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繰り返す日々に

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 ロエルは大学内を歩いていた。前回の旅で持ち帰った鉱山の調査は、今しがた昵懇の教授に渡したばかりだった。急ぎの用は済んだ。

 王都を離れ、数年山々を調査に渡り歩いた。その間休学していたが去年卒業が叶った。鉱山調査に長けた公爵家の子息は変わり種だ。広い学内でも彼自身が思うより名が広まっている。知己も多く、誘われてパブに入った。

 ビールを飲みながら友人たちの話を聞いていると、思いがけない存在に興味を惹かれた。某高家の当主が教授を務めているという。

「文学の先生がそうだよ。長く療養中でいらしたが、復職して週に三日程講義を勤められているよ。月下の高家宗家のお方だ」

 高家にも系統がある。日輪、虹彩、月下。いずれも貴族の上に位置する名家だ。そこから王家へ嫁ぐ姫も多い。現王妃が虹彩の高家出身とはロエルも知っていた。友人の口ぶりも、畏敬が混じるため他の教授を評する時と比べ丁寧だ。

「こう言っちゃ失礼だが、虹彩以外の高家は名のみというか、ずいぶん質素にお暮らしだ。じゃなければ、大学教授みたいな旨みの少ない名誉職を熱心に務めたりはなさらないだろうよ」

 月下の高家ならアリスやレイナの系統だ。その宗家の当主であるならアリスの父で間違いない。教授職をしているとは知らなかった。

「母が言うには姫が金満家に嫁がれて、お暮らし向きも変わったらしい。美麗な馬車で大学に通われるようになったのもその現れだな。かなりのお仕度金が婚家から支払われたそうだから」

「そうなのか?」

「これも母の談だが、お邸に巧い執事がいると複数縁談を進めるんだそうだ。先方を競わせてお仕度金を釣り上げるそうだよ。何とも世知辛いな」

 ロエルは相槌が打てなかった。代わりにビールを飲んだ。話の生々しさのせいか舌に苦く感じた。
 
 アリスの存在は淡い知人の域を出ない。初めて会ったのは五年も前で、ギアー氏の邸でのことだ。邸に婚家の迎えがやって来て、彼女を強引に連れ帰ろうとしていた。口を挟んだロエル自身が、迎えの男に痛烈な嫌味をぶつけられる結末だ。

 無礼に手が出そうになった。瞬時に抑えたのは女性たちの前であることと、遠からず男の言葉は的を射ていたからだった。己に降りかかる火の粉を払えずにいるのに、他人を助ける余裕があるのか? それを自省したためだ。

 当時のアレクジア公爵家の家計は火の車だった。親族の負債を被り困窮していた。できる財産の整理が尽きると、借り入れを行わざるえなかった。その大きな一つがドリトルン家だ。しかし、ないから借りるのですぐに返す目処も立たない。利払いだけを続け、借金の元本はしっかりと残ったままの状態だった。

 公爵家の内情を憂い、自分にできることはないかとロエルはもがき続けた。その答えが領内の鉱山開発だった。土地の伝説に目をつけ調査に歩き回った。ものになる確証があった訳ではない。今では鬱屈した日々からの逃避のような気もしている。すべきことがあるだけ気持ちが楽だった。

 非常に運よくロエルの目論見が当たり、領内から多量の宝石鉱脈が見つかった。そこからは物事が好転し始めた。じきドリトルン家への債務はゼロになった。長らく公爵家に立ち込めていた暗雲はすっかり取り除かれた。

 彼は自分の行動を過小評価もしないが、過大評価もしていない。苦悩する両親を思いできることを考えて行動したに過ぎない、と。それに天が運に味方し望外の結果を生じさせた。少々の勘の良さに根気強さ、そして続けるタフさ。そればかりは自負している。

 ロエルは友人たちと別れ大学を後にした。父が紳士クラブにいるはずなので、そちらで合流しようかと足を向ける。

(嫌な話を聞いたな)

 パブでの噂話が不快だった。姫をドリトルン家に嫁がせたことで、月下の高家は「美麗な馬車」を手に入れたのだという。まるでアリスの値段のように思われて、ふと視線が落ちた。

 彼は経済的な結婚を否定するわけではない。結果それが両者にとって幸福に落ち着く場合もある。友人のギアー氏と夫人のレイナがその好例だ。

 五年ぶりに再会したアリスは、以前と変わらず無垢な姫そのものだった。彼も貴族令嬢を知るが、あれほど清純そうな女性は見たことがない。ああいう人を深窓の姫君というのだろうとも思う。

(そう美しくもないが……)

 高家独特の藍色の瞳と黒髪は艶めいて、ほっそりとした姿は可憐ではある。菓子の支払いが足りずうろたえて泣き出したはずが、すぐのち大口を開けて菓子を頬張って見せた。ロエルを前に照れた様子も見せなかった。

(あの顔……。我慢し切れずにつまみ食いする子供みたいだ)

 思い出して、ちょっと笑みが浮かんだ。

 その無邪気な面影に、先ほどの「美麗な馬車」の不快さが被さっていく。別れ際、ロエルはついおせっかいで、アリスに困り事はないかとたずねた。ドリトルン家での不自由な暮らしを思い遣ってのものだった。ひどい扱いを受けているのなら、今の彼なら行使できる手段もある。

 彼女は軽く首を振った。こちらの気遣いなど感じないようだ。更にロエルは問うた。幸せなのか、と。先の問いの言葉を変えたものだ。彼女にはこちらが伝わりやすいかと思った。

「さあ……」と言ったきり、すぐ彼女は去って行った。おかしなことを聞く男だと怪しんだのかもしれない。けれど裕福な若妻だ。幸せなら口元が綻ぶはずだ。レイナのように美しく匂うように微笑むはずだ。

(いくらぼやっとしたあの人でも、そんな反応はあるはず)

 ないのはやはり、幸福を感じていないからではないか。

 クラブに着き父のいるサロンに入った。面白くもないもの思いは終わる。知人たちと玉突きを少し遊び、腰を上げた父と共にクラブを出た。回された馬車に乗るのは父公爵のみだった。

「友人の家に招かれているんだ」

「ふむ、晩餐にお前がいないと、母上が寂しがるぞ」

「お休みになる前には帰るから、そう伝えて」

「香水の匂いをさせて帰るなよ、母上はあれで勘がいいからな」

 外出の言い訳を見抜かれてロエルはばつが悪い思いだった。ちょっと不貞腐れた顔を見せ、父に頷いた。

 父を乗せた馬車が去り、彼は踵を返す。目的の家までは距離があるが、相手が馬車を乗り付けるのを嫌う。彼も歩くのは苦にならない。

 通りを逸れて路地を入る。見慣れた少年が犬と遊んでいる。目当ての家のドアをノックした。約束はないが、追い返されることはない。取次のメイドが彼を中に通した。

 椅子に寛いでほどなく。女性が階段を降りてきた。はちみつ色の髪をゆったりと高く結っている。ロエルを見て艶然と微笑んだ。

「若様ったら、あんまりお越しがないから、どこかの崖から落ちなさったのかと思ったわ」

「落ちていたら君はどうする? リリーアン」

 リリーアンと呼ばれた女性は答えず、メイドに酒の用意を命じた。彼の隣に腰を下ろしそっと膝に手を置いてから答えた。

「きっと泣くわ。胸が裂けてしまうかも」

 たっぷりとした唇は彼を誘うように半分開いている。ロエルは彼女の顎に指を置き口づけた。唇が離れると囁く。

「今夜はお泊まりになれる?」

「無理だ。王都にいる間は母上孝行しないと。父にも釘を刺されている」

「随分待ちぼうけを食ったのに。つれない方ね」

 軽くにらんで見せるが重ねてねだることもない。そうすることでロエルが気分を害することをわきまえているようだ。そしてそれを願っているようでもない。メイドが運んだ酒をグラスに注ぎ、彼へ差し出す。

 彼がリリーアンと出会ったのは四年前だ。鉱山調査の旅の途中で彼女は遊山の帰りだった。馬車の車輪が壊れ難儀をしていた。それを供と一緒に直してやったのが知り合うきっかけだ。宿まで送り、彼女から誘われ男女の仲になった。彼より四つ歳上だった。身なりはいいが令嬢には思われない。王都に住まうというから、彼の帰郷の際逢瀬が続いた。

 のち、ある老貴族の愛人を務めていると打ち明けられた。他人の思い人に手を出したら場合によっては決闘沙汰だ。彼は焦ったがリリーアンはけろりとしている。「お前は若いんだから、若い男とも遊べですって。いいお爺ちゃまよ」らしい。

 愛人家業の他その経験から女性を探す裕福な男性への斡旋業も行なっている。

 夜が更ける前に、彼はリリーアンの家を出た。

 両親は結婚を催促している。妻を探すとなれば、足の遠のいている社交に精を出すのが定石だ。まず令嬢たちと知り合わなければ始まらない。次に条件の合う女性を絞っていく作業に入る。嫡男としての責務は感じるが、まだその気になれないでいた。

 リリーアンとは互いに「遊び」と割り切ってつき合っている。その距離感が心地よかった。彼女は彼に何も求めない。そこに自分は甘えているのだとも思う。
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