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22.言いわけ

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大量に血を吐いた後だ。体力も落ちている。柊理の療養は続いた。


念のため医者にも診せるが、異常はないとの身立てだった。滋養の薬を処方してもらう。


あれほどの血を連続で吐けば、普通であれば身が保たない。回復などきっと望めないはず。それが持ち直し、さらに異常なしと診断されるのだから、麒麟の奇跡の仕業と信じる以外ない。


彼は寝室に社員を呼びつけ仕事の指示を出したり、疲れたらまどろんだりと、のんびりと過ごしている。

完全に伏せていたため、柊理の病気を知るのは礼司やその周辺のみだ。有明の君と香子の夫妻にはわたしから電話もし、回復を伝えた。


「ああ、よろしかったこと! 礼司から聞いて以来、心配でしょうがなかったの。夫も深刻なように言うでしょう。恐ろしかったわ。まあ、うれしいお知らせ。本当によろしかったわ」


興奮した声が受話器から伝わる。身近な人に柊理は好かれているのだと思った。


香子との電話で、礼司を思い出した。


彼の個展が大成功を収めたのは、新聞で知っていた。一枚一枚でも好評だった絵が、五枚の連作すべてがそろっての展覧は、圧巻との声も高いという。


絵のことはいい。気にかかったのは、柊理と礼司とのいさかいだ。それがあった夜に柊理は吐血して倒れた。


二人に何があったのか。病床に付ききりで、喧嘩の理由など考える余裕もなかった。


柊理は礼司に甘い。年も一つ下で、甘ったれぼんぼんの彼が可愛いのか、何かと言えば肩を持つ。礼司も柊理を頼む風もあるし、義兄の親友という枠を超えての親さに見えた。とにかく仲がいい印象だった。


たずねてみようと彼の寝室へ向かった。柊理は床に仰向けに寝転んで、紙の束を手にしていた。わたしが入って来ると、それを横に置いた。身体を起こす。


「どうした?」


裾を払って枕元に座る。


「礼司の個展が大盛況だったらしいの」


「よかったな」


「そなた、倒れる前に礼司と言い争っていたな。あれはどうしてだ?」


柊理は口ごもった。唇を曲げ、瞳を下げた。回復して以来気づいたが、元々が青く、薄く灰がかっていた目の色が、今度はその青味が強くなり濃く深く見える。神秘的で、麒麟に憑かれる人はこんな目を持つのかも、と思う。


「言えないのなら、よい」


「本当にいいのか?」


「よい」


「俺が黙っていたら、姫は勘繰らないか?」


「それは、の。やましいことがあるのではと、思わないではないかもしれぬ。小鳥の次は、子猫でも拾うたのかと考えるかも」


「ほらな」


柊理が笑った。


ちょっとの間の後で、彼が話し出した。


「姫の絵は、俺が礼司からすべて買い取る約束をしたのを覚えているか?」


「ああ、覚えている」


それが、わたしのモデルを許す、礼司への柊理の条件だった。


「礼司が俺に無断で絵を売ったんだ。支払いの済んだ最初の一枚をのぞいて、残り四枚をすべて」


「誰に?」


「川辺公爵だ」


その名に、礼司の元に絵の交渉に訪れていた秘書の姿を思い出す。別当とかいった、若い端正な男だった。わたしはその秘書の存在を、礼司への配慮などから柊理に打ち明けないできた。彼が変に気を回すのがわかったからだ。


それも、礼司を信用していたから自然に起きた気遣いだった。


「なぜ?」


「金が必要だったらしい」


礼司と金と言えば、すぐに渡欧を思いつく。そのために資金だったのか。しかし、それにしても、だ。それこそ周囲に相談するべきではないか。


柊理もそれを言う。


「金が要るんだったら、先に相談して欲しかった。よりによって、一番売られたくないものを、一番嫌な相手に売りやがった」


川辺公爵のわたしへの嫌らしい目線を言うのだろう。公爵は秘書を使い、仕上がってもいないわたしの絵の買取を交渉させていた。ねじくれた執着を感じざるをえない。


売買契約が済んだ今、公開を終えた絵は、公爵邸に運ばれているはずだ。その邸のどこかで公爵の舐めるような視線を受けているのだとすると、モデルのわたしとしては、確かに肌が粟立つ。


柊理の嫌がるのを知りながら約束を破ったのが、礼司への怒りの根のようだ。これまでの信用をあっさり裏切ったことになる。


「理由を聞けば、あいつの気持ちも納得がいくんだが…」


「個展も成功を収め今なら、有明の君の財布の紐も緩むのではないか? 再度の渡欧の理解も得られよう。なぜ、そなたの嫌がることを敢えてする?」


「違うんだ、姫」


緩く彼が首を振った。体重が戻っておらず、浴衣の肩が薄く感じる。側の丹前を拾い肩にかけてやる。


「何が違う?」


「渡欧の金じゃない。礼司がほしかったのは、女にやる金だ。子供ができたらしい。それで借金や援助された金でなく、自分で作った金がほしかったと言った」


「花か?」


「そうだ」


それ以上は柊理も聞いていないという。


子供の出来た花と縁を切りたいのであれば、手切れ金の出所などどこでもいい気がする。柊理や有明の君に泣きつけば、叱責は受けても金の融通はしてもらえそうだ。


柊理の怒りを買ってでも「自分で作った金」を求めた理由は何だろう。


「ふらふら見えても、あいつは華族の次期当主だ。妻はどこぞの令嬢と決まっている。花では無理だ。そんなことは、あの家に育ったあいつが一番よくわかっているはずだ」


花は旧旗本の子女だ。豊かな禄高とは言えないが、歴とした武家の娘のはずだった。それが、潮目が変わり、妻にも出来ない身分と侮られる。


「黙っていてはいけないのか?」


「身辺の調査くらいする。そこでカフェの女給の職がばれたら終わりだ。触れ通りの看護人だったら、香子さんも口添えはできようが…」


カフェの女給が卑しいと言うのなら、花魁などその最たるものではないか。女が自分の売れるものを売って何が悪い。


そして、誰が望んで売るか。


その時代時代で割を食う者が必ずいる。かつてはわたしもその中にいた。それに対してのやり場のない嘆きだ。誰も恨んでのものではない。


わたしの沈黙をどう感じたのか、柊理が肩を抱いて引き寄せた。


「姫は違う」


「誰かを殴った手でなでられているようなものだの」


「そう言うな。俺だって捨て子なのを隠している。姫と同じじゃないか」


彼がわたしの額に唇を当てた。


「破れ鍋にとじぶたか?」


「それだな」


「礼司と花もそうかの」


柊理は吐息し、わたしの肩に頬をもたれさせる。



「あいつの、俺ならどうせ許すだろうという魂胆が透けて、向っ腹が立つ」


「しょうがないではないか。そなたや有明の君が甘やかし続けた結果だ」


「それにしたって、川辺公爵はないだろ。女の噂には事欠かない御仁だ。純粋な絵画収集とは考えられない」


礼司は柊理の回復を知り、すぐに見舞いに訪れている。しかし柊理は会わず、言伝もしなかった。


礼司が川辺公爵に絵を売ったのは、いかにも悪手であったが、一番高値を付けてくれた好都合な買い手だったのだ。


ちょっと鼻をつまんでやった。


「そなたには生身のわたしがいるのだ。機嫌を直せ。身体に障るぞ」


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