上 下
35 / 47
過去

6、王宮

しおりを挟む
 アシュレイが王妃のサロンに現れたのは、王が退室してからだった。

 サロンには王妃とジュリ王女、弟のリアム王太子がいた。挨拶の後で、末席に彼が座った。王妃は彼の亡母の妹で、叔母に当たる。

 お茶が供された。テーブルに並んだ茶菓子に見覚えがあった。王女に勧められて、また夕食を抜いていたため、遠慮なく手を伸ばした。口に入れるまでは、何も考えなかった。

 食べてすぐだ。

(え)

 思考が止まった。

 以前、探偵からノアの作った菓子だと渡されたものと、形だけでなく味も同じだった。

「どう?」

 王女に問われ、彼は狼狽えながら頷いた。彼が知らないだけで、ノアの作った菓子はよくあるものなのかもしれない。

「大変おいしいです」

「ね。お父様もたくさん召し上がったわ」

 王妃主催の園遊会の話題が始まった。王宮の庭で開かれる大規模なものだ。ほぼ毎年開かれるそれに、彼は王太子の側に控えることが常だった。

 王妃が彼へ小さな合図をした。彼はそれに応えて頷く。ジュリ王女の婿候補の最終調査の件だ。今夜やって来たのもそのためだった。

「夜も更けたわ。そろそろ部屋にお戻りなさい」

 王妃の声に、王太子は素直に従った。病弱気味で若干幼いところがあるため、母親の言葉には従順だ。対して、健康な姉王女は子供扱いに不満のため息をもらした。

 二人を立って見送った後、彼は王妃に報告を済ませた。

 婿候補は三人にまで絞られていた。園遊会では内定した婚約の下披露が出来れば、との王宮の意向があった。

「どの方にも傷なんてないのに、粗探しのようで嫌だわ」

 そこへ王が戻り、改めてアシュレイは調査の結果を報告した。王女の意向を聞くということで落ち着き、彼はほどなくして御前を辞した。

 そのまま帰るつもりだったが、何となく気がかりで、王女の宮殿へ足を向けた。サロンへ向かう途中で、侍女長のクラリスに会った。王女への取次ぎを頼む。

「お休みだったら、構わないんだ。失礼するから。名前も残さなくていい」

 九時を回っている。普段なら、クラリスは両親等王族以外の取次ぎはしない。所用でどうしても今日中に王女の意向を確認したいと迫る女官らにも、ニベない態度を取るのが常だった。

「少々お待ちになって。今、ジュリ様へ声をおかけして参りますから」

 親しみを込め、微笑みを浮かべて応じる。

 他の侍女らが見れば、アシュレイへの好意が露わなのだが、残念ながら彼は気づかない。

 許可があり、サロンに通された。

 彼の姿を見て、王女はちょっとうんざりとした表情を見せた。

「お母様から何かお言付け?」

 王女にも、自分の婚約の内定が急がれている気配はわかる。母親から彼女に言い含める任を授けられ、彼がやって来たのだと勘繰っているらしい。

 アシュレイは首を振った。

「そう、ならいいわ」

 王女が座るのを待って、対面に掛けた。

「お飲み物をご用意致しましょうか?」

「いいよ、ありがとう」

「わたしにはワインをちょうだい。アシュレイもつき合って、いいでしょう?」

 彼の返事も待たずに、クラリスへグラスを二つ用意するように命じた。ほどなく、クラリスが自ら盆にボトルとグラスを載せて戻ってくる。彼女からそれ受け取った彼が、王女のグラスを満たしながら、

「いつも姫のサロンは賑やかなのに、夜は静かだね。クラリス、君だけかい?」

 と、声をかけた。

「ええ、若い者は晩餐の後には下がるようにしています。朝も早いですから」

「でも、朝が早いのは君も同じじゃないか」

 彼の返しに、クラリスはしとやかに微笑で応えた。王女にもやっぱり侍女長の心が透けて見えるようで、さっさと彼女を下げた。

 アシュレイは王女を前に、彼女への問いをためらった。

(知ってどうするんだ)

 他愛もない偶然をわざわざ確かめる愚かさに、今頃気づいた。

(少しだけ酒につき合い、すぐ辞去しよう)

 旨そうにグラスの酒を飲む王女が、妙なことを言い出した。

「叱らないって約束するのなら、打ち明けるわ」

「それはひどい。内容による」

「わたしに害はなかった。これでいいでしょう。誰も傷つけていない」

「何ですか? 姫の打ち明けごととは」

「今日ね、ある場所へ行ったの」

 王女が続ける話に、彼は相槌を打つことを忘れた。瞳を下げ、テーブルに飾られた花を凝視していた。

 侍女らと共に『ブルー・ティールーム』という店に出かけたと言った。知らない若い紳士とゲームをしたり話したりししたという。思い出を語りながら、午後の冒険がよみがえるのか、王女の表情は華やいで見えた。

「楽しかったわ。そこで食べたお菓子がとてもおいしかったから、買って来たの。さっきのお茶であなたも食べたでしょ、あれよ」

「…忠義者のクラリスが知れば、何と言うか」

 言葉に困って、小言を口にしてしまった。王女が打ち明けてくれたのは、彼なら秘密を共有してくれるはずという信頼からだ。苦笑しながらも、微笑ましい冒険と見逃してくれると信じていたからだ。

 王女は彼の苦言に、すぐ唇を尖らせた。

「嫌なアシュレイ。爺に似てきたわ」

 爺とは王女の執事で、彼女を実質的に育てた人物だ。王夫妻からの信用も厚く、今も王女のお目付役として存在している。

 王女の言葉通りだと思った。謹厳で堅くどこか時計を思わせる爺は、自分の将来の姿に思えた。

「確かに。僕はきっとああなる。リアム様にも、じき厄介がられるようになるんだろうな」

「嫌よ。止めて。どうかして?」

「何も」

 儀礼的にワインに口をつけた。そろそろ辞去しようと思った。胸が騒いで、余計なことを口にしてしまいそうだったから。

「ねえ、聞いて」

「何を?」

「オードリーに会いたい?」

「え」

 王女はまっすぐ彼を見ていた。

(オードリー)

 亡妻の名を耳にするのはいつ振りだろう。邸の者も友人も、彼の前で決してその名を口にしなくなった。
 音で聞くと不思議な気がした。ひどく他人行儀だ。かつては、失ってからも分身のような思いでいたのに。

 久しぶりにその名を突きつけられて、平生でいられる自分に驚いた。

(もっと狼狽えたり、拒絶したくなると思ったのに)

 それは意外な発見だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

お嬢様をはじめました

帆々
恋愛
ディーは17才。贅沢を何も知らずに育った。その彼女も幼い頃の初恋の思い出を持っていた。「わたしは叶わない恋を抱えて生きていく」――――。そう思い込んでいたのに。 ある出来事がきっかけで侯爵令嬢になってしまう。ディーの周囲の何もかもが変わった。新しい家、学校、友人たち...。知らないことだらけ。新しい環境には嬉しさより戸惑いが多い。「わたし、お嬢様がわからない?!」 しかし、もちまえの明るさでイベントも乗り切っていく。 そこで彼女は思いがけず、初恋の人と再会を果たす。しかし、彼は学校の教師でなかなか距離が縮まらない...。 ハッピーエンドのラブコメディーです。 ※小説家になろう様、カクヨム様にも別タイトル投稿させて頂いております。※

【完結】優しくて大好きな夫が私に隠していたこと

恋愛
陽も沈み始めた森の中。 獲物を追っていた寡黙な猟師ローランドは、奥地で偶然見つけた泉で“とんでもない者”と遭遇してしまう。 それは、裸で水浴びをする綺麗な女性だった。 何とかしてその女性を“お嫁さんにしたい”と思い立った彼は、ある行動に出るのだが――。 ※ ・当方気を付けておりますが、誤字脱字を発見されましたらご遠慮なくご指摘願います。 ・★が付く話には性的表現がございます。ご了承下さい。

転生したらBL漫画の男装女子でしたが、皆さん私に気にせずヨロシクやっちゃって下さい

由汰のらん
恋愛
R18なBL漫画の世界に転生してしまった男装女子、朱南。 男子校育ちで女子に免疫のなかったメインキャラたちにガラスのように扱われる朱南。 しかしそんな彼らの実態は─── 前世でダメンズを引き寄せてきた朱南のいらない力が今発揮される。

スローライフの闖入者~追放令嬢の拾った子供が王子様に化けました~

帆々
恋愛
ダーシーは王都の邸から追放された子爵令嬢だ。継母が彼女を嫌い、領地に追いやった。 荒れた土地を懸命に切り盛りして九年。 結婚も恋も彼女の前を通り過ぎて行き、すっかり田舎暮らしが板につく領主代理となっていた。 あるとき、幼い捨て子を見つけた。ダーシーは領主館に連れ帰る。コレットと名づけ、自分の子のように接した。 一緒に眠るほど可愛がったコレットが、ある朝成人した男性に姿を変えていた。 驚愕するダーシーに、 「僕だ。コレットだ」 と男は笑う。 さらに彼を探し求める近衛兵団がやって来て、彼をアリヴェル殿下と敬って————?! 後日、ドレスを贈られ、王宮に招かれる。 華やかな出来事をダーシーはアリヴェル王子の詫びと受け取った。 しかし、彼は彼女を婚約者だと主張してくるのだ。求婚された記憶もない。一方的な断定が彼女は納得できなかった。 婚期を逃した自覚が強く、結婚に夢もない。 さらに彼には残虐だとの噂もある。 自分を拒絶する王子は一旦引くが、再び彼女の前に現れる。 領地へ帰る彼女を自分が送ろうと申し出た。 近衛隊を率いた安全な旅が保証される。ダーシーは厚意をありがたく受けた。 旅を通して王子との距離が近くなっていく。イメージの王子と実際が異なり、彼女の頑なな考えも次第に変化していくことになるが———。 不遇な追放令嬢と残忍冷酷な噂のある第二王子。二人の恋のお話です。 ※小説家になろう様にも別タイトルで投稿させていただいております。※

【完結済】26歳OL、玄関先でイケメン執事を拾う

こうしき
恋愛
《OL執事シリーズ第一弾》 真戸乃(まどの) ほたる 26歳 独身 彼氏ナシ。 仕事が終わり帰宅すると、玄関先でイケメン執事が眠って……いた!? 「本日より私はあなた様の執事です。なんなりとお申し付け下さい」 「……え?    はあああああああ!?!?」 ちょっと待ってちょっと待って! え、一緒に住むの?! 部屋汚いけど! お風呂も……一緒?! 意味わかんない! 同じ布団で……寝るの?! 勘弁してよ! ほたるの前に突然現れた謎多き執事 セバスチャン。 家事を完璧にこなす彼は「あなた様に仕えると決めた時から性欲は捨て置いた」とほたるに告げる。 そうは言いながらもハプニングが起きる度に垣間見える彼の素顔に戸惑うほたる。 自称執事セバスチャンがほたるの前に現れた本当の目的とは一体──? ドタバタ系のラブコメです。 一話あたり2000文字から3000文字のライトな文章ですので、サクッと読めます。 ※この作品は小説家になろう・マグネット・カクヨムにも同時連載しております。 ※本作に「小説家になろう」に掲載中の他者様の作品名が度々登場しますが、Twitterで御本人様の許可を得て掲載しております。

王太子殿下の執着が怖いので、とりあえず寝ます。【完結】

霙アルカ。
恋愛
王太子殿下がところ構わず愛を囁いてくるので困ってます。 辞めてと言っても辞めてくれないので、とりあえず寝ます。 王太子アスランは愛しいルディリアナに執着し、彼女を部屋に閉じ込めるが、アスランには他の女がいて、ルディリアナの心は壊れていく。 8月4日 完結しました。

婚約者に見殺しにされた愚かな傀儡令嬢、時を逆行する

蓮恭
恋愛
 父親が自分を呼ぶ声が聞こえたその刹那、熱いものが全身を巡ったような、そんな感覚に陥った令嬢レティシアは、短く唸って冷たい石造りの床へと平伏した。  視界は徐々に赤く染まり、せっかく身を挺して庇った侯爵も、次の瞬間にはリュシアンによって屠られるのを見た。 「リュシ……アン……さ、ま」  せめて愛するリュシアンへと手を伸ばそうとするが、無情にも嘲笑を浮かべた女騎士イリナによって叩き落とされる。 「安心して死になさい。愚かな傀儡令嬢レティシア。これから殿下の事は私がお支えするから心配いらなくてよ」  お願い、最後に一目だけ、リュシアンの表情が見たいとレティシアは願った。  けれどそれは自分を見下ろすイリナによって阻まれる。しかし自分がこうなってもリュシアンが駆け寄ってくる気配すらない事から、本当に嫌われていたのだと実感し、痛みと悲しみで次々に涙を零した。    両親から「愚かであれ、傀儡として役立て」と育てられた侯爵令嬢レティシアは、徐々に最愛の婚約者、皇太子リュシアンの愛を失っていく。  民の信頼を失いつつある帝国の改革のため立ち上がった皇太子は、女騎士イリナと共に謀反を起こした。  その時レティシアはイリナによって刺殺される。  悲しみに包まれたレティシアは何らかの力によって時を越え、まだリュシアンと仲が良かった幼い頃に逆行し、やり直しの機会を与えられる。  二度目の人生では傀儡令嬢であったレティシアがどのように生きていくのか?  婚約者リュシアンとの仲は?  二度目の人生で出会う人物達との交流でレティシアが得たものとは……? ※逆行、回帰、婚約破棄、悪役令嬢、やり直し、愛人、暴力的な描写、死産、シリアス、の要素があります。  ヒーローについて……読者様からの感想を見ていただくと分かる通り、完璧なヒーローをお求めの方にはかなりヤキモキさせてしまうと思います。  どこか人間味があって、空回りしたり、過ちも犯す、そんなヒーローを支えていく不憫で健気なヒロインを応援していただければ、作者としては嬉しい限りです。  必ずヒロインにとってハッピーエンドになるよう書き切る予定ですので、宜しければどうか最後までお付き合いくださいませ。      

嘘吐きな妹と彼の病弱な義妹そして腹黒い幼馴染みに悪役令嬢と呼ばれる私、実は心の声が聞こえる聖女です

真理亜
恋愛
タイトル通り、取り敢えずパワーワードをこれでもかとぶっこんでみただけの作品ですw 一度やってみたかった、ただそれだけのために勢いで書いてみましたw 軽い気持ちで読んで下さると嬉しいですw  ちょっと長くなって来たんで、ショートショートから短編に、更に長編に変更しました、

処理中です...