14 / 75
繰り返す日々に
6
しおりを挟む「姫君、これを」
アリスが馬車に乗り込む際、フーが声をかけた。振り返ると彼は彼女の手に何を差し出した。数枚のコインだった。
「お好きなものを買う余裕は要るでしょう」
以前、小遣いが足りず親切な人に助けてもらったのだと侍女のミントに打ち明けたことがあった。それがフーに伝わったに違いない。ミントはアリスのための要望を訴える手間は決して省かない。
「知らぬ他人から施しを受けられるなど、ドリトルン家の若奥様としてひどくみっともないですから」
説教めいた口調で釘を刺した。確かにそうだと、以前を振り返って頬が熱くなった。
ともかく金が手に入った。これらならどんな菓子を買っても十分足りそうだ。馬車に揺られながら今日は何を買って食べてみようかと心が弾んだ。この日は月に一度の実家への訪問日だった。
(ロフィにもお土産が買えるわ)
高家の車寄せには馬車の到着を聞きつけ、出迎えの婆やの姿がある。アリスは降り立ち、使用人に土産を手渡した。結婚当初はミントが厨房に頼みふんだんに運んだものだが、五年を経て今では量もずいぶん減っていた。ドリトルン家からの援助が潤沢で以前の侘しさはない。
帽子を外し中に入ると執事が父は来客中だと告げた。
「大学関係の方でいらっしゃいます」
「そう」
父が大学での仕事を再開したことは聞いている。それに関した来客があるのは頷けた。アリスはお茶を断り庭に出た。
手入れが行き届かず荒れていた場所も、人の手が入り雑草が刈られ整っていた。花も緑も美しい。居心地のいい場所に変貌したことがただ嬉しかった。
花壇を眺めていると背後に石畳の床を歩く音がした。父の来客が帰るのかもしれない。何気なく振り返ると男性の姿があった。こちらを見ている。
誰か気づくのに彼女は少し時間がかかった。
(あ)
悟った時に、相手は既に彼女の方へ近づいている。
「こちらでお会いするとは…」
ロエルだった。彼女はまだ驚いていて、彼に遅れて挨拶を返した。どうして彼がここにいるのか不思議でならない。
「某教授のご紹介で参上したのですよ。僕が調査している山から出土したものがあって、それを懇意の教授にお知らせしたら、文学的見地から見ても大きな価値があるのでは、という話になったのです。お父上は卓出した文学的見識をお持ちの方とうかがいますし……」
矢継ぎ早に話されて、アリスはやはり返事もできない。
(調査している山……?)
そういえば、と以前レイナの邸で初めて会った彼を思い出す。旅から帰ったばかりという彼は土埃まみれの姿だった。あれは山の調査とやらをしていたためかもしれない……。
(きれいな石を見せてくれたわ)
彼が掘り当てた鉱石の重みが、自分の手のひらにふとよみがえるような気がした。レイナから彼は貴族と聞いていた。そうでありながら自ら山へ足を運んでいる。よく知らないが、貴族の男性なら社交などで華やかな日常を過ごしていそうなのに。
何も言葉を返せないままのアリスの元に、執事がやって来る。
「殿様がお呼びでございます」
客の応対が済み父の手が空いたようだ。アリスはロエルに会釈して側を通り過ぎた。
(先日のお礼くらいできたらよかった)
距離ができてからそう悔やんだ。
父との話はほぼ課題になっている本のことに終始した。これは父娘には昔からのことだ。アリスには理解が及ばない箇所を教わり、読み返すため本にしおりを挟んだ。
そこで父の傍の古びた巻物が目に入った。アリスの視線に気づいた父が、ふっと微笑んだ。
「公爵家の子弟が山で見つけたのだそうだ。おそらく散文的にまとまった風土記のようなものだね。わたしの意見などお門違いだろうが、興味深いので目を通すことにした」
「どうして山にあったのかしら?」
「その彼の話だと、箱に入れて遺棄してあったそうだ。宝箱を見つけたと興奮したら、がらくたとこれが一緒に入っていた、と」
「公爵家の方も山に入ったりなさるのね」
「貴族には珍しいが、鉱脈を調査する仕事をしているのだそうだよ。話が面白い青年だった。それで家計を助けているのだと言っていた」
父との対面を終え、彼女は玄関へ向かった。回された馬車に乗る時、見送りの婆やが彼女へ何かを握らせた。紙をたたんだものだ。肩を抱きながらささやく。
「お一人になってからお読み下さいませ」
おかしなことを言う婆やだと思ったが、素直に頷いた。馬車が走り出してから紙を開いた。中には見慣れない筆跡が並んでいる。
『不躾をお許し下さい。
前の菓子より評判の店があるのです。
ぜひご紹介したいと思い、これを書いています。
よろしければ、動物園前にお越し願えませんか?
