12 / 75
繰り返す日々に
4
しおりを挟むロエルは大学内を歩いていた。前回の旅で持ち帰った鉱山の調査は、今しがた昵懇の教授に渡したばかりだった。急ぎの用は済んだ。
王都を離れ、数年山々を調査に渡り歩いた。その間休学していたが去年卒業が叶った。鉱山調査に長けた公爵家の子息は変わり種だ。広い学内でも彼自身が思うより名が広まっている。知己も多く、誘われてパブに入った。
ビールを飲みながら友人たちの話を聞いていると、思いがけない存在に興味を惹かれた。某高家の当主が教授を務めているという。
「文学の先生がそうだよ。長く療養中でいらしたが、復職して週に三日程講義を勤められているよ。月下の高家宗家のお方だ」
高家にも系統がある。日輪、虹彩、月下。いずれも貴族の上に位置する名家だ。そこから王家へ嫁ぐ姫も多い。現王妃が虹彩の高家出身とはロエルも知っていた。友人の口ぶりも、畏敬が混じるため他の教授を評する時と比べ丁寧だ。
「こう言っちゃ失礼だが、虹彩以外の高家は名のみというか、ずいぶん質素にお暮らしだ。じゃなければ、大学教授みたいな旨みの少ない名誉職を熱心に務めたりはなさらないだろうよ」
月下の高家ならアリスやレイナの系統だ。その宗家の当主であるならアリスの父で間違いない。教授職をしているとは知らなかった。
「母が言うには姫が金満家に嫁がれて、お暮らし向きも変わったらしい。美麗な馬車で大学に通われるようになったのもその現れだな。かなりのお仕度金が婚家から支払われたそうだから」
「そうなのか?」
「これも母の談だが、お邸に巧い執事がいると複数縁談を進めるんだそうだ。先方を競わせてお仕度金を釣り上げるそうだよ。何とも世知辛いな」
ロエルは相槌が打てなかった。代わりにビールを飲んだ。話の生々しさのせいか舌に苦く感じた。
アリスの存在は淡い知人の域を出ない。初めて会ったのは五年も前で、ギアー氏の邸でのことだ。邸に婚家の迎えがやって来て、彼女を強引に連れ帰ろうとしていた。口を挟んだロエル自身が、迎えの男に痛烈な嫌味をぶつけられる結末だ。
無礼に手が出そうになった。瞬時に抑えたのは女性たちの前であることと、遠からず男の言葉は的を射ていたからだった。己に降りかかる火の粉を払えずにいるのに、他人を助ける余裕があるのか? それを自省したためだ。
当時のアレクジア公爵家の家計は火の車だった。親族の負債を被り困窮していた。できる財産の整理が尽きると、借り入れを行わざるえなかった。その大きな一つがドリトルン家だ。しかし、ないから借りるのですぐに返す目処も立たない。利払いだけを続け、借金の元本はしっかりと残ったままの状態だった。
公爵家の内情を憂い、自分にできることはないかとロエルはもがき続けた。その答えが領内の鉱山開発だった。土地の伝説に目をつけ調査に歩き回った。ものになる確証があった訳ではない。今では鬱屈した日々からの逃避のような気もしている。すべきことがあるだけ気持ちが楽だった。
非常に運よくロエルの目論見が当たり、領内から多量の宝石鉱脈が見つかった。そこからは物事が好転し始めた。じきドリトルン家への債務はゼロになった。長らく公爵家に立ち込めていた暗雲はすっかり取り除かれた。
彼は自分の行動を過小評価もしないが、過大評価もしていない。苦悩する両親を思いできることを考えて行動したに過ぎない、と。それに天が運に味方し望外の結果を生じさせた。少々の勘の良さに根気強さ、そして続けるタフさ。そればかりは自負している。
ロエルは友人たちと別れ大学を後にした。父が紳士クラブにいるはずなので、そちらで合流しようかと足を向ける。
(嫌な話を聞いたな)
パブでの噂話が不快だった。姫をドリトルン家に嫁がせたことで、月下の高家は「美麗な馬車」を手に入れたのだという。まるでアリスの値段のように思われて、ふと視線が落ちた。
彼は経済的な結婚を否定するわけではない。結果それが両者にとって幸福に落ち着く場合もある。友人のギアー氏と夫人のレイナがその好例だ。
五年ぶりに再会したアリスは、以前と変わらず無垢な姫そのものだった。彼も貴族令嬢を知るが、あれほど清純そうな女性は見たことがない。ああいう人を深窓の姫君というのだろうとも思う。
(そう美しくもないが……)
高家独特の藍色の瞳と黒髪は艶めいて、ほっそりとした姿は可憐ではある。菓子の支払いが足りずうろたえて泣き出したはずが、すぐのち大口を開けて菓子を頬張って見せた。ロエルを前に照れた様子も見せなかった。
(あの顔……。我慢し切れずにつまみ食いする子供みたいだ)
思い出して、ちょっと笑みが浮かんだ。
その無邪気な面影に、先ほどの「美麗な馬車」の不快さが被さっていく。別れ際、ロエルはついおせっかいで、アリスに困り事はないかとたずねた。ドリトルン家での不自由な暮らしを思い遣ってのものだった。ひどい扱いを受けているのなら、今の彼なら行使できる手段もある。
彼女は軽く首を振った。こちらの気遣いなど感じないようだ。更にロエルは問うた。幸せなのか、と。先の問いの言葉を変えたものだ。彼女にはこちらが伝わりやすいかと思った。
