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執着

5、紳士同盟

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 王女が匂わせた、ニールへのごく淡い恋の芽を引っこ抜いた自覚はあった。可哀想でもあったが、アシュレイはそこは決して譲れない。

 十日ほど前に、以前命じてあった調査の結果が返って来ていた。グレイ家の抱える探偵によるそれは、人も時間も使った詳細なニールの素行と周囲の評判がまとめられてある。

「お読みになる時間を割くのは無駄だと申し上げておきます」

 探偵は彼に前もってそう告げた。

「アシュレイ様の疑念と直感は的を射いておられます」

「犯人だという証拠は首の傷だけしかない。どうやってニールの仕業だと断定できる?」

「飲ませて誘導してやれば、自ら認めました。得々と、これまでの人数まであけすけに」

 彼は調査書のページを繰りながら尋ねた。探偵は精悍な顔を歪ませている。捜査の対象としてよほど不快な相手だったらしい。

「それは絶対に確かなのか?」

「はい。閣下にお聞きした秘密の暴露がありましたから」

 秘密の暴露とは、真の犯人にしか知り得ない事実の告白のことだ。ノアを暴行した場所の詳細、時刻、彼女の容姿などを探偵に告げてあった。それらとニールの発言が一致したという。

「少しも悪びれた様子がない。わたしの知る貴族のご子弟の中では、かなり癖のある御仁ですね」

 この探偵は仕事柄、貴族社会に詳しい。

「そうか、ありがとう」

 調査書を読む時間が惜しいと探偵は言ったが、その労は厭わない。内容が内容だが、彼は活字中毒のきらいもある。総じて、「腐った若者」だと文書には遠回しに書かれてあった。

 調査を受け取って、一層ノアを気の毒に哀れに感じた。彼女はそういう彼の感情を迷惑がったが、か弱いレディが卑劣な力で暴行を受けたのであれば、

(可哀想に、痛々しく感じて当然じゃないか)

 と、ニールの所業を怒りを超えた呪うような憎悪の気持ちで捉えている。

 しかし、その怒りの矛先をどう向ければ良いか悩んでいた。彼女の名誉もあり、もちろん公には出来ない。そして、法の裁きに委ねられるかと言えば、それも怪しい。ニールには資金力も発言力もある父親がついており、事件の揉み消しなどやりかねない。

(どうすれば…)

 本当のところは、

(僕が撃ち殺してやりたいほどだ)

 と復讐心を燃やしてしまっている。

 実のところ、決闘という手も考えた。卑怯で惰弱なニールにどう応じさせるかが問題ではあるが。もっと大きな問題は、

(僕が彼女のために戦う理由がない)

 に尽きた。彼女は彼の家族でもない。

(しかし、仮に…)

 と、ニールへの感情が冷静ないつもの思考を熱くさせた。

(仮に、婚約者であればどうだ。決闘のため、一時彼女と婚約すれば、僕にもその権利が生まれる)

 だが、それを彼女が飲むとは思えず、考えが行き詰まった。

 その時、風に乗って悲鳴のような声が聞こえた。王太子・王女の臨席する狩りの場でありうべきことではない。彼はすぐに護衛の者へ目を走らせた。

 二人を守る人の輪が、狭まった。

「知らせを走らせてくれ」

 一人に命じ、その報告を待った。

「何なの? アシュレイ」

「大したことではないでしょう。ご安心を」

 王太子に応じ、不安げに立ち上がる王女を制した。

「姫は動かれないで」

 ほどなく、様子を知らせに人が戻った。彼らの前に控え、まずアシュレイの目を見た。二人に知らせて良いかの判断をうかがっている。何かあったのだ。

(内容にもよる)

 彼は一人立ち、二人から離れ、まず報告を受けた。耳打ちされたそれは、衝撃的な内容だった。

 参加者の一人が銃の事故でひどい怪我を負ったという。

「事故なのだな?」

「はい。銃の暴発でしょう」

 すでに救護の者らが現場へ走っている。

 アシュレイは二人の側へ戻り、事態を告げた。事件でなければ、伏せる意味合いもない。

 さすがに王女は青い顔をした。

「大丈夫なの? その人は…」

「さあ、何とも」

 事故を知ってか、人々が犬を連れ戻って来るのが見えた。その中を担架に乗せられた人物が、運ばれて行く。

 アシュレイが許可をし、狩り場に馬車が乗り入れられた。その車内に被害者は担ぎ込まれた。深い緑の上着と白いズボンの肢体がだらりと垂れるのがのぞけた。

「意識がない。顔の半分が飛んだんだ」

「玉詰まりだろう。不運だな」

「自分の銃を使っていて、そんなことも気づかないのか?」

「事故なら仕方あるまいよ」

 集まった人々が、馬車を見送った。殺伐とした空気になる。

 アシュレイは会の終わりと王太子・王女の帰還を指揮した。早々と馬車に二人を乗り込ませた。

 引き続き、王宮のサロンでの茶会がある。二人と共に王宮に帰り着いた。彼は狩りをしなかったが狩りの服装をしていた。参加者たちも控え室でそれぞれスーツに着替える。

 サロンで王太子・王女の登場を待つ。その時、彼はやっと気づいた。

(ニールがいない)

 彼が急ぐのは、王太子・王女を無事に王宮に連れ帰ることだ。事故の被害者の把握は些事と言ってもいい。

(ニールだったのか)

 人々の噂では、銃の暴発による被害で、ニールの周囲は血が飛び散った凄惨な様相だったという。

 アシュレイは会話から距離を置き、出されたグラスを手に、狩りに参加したサロンの男たちを眺めた。興奮気味にニールの噂を囁く者。それを貪るように聞く者。事故の話にはすでに飽きて、違った話題で談笑する者…。それぞれだ。

 彼らの姿を目で追いながら、彼は思っていた。

(あれは誰の銃だったのだろう)

 彼は事故に遭う少し前のニールを知っている。短いが会話もした。その時ニールは、自分の物ではない別の誰かの銃を手にしていた。それがのちに暴発することになった。

 猟銃は形は同じだし、色味も似ている。しかし、銃把の感触はそれぞれ馴染みがあるはず。刻印だってあるだろう。

(自分の物とニールのそれが入れ替わっていたと、気づいていないのか)

 彼だったら気づく自信がある。貴族の子弟は十代前半から狩りに親しむ。銃器の扱いに習熟した者が多い。それが紳士の美徳とされる。

(あの狩りをよく知らないニールですら、自分の銃ではないと気づいていたのに)

 サロンのざわめきに、まるで居並ぶ学生を前にしたような気がした。年頃も合っている。

 事故の正確な理由はわからない。もし玉詰まりなら、前の銃弾が残る塞がれた状態で次弾が撃たれ、銃身が高圧に耐えきれず破裂したことが原因だ。

(なぜ弾が残ったのか)

 単純に弾に火薬が入っていなかったのでは、と彼は考えた。それなら発射せず、中に留まるだろう、と。自作した銃弾の中に、火薬を入れ忘れる偶然のミスがあったのかもしれない。

 事故で肝心のその銃が失われた今、確かめようもなく、想像の域を出ない。

 しかし、

(自作の銃弾を使用するほどの猟銃に慣れた者が、他人の銃と自分のそれとを取り違えて気づかないなど、あり得ない)

 彼はちょっと慄然とした思いで、サロンの若者たちを眺めた。

 誰も悲しんでいない。やや興奮した顔色で、楽しげですらある。ニールは真っ当な学生からは一線を画した存在だったとは、探偵の調査書にもあり、ジークからも聞いている。

(この中の誰か、もしくは複数の者が…)

 目の前の集団の中から、その個人を特定する気はさらさらなかった。彼ら若い紳士が、自分たちに害を及ぼす異物をコミュニティーから葬る、自然作用にも感じられる。

 ただ、アシュレイ自身が持つより強い意志と覚悟をもって、今回の事をなしたのだとすれば、してやられたような、先を越されたような味気なさと情けなさを感じる。

 自分が手をこまねいている間に、標的を鮮やかにかっさらわれ、彼が描く以上のダメージを与えることに成功していた。

 己と同じほどの憎しみを抱く理由があるだろうとは、想像に難くない。

(その動機など、どうでもいい)

 すっきりとはしないが、もう自分の出る幕はないと彼は自覚した。おそらくニールは社会復帰出来ないほどの重傷を負ったに違いない。この後、命を落とすことだって十分あり得る。

 彼は立ち上がり、手のグラスをテーブルのスプーンでちんと二度打った。高い音が鳴り、人々の喧騒が止む。

 視線が自分に集まったのを見て、口を開いた。

「この日、狩り場で被害に遭った人物は大変残念だった。凄惨な事故でもあり、ジュリ王女は動揺をされている。以降、この場ではその件について話題に上すことは、厳に慎んでほしい」

 幾つもの目が瞬きもしない。静かに頷きが返る。

 彼はそれらを認め、

「君たちの冷静で紳士的な態度に感謝する」

 と、結んだ。
 間もなく、サロンの扉が開き王太子と王女が入場する。彼らは控えて二人の着座を待ち、ほどなくグラスを手にした。

 乾杯の後で、和やかに会が始まる。若者たちが王女を取り巻いた。

 彼は王太子の側に控えながら、その様子を眺めた。軽く咳をする王太子を気遣い、意向をうかがう。

「まだいい。下がらなくても大丈夫」

「そうですか」

 ふと、場違いなことを思い出した。

(ニールのための紹介状を書かずに済んだ)

 それで少し笑った。
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