ご案内したいのですが……。
ごく近い場所にあります。お時間は取らせません』
ロエルだった。
どきんと胸が鳴った。
(前の煉瓦焼きより美味しいのかしら?)
この後も公園通りに寄るつもりだった。もう一度煉瓦焼きを買おうと考えていたところだ。
(どうしよう……)
少しだけの迷いはすぐに果てた。
彼女は馬車を止めさせ、御者に告げた。
「動物園前に行って下さいな。お菓子を買いたいの……」
主家の若奥方が実家以外の外出を許されない、ほぼ飼い殺し状態であることは使用人は周知している。その同情もあり御者は易々と従ったくれた。
178
お気に入りに追加
757
あなたにおすすめの小説
王妃候補に選ばれましたが、全く興味の無い私は野次馬に徹しようと思います
真理亜
恋愛
ここセントール王国には一風変わった習慣がある。
それは王太子の婚約者、ひいては未来の王妃となるべく女性を決める際、何人かの選ばれし令嬢達を一同に集めて合宿のようなものを行い、合宿中の振る舞いや人間関係に対する対応などを見極めて判断を下すというものである。
要は選考試験のようなものだが、かといってこれといった課題を出されるという訳では無い。あくまでも令嬢達の普段の行動を観察し、記録し、判定を下すというシステムになっている。
そんな選ばれた令嬢達が集まる中、一人だけ場違いな令嬢が居た。彼女は他の候補者達の観察に徹しているのだ。どうしてそんなことをしているのかと尋ねられたその令嬢は、
「お構い無く。私は王妃の座なんか微塵も興味有りませんので。ここには野次馬として来ました」
と言い放ったのだった。
少し長くなって来たので短編から長編に変更しました。
初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―
望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」
【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。
そして、それに返したオリービアの一言は、
「あらあら、まぁ」
の六文字だった。
屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。
ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて……
※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろうにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~
湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。
「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」
夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。
公爵である夫とから啖呵を切られたが。
翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。
地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。
「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。
一度、言った言葉を撤回するのは難しい。
そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。
徐々に距離を詰めていきましょう。
全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。
第二章から口説きまくり。
第四章で完結です。
第五章に番外編を追加しました。
転生先は推しの婚約者のご令嬢でした
真咲
恋愛
馬に蹴られた私エイミー・シュタットフェルトは前世の記憶を取り戻し、大好きな乙女ゲームの最推し第二王子のリチャード様の婚約者に転生したことに気が付いた。
ライバルキャラではあるけれど悪役令嬢ではない。
ざまぁもないし、行きつく先は円満な婚約解消。
推しが尊い。だからこそ幸せになってほしい。
ヒロインと恋をして幸せになるならその時は身を引く覚悟はできている。
けれども婚約解消のその時までは、推しの隣にいる事をどうか許してほしいのです。
※「小説家になろう」にも掲載中です
茶番には付き合っていられません
わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。
婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。
これではまるで私の方が邪魔者だ。
苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。
どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。
彼が何をしたいのかさっぱり分からない。
もうこんな茶番に付き合っていられない。
そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。
【完結】胃袋を掴んだら溺愛されました
成実
恋愛
前世の記憶を思い出し、お菓子が食べたいと自分のために作っていた伯爵令嬢。
天候の関係で国に、収める税を領地民のために肩代わりした伯爵家、そうしたら、弟の学費がなくなりました。
学費を稼ぐためにお菓子の販売始めた私に、私が作ったお菓子が大好き過ぎてお菓子に恋した公爵令息が、作ったのが私とバレては溺愛されました。
不憫な妹が可哀想だからと婚約破棄されましたが、私のことは可哀想だと思われなかったのですか?
木山楽斗
恋愛
子爵令嬢であるイルリアは、婚約者から婚約破棄された。
彼は、イルリアの妹が婚約破棄されたことに対してひどく心を痛めており、そんな彼女を救いたいと言っているのだ。
混乱するイルリアだったが、婚約者は妹と仲良くしている。
そんな二人に押し切られて、イルリアは引き下がらざるを得なかった。
当然イルリアは、婚約者と妹に対して腹を立てていた。
そんな彼女に声をかけてきたのは、公爵令息であるマグナードだった。
彼の助力を得ながら、イルリアは婚約者と妹に対する抗議を始めるのだった。
※誤字脱字などの報告、本当にありがとうございます。いつも助かっています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる