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24.凍えた日
しおりを挟む柊理との関係が夫婦らしくなっても、取り立て生活が変わることはなかった。
違うのは、毎夜彼が部屋にやって来ること。柊理が遅い日で、わたしはもう寝入ってしまっている時も、ふと目覚めると側に彼の気配がある。冷えるつま先がすぐに柊理の足に触れる。それで温もりをもらう。
抱き合わなくても、触れるほど近くに彼といることは心が落ち着く。
彼と肌を合わせると、いつもざらりと別な感触が身体をはうのを感じた。麒麟が柊理の後ろにいて、共にわたしを抱いているのだ。それが麒麟の養分になるのでは、と思う。
恐ろしさも気味の悪さもない。より行為に高揚する自分もわかる。そのわたしの悦びで、麒麟が満ちるのを感じた。
「ぶすっと一発済ませておけば、そなたが病むことはなかったのではないか? さっさと夜這えばよかったのだ」
抱き合った後だ。腕に抱きながらわたしの髪をいじる柊理の指が止まった。
「それは武家風の言い方か? 俺は不案内でわからん」
「夜這うに武家も公家もない。なぜ早く押し倒しておかなかったのか、と聞いている。肌の紋様のこともあっただろうが、何事も試してみなければ進まない」
柊理が苦笑した。
「もしや、紋様があると不能になるのか?」
「きれいな顔をして、何てことを言いやがる」
彼がわたしの頬をつまんだ。
「紋様が姫の障りになったら、とは確かに考えた。後は…、嫌がることをしたくなかった」
「柊理なら嫌がらぬ」
「それは、今だから言える。『武器屋』で姫に言われた「下郎」が結構響いた。これは本物の姫様だと思い知った」
初めて彼に会った夜の話だ。突き倒されて犯されそうになり、言い放った言葉だった。
「それは悪かった。すまぬの」
「いいんだ。あれで俺の下僕根性に火がついた」
「おかしなことを」
「俺がさっさと一発済ませていても、紋様は消えなかったと思う。姫が餌なら、それが旨くなければ麒麟はお気に召さないだろ」
「どう旨くなる?」
問いながら、答えを知っていた。わたしが、柊理と肌で抱き合うことを望み、悦んでいなければならない。だから、瀕死の彼の胸から紋様は消えた。
鏡を見なくても、まぶたが朱に染まるのがわかる。頰も熱い。それは、柊理に彼によるわたしの官能を知られている羞恥だ。
問いに答えず、彼はわたしの伏せたまぶたに唇を当てた。
「柊理なら嫌がらぬ、は刺さった」
冷たい雨が降る午後。急な誘いで車に乗った。
気が乗らなかった。寒い日は邸で火鉢に手をかざしている方がいい。何もこんな日に寄り集まらなくていいではないかと芯から思うが、相手は氷川宮妃だ。以前お茶に誘われた経緯から、柊理の療養中に見舞いの品を送っていただいた恩もあり、辞退しにくい。
車まで迎えに寄越して下さるのだから、なおのことだ。
厚いショールを肩にかけ、車の中で手をこすり合わせた。先様は洋館にお住まいだから、暖炉の火があるのだけが楽しみだった。
移動はいつも車で、柊理がいることが多い。そのため帝都の地理には疎く、今どのあたりを走っているのかさえおぼつかない。
三十分ほども走り、車が門をくぐった。以前伺った時とまるで違った立派な数寄屋造りの邸である。宮邸ではなく、どなたかご友人の邸らしい。
和風の家なら暖炉はない。まあ金持ちの邸には違いない。火鉢の数は多いはず。
車寄せで車を降りると、運転手に玄関に回らず別な入り口を案内される。
「こちらがぬれませんので」
長い廊下を歩かされた。母屋ではなく離れに向かっているようだ。茶室かと考えた。行き止まりで、先を行く運転手が木の引き戸を開けた。
昼下がりでも室内は薄暗かった。畳敷の座敷であることはわかる。茶室にしては広い。炉はどこか、と目を凝らした時だ。運転手が振り返ったと同時に胸の下を強く叩かれた。
瞬時、目の前が暗くなる。膝から力が抜け、くずおれた。
目が覚めた時、畳の上に寝転んでいた。すぐに口と手足を縛られていることに気づいた。両手は後ろ手にきつく布状のもので縛られている。手も足ももがくが、わたしの力ではびくともしない。
あの運転手だ。あの男に腹を思うさま殴られた。それで昏倒してしまっていた。
ここはどこか。薄暗い中を目を走らせる。目が慣れると室内の様子も見てとれた。美しい部屋だが調度らしいものはなく、日常に使用する部屋ではないようだ。
考えるまでもなく、氷川宮妃のお招きなどではない。妃の名を騙った誰かにここにさらわれている。恐怖よりまず憤りが強い。今も殴られた腹は痛む。
その時、扉の開く音がした。衣ずれの音をさせ、誰かが入ってきた。その者は手にランプを持っていた。その明かりで人物が浮かび上がる。見覚えのある面長の顔に特徴のある口髭。
「どれ、確かめよう」
声は川辺公爵のものだった。
ランプを手にわたしの前にかがみ込んだ。赤らんで皮脂の浮いた顔がぬっと近寄って来る。嫌悪感に肌が粟立った。嗅いだことのない妙な匂いもした。胸が悪くなるような甘ったるい香りだ。
「本物のようだ」
満足げにうなずき、公爵は立ち上がった。壁の方へ向かい、そこにランプをかざす。
「見てごらん」
光に照らされた壁には、礼司がわたしを描いたあの水彩画があった。最初の一枚を除いた四枚がここにそろい、並べて飾られている。
「お前を見た時、久しぶりにしびれが走ったよ。わたしの好みにぴったり適う女だ。顔も清げで美しく、姿もしなやかでいい」
そんなことを語りながら、わたしと絵とを見比べている。
「調べさせれば、旧大名格の姫だというではないか。出自もいい。気に入った」
再びわたしの元へ戻って来る。
「観念しろ。今日は楽しんだら高司の元へ返してやる。しかし、呼んだ時にまたわたしのところへ来るようにな。夫に不貞を知られたくはないだろう」
公爵がランプを床に置く。空いた手でわたしの身体をまさぐるように触れる。涙がこぼれた。気持ちの悪さと腹立ちに、取り乱しそうだった。
手を解けないか、何とか出来ないか。身をよじりながら考えた。その動きを封じるように公爵がわたしに馬乗りになった。帯どめが解かれ、帯に指がかかった。それが半分も緩んだ頃、背後で扉を叩く音がした。
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