「さあ……」と言ったきり、すぐ彼女は去って行った。おかしなことを聞く男だと怪しんだのかもしれない。けれど裕福な若妻だ。幸せなら口元が綻ぶはずだ。レイナのように美しく匂うように微笑むはずだ。
(いくらぼやっとしたあの人でも、そんな反応はあるはず)
ないのはやはり、幸福を感じていないからではないか。
クラブに着き父のいるサロンに入った。面白くもないもの思いは終わる。知人たちと玉突きを少し遊び、腰を上げた父と共にクラブを出た。回された馬車に乗るのは父公爵のみだった。
「友人の家に招かれているんだ」
「ふむ、晩餐にお前がいないと、母上が寂しがるぞ」
「お休みになる前には帰るから、そう伝えて」
「香水の匂いをさせて帰るなよ、母上はあれで勘がいいからな」
外出の言い訳を見抜かれてロエルはばつが悪い思いだった。ちょっと不貞腐れた顔を見せ、父に頷いた。
父を乗せた馬車が去り、彼は踵を返す。目的の家までは距離があるが、相手が馬車を乗り付けるのを嫌う。彼も歩くのは苦にならない。
通りを逸れて路地を入る。見慣れた少年が犬と遊んでいる。目当ての家のドアをノックした。約束はないが、追い返されることはない。取次のメイドが彼を中に通した。
椅子に寛いでほどなく。女性が階段を降りてきた。はちみつ色の髪をゆったりと高く結っている。ロエルを見て艶然と微笑んだ。
「若様ったら、あんまりお越しがないから、どこかの崖から落ちなさったのかと思ったわ」
「落ちていたら君はどうする? リリーアン」
リリーアンと呼ばれた女性は答えず、メイドに酒の用意を命じた。彼の隣に腰を下ろしそっと膝に手を置いてから答えた。
「きっと泣くわ。胸が裂けてしまうかも」
たっぷりとした唇は彼を誘うように半分開いている。ロエルは彼女の顎に指を置き口づけた。唇が離れると囁く。
「今夜はお泊まりになれる?」
「無理だ。王都にいる間は母上孝行しないと。父にも釘を刺されている」
「随分待ちぼうけを食ったのに。つれない方ね」
軽くにらんで見せるが重ねてねだることもない。そうすることでロエルが気分を害することをわきまえているようだ。そしてそれを願っているようでもない。メイドが運んだ酒をグラスに注ぎ、彼へ差し出す。
彼がリリーアンと出会ったのは四年前だ。鉱山調査の旅の途中で彼女は遊山の帰りだった。馬車の車輪が壊れ難儀をしていた。それを供と一緒に直してやったのが知り合うきっかけだ。宿まで送り、彼女から誘われ男女の仲になった。彼より四つ歳上だった。身なりはいいが令嬢には思われない。王都に住まうというから、彼の帰郷の際逢瀬が続いた。
のち、ある老貴族の愛人を務めていると打ち明けられた。他人の思い人に手を出したら場合によっては決闘沙汰だ。彼は焦ったがリリーアンはけろりとしている。「お前は若いんだから、若い男とも遊べですって。いいお爺ちゃまよ」らしい。
愛人家業の他その経験から女性を探す裕福な男性への斡旋業も行なっている。
夜が更ける前に、彼はリリーアンの家を出た。
両親は結婚を催促している。妻を探すとなれば、足の遠のいている社交に精を出すのが定石だ。まず令嬢たちと知り合わなければ始まらない。次に条件の合う女性を絞っていく作業に入る。嫡男としての責務は感じるが、まだその気になれないでいた。
リリーアンとは互いに「遊び」と割り切ってつき合っている。その距離感が心地よかった。彼女は彼に何も求めない。そこに自分は甘えているのだとも思う。
154
お気に入りに追加
757
あなたにおすすめの小説
王妃候補に選ばれましたが、全く興味の無い私は野次馬に徹しようと思います
真理亜
恋愛
ここセントール王国には一風変わった習慣がある。
それは王太子の婚約者、ひいては未来の王妃となるべく女性を決める際、何人かの選ばれし令嬢達を一同に集めて合宿のようなものを行い、合宿中の振る舞いや人間関係に対する対応などを見極めて判断を下すというものである。
要は選考試験のようなものだが、かといってこれといった課題を出されるという訳では無い。あくまでも令嬢達の普段の行動を観察し、記録し、判定を下すというシステムになっている。
そんな選ばれた令嬢達が集まる中、一人だけ場違いな令嬢が居た。彼女は他の候補者達の観察に徹しているのだ。どうしてそんなことをしているのかと尋ねられたその令嬢は、
「お構い無く。私は王妃の座なんか微塵も興味有りませんので。ここには野次馬として来ました」
と言い放ったのだった。
少し長くなって来たので短編から長編に変更しました。
転生先は推しの婚約者のご令嬢でした
真咲
恋愛
馬に蹴られた私エイミー・シュタットフェルトは前世の記憶を取り戻し、大好きな乙女ゲームの最推し第二王子のリチャード様の婚約者に転生したことに気が付いた。
ライバルキャラではあるけれど悪役令嬢ではない。
ざまぁもないし、行きつく先は円満な婚約解消。
推しが尊い。だからこそ幸せになってほしい。
ヒロインと恋をして幸せになるならその時は身を引く覚悟はできている。
けれども婚約解消のその時までは、推しの隣にいる事をどうか許してほしいのです。
※「小説家になろう」にも掲載中です
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろうにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―
望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」
【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。
そして、それに返したオリービアの一言は、
「あらあら、まぁ」
の六文字だった。
屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。
ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて……
※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。
身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~
湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。
「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」
夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。
公爵である夫とから啖呵を切られたが。
翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。
地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。
「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。
一度、言った言葉を撤回するのは難しい。
そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。
徐々に距離を詰めていきましょう。
全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。
第二章から口説きまくり。
第四章で完結です。
第五章に番外編を追加しました。
不憫な妹が可哀想だからと婚約破棄されましたが、私のことは可哀想だと思われなかったのですか?
木山楽斗
恋愛
子爵令嬢であるイルリアは、婚約者から婚約破棄された。
彼は、イルリアの妹が婚約破棄されたことに対してひどく心を痛めており、そんな彼女を救いたいと言っているのだ。
混乱するイルリアだったが、婚約者は妹と仲良くしている。
そんな二人に押し切られて、イルリアは引き下がらざるを得なかった。
当然イルリアは、婚約者と妹に対して腹を立てていた。
そんな彼女に声をかけてきたのは、公爵令息であるマグナードだった。
彼の助力を得ながら、イルリアは婚約者と妹に対する抗議を始めるのだった。
※誤字脱字などの報告、本当にありがとうございます。いつも助かっています。
夫が愛人を離れに囲っているようなので、私も念願の猫様をお迎えいたします
葉柚
恋愛
ユフィリア・マーマレード伯爵令嬢は、婚約者であるルードヴィッヒ・コンフィチュール辺境伯と無事に結婚式を挙げ、コンフィチュール伯爵夫人となったはずであった。
しかし、ユフィリアの夫となったルードヴィッヒはユフィリアと結婚する前から離れの屋敷に愛人を住まわせていたことが使用人たちの口から知らされた。
ルードヴィッヒはユフィリアには目もくれず、離れの屋敷で毎日過ごすばかり。結婚したというのにユフィリアはルードヴィッヒと簡単な挨拶は交わしてもちゃんとした言葉を交わすことはなかった。
ユフィリアは決意するのであった。
ルードヴィッヒが愛人を離れに囲うなら、自分は前々からお迎えしたかった猫様を自室に迎えて愛でると。
だが、ユフィリアの決意をルードヴィッヒに伝えると思いもよらぬ事態に……。
私は幼い頃に死んだと思われていた侯爵令嬢でした
さこの
恋愛
幼い頃に誘拐されたマリアベル。保護してくれた男の人をお母さんと呼び、父でもあり兄でもあり家族として暮らしていた。
誘拐される以前の記憶は全くないが、ネックレスにマリアベルと名前が記されていた。
数年後にマリアベルの元に侯爵家の遣いがやってきて、自分は貴族の娘だと知る事になる。
お母さんと呼ぶ男の人と離れるのは嫌だが家に戻り家族と会う事になった。
片田舎で暮らしていたマリアベルは貴族の子女として学ぶ事になるが、不思議と読み書きは出来るし食事のマナーも悪くない。
お母さんと呼ばれていた男は何者だったのだろうか……? マリアベルは貴族社会に馴染めるのか……
っと言った感じのストーリーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる