4 / 26
3.魔法の解けた朝
しおりを挟むまぶしさに目が覚めた。
いつもの朝だ。身体を起こし、伸びをする。
その後で、隣りのコレットの寝顔を眺めるのが日課。可愛い様子は見ていて飽きない。
この日も、当たり前のように隣りに目を向けた。
そのとき、自分の目が信じられなかった。
男がいる。寝ている。
裸の男だ。
乾いた喉からかすれた声が出た。
「誰...、誰...」
遅れて悲鳴が出た。わたしの声に、男が起きた。身を起こし、ぺたぺたと確認するように身体に触れている。
「戻れた」
わたしは彼から距離を置き、ずるずる下がる。下がり過ぎて、寝台から落ちた。
それでも、目の前のショックがはるかに大きく、落下の痛みも何も感じなかった。
「誰なの? どうしてここに...」
自分自身を抱きしめながら彼を見た。金髪のしなやかな身体つきの男性だ。二十才前後か、若いのはわかる。
わたしを見た。淡いグリーンの瞳。整った品のあるきれいな顔立ちだ。
その顔が破顔する。
「コレットだ」
「嘘。あの子をどこにやったの? 無事なの?」
この男がコレットをさらったのか。
わたしは手近の枕やくしなどを投げつけた。男はよけながら、まだおかしそうに笑っている。
腹が立ち、とうとうわたしは壁に飾った剣に手を伸ばした。
「それはいけない」
男がわたしを封じようと腕をつかんだ。立ち上がるから、何も身に着けていない男の裸体が目に入った。わたしは目を逸らし、顔を背けた。
「痴れ者」
「失礼。レディの前で申し訳ない」
腕を離した男が、シーツで下半身をおおった。そして、わたしの肩をつかみ、
「だから、コレットなんだ、僕が。信じてくれないか」
などと言うから、すねを蹴ってやった。
痛みに顔をしかめたものの、男は言い募った。
ある魔法を試していて、それが失敗してしまったという。気づけば知らない場所にいて、何も身に着けていない。
それより衝撃と恐怖だったのが、
「子供になっていたことだ」
と言った。しゃべることも出来なくなっていたと付け加えた。
とりあえず、見つけたもので身をおおい、帰る術を探しさまよった。それが数日続いた。実でも草でも食べた。人に乞うて恵んでもらうこともあった。
「力尽きて死にそうになっていたところを、君が助けてくれたんだ。覚えているだろう? キノコを採っていたじゃないか。君は白馬に乗って、僕を連れてここに帰って来た。ジュードもいた。ね?」
男の言う言葉のすべてがわたしの記憶とぴたりと一致する。確かに、コレットは消えていた。しかし、そんなことが起こるのだろうか。
ドラゴンの末裔が治める国と伝えられてきた。しかし、ドラゴンなど絶えて久しい。魔法使いや呪術者など、金持ちを狙った偽物ばかりが世を横行している。
にわかには信じ難い。わたしは頭を振った。
少なくとも、男からは危険な匂いがしなかった。剣を持つ気も失せてしまった。
「元の姿に戻ったところで、どうするの?」
「帰らないと。ずいぶん経ってしまった」
男は窓辺に向かい、窓を開け放った。指笛を吹く。その音はひどく高く、鋭く響いた。どれほどかして、一羽の白い鳥が窓辺に降り立った。
彼の腕にとまる。
「書くものをくれないか」
言われて、日記帳の端を破いてペンと一緒に差し出した。彼は礼を言い、小さくした紙片に何か書き込んでいる。
それを鳥の脚に結わえ付けた。
「行っておいで」
優しく羽を一なでされた鳥が、窓辺から飛び立った。
どこへ向かうのだろう。
男は寝台に座り、
「何か食べるものはない? 元に戻ったら、ずごく空腹なんだ」
などとのんきなことを言った。
わたしは衣装をつかんで、部屋を出た。彼の前で着替えは出来ない。
あの男は本当にコレットなのか。
そうでない可能性として浮かぶのは、男とコレットが夕べのある時点で入れ替わった。または、これは考えたくないが、コレットが手引きしてあの男を館に招き入れた。
もしくは、館の誰かがわたしをからかうために一芝居打った、か。
