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17.帰蝶の絵

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新たな絵が仕上がり、礼司はまた次の絵に取り掛かる。


二作目の絵は、一作目と並べて期間を切って展示された。今度は座った姿勢で、縁側に斜めに座り庭を眺めている。


これも柊理と見に行ったが、評判がよく鑑賞する人が列をなしている。


「背後の座敷の暗さと庭の明るさ。その明暗の中心に彼女がいる。過去と現在、未来を具現化しているようだ。作者に意図はないかもしれないが、見る者に問いかけるよ」


「なるほど」


識者が話し合っている。


「礼司のやつ」


横座りした着物の裾からほんのわずか肌がのぞく。それが柊理は気に入らないらしい。来てすぐというのに、わたしの手を引き会場を出ようとする。


「夜会では洋装をさせたがるくせに。あの透けそうなびらびらした服はいいのか?」


「あの絵は目立つ看板みたいなもんだ。そんなところに自分の妻の肌を晒されて、俺がいい気がするか」


柊理は歩を速め、人を縫うように進む。その時、急ぐ足がもつれ、何でもない床につまづいた。転んで石の床に手をついた。


「大丈夫か?」


振り返った彼がすぐに抱え起こしてくれた。


「悪かった。急がせ過ぎた。くじいていないか?」


「何ともない」


そこから彼がわたし引き寄せ、背に手を当てる。ゆっくりと歩いた。


転んだことで注目されたようだ。


「あの千鳥のワンピースの女性、絵のモデルだわ」


「転んだ人よ。絵の人よ」


ひそひそと噂されるのが耳に届く。印象を変えるために洋装をして来たのに、あっけなく知られてしまう。


会場を出て、車寄せまで歩いた。


「姫は目立つ」


渋い声で彼が言う。見上げると隣りで唇を曲げていた。


「目立つ妻は嫌か?」


「そんなんじゃない」


「肌など見せてやる。そなたの前で脱いでもよい。な、それで機嫌を直せ」


彼は黙ってしまった。


そこで、面倒な男に行き合った。川辺公爵だ。例のメガネの秘書も控えている。絵を見に来たらしい。避け難く、挨拶を交わす。


「二作目も評判がいいようだね。作者も喜んでいるだろう」


「はい、そのようです」


柊理はわたしが転んで足をくじいたため、医者に行くと慇懃に告げた。それを方便に辞儀をして彼の前を去った。


何となく視線を感じ振り返ると、どうしてかわたしを見る秘書と目が合った。互いにすぐ逸らしたため、ほんの一瞬の出来事だ。


すぐに頭を戻す。


礼司の元に、川辺の秘書が絵を買う交渉に訪れていたことを話そうとして、止めた。聞けば、柊理はこれ以上モデルをするのを許さないかもしれない。


わたしにしたって続けたいわけではない。だが、やっと機運を手にした礼司への同情がある。今話題の絵を途絶えさせてしまえば、つかみかけた将来もすぐに潰えてしまうのでは、とも思った。


ぼんぼんで甘ったれの腐れた画家だが、人好きのする男ではある。


わたしですらそうなのだから、カフェの女給をする花には、華族の彼はまばゆい貴公子に見えることだろう。わがままも冷淡な態度も気高さの一種にも見えるのではないか。


花の仕事のことは、アトリエで過ごしなじんだ上、帰りを送り届けるうち聞き出していた。


「お客で来た礼司さんとそこで知り合いました」


と花は言った。


菓子をくれたり、彼女を描いたスケッチなども贈ってくれるという。高価なものではないが、女心に響きそうな気遣いだ。礼司のような男からそんな贈り物をされれば、女なら気持ちが恋に傾きそうだ。


「これ以上は何も望んでないんです。あの人とは世界も違います。気まぐれでいいんです」


健気なことを口にした。礼司が彼女の弱さを都合よく利用しているのは、花にもわかるのだろう。けれど、隠した本心は別のはず。叶わぬ夢であっても、願うことは罪ではない。


つらつらと花のことを考えていた。


車に乗り込む。


「そなた、礼司と女の話をするか?」


「詳しくは知らない。会う女がいるようなことは聞いた。それがどうした?」


「それは花ではないか?」


柊理はアトリエでも見かけ、花のことは知っている。介護人と偽っているが、実はカフェの女給だと言った。そこで二人が出会ったとも。当世のカフェは、女給が男の客を接待し酒を飲ませる店だ。


彼はちょっと黙った。その後で言い切る。


「礼司は遊びだろ」


「花への態度もぞんざいで、それは見ていてわかる」


「彼女だって割り切っているのじゃないか? 太い客のつもりで」


「礼司は太客ではないぞ。色恋で女を釣るしみったれだ」


「それも込みでつき合うのも、彼女の判断だ。嫌な客が多い中のいい息抜きなのかもしれない。二人のことはあいつらにしかわからん」


「さすが、花魁を身請けした男だ。花街の女に理解があるの」


「何だそれは」


「して、遊んだすずめは逃がしてやったのか?」


柊理が絶句した。口元に手をやってから、横目でわたしを見る。


「礼司から聞いたのか?」


「情報源は明かさぬ」


実際は礼司だ。過去の話だからと断った上で、柊理がある芸妓を気に入り、よく通っていたと聞いた。すずめというらしい。礼司いわく、三味線の上手な優しい女だとか。


「わたしは琴なら免許だが、惜しいの、そなたは三味線がよいらしいから」


「姫」


彼がそっと手を握った。


「とっくに別れた。会ってもいない。誤解するな」


「わたしは野暮な女ではないぞ。遊ぶなとは言わない。ただ筋を通せ。二号と決まった女なら挨拶をさせよ」


「庭に呼び出すんだな。でもいない。これは信じてくれ」


握られた手を外そうとする。さらに強く握られた。それを柊理は自分の胸に持っていく。


「俺は姫だけだ」


つかんだままのわたしの指を、唇に押し当てた。


「知っているだろ?」


「鳥を飼う男は好かぬ」


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