目覚めたら男爵令嬢でした〜他人の世界の歩き方〜

帆々

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問題

4、ノアのいる場所

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 ブルーの邸に着いたのは旅立ってから、ちょうど九日目の夕刻だった。

 共をしてくれたメイドに礼を言い、このまま休むように告げた。彼女は居間に向かった。長旅で疲れていた。入ってすぐに靴を脱ぎ、裸足で書き物机に向かう。溜まっている手紙類を確認するためだ。

 束になったそれを抱えて、椅子に座る。行儀悪いが一人だ。足を伸ばして寝転んだ。

 その時、咳払いが聞こえ、ぎょっとなる。

「ジョシュ?」

 彼女は身を起こした。それと同時に、椅子から立ち上がるアシュレイの姿が目に入る。

(どうして?)

 寂れた居間に、隙のない完璧な紳士姿の彼は浮き立って見える。ぽかんと彼を見る彼女の側に来た。

「その様子だと、無事のようだね」

 言葉になぜか皮肉が混じるのを感じた。不機嫌な表情で彼女を見ている。

「あの、何かわたしにご用?」

 彼は唇を噛んで顔を背けた。彼女の言葉で明らかに気分を害したようだ。それに慌てた。彼の手を取り、座るように促す。

「怒っていらっしゃるの? どうかして?」

 何とか座らせ、その隣に掛けた。様子をうかがう。彼はむすっと唇を引き結んだままだ。男性は空腹になると扱いにくいと彼女は信じている。ベルを振った。

 現れたメイドにお茶の用意を頼んだ。こっそりと靴も履く。

「どこへ行っていたの?」

「…行きたいところがあって、北州の方へ」

「前に言っていたオーブリーの古城のこと?」

「え」

「キアヌの妻のエミリーと君がその土地の話をしていた」

 よく記憶していると驚いた。キアヌ夫妻の結婚パーティーで、そんなことがあった。

 お茶が届き、彼女はカップに注いだそれを彼へ渡した。厨房に生地から教えたケーキもある。邸ではジョシュの夜食用に作り置くことが多い。

 ケーキを大きく切り分けて差し出すと、彼の腹の音が聞こえた。

(やっぱり)

 旨そうに頬張った後で、

「ありがとう、おいしかった」

 と、少しだけ表情を和ませた。

「先生、ちょっと怒っていらっしゃるみたいだったわ」

「心配したんだ。いきなり君が消えて。ジョシュは何も知らないと言うし…。意味がわからない」

 彼女の旅立ちは本当に急なものだった。取り急ぎ、『ブルー・ティールーム』の予約客に手紙で休業の連絡を取った。邸の者にはほぼ同じ内容の書き置きを残しただけだった。

 隣りの彼の顔をうかがう。瞳を下げた横顔はやはり硬く見えた。

 彼に告げることは思いも寄らなかった。あの時は気持ちも塞ぎ、説明も煩わしく思えた。

(どうせ、全部嘘になるから)

 彼女は彼の手を取り、自分の膝で重ねた。

「いらして下さったのね、留守にしてごめんなさい」

「邸に招待したかったんだ。それはいい。一人でどこに行っていたの?」

「一人じゃないの。メイドを連れていたわ。先生のおっしゃるように、オーブリーの古城を見に」

「急に?」

 ノアの目の奥を探るような視線だった。彼女は流さず受け止めた。

「ええ。前からの願いだったから。思い立って、何だか気持ちが止まらなくなったの。ほら、わたし旅を知らないから」

「僕は、毎日ここへ来て君を待っていた」

「え」

 この日だけのことではなかったことに驚く。

(大袈裟な)

 との呆れも大きい。旅で留守にすると書いたのだから、そう受け取るのが普通だろう。当初の彼女の切羽詰まった思いなど、少しも記していない。

「書き置きに十日ほどだって書いたわ。その頃いらしてくれたら…」

「君がいなくなった理由がわからないんだ。十日の意味もわからない。そんな書き置きなんか、帰る根拠にならない」

 静かに彼が激昂しているのが伝わる。彼女が不意に消えたことで、彼はひどく動揺したのがわかる。

 ふと気づいた。

(オードリーさんだって、前触れなく急に亡くなったのだったわ)

 彼女の行為は、意図せずに妻を亡くした彼の過去の傷を抉っていたのかもしれない。それで不安を強くかき立ててしまったのではないか。

 ただでさえ、彼女たちは似ている。

(失った恐ろしさを思い出してしまっても、おかしくない)

 彼女は手を握り、彼の腕に甘えるように頬を寄せた。敢えて指を絡ませる。積極的な仕草が恥ずかしいが、

(傷つけてしまったのかも)

 と、申し訳なさがあふれていた。彼への説明を省いた自分を責めた。そして、ララへの責任や心配が消えた帰路は、のんきに旅を楽しんでいた自分を恥じた。

 (身勝手だったわ。自分の中の正義や不安にしか目が向かなかった。わたしが消えることは、この人を裏切ることなのに)

「ごめんなさい。不用意だったわ」

「オーブリーの城なら、僕が連れて行くのに。君の望む場所なら、どこにでも」

「ありがとう。嬉しいわ。でも、今回は自分だけでやりたかったの」

「そう」

 彼女が気づいた時には肩を抱かれていた。身を伏せた彼がそっと口づける。どれほどか重なった後で離れた。

 その仕草に陶然となる彼女へ、

「君をかけがえなく思っている」

 と、告げる。

「勝手に消えないと約束してほしい」

「ええ」

 なぜだか、この時ララの顔が浮かんだ。ララはただ幸福だけを願い、今の自分を愛して生きている。
 それがこれからの彼女への答えに思えた。

(わたしにも出来るわ)
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