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3.魔法の解けた朝

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まぶしさに目が覚めた。


いつもの朝だ。身体を起こし、伸びをする。


その後で、隣りのコレットの寝顔を眺めるのが日課。可愛い様子は見ていて飽きない。


この日も、当たり前のように隣りに目を向けた。


そのとき、自分の目が信じられなかった。


男がいる。寝ている。


裸の男だ。


乾いた喉からかすれた声が出た。


「誰...、誰...」


遅れて悲鳴が出た。わたしの声に、男が起きた。身を起こし、ぺたぺたと確認するように身体に触れている。


「戻れた」


わたしは彼から距離を置き、ずるずる下がる。下がり過ぎて、寝台から落ちた。


それでも、目の前のショックがはるかに大きく、落下の痛みも何も感じなかった。


「誰なの? どうしてここに...」


自分自身を抱きしめながら彼を見た。金髪のしなやかな身体つきの男性だ。二十才前後か、若いのはわかる。


わたしを見た。淡いグリーンの瞳。整った品のあるきれいな顔立ちだ。


その顔が破顔する。


「コレットだ」

「嘘。あの子をどこにやったの? 無事なの?」


この男がコレットをさらったのか。


わたしは手近の枕やくしなどを投げつけた。男はよけながら、まだおかしそうに笑っている。


腹が立ち、とうとうわたしは壁に飾った剣に手を伸ばした。


「それはいけない」


男がわたしを封じようと腕をつかんだ。立ち上がるから、何も身に着けていない男の裸体が目に入った。わたしは目を逸らし、顔を背けた。


「痴れ者」

「失礼。レディの前で申し訳ない」


腕を離した男が、シーツで下半身をおおった。そして、わたしの肩をつかみ、


「だから、コレットなんだ、僕が。信じてくれないか」


などと言うから、すねを蹴ってやった。


痛みに顔をしかめたものの、男は言い募った。


ある魔法を試していて、それが失敗してしまったという。気づけば知らない場所にいて、何も身に着けていない。


それより衝撃と恐怖だったのが、


「子供になっていたことだ」


と言った。しゃべることも出来なくなっていたと付け加えた。


とりあえず、見つけたもので身をおおい、帰る術を探しさまよった。それが数日続いた。実でも草でも食べた。人に乞うて恵んでもらうこともあった。


「力尽きて死にそうになっていたところを、君が助けてくれたんだ。覚えているだろう? キノコを採っていたじゃないか。君は白馬に乗って、僕を連れてここに帰って来た。ジュードもいた。ね?」


男の言う言葉のすべてがわたしの記憶とぴたりと一致する。確かに、コレットは消えていた。しかし、そんなことが起こるのだろうか。


ドラゴンの末裔が治める国と伝えられてきた。しかし、ドラゴンなど絶えて久しい。魔法使いや呪術者など、金持ちを狙った偽物ばかりが世を横行している。


にわかには信じ難い。わたしは頭を振った。


少なくとも、男からは危険な匂いがしなかった。剣を持つ気も失せてしまった。


「元の姿に戻ったところで、どうするの?」

「帰らないと。ずいぶん経ってしまった」


男は窓辺に向かい、窓を開け放った。指笛を吹く。その音はひどく高く、鋭く響いた。どれほどかして、一羽の白い鳥が窓辺に降り立った。


彼の腕にとまる。


「書くものをくれないか」


言われて、日記帳の端を破いてペンと一緒に差し出した。彼は礼を言い、小さくした紙片に何か書き込んでいる。


それを鳥の脚に結わえ付けた。


「行っておいで」


優しく羽を一なでされた鳥が、窓辺から飛び立った。


どこへ向かうのだろう。


男は寝台に座り、


「何か食べるものはない? 元に戻ったら、ずごく空腹なんだ」


などとのんきなことを言った。


わたしは衣装をつかんで、部屋を出た。彼の前で着替えは出来ない。


あの男は本当にコレットなのか。


そうでない可能性として浮かぶのは、男とコレットが夕べのある時点で入れ替わった。または、これは考えたくないが、コレットが手引きしてあの男を館に招き入れた。


もしくは、館の誰かがわたしをからかうために一芝居打った、か。


しかし、それらに何の意味があるのかと、更に自分に問えば、わたしは何も返せなくなる。


信じ難いが、あれが、コレットなら。


これまで、何度も小さな彼の前であられもない格好になっていたことを思い出し、顔から火が出る思いだった。


「あああああああああああああああああああああああああああああああ!」


殺した声で叫び、わたしは階下に降りた。



台所でエリーが用意していた朝食を分けてもらって来た。変な顔をされたがごまかしておいた。


「ありがとう」


リンゴを手にした彼がおいしそうにかじりつく。上背もある引きしまった身体は、細身ながらよく鍛えられているよう。


リンゴをかじる彼の唇が夕べ、わたしの胸を吸っていたことを思い出し、どうしようもなくうろたえた。

あれは、幼児化した彼の行動で、今の彼とは関係がない。きっとそう。


軸だけになったリンゴを放し、サンドイッチをくわえた彼が、咀嚼しながら、


「ライナスは信用しない方がいい」


と言う。


「え」

「あいつは、君や他の者の前だと調子がいいが、僕一人だとがらりと態度が違う。蹴とばされたことだってある。それに元騎士だと言うのも嘘だ」

「何を言っているの? あんなに良くしてくれていたじゃない」


彼はちらりとわたしを見て、口の中の物をのみ込んだ。


「力のない子供に暴力を振るう大人は、軽蔑すべきだ」


その言葉は、わたしの過去ときれいに一致し、返す言葉がなかった。わたしからライナスを見た印象と、この彼のそれが同じとは限らない。しかも、蹴とばされたとまで言っている。今、こんな嘘をつく理由も見当たらない。


「ライナスが元騎士じゃないって、どうしてわかるの?」

「型はそれらしい。けれど、太刀筋もでたらめで基礎がない。素人しか騙せないよ」


「でも御前試合をしたって…」

「だから嘘だ。王宮の騎士は精鋭ぞろいだ。僕だって敵わないのが何人もいる」


え。


僕だって?


彼の言葉は肝心な説明が抜け、意味がわかり辛い。


「でも、何のために、そんな嘘をつくの?」

「その経歴で君はライナスを雇ったのだろう。充分嘘の意味があるじゃないか。嘘を多用する人間は、側に置かない方がいい」


そのとき、地面を蹴る馬のひづめの音がした。幾つも重なり、すごい騎馬数だとわかる。


お茶をがぶ飲みしてからカップを置き、彼が立ち上がった。窓辺に立ち、そこから外へ手を振っている


何が起こるの?


わたしも彼の側へ行き、窓から外を見下ろした。そこには青いマントをなびかせた騎馬団が我が領地を走り、この館へ向かってくる姿が見えた。


眺めている間に、近くなる。


ちょっと呆けたようにしているうちに、階下が騒がしくなった。たくさんのブーツの靴の音がどかどかと近づく気配がする。


扉が開いた。


黒髪の男が元コレットを認め、すぐに片膝をつきかしこまった。


「お探し申し上げました。アリヴェル殿下」


え。


「悪かった、ウィル。連絡も取れない状況だったんだ。心配をかけた」

「いえ、ご無事で何よりでございます」


ウィルと呼ばれた男が背後に合図を送った。また部屋に軍服が増えた。彼らは何か捧げ持っている。


彼らは、元コレットのシーツを取り去り、素早く衣装をまとわせ始めた。わたしはシーツがが外れたところで背を向けたけれども。


「ダーシー」


名を呼ばれ、振り返った。


そこには白いシャツにズボンとブーツを身に着け、マントを重ねた彼の姿があった。金の髪がひたいにやや長めに流れている。驚くほどに凛々しくて素敵な姿だった。


「ありがとう。君のおかげで今がある」


彼はともかく、隣りに控えたウィルの威圧感が強く、わたしは膝を折った。驚きの連続で、理解が途切れそうになる。ともかく、元コレットはアリヴェル王子らしい。


そのまま彼は囲まれるように、部屋を出て行く。


わたしも階下に降りた。使用人たちがみなあっけにとられた様子で集団を見送っている。


「お嬢様、一体何なのでしょう?」


マリアの上ずった問いかけに、わたしも今は首を振るだけでしか返せない。


玄関のところで彼らを見送っていると、ふと、騎馬する前のコレットと目が合った。手招きする。


側に行くと、彼は指であごをつまみ、少しはにかんだ表情を見せた。


「いろいろ楽しかった」


その「楽しかった」に、瞬時彼とのあれこれがよみがえる。寝台で彼が繰り返したわたしへのいたずら。風呂にだって入ったこともあった。


でもあれは、心も身体も子供に戻った彼の行動で、本来の彼とは違うのだから。自分に言い聞かせる。


「わたしも子供を持てた気分になれたから」

「え。いや...、僕は子供ではなかったんだ。中身は」


「え、じゃあ…」

「すまない。男の本能だ」


「じゃあ、あの夕べのあれも?」

「まあ、そうなるね。だから、詫びている」


詫びられたって、どうしようもない。


行き遅れでも気持ちは乙女だ。大事なものを、許してもいないのに奪われたようで悲しくなった。恥ずかしさに切なさが混じり、泣きたい気分になる。


「責任は取る」


さわやかに言い、彼は馬上の人となった。空を見上げ、上空を指さして見せる。


「見て。ドラゴンの吐息だ」


空を見た。そこには雲がやや朱色をにじませて長くたなびいている。朝であるのに。夕日のような色身を帯びて空を横たわる雲をドラゴンの吐息と呼んだ。吉兆の知らせといいひどく縁起がいい。


初めて見た。


「また会おう」


わたしが顔を戻してすぐ、王子を乗せた馬は走り出した。すぐに遠くなる。


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