しかし、それらに何の意味があるのかと、更に自分に問えば、わたしは何も返せなくなる。
信じ難いが、あれが、コレットなら。
これまで、何度も小さな彼の前であられもない格好になっていたことを思い出し、顔から火が出る思いだった。
「あああああああああああああああああああああああああああああああ!」
殺した声で叫び、わたしは階下に降りた。
台所でエリーが用意していた朝食を分けてもらって来た。変な顔をされたがごまかしておいた。
「ありがとう」
リンゴを手にした彼がおいしそうにかじりつく。上背もある引きしまった身体は、細身ながらよく鍛えられているよう。
リンゴをかじる彼の唇が夕べ、わたしの胸を吸っていたことを思い出し、どうしようもなくうろたえた。
あれは、幼児化した彼の行動で、今の彼とは関係がない。きっとそう。
軸だけになったリンゴを放し、サンドイッチをくわえた彼が、咀嚼しながら、
「ライナスは信用しない方がいい」
と言う。
「え」
「あいつは、君や他の者の前だと調子がいいが、僕一人だとがらりと態度が違う。蹴とばされたことだってある。それに元騎士だと言うのも嘘だ」
「何を言っているの? あんなに良くしてくれていたじゃない」
彼はちらりとわたしを見て、口の中の物をのみ込んだ。
「力のない子供に暴力を振るう大人は、軽蔑すべきだ」
その言葉は、わたしの過去ときれいに一致し、返す言葉がなかった。わたしからライナスを見た印象と、この彼のそれが同じとは限らない。しかも、蹴とばされたとまで言っている。今、こんな嘘をつく理由も見当たらない。
「ライナスが元騎士じゃないって、どうしてわかるの?」
「型はそれらしい。けれど、太刀筋もでたらめで基礎がない。素人しか騙せないよ」
「でも御前試合をしたって…」
「だから嘘だ。王宮の騎士は精鋭ぞろいだ。僕だって敵わないのが何人もいる」
え。
僕だって?
彼の言葉は肝心な説明が抜け、意味がわかり辛い。
「でも、何のために、そんな嘘をつくの?」
「その経歴で君はライナスを雇ったのだろう。充分嘘の意味があるじゃないか。嘘を多用する人間は、側に置かない方がいい」
そのとき、地面を蹴る馬のひづめの音がした。幾つも重なり、すごい騎馬数だとわかる。
お茶をがぶ飲みしてからカップを置き、彼が立ち上がった。窓辺に立ち、そこから外へ手を振っている
何が起こるの?
わたしも彼の側へ行き、窓から外を見下ろした。そこには青いマントをなびかせた騎馬団が我が領地を走り、この館へ向かってくる姿が見えた。
眺めている間に、近くなる。
ちょっと呆けたようにしているうちに、階下が騒がしくなった。たくさんのブーツの靴の音がどかどかと近づく気配がする。
扉が開いた。
黒髪の男が元コレットを認め、すぐに片膝をつきかしこまった。
「お探し申し上げました。アリヴェル殿下」
え。
「悪かった、ウィル。連絡も取れない状況だったんだ。心配をかけた」
「いえ、ご無事で何よりでございます」
ウィルと呼ばれた男が背後に合図を送った。また部屋に軍服が増えた。彼らは何か捧げ持っている。
彼らは、元コレットのシーツを取り去り、素早く衣装をまとわせ始めた。わたしはシーツがが外れたところで背を向けたけれども。
「ダーシー」
名を呼ばれ、振り返った。
そこには白いシャツにズボンとブーツを身に着け、マントを重ねた彼の姿があった。金の髪がひたいにやや長めに流れている。驚くほどに凛々しくて素敵な姿だった。
「ありがとう。君のおかげで今がある」
彼はともかく、隣りに控えたウィルの威圧感が強く、わたしは膝を折った。驚きの連続で、理解が途切れそうになる。ともかく、元コレットはアリヴェル王子らしい。
そのまま彼は囲まれるように、部屋を出て行く。
わたしも階下に降りた。使用人たちがみなあっけにとられた様子で集団を見送っている。
「お嬢様、一体何なのでしょう?」
マリアの上ずった問いかけに、わたしも今は首を振るだけでしか返せない。
玄関のところで彼らを見送っていると、ふと、騎馬する前のコレットと目が合った。手招きする。
側に行くと、彼は指であごをつまみ、少しはにかんだ表情を見せた。
「いろいろ楽しかった」
その「楽しかった」に、瞬時彼とのあれこれがよみがえる。寝台で彼が繰り返したわたしへのいたずら。風呂にだって入ったこともあった。
でもあれは、心も身体も子供に戻った彼の行動で、本来の彼とは違うのだから。自分に言い聞かせる。
「わたしも子供を持てた気分になれたから」
「え。いや...、僕は子供ではなかったんだ。中身は」
「え、じゃあ…」
「すまない。男の本能だ」
「じゃあ、あの夕べのあれも?」
「まあ、そうなるね。だから、詫びている」
詫びられたって、どうしようもない。
行き遅れでも気持ちは乙女だ。大事なものを、許してもいないのに奪われたようで悲しくなった。恥ずかしさに切なさが混じり、泣きたい気分になる。
「責任は取る」
さわやかに言い、彼は馬上の人となった。空を見上げ、上空を指さして見せる。
「見て。ドラゴンの吐息だ」
空を見た。そこには雲がやや朱色をにじませて長くたなびいている。朝であるのに。夕日のような色身を帯びて空を横たわる雲をドラゴンの吐息と呼んだ。吉兆の知らせといいひどく縁起がいい。
初めて見た。
「また会おう」
わたしが顔を戻してすぐ、王子を乗せた馬は走り出した。すぐに遠くなる。
18
お気に入りに追加
344
あなたにおすすめの小説
【完結】私、噂の令息に嫁ぎます!
まりぃべる
恋愛
私は、子爵令嬢。
うちは貴族ではあるけれど、かなり貧しい。
お父様が、ハンカチ片手に『幸せになるんだよ』と言って送り出してくれた嫁ぎ先は、貴族社会でちょっとした噂になっている方だった。
噂通りなのかしら…。
でもそれで、弟の学費が賄えるのなら安いものだわ。
たとえ、旦那様に会いたくても、仕事が忙しいとなかなか会えない時期があったとしても…。
☆★
虫、の話も少しだけ出てきます。
作者は虫が苦手ですので、あまり生々しくはしていませんが、読んでくれたら嬉しいです。
☆★☆★
全25話です。
もう出来上がってますので、随時更新していきます。
【完結】私のことを愛さないと仰ったはずなのに 〜家族に虐げれ、妹のワガママで婚約破棄をされた令嬢は、新しい婚約者に溺愛される〜
ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
とある子爵家の長女であるエルミーユは、家長の父と使用人の母から生まれたことと、常人離れした記憶力を持っているせいで、幼い頃から家族に嫌われ、酷い暴言を言われたり、酷い扱いをされる生活を送っていた。
エルミーユには、十歳の時に決められた婚約者がおり、十八歳になったら家を出て嫁ぐことが決められていた。
地獄のような家を出るために、なにをされても気丈に振舞う生活を送り続け、無事に十八歳を迎える。
しかし、まだ婚約者がおらず、エルミーユだけ結婚するのが面白くないと思った、ワガママな異母妹の策略で騙されてしまった婚約者に、婚約破棄を突き付けられてしまう。
突然結婚の話が無くなり、落胆するエルミーユは、とあるパーティーで伯爵家の若き家長、ブラハルトと出会う。
社交界では彼の恐ろしい噂が流れており、彼は孤立してしまっていたが、少し話をしたエルミーユは、彼が噂のような恐ろしい人ではないと気づき、一緒にいてとても居心地が良いと感じる。
そんなブラハルトと、互いの結婚事情について話した後、互いに利益があるから、婚約しようと持ち出される。
喜んで婚約を受けるエルミーユに、ブラハルトは思わぬことを口にした。それは、エルミーユのことは愛さないというものだった。
それでも全然構わないと思い、ブラハルトとの生活が始まったが、愛さないという話だったのに、なぜか溺愛されてしまい……?
⭐︎全56話、最終話まで予約投稿済みです。小説家になろう様にも投稿しております。2/16女性HOTランキング1位ありがとうございます!⭐︎
【本編完結済み】二人は常に手を繋ぐ
ハチ助
恋愛
【あらすじ】6歳になると受けさせられる魔力測定で、微弱の初級魔法しか使えないと判定された子爵令嬢のロナリアは、魔法学園に入学出来ない事で落胆していた。すると母レナリアが気分転換にと、自分の親友宅へとロナリアを連れ出す。そこで出会った同年齢の伯爵家三男リュカスも魔法が使えないという判定を受け、酷く落ち込んでいた。そんな似た境遇の二人はお互いを慰め合っていると、ひょんなことからロナリアと接している時だけ、リュカスが上級魔法限定で使える事が分かり、二人は翌年7歳になると一緒に王立魔法学園に通える事となる。この物語は、そんな二人が手を繋ぎながら成長していくお話。
※魔法設定有りですが、対人で使用する展開はございません。ですが魔獣にぶっ放してる時があります。
★本編は16話完結済み★
番外編は今後も更新を追加する可能性が高いですが、2024年2月現在は切りの良いところまで書きあげている為、作品を一度完結処理しております。
※尚『小説家になろう』でも投稿している作品になります。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
【完結】許婚の子爵令息から婚約破棄を宣言されましたが、それを知った公爵家の幼馴染から溺愛されるようになりました
八重
恋愛
「ソフィ・ルヴェリエ! 貴様とは婚約破棄する!」
子爵令息エミール・エストレが言うには、侯爵令嬢から好意を抱かれており、男としてそれに応えねばならないというのだ。
失意のどん底に突き落とされたソフィ。
しかし、婚約破棄をきっかけに幼馴染の公爵令息ジル・ルノアールから溺愛されることに!
一方、エミールの両親はソフィとの婚約破棄を知って大激怒。
エミールの両親の命令で『好意の証拠』を探すが、侯爵令嬢からの好意は彼の勘違いだった。
なんとかして侯爵令嬢を口説くが、婚約者のいる彼女がなびくはずもなく……。
焦ったエミールはソフィに復縁を求めるが、時すでに遅し──
「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~
卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」
絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。
だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。
ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。
なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!?
「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」
書き溜めがある内は、1日1~話更新します
それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります
*仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。
*ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。
*コメディ強めです。
*hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!
出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です
流空サキ
恋愛
王太子妃に選ばれるのは公爵令嬢であるエステルのはずだった。結果のわかっている出来レースの王太子妃選。けれど結果はまさかの敗北。
父からは勘当され、エステルは家を飛び出した。頼ったのは屋敷を出入りする商人のクレト・ロエラだった。
無一文のエステルはクレトの勧めるままに彼の邸で暮らし始める。それまでほとんど外に出たことのなかったエステルが初めて目にする外の世界。クレトのもとで仕事をしながら過ごすうち、恩人だった彼のことが次第に気になりはじめて……。
純真な公爵令嬢と、ある秘密を持つ商人との恋愛譚。
【完結済】姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです
鳴宮野々花@軍神騎士団長1月15日発売
恋愛
王国の片田舎にある小さな町から、八歳の時に母方の縁戚であるエヴェリー伯爵家に引き取られたミシェル。彼女は伯爵一家に疎まれ、美しい髪を黒く染めて使用人として生活するよう強いられた。以来エヴェリー一家に虐げられて育つ。
十年後。ミシェルは同い年でエヴェリー伯爵家の一人娘であるパドマの婚約者に嵌められ、伯爵家を身一つで追い出されることに。ボロボロの格好で人気のない場所を彷徨っていたミシェルは、空腹のあまりふらつき倒れそうになる。
そこへ馬で通りがかった男性と、危うくぶつかりそうになり──────
※いつもの独自の世界のゆる設定なお話です。何もかもファンタジーです。よろしくお願いします。
※この作品はカクヨム、小説家になろう、ベリーズカフェにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる