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11.二人の約束
しおりを挟む高級車がずらりと並び、そこから降りた人々が、赤いじゅうたんの敷かれた階段を上る。ヨーコがジョンにエスコートされているのが見えた。
本能寺での一夜で、ナーバスでセンシティブになっていたようだけれど、仲のよさそうな二人を見てほっとする。
そして、じぶんがちょっと寂しくなるのだ。
集まった令嬢たちは、ひとかたまりに控えの間に集められた。銘々が気合の入ったドレス姿だ。手に毛皮の飾りを巻いた者。首にファーを巻いた者。大胆にドレスにトラをあしらった者もある。猫耳やウサギ耳がやっぱり多い。
工夫してあってそれぞれユニークできれいだ。
その中でひときわ目立つのが、わたしの巨大な餓狼のしっぽだ。一振りでヤギを殺せそうな威圧感がこもる、母入魂の品だ。
扉が開く。
シャンデリアの照明がまぶしい大きなホールだ。大理石の床が光り照明を照り返す。あたりは輝くようだった。
一人一人、名を呼ばれ、王と王妃の前に進み出る。
わたしは、寺子屋がああでこうだったから、数か月前まで両陛下の存在も知らなかった。なのに、今のわたしは、お二人に顔を見て名を呼んでいただけることの誇らしさに、胸が熱くなるのだ。
ナーロッパ王国万歳!!
「ゼログラビティ侯爵家 レディ・ディー」
呼ばれて、進み出る。ひざまずき、お声を待った。
「王子からそなたのことは聞いている。会いたかったのだ」
王のお声だ。
え?
王子?
お言葉の意味がわからない。
お許しがあり、顔を上げた。端正なお顔には、お年相応のしわが刻まれたとても優美な印象のお方だった。王妃様もお優しそうに微笑まれている。
「先のゼログラビティ侯は、お元気? また血の道のお薬を調合していただきたいわ」
「元気にしております。ありがとうございます」
それを口にするのが精一杯だ。ふと、すぐ側でくすっとした笑い声が聞こえた。視線をそちらに向ける。
王のお隣に立つのは、イライジャ先生だった。この日は汚い白衣ではなく、群青の立派な礼装姿をしている。
え。
どうして?
目が合い。彼が微笑んだ。
すぐに次の順番が迫っている。わたしは頭を下げ、マナーにのっとり、静かに下がった。
けれども、心は破裂しそうに波打っていた。
ヨーコを探すが見当たらない。誰でもいい。
どうしてイライジャ先生がここにいるのか教えてほしい。
令嬢たちの拝謁が住み、ホールは静まり返った。
そこで朗々とした声が、告げた。
「ランハート王太子殿下より、お相手の名誉を賜ります」
ひそひそとした小さなざわめきが、わたしの周囲で起こった。一人、意味がわからず、わたしはまたも取り残された。
ヨーコ、どこよ。
瞳が泳ぎ、ヨーコの姿を探す。
「ゼログラビティ公爵令嬢、レディ・ディー」
音にならない、息を飲むような声があちこちで上がる。ふとしっぽを引かれた。振り返るとそこにヨーコがいた。
「ちょ、イライジャ、先、何で、王太子って、名誉なの、ジョン?」
すべての疑問を詰め込み過ぎて、ヨーコはぽかんとした顔だ。けれど、耳元に顔を寄せてささやく。
「ディー、あなた、王子様の初めてのダンスのお相手に選ばれたのよ。大変な名誉よ」
「え」
再び名が呼ばれ、わたしは前を向いた。ホールの中央には、既にイライジャ先生がいて、わたしへ手を伸べ待っている。
なんて素敵なんだろう。すっきりと美しい姿に、胸が鳴り続けて苦しい。
少し急ぎ足で彼の許へ向かう。
前に立つと手を取られた。それが合図のように、静かに音楽が始まる。
おじい様にしごかれ、厳しい朝練を重ねた仕草とステップで、何とか乗り切る。最後のターンでやや息が上がった。でも、それはダンスだけのせいじゃない。彼と一緒にいるからだ。
大きな拍手が上がった。
その拍手の中で、イライジャ先生にささやいた。
「イライジャ先生じゃないんですか?」
「本名であんな真似は出来ない。公爵の弟というのも仮の身分だ。君がイライジャの名が気に入ったのなら、そう呼んでくれても構わない」
「王子様なんですか?」
「ああ、そうだよ」
王家の密命を拝しうんたら、は世相を憂えたご自分のことだったのね。
彼はわたしの手を取り、人波を抜けた。テラスへ導く。背後のホールでは、再び音楽が始まり、ドレスの令嬢たちが華やかに舞うのが見える。ヨーコとジョンも踊っている。
「中流学園に異動になったって聞きました。また密偵を続けるんですか?」
「そうだね、時間のある時は」
そこでまた、わたしのような都合のいい女生徒を見つけるのだろうか。そして、また本能寺に行って...。
涙が浮かび、わたしは彼に背を向けた。ぱしっ、と彼の脚を打つなかなかにいい音がした。餓狼のしっぽが彼の脚を打ったのだ。慌てて振り返る。
「ごめんなさい。先生、痛くない?」
「いや、大丈夫。いいもふもふだね。触っていい?」
「どうぞ」
彼の手がわたしのしっぽに触れた。
「すごいな、これは。本物のメス狼の授乳期の毛で作られている」
「母の手作りです」
「素晴らしいよ。お母上の審美眼は名人級だ」
この彼が「もふもふパーティー」を率いていたのは、完全に趣味なのだろう。今ではそんなところもお茶目ですこぶる可愛い。
謎は解けた。疑問も解消した。
強く後ろ髪を引かれる思いで、彼の前から去ろうとした。王子様の彼は、わたしが一人占めしていい相手ではない。
彼は今から他の令嬢たちと踊り会話をし、お気に入りを見つけるのだ。
「どこへ行くの?」
「だって、先生はたくさんの女の子と踊らないと」
「僕の相手はもう決まっているのに」
「え」
ぎゅっと手を握られた。引き寄せられる。
「僕に兄の代わりは務まらない? 僕にフィンを重ねて見ていてもいい」
「そんな」
わたしは腕の中で首を振る。違う。初恋の君と彼が違うと知っていて、わたしはイライジャ先生が好きなのだ。
「君のことばかり考えている。おかしいくらい」
「うれしい」
「プロポーズは性急だろうか? 君を他の誰かにとられたくない。ほら、君にはあの別館の幼なじみが...」
ノーモアカルビ。ノーモア。
わたし激しく首を振る。
「じゃあ、決まりだ。僕の花嫁になってほしい。きっと幸せにする。いいね?」
「はい」
わたしも先生をきっと幸せにしよう。わたしといることで、肉を食べない彼にも、まるで肉を噛みしめるような幸福感をあげたい。
見つめ合い、わたしたちは月光の陰りに隠れてキスをした。
それは長く。
最後までお読みいただきまことにありがとうございます。
終
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