勧めするのは、あなたのお名前で寄付をなさることです。病院や救民院、孤児院もいいでしょう。お時間があればあなた自身が出向かれるといいかと。本当のあなた自身を社交界と違った場所で印象づけてほしいのです」

 善行を利用し噂を払拭しようと考えるのは偽善ではないのか。そんな疑問が浮かぶ。表情にも現れたのか、

「あなたの行いで救われる人も必ずいる。その結果に理由など要らないでしょう」

 と彼は言った。

 そうね、と呟いて彼女は頷いた。

 (彼がきっと正しい)

「すぐに効果は現れなくとも、これを続けていくことで、いつか潮目が変わります。口さがないことを言う人が全くいなくなるのではありません。しかし、噂とは違ったあなたの行動は必ず広まっていきます」

 父やロフィへの醜聞の影響にただ怯えるのではなく、彼女自身ができることで行動を起こす。そのことはきっと心にもいい作用を及ぼすはず。

「僕の母も噂に悩んだ側の一人です。母は社交から距離を置くことで家族と自分を守っていました。実は孤児院や救民院への慰問や寄付は、母が長らくやっていることです。……そうであっても、まだ噂は絶えないのが現状です。しかし、母はいたって朗らかで幸せそうです。遠い誰かの悪口などに煩わされていない。僕はあなたにもそうあってほしいと思います」

 ロエルの言葉は彼女の心に入って沁み入り、その奥を静かに揺さぶった。ただ単に優しさと同情ではなく、彼の母の過去を今の彼女と重ね思いやってくれている。その感情が強い分、おせっかいが過ぎたように見えてしまった。

「ありがとうございます。やってみます。ちょうど良かった。最近、自由が少し増えたんです。慈善で孤児院や救民院を訪ねるのに、きっと反対もされませんわ」

 彼はおやっという表情を見せた。少し迷うように視線を流している。ほどなくして言う。

「僕がご案内しましょうか? 母が施設の院長と懇意なのです。紹介状を差し上げてもいいが、初めだけでも僕が同行した方が先方も都合がいいでしょうから」

「まあ、お悪いわ。ご親切は嬉しいですけれど……」

 アリスはちょっとたじろいだ。レイナたちから、ロエルが王都にいるのは休暇の時だと聞いていた。その貴重な時間を割かせるのは申し訳ない。おせっかいの延長なのかもしれないが……。

「迷惑なら申し出たりしませんよ。僕はそんなに人が良くない。知らん顔をしてやり過ごすのが常です」

「いいえ、お優しいわ」

「あなたがそんな風に笑顔を見せて下さるのなら、そうしておこうかな。……僕はあなたに嫌われているのではと、随分悩んでいたのですから」

「嫌ったりしませんわ」

 その時、小さな風に彼女の膝のメモをした紙が落ちた。彼女が手を伸ばすより先に、彼がそれを拾い上げた。なぜか彼はそれを傍らのテーブルに広げた。胸から出したペンで何か記している。

「何を?」

「待ち合わせの約束ですよ。明後日の午後2時はいかがです?」

 予定などない。彼女は頷いた。

「いつかお会いした公園通りの馬車溜まりがありますね。そちらにしましょう。そこから孤児院が近いのですよ。……あなたはほんの少しのんびりとしていらっしゃるから、書いておきます」

 約束を記した紙を彼は彼女へ渡した。見覚えのある彼の筆跡だった。同じ筆跡が綴った感情的な手紙を彼女は大事なノートに挟んでしまってある。ふとそんなことを思い出してしまう。

 恥じらい頬に上り、彼女は微かに首を振った。

(おかしいわ。今こんなこと思うなんて……)

 そこへ、レイナがやって来た。「お茶にしましょう」とサロンへ誘う。使用人との用談には長過ぎたような気がした。しかし、だから何だというのだ。

 アリスはメモの紙を素早くたたんでポケットにしまった。彼女の少しだけ後についたロエルがその仕草を見ていたように小さい声で告げる。

「いらっしゃるまで、待っています」

 返事のしようがなく、何となく髪に手をやった。
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